第45話 時間停止
後半も、残り時間は少なくなっていた。
スコアは1-0。
レガルテ横浜が、まだ1点を追っている。
大阪アルテミスは、先ほどから守備の重心を少しずつ下げていた。
1点を守り切るつもりなのかもしれない。
僕は、自分の位置からピッチ全体を見渡した。
残り時間。
味方の位置。
相手の配置。
ボールの場所。
全部を頭の中に入れる。
そのとき、レガルテ横浜が右サイドから攻撃を仕掛けた。
敷島さんがボールを持つ。
神保さんが中央へ入る。
鷹司さんが最終ラインの間を狙って走る。
僕も少しずつ前へ進んだ。
敷島さんがクロスを上げる。
大阪アルテミスのDFが頭で弾いた。
ボールはペナルティエリアの外へ飛んでいく。
僕は落下地点へ走った。
誰よりも早く、ボールの軌道を読む。
落ちてくる。
胸で受けることもできる。
でも、相手が近い。
僕は右足で地面に落ちる前のボールを抑えた。
トラップ。
そのまま顔を上げる。
周囲を見る。
中央は閉じている。
左には冴木さん。
右の外側には、アドリアンさんがいる。
少し下がった位置。
フリーだった。
僕は迷わず、アドリアンさんへボールを出した。
アドリアンさんが受ける。
僕はそのまま前へ走った。
大阪アルテミスの守備ラインも動く。
アドリアンさんの身体が、クロスを上げる形になった。
右足を引く。
僕は思った。
――上げる。
そう思った瞬間だった。
アドリアンさんの足が止まった。
ボールも、ほんの一瞬だけ動きを止める。
アドリアンさんは蹴らなかった。
ただ、止まった。
それだけだった。
でも、守備は止まらなかった。
クロスが来ると思っていた大阪アルテミスのDFが、すでに動き出していた。
1人。
2人。
3人。
全員が、ゴール方向へ身体を向けている。
その一瞬。
アドリアンさんが、もう一度足を振った。
今度は本当に蹴る。
ボールが高く舞い上がった。
クロス。
けれど、さっきまでそこにいた守備の選手たちは、もう位置を変えてしまっている。
空いた場所へ、ボールが落ちる。
『アドリアン、クロス――いや、違う! 一度止まりました!』
『これは上手いですね』
『一瞬、何が起きたのか分かりませんでした』
『キックフェイントです。ただ、普通のキックフェイントとは少し違います』
『どういうことでしょう?』
『ボールを蹴る動作を見せて相手を止めるのではなく、逆です。自分が一瞬止まることで、相手だけを先に動かした』
『相手の守備ラインそのものを動かしたわけですか』
『そうです。だから今、最終ラインに大きなズレが生まれています』
僕は、その光景を間近で見ていた。
驚いた。
ただ足を止めただけ。
それなのに、相手の守備が崩れた。
僕なら、相手がどこへ動くかを見てからパスを出す。
でもアドリアンさんは違った。
相手が動いてしまうことを前提に、自分の動作を一度止めた。
時間を止める。
そんな感覚だった。
そして、もう一度動く。
クロスが落ちる。
そこへ鷹司さんが入っていた。
身体をひねる。
頭で叩く。
ボールがゴールへ飛んでいく。
『鷹司!』
『合わせた!』
ボールがネットを揺らした。
『ゴール!!』
『レガルテ横浜、同点です!!』
『見事な攻撃でした!』
スタンドが揺れる。
僕もゴールを見た。
1-1。
追いついた。
でも、それ以上に頭に残っていたものがあった。
アドリアンさんのキックフェイント。
あんなに自然な動作だからこそ、あれだけ相手を動かせる。
僕は自分の足元を見た。
僕には、まだできない。
何が違うのか。
技術。
タイミング。
身体の使い方。
相手を見る余裕。
全部なのかもしれない。
試合はすぐに再開された。
大阪アルテミスのボール。
僕は自分の位置へ戻る。
同点になったことで、相手はもう一度前へ出てくる。
ボールが中央へ入る。
大阪アルテミスの選手が前を向いた。
僕は、その選手を見る。
ボールだけではない。
周囲の選手を見る。
誰がどこへ走るのか。
誰がどこを見ているのか。
誰にボールを出そうとしているのか。
頭の中に、少しずつ線が繋がっていく。
右。
中央。
左。
相手の選手が動く。
その未来が、少しだけ見えた。
――次は、そこ。
パスが出た。
僕は動いた。
相手が出したボールの前へ、身体を入れる。
カット。
ボールが僕の足元へ収まった。
『湊が読んだ!』
『素晴らしいインターセプトです!』
僕は前を向いた。
でも、その瞬間だった。
左右から2人が寄ってくる。
速い。
挟むつもりだ。
僕はボールを右足で触った。
相手の身体が右へ動く。
その重心を見る。
次に、左の選手を見る。
力の流れ。
足の向き。
肩の位置。
身体が、どちらへ進もうとしているのか。
分かる。
僕は右へ行くように身体を動かした。
相手も右へ来る。
その瞬間、左足でボールを引いた。
身体を反転させる。
2人の間に、わずかな隙間。
僕はそこへ入った。
『湊、2人に囲まれた!』
『抜けた!』
『いや、どうやって抜いたんだ!?』
僕は止まらない。
前を見る。
もう1人いる。
大阪アルテミスの選手が、中央から寄せてくる。
このままでは抜けない。
だから、僕は少しだけ速度を落とした。
相手が近づく。
僕はボールを右へ置く。
相手の視線が動く。
身体も右へ向く。
僕は、その瞬間を待った。
左足。
インサイド。
ボールを左へ通す。
その先。
白い線のような道が見えた。
味方の動き。
相手の守備のリズム。
空間。
タイミング。
それらが重なった。
――銀雪の道。
僕は右足で相手を動かして、左足のインサイドでボールを通した。
低く。
速く。
でも、強すぎない。
ボールは大阪アルテミスの選手の足元を抜けた。
その先へ走り込む選手がいる。
神保さん。
右足が前に出ている。
利き足。
そこへ合わせる。
神保さんの右足の前へ、ボールが吸い込まれるように届いた。
『通った!!』
『湊、素晴らしいパスです!』
『神保が走り込んでいる!』
神保さんは、トラップを必要としなかった。
右足を振る。
ダイレクト。
ボールがゴールへ突き刺さった。
一瞬の静寂。
そして――
『ゴール!!』
『逆転!!』
『レガルテ横浜、ついに勝ち越しました!!』
スタジアムが爆発した。
神保さんが拳を握る。
そのまま僕へ向かって走ってくる。
「湊!」
僕の肩を掴む。
「今のパス、最高だ!」
「……ありがとうございます」
「いや、あれは凄いぞ!」
次々と選手が集まってくる。
僕はその輪の中にいた。
スコアは2-1。
残り時間は少ない。
大阪アルテミスも最後まで攻めてきた。
それでも、レガルテ横浜は守り切った。
主審の笛が鳴る。
試合終了。
2-1。
逆転勝利。
僕はピッチに立ったまま、息を整えていた。
今日の試合で、僕は2つのことを知った。
1つは、
プロの技術がどれほど深いのか。
もう1つは、
自分のサッカーにも、まだ伸ばせる場所があるということ。
アドリアンさんのキックフェイント。
あれは、僕にはできなかった。
相手を見て。
相手の動きを読んで。
自分の動作によって、その動きを変える。
それは、僕が今まで考えていたサッカーとは少し違っていた。
試合後。
ロッカールームへ戻ろうとしていた僕に、声がかかった。
「湊」
振り返る。
アドリアンさんがいた。
「はい」
「今日、面白かったな」
「……はい」
「特に最後のプレー」
アドリアンさんが笑う。
「2人に囲まれてから抜けたところもそうだけど、その後のパス」
僕は黙って聞いていた。
「相手を右へ動かして、左で通しただろ」
「はい」
「綺麗だった」
その言葉に、少しだけ驚いた。
アドリアンさんは僕の肩を軽く叩いた。
「もっと見てみたい」
「……何をですか?」
「お前のサッカーを」
僕は黙った。
アドリアンさんは少し考えるようにしてから、続ける。
「明日、練習が終わったあと時間あるか?」
「あります」
「じゃあ、一緒にボール蹴らないか」
僕はアドリアンさんを見る。
34歳。
今日、間近で見たあのキックフェイント。
ほんの一瞬、自分が止まっただけで、相手の守備ラインを壊した技術。
もっと知りたい。
どうすれば、あんなプレーができるのか。
僕は小さく頷いた。
「お願いします」
「よし」
アドリアンさんが笑った。
「じゃあ、明日な」
「はい」
アドリアンさんが去っていく。
僕はその背中を見送った。
今日、僕はプロの世界で2つの道を見た。
1つは、自分が見つけた道。
もう1つは、
自分にはまだ見えていない、プロの技術が作る道。
その差を、僕はまだ知らない。
だからこそ。
明日が、少しだけ楽しみだった。
−−−
小話
ちなみに、アドリアンさんは日本大好きなので日本語ペラペーラです。ということを自分で言っていた。




