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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第3章 レガルテ横浜プロ編

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43/55

第43話 デビュー



 2030年


 スタジアムの照明が、眩しかった。


 僕は、ベンチに座ったまま、何度もピッチを見ていた。


 緑の芝生。


 その上を走る選手たち。


 スタンドを埋め尽くす観客。


 絶え間なく響く声。


 歓声。


 拍手。


 ブーイング。


 選手の名前を呼ぶ声。


 そのすべてが、これまでとは違っていた。


 U18の試合でも観客はいた。


 全国大会になれば、多くの人がスタンドを埋めることもあった。


 それでも、今まで自分がいた場所とは違う。


 ここは、プロの舞台だった。


 レガルテ横浜のホームスタジアム。


 トップチームの公式戦。


 そのベンチに、僕は座っている。


 背番号22の入ったユニフォーム。


 プロの選手たちと同じベンチ。


 同じロッカールーム。


 同じピッチ。


 少し前まで、それらはテレビや映像の向こう側にあるものだった。


 それが今は、目の前にある。


 膝の上で両手を組む。


 指先に、少しだけ力が入った。


 緊張している。


 自分でも分かっていた。


 胸の奥が、いつもより速く動いている。


 スタンドを見る。


 人がいる。


 多すぎる。


 自分がここにいていいのかと思ってしまうほどだった。


 大型ビジョンに選手紹介が映し出される。


 先発選手の名前が次々と表示されていく。


 その中には、僕がこれまでテレビや映像で見てきた選手もいる。


 そして、ベンチ入りメンバーが表示された。


 湊詩音。


 14歳。


 その文字が、大型ビジョンに映った。


 スタンドが少しだけざわめく。


『さあ、ベンチには注目の選手が入っています』


『湊詩音、14歳です。レガルテ横浜U18から登録されたばかりの選手ですね』


『14歳でトップチームのベンチ入りですか』


『驚愕の自体が起こってますね。ただ、年齢だけでここにいるわけではありません。U18では高校年代の選手たちを相手に、すでに結果を残しています』


 自分のことを話している。


 不思議だった。


 テレビの中で、誰かが自分について話している。


 その事実が、まだ現実になっていない。


 僕は視線を落とした。


 今日の相手は、東都フェニックス。


 レガルテ横浜は前半から試合を支配していた。


 鷹司さんが先制点を決め、後半に入ってから神保さん、敷島さんが追加点を奪った。


 東都フェニックスにも1点を返されたけれど、スコアは3-1。


 時間は後半20分を過ぎている。


 スタジアムの空気には、勝利を確信し始めたような余裕があった。


 けれど、試合はまだ終わっていない。


 僕はピッチを見続けていた。


 ボールが動く。


 選手が動く。


 相手が動く。


 それを追う。


 何度も。


 何度も。


 それでも、頭の中には別のことが浮かんでくる。


 このまま試合に出なかったら。


 僕は今日、何をしに来たんだろう。


 ベンチにいるだけで満足するつもりはない。


 でも、出場できるかどうかは自分では決められない。


 そう考えていたときだった。


 ベンチの前で、御影《みかげ》監督が立ち上がった。


 そして僕を見る。


「湊」


「はい」


「準備しろ」


「……はい」


 心臓が、大きく跳ねた。


 僕は立ち上がった。


 身体が少し重い。


 いや。


 重いのは身体ではない。


 頭の中だった。


 これから、自分はプロのピッチに立つ。


 14歳で。


 相手もプロ。


 味方もプロ。


 スタンドには、これまで見たことのないほど多くの観客がいる。


 失敗したら。


 ボールを奪われたら。


 判断を間違えたら。


 何もできなかったら。


 そんな考えが一瞬だけ頭をよぎる。


 僕はアップを始めた。


 走る。


 身体を動かす。


 ボールを蹴る。


 トラップする。


 いつもの動作。


 何度も繰り返してきた動作。


 ボールが足元に収まる。


 それだけで、少しだけ呼吸が落ち着いた。


 ピッチでは同じポジションのアドリアンさんがプレーしている。


 34歳。


 僕とは20歳も違う。


 そんな選手たちと、これから同じピッチに立つ。


 そう考えると、また胸の奥がざわついた。


 フェリペさんがベンチへ戻ってくる。


 交代の準備をしている。


 すれ違うとき、フェリペさんが僕の肩を軽く叩いた。


「行ってこい」


「はい」


 それだけだった。


 4人目の審判が交代ボードを掲げる。


 フェリペさんの背番号。


 そして、僕の背番号。


 スタンドがざわめいた。


『来ました! ここでレガルテ横浜、交代です!』


『フェリペに代わって、湊詩音!』


『14歳、湊詩音が入ります!』


『この舞台で、どこまでできるでしょうか』


 僕はタッチラインの外に立った。


 目の前には、プロのピッチがある。


 芝生の匂い。


 観客の声。


 ボールを蹴る音。


 スパイクが芝を踏む音。


 すべてが近い。


 遠くから見ていた世界が、突然、自分を包み込んでいる。


 主審が手を上げる。


 僕はピッチへ入った。


 その瞬間だった。


 頭の中にあった余計なものが、消えた。


 観客も。


 照明も。


 スタジアムも。


 テレビも。


 14歳という年齢も。


 プロ初出場という言葉も。


 全部、遠ざかった。


 残ったのは、


 ピッチだった。


 22人の選手。


 ボール。


 スペース。


 時間。


 そして、動き。


 僕は一度、首を動かした。


 右。


 左。


 中央。


 背後。


 東都フェニックスの最終ライン。


 中盤。


 レガルテ横浜の選手たち。


 それぞれの身体の向き。


 視線。


 重心。


 次に生まれる空間。


 いつもの頭だった。


 僕は静かに息を吐く。


 ――大丈夫。


 いつも通りだ。


 投入されてから数分。


 僕はまだボールに触れていない。


 それでも、見ていた。


 東都フェニックスの守備。


 レガルテ横浜の立ち位置。


 試合の流れ。


 東都フェニックスは、3-1でリードされているため、少しずつ前へ出てきていた。


 その分、最終ラインの背後には空間が生まれている。


 ただ、そこへ走るだけでは駄目だ。


 冴木さんがボールを持つ。


 東都フェニックスの選手が寄せる。


 間宮さんが少し下がる。


 忍田さんが前へ出る。


 その動きに合わせて、マテオさんが後ろを埋める。


 僕は、それを見ていた。


 1つ。


 2つ。


 3つ。


 それぞれの動きを頭の中で重ねる。


 数秒後。


 冴木さんから間宮さんへボールが入った。


 間宮さんが前を向く。


 僕は中央へ入った。


 相手が寄せてくる。


 間宮さんが僕を見る。


 パスが来る。


 僕はボールを受ける直前に身体を半身にした。


 相手の重心が前へ乗る。


 右足でトラップする。


 ボールが足元へ収まる。


 顔を上げる。


 前が見えた。


『湊、初めてのボールタッチです!』


『落ち着いていますね』


『14歳とは思えません』


 僕は前を見る。


 神保さん。


 鷹司さん。


 敷島さん。


 東都フェニックスの最終ライン。


 すべてが動いている。


 僕はボールを一度だけ横へ運んだ。


 相手のボランチがついてくる。


 その瞬間、鷹司さんが一歩だけ下がった。


 東都フェニックスのCBが、それにつられて前へ出る。


 その背後に、一瞬だけ空間が生まれた。


 僕は見た。


 鷹司さんの身体の向き。


 CBの重心。


 そして、その背後。


 今なら通る。


 僕は右足を振った。


 ボールが低く走る。


 相手のボランチの横を抜ける。


 CBの前を通る。


 そのまま、鷹司さんの足元へ入った。


『出した! 湊、中央へ!』


『鷹司への縦パスです!』


 鷹司さんが受ける。


 相手CBが身体を寄せる。


 それでも鷹司さんは止まらない。


 1歩。


 2歩。


 ペナルティエリアへ入る。


 右足を振り抜いた。


 ボールがゴール左隅へ突き刺さる。


 一瞬、時間が止まったように感じた。


 次の瞬間。


 スタジアムが爆発した。


『ゴール!!』


『レガルテ横浜、追加点!!』


『鷹司が決めた!!』


『そして、なんとアシストは湊詩音です!』


 僕は立ち止まっていた。


 自分が出したボール。


 そこから始まった攻撃。


 そして、ゴール。


 鷹司さんが僕のところへ走ってくる。


「ナイスパス!」


「……ありがとうございます」


「最高だったぞ!」


 肩を強く叩かれる。


 後ろから神保さんや敷島さんも駆け寄ってくる。


 僕は少しだけ目を見開いた。


 大きな歓声。


 揺れるスタンド。


 チームメイトの声。


 その中心に、僕がいる。


『14歳の湊詩音、プロデビュー戦でいきなりアシストを記録しました!』


『しかも、ただ前へ蹴っただけではありません』


『鷹司の動き出しと相手CBの重心を見て、通る瞬間に出しています』


『ボールを受けてから判断したのではない?』


『そうです。受ける前から周囲を見て、次に何が起きるかを予測している。だからボールを受けてから、ほとんど迷いがない』


『なるほど。U18で評価されていた判断力とパスセンスが、プロでも通用したということですね』


 僕は自分の手を見た。


 震えてはいない。


 胸の鼓動は速い。


 でも、怖くはなかった。


 いや。


 怖い。


 今でも、この場所は怖い。


 これまでとは違う。


 周りにいるのは、何年もプロとして戦ってきた選手たちだ。


 1つの判断が、試合を変える。


 1つのミスが、失点に繋がる。


 そんな世界に、僕は今いる。


 それでも、


 ピッチに立ってしまえば。


 ボールが足元に来れば。


 やることは変わらない。


 見る。


 考える。


 選ぶ。


 蹴る。


 それだけだった。


 僕はゆっくりと自陣へ戻った。


 スコアボードを見る。


 4-1。


 自分の初めてのプロの試合。


 そして、


 初めてのアシスト。


 けれど、僕は笑わなかった。


 まだ時間はある。


 まだできる。


 あと何本、道を見つけられる。


 僕はもう一度、ピッチを見た。


 東都フェニックスの選手たちが、センターサークルへ戻っていく。


 レガルテ横浜の選手たちも、自分の位置へ戻る。


 試合は再開される。


 歓声が再びスタジアムを満たした。


 その中で、僕は初めて知った。


 プロの舞台は、遠くから見るほど特別な場所ではない。


 少なくとも、ボールが足元にある限り。


 そこには、


 僕がずっと見てきたものがある。


 道がある。


 人がいる。


 空間がある。


 そして、選択がある。


 僕は前を向いた。


 プロとしての最初の試合は、まだ終わっていなかった。


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