第42話 15歳になる前の冬
トップチームの練習に参加して、3日が過ぎた。
最初の日に感じた速さは、少しずつ変わっていた。
速くなくなったわけではない。
僕の中で、その速さを前提にした俯瞰へ変わっていっていた。
最初は、選手が動いてから次の状況を考えていた。
今は違う。
動き出す前の選手がいる。
その選手へボールを出そうとする選手がいる。
さらに、そのパスを受けた後にどこへ進むのかまで、少しずつ見えるようになってきた。
ボールの速度も同じだった。
速い。
でも、その速度なら、その速度に合わせればいい。
受ける前に周囲を見る。
ボールが来る。
次の場所へ出す。
それだけなら、できる。
ただ、U18とは違う。
周囲の選手の動きが、僕の想定よりも先へ進む。
僕がパスを出そうとした瞬間には、もう次のスペースへ走り出している選手がいる。
僕が作ろうとした道よりも、その選手が作った動きの方が速い。
だから、僕も変える。
その動きを見る。
合わせる。
すると、今までなかった道が生まれる。
「湊、そこ」
声が聞こえた。
僕はボールが来る前に身体を向けた。
右に1人。
中央に1人。
左の奥へ走り出している選手がいる。
その動きに合わせて、パスを出す。
ボールが足元へ収まった。
そのまま攻撃が続いていく。
僕は少しだけ驚いていた。
今の動きは、昨日までにはなかった。
でも、見えた。
そして、合わせられた。
プロの選手たちのレベルが高い。
それは、僕にとって苦しいことではなかった。
むしろ、見えるものが増えていた。
選択肢が増えている。
1つのパスを選ぶために、頭の中にいくつもの道が浮かぶ。
その中から、今、一番必要なものを選ぶ。
それを繰り返していく。
4日目。
5日目。
6日目。
僕は少しずつ、トップチームの速度へ慣れていった。
寄せの速さも、最初ほど気にならなくなった。
相手が来る。
力が伝わる。
その方向を見る。
身体をずらす。
受け流す。
ボールを逃がす。
U18でやっていたことと、大きくは変わらない。
ただ、プロの選手は力が大きい。
最初は、その大きさに戸惑った。
でも、力が大きいなら、その流れもはっきりしている。
僕は相手の動きを見ながら、少しずつ対応できるようになっていった。
相手が来る。
半歩だけずれる。
そのまま前へ出る。
ボールを受ける。
パスを出す。
また動く。
それを繰り返しているうちに、プロの強度が少しずつ僕の中へ入ってきた。
そして、1週間が過ぎた。
練習が終わったあとだった。
「湊」
御影監督に呼ばれた。
「はい」
「ちょっといいか」
「はい」
僕は御影監督のところへ向かった。
「俺はお前を使いたくなった」
何のことなのか、すぐには分からなかった。
「……使う、ですか」
「ああ」
御影監督が頷く。
「次の試合からベンチ入りしろ」
僕は黙った。
「2種登録の手続きも進める」
2種登録。
プロの公式戦に出場するための資格。
僕は、そこで初めて意味を理解した。
15歳になる前の1月。
冬。
僕はプロの試合に出るための場所まで来ていた。
「分かりました」
返事をする。
嬉しいのかは、分からなかった。
ただ。
まだ足りない。
それだけは、はっきりしていた。
◇
御影監督視点
正直に言えば、最初はここまでやれるとは思っていなかった。
湊詩音。
14歳。
ユースから飛び級でトップの練習へ上がってきた選手。
最初に見た印象は、静かな子供だった。
喋らない。
騒がない。
練習中も必要以上に声を出さない。
表情もほとんど変わらない。
態度が悪いわけではない。
むしろ礼儀正しい。
言われたことには必ず返事をする。
ただ、自分から何かを強く要求することが少ない。
だから、最初は少し分かりにくかった。
ところが、ピッチへ入れると印象が変わる。
まず、判断が速い。
いや。
判断する前に、もう周囲を見ている。
ボールを受ける前に次の選択肢を作っている。
そして、パスが変だ。
悪い意味ではない。
むしろ逆だ。
「そこに出すのか」
そう思った場所へ出す。
ところが、そのボールが味方にとってちょうどいい。
強すぎない。
弱すぎない。
受けたあとに次のプレーへ移りやすい位置へ置いている。
普通なら、受け手がパスに合わせる。
湊の場合は、パスの方が受け手に合わせているように見える。
もちろん、実際には湊が受け手の動きを読んでいるだけだ。
それでも、見ている側には不思議に見える。
そして、もう1つ驚いたのが身体の使い方だった。
身体能力そのものは、プロの中では明らかに低い。
14歳なのだから当然だ。
身長も筋力も、トップの選手たちには及ばない。
それなのに、寄せられても簡単には潰れない。
身体をぶつけられる直前に、ほんの少しだけ位置を変える。
相手の力を真正面から受けない。
だから、身体の大きい選手を相手にしても抜ける。
あれは筋力ではない。
技術だ。
身体の使い方そのものが上手い。
そして厄介なのは、そこだけじゃない。
湊は1度やられたことを、次には修正してくる。
初日はプロの寄せに戸惑っていた。
2日目には、少し早く対応した。
3日目には、その寄せを前提にプレーしていた。
1週間後には、普通に混ざっている。
適応が速すぎる。
しかも、その適応の中でパスの種類まで増えていく。
周囲の選手の動きを理解するほど、湊の選択肢が増えている。
普通、14歳の選手をプロの練習へ入れれば、周囲のレベルに圧倒される。
湊の場合は逆だ。
周囲のレベルが高くなるほど、プレーの幅が広がっていく。
自分より上手い選手が多い。
だから、その選手たちの動きに合わせて新しい道を作れる。
それが、湊の特殊なところだった。
「監督、あの子すごいですね」
練習後、陣内が言った。
「何が?」
「パスです。最初は変なところに出してるように見えるんですけど、受ける側からするとすごく楽なんですよ」
「だろ」
「それと、あの身体の逃がし方。あれ、誰かに教わったんですか?」
「俺は教えてない」
「じゃあ、ユースで身につけたんですかね」
「そうだろうな」
陣内は少し考えてから笑った。
「面白い選手ですね」
間宮も、ある日の練習後に言っていた。
「湊が入ると、パスコースが1本増える感じがします」
フェリペも言った。
「アイツ、俺が出したい場所を先に見てる」
神保は笑いながら言っていた。
「俺が仕掛けたとき、普通なら抜けるかどうかを見るじゃないですか。でも湊は、その先で俺が誰を使えるかまで見てるんですよね」
プロの選手たちが、14歳の選手について話している。
それだけでも珍しい。
しかも、誰も「14歳だから」という理由で話していない。
1人のサッカー選手として見ている。
それが、俺には一番大きかった。
もちろん、まだ足りない。
身体は弱い。
シュートの種類も、プロの中ではまだ発展途上だ。
守備強度も足りない。
90分間を通してプロの強度を維持できるかも分からない。
それでも、今の段階で湊にはプロでも通用するものがある。
パス。
判断。
観察。
身体のいなし方。
そして、周囲に合わせながらプレーを変えていく適応力。
何より、本人がそれを特別なことだと思っていない。
練習が終わっても、湊はすぐには帰らない。
トレーナーのところへ行き、その日の身体の状態を確認している。
「今日はここまでにしておけ」
そう言われれば素直に従う。
問題がなければ、そのまま居残って練習を始める。
パスを蹴る。
ボールを受ける。
シュートを打つ。
そして、自分の身体の状態を確認する。
無茶なことをしているわけではない。
トレーナーと相談しながら、今の身体でできる範囲を見極めている。
それでも、毎日のように残る。
「まだ足りません」
以前、そう言っていた。
どうやら、本気らしい。
プロの練習についていけたから終わりではない。
パスが通ったから満足するわけでもない。
今日できたことを、明日はもっとできるようにする。
それが、湊の考え方なのだろう。
自信があるようには見えない。
むしろ、自分を低く見積もりすぎているようにすら見える。
それでも、止まらない。
そこが、妙に気になった。
俺は練習場の外へ目を向けた。
冬の冷たい風が吹いている。
15歳になる前の少年が、プロの世界へ足を踏み入れた。
次は、ベンチに入る。
その先は――
ピッチだ。
俺は、そこで湊が何を見せるのかを見てみたくなった。




