第41話 プロの世界
Jユースカップが終わった。
レガルテ横浜は優勝した。
僕は大会MVPに選ばれた。
それでも、僕の中ではもう次のことを考えていた。
冬休みに入って数日が経った頃、黒崎監督に呼ばれた。
「湊」
「はい」
「新年からトップの練習に参加してもらうことになった。」
「……トップ」
「ああ」
その言葉を聞いて、少しだけ思考が止まった。
レガルテ横浜のトップチーム。
プロとしてJリーグを戦っている選手たちがいる場所。
僕がずっと目指してきた場所の一つだった。
「御影監督から正式に話が来た。お前を練習に参加させたいそうだ」
「分かりました」
「それだけか?」
「……はい」
「もう少し驚いてもいいんじゃないか?」
「驚いています」
「顔に出てないな」
「すみません」
黒崎監督は苦笑した。
それから、少しだけ真剣な顔になる。
「ただ、トップの練習に呼ばれたからといって、プロになったわけじゃない」
「はい」
「それにU18とは違うぞ」
「……はい」
「身体も、判断も、技術も、経験も上だ」
僕は黙って聞いていた。
U18に上がったばかりの頃を思い出す。
身体が足りなかった。
相手にぶつかられるだけで、プレーが崩れた。
そこから身体を作った。
力の流れを見た。
俯瞰を進化させた。
キックも増やした。
それでも、トップは知らない。
「最初から通用すると思うな」
「はい」
「でも、通用しないと決めつける必要もない」
「……」
「まず見てこい」
黒崎監督はそう言った。
「何が違うのか、自分で確かめろ」
「分かりました」
僕は頭を下げた。
年が明けた。
新年最初の練習日。
僕は今日から、トップチームの練習へ呼ばれる。
プロ。
ずっと遠くにあると思っていた場所だった。
両親との約束を果たすために目指してきた場所。
そこへ、ようやく少しだけ手が届いた。
でも、嬉しいとは思わなかった。
まだ、何も始まっていない。
トップチームの練習に参加するだけだ。
それだけだった。
僕は寮の部屋でノートを開いた。
トップチームの選手については、すでに調べてある。
試合映像。
クラブが公開している映像。
過去の試合。
できるだけ多く見た。
最初に書かれているのはGKだった。
陣内兼嗣さん、31歳
キャプテン。
シュートストップだけではなく、足元の技術も高い。
後方からのビルドアップにも積極的に参加する。
守備を統率する声も多く、後ろからチーム全体を動かす選手。
冴木尚人さん、26歳
右SB。
ビルドアップでは中央へ絞り、攻撃の組み立てに参加する。
相手のプレスに対して立ち位置を変え、味方のパスコースを作るのが上手い。
守備では無理に飛び込まず、相手の選択肢を減らしてから奪う。
マテオ・シルヴァさん、30歳
CB。
対人守備と広い守備範囲を兼ね備えた守備の中心。
高い位置から相手FWへ出ていく守備もでき、背後のスペースまで自分でカバーできる。
忍田景信さん、34歳
CB。
足元の技術が高く、特に縦へのパスが鋭い。
相手の1列目を越えるボールを自陣から出せる。
守備では経験を生かし、危険な場所を先に消していく。
志摩智紀さん、27歳
左SB。
豊富な運動量を武器に、攻守で左サイドを上下動する。
左足のクロスは精度が高く、早いタイミングでもゴール前へボールを入れられる。
間宮卓也さん、26歳
アンカー。
守備では相手の攻撃の芽を早い段階で摘み、攻撃では無理をせずにボールを循環させる。
チーム全体のバランスを保つ選手。
フェリペ・グエデスさん、25歳
IH。
強いプレッシャーを受けてもボールを失いにくく、身体を使って相手をいなしながら前へ運ぶことができる。
アドリアン・ヴァイゼさん、30歳
IH、トップ下。
パス精度と空間把握能力が高く、試合の速度を変えられる司令塔。
僕と同じトップ下の位置でプレーすることもある。
敷島律さん、24歳
右WG。
幅を取るだけではなく、味方の位置に合わせて中央へ入ることもできる。
ポジショニングとラストパスの精度が高い。
神保燎さん、22歳
左WG。
ドリブル突破が武器。
1対1で相手を抜き切る力があり、カットインからのシュートも強い。
鷹司創さん、22歳
CF。
最大の武器はスピード。
裏への抜け出しが速く、出し手との呼吸が重要になる選手。
控えの選手たちについても確認してある。
影山悠馬さん、24歳
GK。
シュートストップに定評がある。
犬飼宗一さん、25歳
CBとSBをこなすマルチDF。
守備を締めたいときにも起用される。
葛城怜士さん、19歳
DMF。
戦術理解度が高く、ボールを失わないための位置取りに優れる。
宝田昂生さん、21歳
運動量が豊富なアタッカー。
中盤からゴール前まで何度も顔を出す。
桐谷丈流さん、25歳
WG
守備意識が高く、試合終盤の強度維持にも貢献する。
ガブリエル・バストスさん、30歳
CF。
強いフィジカルを生かして前線でボールを収める大型FW。
国木田航さん、36歳
CF
経験豊富なベテラン。
相手の守備の隙を見つける駆け引きと、勝負所での決定力を持つ。
それぞれのプレースタイルも頭に入れてある。
だが、今日、実際に見ればもっと分かる。
映像と生では違う。
それは、これまで何度も経験してきた。
僕はノートを閉じた。
◇
練習場へ着くと、トップチームの選手たちが準備をしていた。
御影隆臣監督が僕のところへ来る。
「湊詩音だな。今日からよろしく」
「よろしくお願いします」
「まずはパス回しから入ってもらう」
「はい」
僕は輪の中へ入った。
「始めよう」
ボールが動き始める。
最初のパスが来た。
僕はボールを受ける前に周囲を見る。
右。
左。
後ろ。
前。
味方の位置。
次のパスコース。
俯瞰によって、周囲の情報はすでに頭の中へ入っている。
トラップ。
パス。
次へ。
またボールが来る。
受ける前に見る。
出す。
動く。
また受ける。
僕自身は問題なくついていけていた。
パス回しそのものができないわけではない。
でも、驚いていた。
速い。
U18とは違う。
ボールを受けてから考えている選手がいない。
全員が受ける前に次を決めている。
僕も同じだ。
だから、パス回しには参加できる。
でも、その判断の速さと精度は明らかに違った。
僕が出せると思った場所へ、すでに別の選手が動いている。
僕が次に使おうと思ったスペースが、数瞬後には別の選手によって使われている。
それでも、僕は俯瞰で追う。
見える。
考える。
出す。
また次を見る。
ボールは止まらない。
僕も止まらない。
パス回しは続いていく。
そして、終わった。
◇
次のメニューへ移る。
「ミニゲームやるぞ」
選手たちがピッチへ散っていく。
僕は最初、外から見ていた。
トップチームのレギュラー組とサブ組に分かれてゲームが始まる。
ボールが動いた。
速い。
パスが速い。
選手の動きも速い。
U18とは違う。
同じサッカーなのに、時間の進み方が違って見えた。
1人がボールを持つ。
2人が寄せる。
それに対してボールを持った選手は、寄せられる前にパスを出す。
受けた選手も、またすぐに出す。
3本。
4本。
5本。
それだけのパスが一瞬で繋がる。
僕は外から見ながら、その情報を頭へ入れていった。
選手の動き。
パスの速度。
ボールが動くタイミング。
寄せの速さ。
そして――
力。
身体の使い方を見る。
U18でも、僕は相手の重心や力の流れを見ていた。
でも、トップではスケールが違う。
大きい。
強い。
選手が動くときの力そのものが、U18とは明らかに違う。
同じように見えても、動き始めた瞬間の速度も、そのまま進む力も大きい。
「湊、入れ」
御影監督さんの声がした。
「サブ組へ」
「はい」
僕はピッチへ入った。
サブ組のトップ下に入る。
相手はレギュラー組。
僕がボールを受ける。
その瞬間だった。
寄せが来る。
速い。
思っていたより、ずっと速い。
僕はすぐに身体を開く。
右。
出せる。
パス。
味方へ渡る。
だが、その味方にもすぐに相手が寄せる。
また速い。
ボールが動く。
僕も動く。
再びボールが来る。
受ける前に周囲を見る。
俯瞰は働いている。
だから、状況そのものは分かる。
問題は、その状況が変化する速度だった。
速い。
僕が見つけたパスコースが、すぐに消える。
僕が次に動こうとした場所へ、相手がもう入っている。
パスを出そうとする。
その瞬間、相手の足が伸びてきた。
危ない。
僕は身体をずらす。
ボールを逃がす。
また受ける。
今度は身体を寄せられる。
力が来る。
いつものように、その流れを見る。
右。
少しだけ逆へ。
抜ける。
でも、すぐに次の選手が来る。
僕はボールを前へ出した。
パス。
成功。
息を吐く。
まだ、できる。
ただ。
余裕がない。
U18では見えてから対応できたものが、ここでは見えた瞬間にはもう次の状況へ進んでいる。
僕はそれを感じながら、プレーを続けた。
ボールが来る。
見る。
判断する。
出す。
走る。
また受ける。
今度は少し早く出す。
その次は1タッチで逃がす。
さらに次は、相手が寄せてくる前に身体の向きを作っておく。
少しずつ。
本当に少しずつ。
身体が慣れていく。
最初は速すぎた寄せが、何度目かには少し早く見える。
大きすぎる力の流れも、何度も相対することで少しずつ輪郭が分かってくる。
パスの速度にも慣れていく。
味方の動き出しにも慣れていく。
僕はプレーを続けながら、1つずつ覚えていった。
またボールが来る。
今度は受ける前に、すでに次の場所へ身体を向けていた。
トラップ。
1タッチ。
パス。
そのまま移動する。
次のボールが来る。
今度は相手の寄せが見える。
少し早く身体をずらす。
ボールを逃がす。
また次へ。
僕はゲームの中で、少しずつトップの速度を覚えていった。
◇
ミニゲームが終わった。
僕は荒い息を整えながら、ピッチを見た。
まだ速い。
まだ強い。
まだ、足りない。
でも。
最初よりは見える。
最初よりは動ける。
最初よりは、この速度の中に自分の居場所を作れる。
それは、できるようになったというより――
ただ、慣れ始めただけだった。
僕はそう考えていた。
プロの世界に来た。
そこで通用するものもある。
でも、通用しないものもある。
だから、覚える。
見る。
試す。
また見る。
そうやって、少しずつ自分の中へ入れていく。
今日だけでも、U18では感じなかった情報がたくさんあった。
パスの速度。
プレースピード。
寄せの速さ。
そして、身体から生まれる力の大きさ。
僕はそれらを頭の中で整理しながら、練習場を後にした。
明日になれば、今日とは違うものが見えるかもしれない。
だから、また見る。
そして、覚える。
今はそれしかできない。




