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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第2章 レガルテ横浜U18編

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第38話 Jユースカップ④ーセンターキラー


 冴島悠人《さえじま ゆうと》さんと向かい合っていた。


 試合開始から、まだ数分しか経っていない。


 それでも、僕の前に立つ相手が、これまで対峙してきた選手とは違うことは分かっていた。


 ボールが、冴島さんの右足元にある。


 細かなタッチ。


 右へ。


 左へ。


 また右へ。


 足首だけでボールを動かしながら、身体はほとんど揺れていない。


 僕は腰を落とした。


 視線はボールへ。


 でも、ただボールだけを見ているわけではない。


 俯瞰《ふかん》を使っている。


 僕の頭の中には、ピッチ全体が広がっていた。


 冴島さん。


 東京ヴァルディアの選手。


 僕たちレガルテ横浜の選手。


 ボール。


 それぞれの速度。


 距離。


 重心。


 身体にかかっている力。


 次に動こうとしている方向。


 全部が同時に入ってくる。


 その中で、僕は試合前のミーティングを思い出していた。


     ◇


「冴島がいる場合、東京ヴァルディアは、冴島を中心に動く」


 黒崎監督が映像を止めた。


 スクリーンには、冴島さんがボールを持っている場面が映っていた。


 相手選手が1人、前に立っている。


 冴島さんは右を見る。


 その瞬間、右サイドの選手が走る。


 守備の選手が、その動きを意識する。


 冴島さんは、そこで左へボールを動かした。


 守備の重心がずれる。


 そのまま抜いていく。


 次の場面。


 今度は身体を左へ向けている。


 左の選手が走る。


 相手DFがそちらへ意識を向ける。


 でも、冴島さんは右へ抜ける。


 そして、そのまま前進してラストパスを出す。


「1人で対峙しようとするな」


 黒崎監督が言った。


 僕たちはスクリーンを見ていた。


「抜かれることを前提にするわけじゃないが、1人が抜かれたときに次が出られる形を作る」


 それが、この試合での守備の基本だった。


 冴島さんを1人で止めようとしない。


 1人が抜かれても、次の選手が出られるようにする。


 その次も。


 さらにその次も。


 1人で守るのではなく、全員で守る。


 東京ヴァルディアの中心を、全員で囲む。


 それがゲームプランだった。


 そしてそうするまでの価値がある選手だった。


 でも、黒崎監督はそこで言葉を止めた。


「だが、それで止められる確信もない」


 誰も口を開かなかった。


 黒崎監督の視線が、僕へ向いた。


「だからこそ、湊」


「はい」


「お前が止めろ」


 短い言葉だった。


 僕は黒崎監督を見た。


 僕が、冴島さんを止める。


 そういう意味だった。


 身体能力だけなら、U18の選手たちに及ばない。


 強さも。


 速さも。


 技術だって、全てで勝っているわけではない。


 それでも黒崎監督は、僕なら止められると言った。


 理由は分からない。


 ただ、任されたなら、やるしかない。


「分かりました」


 それだけ答えた。


     ◇


 そして今。


 僕は冴島さんの前にいる。


 周囲には東京ヴァルディアの選手がいる。


 そのさらに外には、僕たちの選手がいる。


 冴島さんは、1人で僕を抜こうとしているように見える。


 でも、本当は違う。


 彼は1人でドリブルしているわけではない。


 視線。


 身体の向き。


 味方の走り。


 相手の動き。


 全部を使っている。


 ディフェンス側の本能を突いてくるドリブル。


 否応にも染み込んだ努力が反応してしまうフェイント。


 だから厄介なのだと思う。


 ボールを持っているのは冴島さん1人なのに、僕は冴島さんだけを見て守ることができない。


 彼が右を見る。


 右の味方が走る。


 その動きに合わせて、僕たちの守備も動く。


 その瞬間に冴島さんが逆へ行く。


 それが彼のドリブルだった。


 普通なら、視線を読む。


 身体の向きを読む。


 味方の動きを見る。


 そこから次のプレーを予測する。


 でも


 僕にとって、それは必要ない。


 視線がどこを向いているか。


 身体がどちらを向いているか。


 そんなものは、どうでもいい。


 視線の先へパスを出そうとするなら、パスを出すための動作が生まれる。


 身体の向きを変えて逆へ抜こうとするなら、そこにも動作が生まれる。


 足の位置。


 膝の角度。


 腰の向き。


 肩の高さ。


 重心の移動。


 足に乗る力。


 抜けていく力。


 次の一歩へ向かう力。


 僕は、それを見ている。


 だから、視線や身体の向きだけで僕を動かすことはできない。


 フェイントなら、そのフェイントそのものを見る。


 その先ではなく、その瞬間に身体へ現れる変化を見る。


 冴島さんが右を見る。


 僕は動かなかった。


 右サイドの選手が前へ走る。


 東京ヴァルディアの狙いは分かる。


 でも、冴島さんの身体には、まだパスを出すための力が生まれていない。


 だから、動かない。


 冴島さんが左へ視線を移す。


 僕は動かない。


 身体も少しだけ左へ向いた。


 でも、足の位置が違う。


 腰と足が連動していない。


 フェイント。


 だから、動かない。


 冴島さんの右足がボールへ近づく。


 重心が変わった。


 ほんの少し。


 右脚へ力が乗る。


 僕は半歩だけ下がった。


 冴島さんが右へ踏み込む。


 速い。


 でも、見える。


 僕も右へ動く。


 冴島さんがボールを左へ動かす。


 僕は追わない。


 まだ左へ力が流れていない。


 ボールだけが左へ動いている。


 身体は、まだ右にある。


 なら、次は――


 冴島さんの腰が動いた。


 力の流れが変わる。


 僕は左へ踏み出した。


 冴島さんがボールをさらに動かす。


 でも、僕の身体はもうそこにある。


 冴島さんの足が伸びる。


 僕は身体を入れた。


 足先でボールを触る。


 奪った。


「……え?」


 冴島さんの声が聞こえた。


 僕は前を向いた。


 ボールは僕の足元にある。


 冴島さんが止まっている。


 東京ヴァルディアの選手たちも、一瞬だけ止まった。


 その反応を、僕は俯瞰の中で見ていた。


 中心が抜けた。


 東京ヴァルディアの攻撃の中心。


 その冴島さんが、前線でボールを失った。


 だから、守備への切り替えが遅れる。


 全員が遅れたわけではない。


 でも、1歩。


 ほんの1歩ずつ、戻るのが遅れている。


 それで十分だった。


 僕は前を向く。


 そして、見えた。


 銀雪の道。


 自陣のペナルティエリア前から、ゴール前へ伸びている。


 高瀬さんが走っている。


 東京ヴァルディアの選手たちが戻っている。


 でも、まだ守備の形が完成していない。


 僕は高瀬さんを見る。


 走る速度。


 身体の強さ。


 ボールを受けたときの姿勢。


 シュートへ移るまでの時間。


 そして、東京ヴァルディアの選手たちの位置。


 全部を重ねる。


 考えずとも感覚が導き出すベストスポット。


 銀雪の道の先へと


 僕はボールを置いた。


 自陣のペナルティエリア前。


 そこからゴール前へ。


 普通なら、距離がある。


 普通なら、相手に跳ね返される。


 普通なら、ここから直接ゴール前へボールを入れるのは難しい。


 でも、今なら通る。


 僕は右足を振った。


 強く。


 ボールの下側を捉える。


 そして、強いバックスピンをかけた。


 ボールが低く飛んだ。


 速い。


 強烈な高速パス。


 高瀬さんが走る。


 東京ヴァルディアのCBも戻る。


 GKも前へ出る準備をしている。


 でも、僕のボールは、その全員の動きを少しずつ外していく。


 高瀬さんが走り込む。


 ボールは、その少し先へ落ちる。


 バウンド。


 強烈なバックスピンがかかったボールが芝へ触れた瞬間、その勢いが一気に殺された。


 前へ進んでいたボールが、急激に減速する。


 高瀬さんが合わせる。


 足元へ。


 ちょうどいい位置。


 高瀬さんの前に、ボールが収まった。


「もらった!」


 高瀬さんが踏み込む。


 東京ヴァルディアのDFが身体を寄せる。


 でも、間に合わない。


 高瀬さんが右足を振り抜く。


 シュート。


 ボールがゴールへ向かう。


 GKが飛ぶ。


 手を伸ばす。


 でも、届かない。


 ボールがネットへ突き刺さった。


 ゴール。


 一瞬、音がなくなったように感じた。


 そして次の瞬間、スタジアムを大きな歓声が包んだ。


「うおおおおおおおおっ!」


 レガルテのベンチから声が上がる。


 スタンドからも歓声が重なる。


 高瀬さんがゴールを決めた。


 そして、僕のところへ走ってくる。


「詩音!」


「はい」


「今のパス、何だよ!」


 僕は高瀬さんを見る。


「少し手前に落としたほうが、受けやすいと思ったので」


「いや、そういう意味じゃなくて!」


 高瀬さんが笑っている。


「でも、最高だった!」


「ありがとうございます」


 僕は小さく頭を下げた。


 周りの選手も集まってくる。


 成瀬さんが僕の肩を叩いた。


「よく見えてたな」


「はい」


 僕は短く答えた。


 でも、すぐに東京ヴァルディアへ視線を戻す。


 冴島さんが立っていた。


 僕にボールを奪われた場所から、少し離れたところ。


 その表情は、まだ驚いている。


 自分のドリブルが止められたこと。


 その直後に、レガルテの攻撃へつなげられたこと。


 そして、自分を中心に作っていたチームの形が崩れたこと。


 全部が予想外だったのだと思う。


 僕も冴島さんを見る。


 さっきまでの対峙を思い出す。


 視線。


 身体の向き。


 味方を使ったフェイント。


 それらは、確かに冴島さんの強さだった。


 でも、僕には効かなかった。


 視線の先へパスを出そうとすれば、その動作を認識できる。


 身体の向きで僕を動かそうとしても、その前に重心を見ることができる。


 味方を使おうとしても、そのために必要な身体の動きは消せない。


 だから、僕が見るのは冴島さん1人でいい。


 その周囲にいる選手を気にする必要はない。


 少なくとも、今の1対1なら。


 僕はベンチを見る。


 視線の先では黒崎監督が親指を立ててグットを出していた。


 黒崎監督が言った。


 お前が止めろ。


 僕は、止めた。


 そして、その先に道を作った。


 銀雪の道。


 それは、誰かへ届けるための道。


 高瀬さんが一番力を出せる場所へ、ボールを運ぶ道。


 僕はもう一度、冴島さんを見る。


 東京ヴァルディアの中心は、まだ目の前にいる。


 試合は始まったばかりだった。


 この1点で終わるとは思っていない。


 むしろ、ここからが本当の勝負になる。


 それでも、1つだけ分かった。


 相手がどれだけ完成されていても。


 どれだけ多くの選手を使ってドリブルしても。


 僕が見るべきものを間違えなければ、止められる。


 そして。


 止めた先には、道がある。


 僕は静かに、自分のポジションへ戻った。


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