第37話 Jユースカップ③ー王者
神戸グランシエルとの1回戦は、1-0だった。
難しい試合だった。
何度攻めても、最後には白石鉄人さんが立っていた。
それでも、最後に僕は真空の道を見つけた。
味方へ繋がるのではなく、僕自身からゴールへ伸びる道。
そこへボールを通して、僕たちは勝った。
真空の道は、僕だけでも使える。
誰かが走らなくてもいい。
誰かに届けなくてもいい。
僕が見つけて、僕が蹴る。
その先がゴールなら、それで成立する。
そのことが、まだ僕の中に残っていた。
でも、立ち止まっている時間はなかった。
Jユースカップ決勝トーナメント2回戦が始まる。
相手は強豪だった。
神戸ほど守備を固めてくるわけではない。
ボールを動かし、前へ出てくるチームだった。
僕は試合開始から、いつも通りに周囲を見る。
成瀬さんが中央でボールを動かす。
橘さんが前へ出る。
高瀬さんが最終ラインを引きつける。
朝倉さんが右から仕掛ける。
僕は味方と相手の位置を重ねていく。
パスを出す。
通る。
もう1本。
また通る。
神戸との試合で見つけた真空の道だけじゃない。
銀雪の道も見える。
高瀬さんの強さ。
朝倉さんの仕掛け。
橘さんの足元。
それぞれに合わせて、最も力を出せる場所へボールを送る。
前半に1点。
後半にも1点。
そして試合終盤。
僕はペナルティエリアの手前でボールを受けた。
相手の守備が中央へ寄る。
その奥に、細い線が見えた。
真空の道。
僕は迷わず右足を振った。
低いシュートがゴールへ入る。
3-0。
試合終了。
2回戦突破。
僕はベンチへ戻る。
高瀬さんが肩を叩いた。
「詩音、今日も良かったな」
「……ありがとうございます」
「次は決勝だ」
「はい」
決勝。
その言葉を頭の中で繰り返した。
そして、相手が決まった。
東京ヴァルディアU18。
去年のJユースカップ王者。
そして今年の夏、全国大会も制したチーム。
僕たちが夏の全国大会準決勝で敗れた相手。
その東京ヴァルディアが、決勝へ進んできた。
準決勝の相手は鹿島グランフォルテ。
黒川さんがいるチームだった。
あの身体の強さ。
前線からの圧力。
僕の予測を何度も超えてきた黒川さん。
その鹿島を、東京ヴァルディアは下した。
僕は試合映像を見る。
黒川さんがボールを受ける。
強引に前へ出る。
東京ヴァルディアのCBが対応する。
1人で止めようとはしない。
進路を限定する。
黒川さんが横へ動けば、別の選手が寄る。
前へ出ようとすれば、さらに1人が下がる。
それでも黒川さんは身体を入れてくる。
シュートへ持ち込もうとする。
そこへ最後の選手が足を出した。
ボールがこぼれる。
東京ヴァルディアが拾う。
そして、その中心に1人の選手がいた。
「冴島悠人」
黒崎監督が名前を告げる。
「3年生。U18代表のトップ下だ」
スクリーンに映像が映る。
細身。
特別に大柄ではない。
でも、ボールが足元に入った瞬間に、印象が変わった。
冴島さんがドリブルする。
相手が寄せる。
右足で触る。
相手の重心が動く。
左へ抜ける。
もう1人が来る。
今度は足の裏でボールを止める。
相手が前へ出る。
身体を反転させる。
ボールが足元から離れない。
抜ける。
さらに1人。
それでも奪われない。
僕は画面を見つめた。
技術が高い。
それは分かる。
でも、それだけではなかった。
冴島さんはドリブルをしながら、周囲を使っている。
右を見る。
東京ヴァルディアの右WGが走る。
相手DFの視線が右へ向く。
その瞬間、冴島さんは左へ進む。
今度は身体を左へ向ける。
左の選手が動く。
相手のSBがそちらを見る。
そこから、中央へ入る。
1人でドリブルしている。
でも、相手からすると1人だけを見ればいいわけではない。
周囲の選手が動く。
その動きに合わせて、守備側の視線も動く。
ほんの一瞬だけ生まれた隙間を、冴島さんが突く。
「冴島は、すでにトップチームと2種登録を交わしている」
黒崎監督が言った。
「プロの公式戦にも出場経験がある」
映像が切り替わった。
プロの試合。
相手はプロの選手だった。
身体も強い。
寄せも速い。
それでも冴島さんは奪われない。
細かなタッチ。
身体の向き。
足の裏。
アウトサイド。
ボールが常に足元にある。
1人を抜く。
2人目をかわす。
そして最後にラストパス。
FWが抜け出す。
シュート。
ゴール。
映像が止まる。
「ドリブル技術は、すでにプロでも通用することが証明されている」
黒崎監督が言った。
「そして、最後にはゴールを演出する」
次の映像。
冴島さんがペナルティエリア手前でボールを持つ。
相手が3人いる。
右を見る。
味方が走る。
左を見る。
別の味方も走る。
相手の守備がほんの少し動く。
その瞬間、中央へラストパス。
FWが抜け出す。
シュート。
ゴール。
「ドリブルだけを止めればいいわけじゃない」
黒崎監督が言った。
「冴島のドリブルに対して守備が崩壊すれば、そのままラストパス、ミドルシュートまで通される」
僕は映像を見る。
「1人で対峙しようとするな。抜かれることを前提にするわけじゃないが、1人が抜かれたときに次が出られる形を作る。ただし––––」
僕は静かに頷いた。
冴島さんのドリブルは、1人で完結しているように見える。
でも、本当は違う。
味方を使う。
相手の視線を使う。
守備の判断を使う。
それら全部を自分のドリブルの一部にしている。
1人で進んでいるのに、1人ではない。
それが、この選手の怖さだった。
◇
決勝の日。
会場に入った瞬間、今までとは違う空気を感じた。
人が多い。
スタンドが埋まっている。
カメラが多い。
応援の声も大きい。
決勝。
Jユースカップの最後の試合。
ここまで勝ち上がってきた2チームだけが立てる場所。
名前を呼ばれる。
大きな歓声が起きる。
東京ヴァルディアの選手が紹介される。
そして、冴島さんの名前が呼ばれた。
また大きな歓声が上がった。
僕は、その音を聞きながらピッチへ入った。
これまでにない規模だった。
たくさんの視線がある。
たくさんの声がある。
でも、僕がすることは変わらない。
芝を見る。
ボールを見る。
ゴールを見る。
右足でボールを蹴る。
左足で受ける。
トラップする。
パスする。
いつも通り。
それだけだった。
向こう側に冴島さんがいる。
目が合った。
僕は一度だけ相手を見る。
冴島さんも僕を見る。
何も言わない。
そのまま、それぞれの位置へ戻る。
選手が並ぶ。
主審が中央へ入る。
キックオフの準備が整う。
僕は中央を見る。
冴島さんがいる。
笛が鳴った。
東京ヴァルディアのボールから始まる。
後ろへ戻す。
もう1度前へ。
中央へ入る。
そして――
冴島さんがボールを受けた。
僕は身体を構えた。
来る。
そう思った。
冴島さんは前を向く。
その瞬間、ドリブルが始まった。
最初の1歩。
速い。
でも、速さだけを見るわけにはいかない。
僕は足元を見る。
ボールが離れない。
細かい。
細かすぎるくらい細かいタッチ。
右足。
左足。
身体の向き。
視線。
全部が変わる。
成瀬さんが寄せる。
冴島さんは左を見る。
東京ヴァルディアの左WGが走った。
成瀬さんの視線が一瞬だけそちらへ動く。
その瞬間、冴島さんは右へ抜けた。
成瀬さんの横を通り過ぎる。
「……っ」
成瀬さんが追う。
冴島さんは止まらない。
今度は橘さんが前へ出る。
冴島さんが橘さんを見る。
橘さんもその視線を感じる。
パスか。
ドリブルか。
一瞬、判断が遅れる。
冴島さんが足の裏でボールを止めた。
橘さんが半歩前へ出る。
その瞬間、冴島さんは逆方向へ抜けた。
橘さんが置き去りになる。
冴島さんは中央へ進む。
僕は戻る。
右を見る。
東京ヴァルディアの右WGが走っている。
左を見る。
FWがCBの間へ入ろうとしている。
冴島さんは、その全部を見ている。
僕はさらに戻る。
望月さんが中央から出る。
水野さんも戻ってくる。
冴島さんはまだ前へ進む。
このままでは、決定機を作られる。
だから――
僕が出る。
望月さんより前へ。
冴島さんの進路へ入る。
冴島さんがボールを触った。
そこで僕は、ようやく冴島さんの正面に入った。
距離は数歩。
これ以上、後ろへ下がればペナルティエリアへ近づく。
不用意に前へ出れば、抜かれる可能性がある。
僕は重心を見る。
一歩だけ下がる。
冴島さんが前へ出る。
合わせる。
近づく。
ボールが細かく動く。
足元から離れない。
重心を見る。
また右。
でも、身体は左へ向いている。
僕は腰を落とした。
相手を見る。
ボールを見る。
冴島悠人さんと、僕。
1対1。
試合開始、まだ数分。
王者の中心が、僕の目の前に立っていた。




