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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第3章 レガルテ横浜プロ編

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第48話 大ベテランの引力


 3月の最終週


 次の試合は、アウェーだった。


 相手は鹿島グランフォルテ。


 レガルテ横浜から鹿島へ向かう遠征の日、僕はいつもより早く目を覚ました。


 荷物を確認する。


 スパイク。


 ウェア。


 タオル。


 必要なものをバッグへ入れる。


 スマートフォンを見る。


 2月11日の誕生日から、数日が経っていた。


 あの日の夜に抱いた寂しさは、まだ完全には消えていない。


 でも、練習が始まれば考えることはいつも通りだった。


 ボール。


 味方。


 相手。


 空間。


 そして、自分の身体。


 アドリアンさんとの練習も続いている。


 止める。


 蹴る。


 運ぶ。


 身体を置く。


 少しずつだけれど、以前よりもボールが自分の近くにある感覚が強くなっていた。


 それでも、試合ではまだ先発できていない。


 理由は分かっている。


 15歳の身体では、プロの強度を90分間維持することは難しい。


 15歳になったからといって、それが突然変わるわけではない。


 焦っても、身体の成長だけは早められない。


 御影監督にも。


 アドリアンさんにも。


 何度も言われている。


 だから僕は、今できることをする。


 今日も、まずはベンチに入ること。


 そして、もし出番が来たら、その時間でできることをする。


 バスが鹿島へ向かう。


 窓の外を流れる景色を見ながら、僕は試合のことを考えていた。


 鹿島グランフォルテ。


 ホームでは、特に強いチームだと聞いている。


 スタジアムの雰囲気も大きい。


 相手のサポーターの声。


 ホームチームを後押しする空気。


 アウェーでは、それらすべてが敵になる。


 僕は窓の外へ視線を向けた。


 しばらくして、スタジアムが見えてきた。


 大きい。


 バスから降りる。


 遠くからでも、観客の声が聞こえていた。


 まだ試合前なのに、空気が違う。


 僕はその中を歩いて、ロッカールームへ入った。


 試合の準備をする。


 ウォーミングアップ。


 そして、スタメンが発表される。


 僕の名前はない。


 いつも通りだった。


 僕はベンチへ座る。


 ピッチを見る。


 鹿島グランフォルテの選手たちがアップをしている。


 身体が大きい。


 速い。


 強い。


 プロの世界に入ってから、何度も見てきた光景だった。


 それでも、まだ慣れない。


 試合が始まった。


 前半から激しい展開になった。


 鹿島グランフォルテはホームの勢いを使って、前からプレッシャーをかけてくる。


 レガルテ横浜も後ろからボールを動かして対抗する。


 前半は1-1。


 後半に入っても、両チームの攻防は続いた。


 僕はベンチからピッチを見ていた。


 誰が疲れているか。


 どこに空間ができているか。


 相手の守備の形。


 味方の動き。


 試合を見ながら、頭の中で何度も情報を整理する。


 後半20分。


 御影監督が動いた。


「湊」


「はい」


「準備」


「はい」


 僕は立ち上がった。


 ウォーミングアップを始める。


 身体を動かしながら、ピッチを見る。


 鹿島グランフォルテの選手たちも疲れている。


 でも、僕たちも同じだ。


 後半30分。


 交代が告げられる。


 僕はピッチへ入った。


 そして、その隣には――


 国木田航さんがいた。


 40歳。


 僕がプロの世界に入るずっと前から、トップレベルでプレーしてきた大ベテラン。


 試合前に何度か話したことはある。


 でも、一緒にピッチへ立つのは初めてだった。


 僕が入ると、国木田さんがこちらを見る。


「湊」


「はい」


「いいパス、頼むぞ」


 僕は頷いた。


「はい」


 それ以上の言葉はなかった。


 試合が再開される。


 僕はいつも通り、周囲を見る。


 ボール。


 相手。


 味方。


 空間。


 頭の中にピッチ全体を浮かべる。


 上から見ているような感覚。


 選手たちの位置が線になって繋がっていく。


 鹿島グランフォルテの守備。


 レガルテ横浜の選手たち。


 その間に生まれる場所。


 僕は、その中から最も可能性の高い道を探していた。


 どこへ出せば、ボールを失いにくいか。


 どこへ出せば、攻撃が続くか。


 どこへ出せば、ゴールへ近づけるか。


 いつもと同じ。


 僕のサッカーだった。


 後半35分。


 僕がボールを受ける。


 前を見る。


 右に味方。


 中央に国木田さん。


 左にも選択肢がある。


 相手の守備を見る。


 中央は少し狭い。


 右へ出せば、攻撃は安定する。


 僕は身体の向きを変える。


 右へ。


 そのときだった。


 突然。


 何かが飛んできた。


「――!」


 僕は息を止めた。


 声ではない。


 言葉でもない。


 でも、明確に分かった。


 意思。


 強烈な意思。


 僕へ向かって、まっすぐ飛んできた。


 僕は反射的に国木田さんを見る。


 国木田さんが、こちらを見ていた。


 目が合う。


 その瞬間。


 さらに強いものが押し寄せてきた。


 ――俺に寄越せ。


 声は聞こえていない。


 それでも、そう言われた気がした。


 いや。


 気がした、という表現では足りない。


 身体そのものに、ぶつけられたようだった。


 強い。


 あまりにも強い。


 僕の中に、ゾワッとした感覚が走る。


 背中から首筋へ。


 そこから腕へ。


 全身を一気に駆け抜ける。


 何だ。


 これは。


 僕は国木田さんを見る。


 40歳。


 長い時間、プロの世界で生きてきた選手。


 その身体から発せられているものが、まるで引力のように感じられた。


 僕は、いつもなら考える。


 全体を見る。


 複数の選択肢を見る。


 その中から、最も成功確率の高い道を選ぶ。


 でも。


 今は違った。


 国木田さんがいる。


 そこへ出せと、身体の奥から訴えかけられている。


 僕は一瞬だけ、考えた。


 そこへ出すのは最善なのか。


 違う。


 他にもっと安全な道がある。


 右へ出した方がいい。


 右の選手はフリーに近い。


 そのまま前進できる可能性もある。


 国木田さんへのパスは、相手の守備が近い。


 通る可能性は高くない。


 それでも。


 僕の右足が動いた。


 ボールを蹴る。


 国木田さんへ。


 瞬間。


 自分でも驚いた。


 ――出した。


 なぜ。


 どうして。


 僕はボールの行方を見る。


 鹿島グランフォルテのDFが反応する。


 国木田さんの前に1人。


 さらに、その後ろにもう1人。


 普通なら、そこで潰される。


 僕が考えた最善の道ではない。


 成功確率も低い。


 なのに。


 国木田さんは、身体を入れた。


 相手DFとボールの間に身体を置く。


 ボールを受ける。


 僕は目を見開いた。


 国木田さんが、前を向いた。


 そして。


 シュート。


 右足。


 迷いがない。


 ボールが低く飛ぶ。


 GKが反応する。


 伸ばした手の先を抜ける。


 ゴールネットが揺れた。


『国木田ァァァ!!』


『決まった!!』


『レガルテ横浜、勝ち越しです!!』


『40歳、国木田航!! まだまだ健在です!!』


 スタジアムの空気が一変した。


 レガルテ横浜の選手たちが走ってくる。


 国木田さんは拳を握り、仲間たちと喜んでいる。


 僕は、その場に立っていた。


 ゴールを見ている。


 今のパス。


 僕は、あれを選んだ。


 でも。


 選んだという感覚がない。


 引っ張られた。


 そんな感覚だった。


 国木田さんから発せられた強烈な意思。


 俺に寄越せ。


 その意思に、身体が引っ張られた。


 僕は自分の右足を見る。


 さっきボールを蹴った足。


 そこから、まだ感覚が残っている。


 不思議だった。


 僕はこれまで、ピッチ全体を見てきた。


 どこが最善なのか。


 どこへ出せば成功するのか。


 どうすればチームが前へ進むのか。


 それを考え続けてきた。


 でも、今のパスは違った。


 最善ではなかった。


 確率も高くなかった。


 それなのに。


 ゴールになった。


 僕は国木田さんを見る。


 国木田さんがこちらへ歩いてくる。


「ナイスパスだったぞ」


「……」


 僕は返事ができなかった。


「湊?」


「……はい」


 やっと声が出た。


「ありがとうございます」


「よく見えてたな」


「……」


 違う。


 僕は、見えていたわけではない。


 見えていた道の中から選んだわけでもない。


 国木田さんに、出させられた。


 そんな感覚だった。


 僕はもう一度、国木田さんを見る。


 40歳。


 長い時間をサッカーと共に生きてきた人。


 その人が持っているもの。


 それが何なのか、僕にはまだ分からなかった。


 でも。


 今の瞬間だけは、確かに感じた。


 強烈な意思。


 自分のところへボールを持ってこいという、圧倒的な要求。


 それが、パスを引き寄せた。


 僕はピッチ中央へ戻りながら考える。


 今までの僕なら。


 最善の道を選んでいた。


 成功する可能性。


 失敗する可能性。


 味方の位置。


 相手の位置。


 その全部を考えて。


 最も良い道を選ぶ。


 でも、サッカーには。


 それとは違う何かがあるのかもしれない。


 自分からボールを欲しがる。


 自分が決める。


 自分が試合を動かす。


 そういうもの。


 僕には、まだ分からない。


 ただ。


 国木田さんから飛んできた、あの意思だけは忘れられなかった。


 後半43分。


 鹿島グランフォルテが最後の攻撃を仕掛ける。


 僕たちは守備に回った。


 時間が過ぎる。


 そして、主審が時計を見る。


『試合終了!!』


 笛が鳴った。


『レガルテ横浜、2-1で鹿島グランフォルテを下しました!!』


『アウェーで大きな勝ち点3です!!』


 僕は息を吐いた。


 勝った。


 嬉しい。


 でも。


 頭の中には、あのパスのことしか残っていなかった。


 ロッカールームへ戻る途中。


 僕は国木田さんの背中を見ていた。


 その背中から、さっき感じたものを思い出す。


 俺に寄越せ。


 あれは何だったのだろう。


 僕にはまだ、分からない。


 ただ1つだけ。


 今までの自分のサッカーにはなかったものを、初めて知った気がした。


 それは、正しいかどうかではない。


 最善かどうかでもない。


 成功する可能性が高いかどうかでもない。


 ただ。


 自分が欲しい。


 自分に寄越せ。


 そう叫ぶような、強烈な意思。


 その意思が、相手を動かすことがある。


 そして。


 僕はその意思に、引っ張られた。


 自分でも気づかないまま。




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