第44話 大阪アルテミス
プロ初出場から、1週間が経った。
あの日、僕は後半途中からピッチに入り、アシストを1つ記録した。
試合が終わったあとも、何度かその映像を見返した。
自分が出したパス。
鷹司さんの動き。
相手のCBが動いた瞬間。
映像で見ると、ピッチの上で見えていたものが、少しだけ違って見えた。
でも、特別なことをしたつもりはなかった。
いつも通り。
見て。
考えて。
選んだ。
それだけだった。
だから、翌日からの練習でも、僕は変わらなかった。
走る。
ボールを蹴る。
味方を見る。
相手を見る。
空間を見る。
それを繰り返す。
そして1週間後。
僕は再び、トップチームのベンチに座っていた。
レガルテ横浜がホームで迎えた大阪アルテミスが今日の相手だ。
今季の大阪アルテミスは強い。
開幕から安定して勝ち点を積み上げ、現在はリーグ3位。
対して、レガルテ横浜は7位。
悪い順位ではない。
むしろ、毎年のように中位から上位に位置しているクラブだった。
けれど、そこには1つの問題がある。
優勝争いに加われていない。
シーズンの終盤まで上位に残ることはある。
上位クラブを倒すこともある。
それでも、最後までタイトルを争うところまでは届かない。
あと少し。
いつも、そう言われてきた。
あと1勝。
あと数点。
あと少しの勝ち点。
その「あと少し」が、何年経っても埋まらない。
クラブとしては、そこを越えなければならない。
だからこそ、今日の試合は重要だった。
上位の大阪アルテミスに勝てば、差を縮めることができる。
逆に負ければ、上位との差はさらに広がる。
僕はベンチからピッチを見つめていた。
先発には、アドリアンさんもいる。
今日も中盤でプレーしている。
開始直後から、試合は激しかった。
大阪アルテミスはボールを持つと、素早く前へ出てくる。
レガルテ横浜が後ろから組み立てようとすると、前線から人数をかけてくる。
それでもレガルテ横浜は、簡単には崩れなかった。
冴木さんがボールを受ける。
忍田さんが前へ出る。
アドリアンさんが中央でボールを動かす。
何度かゴール前まで運ぶ。
でも、最後のところで大阪アルテミスの守備に阻まれる。
前半は0-0。
後半に入っても、流れは変わらなかった。
そして後半12分。
大阪アルテミスが先制した。
右サイドからのクロス。
中央へ入ってきたFWが頭で合わせる。
ゴール。
1-0。
スタジアムの空気が重くなる。
レガルテ横浜は前へ出る。
でも、相手も待っている。
ボールを奪われれば、鋭いカウンターが飛んでくる。
後半20分。
御影監督がベンチから立ち上がった。
僕を見る。
「湊」
「はい」
「準備」
「はい」
2試合連続。
また、途中出場だった。
僕はアップを始める。
ピッチを見る。
大阪アルテミスの守備。
レガルテ横浜の選手たち。
試合の流れ。
前の試合とは違う。
相手は、明らかに強い。
1人が動けば、別の選手が連動する。
空いた場所を誰かが埋める。
ボールを奪われた瞬間には、すぐに距離を詰めてくる。
簡単に道が生まれない。
それでも、僕は見ていた。
どこかにある。
必ず。
後半26分。
交代が告げられる。
僕はピッチへ入った。
『レガルテ横浜、ここで交代です!』
『湊詩音、前節に続いての出場です』
『14歳の選手に、この苦しい状況を変えることができるでしょうか』
ピッチに入る。
最初に感じたのは、前節とは違う圧力だった。
相手が強い。
ボールを持った瞬間に、2人目が来る。
判断を少しでも遅らせれば、囲まれる。
僕は走りながら周囲を見る。
冴木さん。
忍田さん。
アドリアンさん。
神保さん。
敷島さん。
それぞれの位置を確認する。
そして、相手を見る。
大阪アルテミスのボランチが、僕の前にいる。
その背後に、わずかな空間。
でも、そこへ入るだけでは意味がない。
相手の視線。
身体の向き。
味方の動き。
全部を見る。
数分後。
レガルテ横浜が右サイドから攻撃を始めた。
冴木さんがボールを持つ。
僕は中央へ移動する。
大阪アルテミスのボランチが僕を追う。
その瞬間、僕は一度だけ外へ走った。
相手がついてくる。
すぐに内側へ戻る。
相手の重心が揺れる。
その一瞬。
冴木さんからボールが入ってきた。
僕は受ける。
でも、前を向かない。
身体を開いたまま、左足でボールを止める。
そのまま右足で逆方向へ僅かに蹴った。
相手の足が伸びる。
届かない。
僕はボールを追って走る。
たった2タッチ。
それだけで、相手の守備を1枚外した。
『湊、抜いた!』
『いや、今のは凄いですね』
『何がですか?』
『トラップから抜くまでの流れですよ。身体の向きを変えずに、トラップした流れのままスムーズにボールを動かしています』
『相手のプレスを受けながらですか』
『はい。ボールを止めてから考えるのではなく、次に行ける場所に最初に置いています』
僕は前を見る。
神保さんが中央へ走っている。
敷島さんが右から上がる。
大阪アルテミスの最終ラインが下がる。
でも、中央は閉じている。
右も厳しい。
左には神保さんがいる。
僕は一瞬だけ迷った。
そして、左へ出す。
神保さんが受ける。
僕はそのまま走った。
神保さんが僕を見る。
もう一度、ボールが来る。
僕は相手の背後へ入った。
大阪アルテミスのSBがついてくる。
そのときだった。
僕は身体を止めた。
SBも止まる。
その瞬間に、僕は中央へ向きを変えた。
神保さんが空いたスペースへ入ってくる。
僕は右足でボールを出す。
神保さんへ。
でも、ゴールまではいかない。
シュートを相手DFがクリアした。
ボールはタッチラインの外へ出る。
僕は息を吐いた。
惜しかった。
まだ、点には繋がっていない。
それでも、ピッチの中で少しずつ感覚が変わっていた。
相手が強くても、見える。
道はある。
そのときだった。
「湊」
後ろから声がした。
振り返る。
アドリアンさんだった。
まだプレーが止まっている。
アドリアンさんが僕を見る。
「今の、どうやった?」
「……どう、ですか?」
「最初の2タッチ」
「相手が来ていたので、食いつかせてから逆側に置いただけです」
アドリアンさんは少し黙った。
「それだけ?」
「はい」
アドリアンさんが、わずかに笑った。
「……面白いな、お前」
「?」
「14歳だよな?」
「はい」
「なのに、ああいうことを普通にやるのか」
僕には、何を言われているのか分からなかった。
ただ、アドリアンさんは僕の足元を見ていた。
「今のボールの動かし方、かなりいい」
「ありがとうございます」
「それに、相手を見てから足を変えたんじゃない」
アドリアンさんが僕を見る。
「最初から、次のプレーまで考えてたろ」
「……」
僕は少し考えた。
「たぶん」
「たぶん、か」
アドリアンさんが笑う。
「まあいい。後でまた見せてくれ」
「はい」
そこで試合が再開された。
僕は前を向いた。
アドリアンさんも、自分の位置へ戻っていく。
まだスコアは1-0。
レガルテ横浜は負けている。
試合も残り20分を切っている。
でも、不思議と焦りはなかった。
さっきよりも、周囲が見えている。
相手が強い。
だからこそ、面白い。
僕はもう一度、ピッチを見渡した。
その瞬間。
大阪アルテミスの最終ラインの間に、ほんのわずかな隙間が生まれた。
僕はそこを見た。
そして、
一歩だけ前へ出た。




