第36話 Jユースカップ②ー真空の先
Jユースカップ決勝トーナメント1回戦。
僕たちレガルテ横浜の相手は、神戸グランシエルU18だった。
予選トーナメントを勝ち抜き、決勝トーナメントへ進んだ8チームの1つ。
守備を軸にして、ボールを奪った瞬間に一気に前へ出る。
堅守速攻。
それが神戸グランシエルの特徴だった。
試合前のミーティング。
黒崎監督がスクリーンに映像を映す。
そこに、1人のGKが立っていた。
大きい。
190cmを超える長身。
肩幅も広い。
それなのに、身体の大きさからは想像できないほど動きが速い。
「白石鉄人」
黒崎監督が名前を告げる。
「18歳。U18日本代表の正GKだ」
映像が動く。
相手FWがペナルティエリアへ侵入する。
右へ抜ける。
白石さんも動く。
FWがシュート。
低い。
速い。
普通なら届かない場所へ飛んだボールを、白石さんが横へ跳んで弾いた。
次の映像。
中央からのミドルシュート。
白石さんが一歩下がる。
身体を沈める。
両手で止める。
次の映像では、至近距離からのシュートだった。
相手FWが目の前まで入り込む。
それでも白石さんは倒れない。
最後まで立っている。
シュート。
右足を伸ばす。
ボールが当たって、ゴールの外へ転がった。
僕は画面を見つめた。
反応が速い。
でも、それだけじゃない。
シュートを打たれる前から、身体が準備されている。
相手の身体の向き。
ボールを置いた位置。
踏み込む足。
そこから、どこへ蹴る可能性が高いのかを判断している。
だから、間に合う。
次の映像。
相手のGKから神戸がボールを奪う。
神戸の選手が前へ出す。
そこへ白石さんが飛び出した。
ボールを手で掴む。
すぐに立ち上がる。
前を見る。
そして、大きく蹴った。
ボールが一気に敵陣へ飛んでいく。
神戸のFWが走る。
相手DFが戻るより先にボールが落ちた。
トラップ。
シュート。
ゴール。
映像が止まる。
「白石のキックは、神戸の攻撃そのものだ」
黒崎監督が言った。
「守るだけのGKじゃない。奪った瞬間に、前線へ一気にボールを送れる」
画面には、白石さんのキックから始まった得点シーンが何度も映し出されていた。
長い。
速い。
正確。
僕はそれを見ながら、神戸の守備陣を見る。
CBが2人。
その前にボランチ。
サイドへ出ればSBが対応する。
中央へ入れば、複数人が寄せてくる。
無理に奪いに行くわけじゃない。
相手の選択肢を少しずつ削っていく。
そして最後には白石さんがいる。
「神戸は守備がかなり固い」
黒崎監督が言った。
「白石だけじゃない。最終ラインも、中盤も、守備の連動がいい」
映像が切り替わる。
神戸が守っている。
僕たちがボールを持っていると仮定した映像だった。
中央へ入ろうとすると、MFが寄せる。
サイドへ出す。
SBが出てくる。
中央へ戻そうとすると、また別の選手がコースを塞ぐ。
1人を動かすと、別の選手が動く。
その連鎖によって、空いていた場所がすぐに消えていく。
「無理に崩そうとすれば、カウンターを受ける」
黒崎監督が言った。
「だから、この試合は1点勝負になる可能性が高い」
僕はスクリーンを見た。
1点。
それだけ。
1点を取る。
それを守る。
そのために、90分を戦う。
「先に失点しないこと」
黒崎監督が僕たちを見る。
「そして、決められる1点を確実に取る」
ミーティングが終わった。
僕は席を立った。
頭の中には、白石さんの姿が残っていた。
どうすれば、あのゴールを破れるのか。
それだけを考えていた。
◇
試合当日。
ピッチへ入る。
スタンドから声が聞こえていた。
レガルテの応援。
神戸の応援。
それぞれの選手を呼ぶ声。
僕はボールを蹴る。
右足。
左足。
トラップ。
パス。
身体を動かす。
いつも通りに準備する。
そして、神戸のゴールを見る。
白石さんが立っていた。
近くで見ると、さらに大きく感じる。
長い腕。
大きな手。
ゴールの前に立っているだけで、隙が少ない。
僕は一度だけ、白石さんの身体を見る。
足の位置。
身体の向き。
重心。
立っている場所。
覚える。
試合開始の笛が鳴った。
僕たちはボールを動かす。
久世さんから望月さん。
望月さんから成瀬さん。
成瀬さんが前を向く。
僕は中央へ入る。
相手MFが近づいてくる。
僕は身体を開いて、ボールを受けた。
右。
朝倉さん。
中央。
橘さん。
前。
高瀬さん。
僕は相手の動きを見た。
右のDFが朝倉さんを見ている。
中央のMFが僕を見る。
高瀬さんの前にはCBが2人。
僕は少しだけ身体を右へ向けた。
相手のMFが動く。
その瞬間、左足でボールを送った。
高瀬さんの足元。
高瀬さんが身体を使って収める。
僕は前へ走った。
高瀬さんがボールを落とす。
僕が受ける。
相手の守備が中央へ寄った。
右が空く。
朝倉さんへ出す。
朝倉さんが縦へ仕掛ける。
SBを抜いた。
クロス。
高瀬さんが飛ぶ。
頭に当たる。
ボールはゴールの右隅へ向かった。
白石さんが飛ぶ。
長い腕が伸びる。
指先がボールに触れた。
ボールがゴールの外へ出る。
歓声が上がった。
僕は白石さんを見る。
今のは、入ると思った。
でも、止められた。
その数分後。
成瀬さんが中央でボールを持つ。
僕は右へ移動する。
橘さんが中央から左へ流れる。
相手CBが橘さんについていく。
一瞬、中央が空いた。
僕はそこへ走り込んだ。
成瀬さんからパスが来る。
受ける。
前を見る。
高瀬さんがCBの間へ走る。
僕はボールを浮かせた。
高瀬さんの前。
完璧な場所だった。
でも、CBが身体を投げ出した。
ボールに触れる。
わずかに軌道が変わった。
高瀬さんには届かない。
僕は走りながら、相手を見る。
少しずつ。
少しずつ、神戸の守備が分かってくる。
1人が動く。
別の1人が補う。
その選手が動けば、また別の選手が動く。
そして最後に白石さんがいる。
前半は、何度もそれを繰り返した。
僕たちが攻める。
神戸が守る。
僕がパスを出す。
味方がシュートへ持っていく。
でも、最後に止められる。
ミドルシュート。
白石さんが弾く。
こぼれ球。
神戸のDFがクリアする。
クロス。
白石さんが飛び出す。
パンチング。
またクロス。
今度はキャッチ。
僕たちは何度もゴールへ近づいた。
でも、最後の1本が届かない。
逆に、神戸のカウンターも鋭かった。
前半30分。
僕たちが敵陣深くまで押し込む。
ボールを失う。
神戸が一気に前へ出た。
速い。
僕は戻る。
望月さんが中央へ入る。
榊原さんがFWへ寄せる。
神戸の選手が右へ展開する。
クロス。
中央へ走り込んだ選手がシュート。
久世さんが飛ぶ。
弾いた。
こぼれ球。
もう1度、神戸の選手が打つ。
久世さんが身体を投げ出した。
止めた。
「久世!」
望月さんが叫ぶ。
久世さんがボールを抱える。
僕は息を吐いた。
危なかった。
こちらが点を取れなければ、相手の1点がそのまま試合を決める。
前半終了。
0-0。
僕たちはベンチへ戻った。
水を飲む。
呼吸を整える。
僕は考える。
どうすればいい。
白石さんを動かす。
神戸の守備を動かす。
そのためには――
僕がもっと見る必要がある。
◇
後半が始まる。
神戸の守備は変わらない。
僕たちはボールを動かす。
成瀬さんが中央でゲームを作る。
橘さんが前へ出る。
高瀬さんがCBを引きつける。
朝倉さんが右から仕掛ける。
水野さんが後ろから上がる。
僕は少しずつ、自分の仕事を変えた。
全部を自分で動かそうとしない。
成瀬さんに任せる。
橘さんに任せる。
2人が試合を動かしている間、僕は別のものを見る。
神戸の守備。
そして――
白石さん。
僕の視界が、少しずつ広がり、狭まっていく。
相手DFの位置。
身体の向き。
重心。
足の向き。
誰が誰を見ているのか。
どこへ動こうとしているのか。
そして、その動きによって白石さんがどこへ立つのか。
僕はじっと深く見る。
70分。
まだ0-0。
73分。
まだ0-0。
75分。
まだ0-0。
時間だけが進んでいく。
でも、僕の中では何かが変わっていた。
今まで見ていたのは、全体だった。
この選手が右へ動く。
あの選手が左へ動く。
白石さんが中央へ寄る。
俯瞰を使ってすべてを同時に見ていた。
でも今は違う。
DF1人が動く。
その動きによって、別のDFが動く。
そのDFが動くことで、さらに別のDFが動く。
そして最後に、白石さんの位置が変わる。
全てが繋がっている。
僕は、守備陣の動きだけに絞って俯瞰して見ていた。
いつものようにパスコースを示す線が浮かび上がる。
でも、その線の途中には神戸の選手がいる。
これでは通せない。
そう思った。
けれど、選手が動く。
右CBが半歩前へ出る。
ボランチが中央へ寄る。
左CBが少しだけ内側へ入る。
白石さんが身体の向きを変える。
線が変わった。
僕は息を止めた。
この感覚。
知っている。
真空の道。
僕がこれまで何度も感じてきたもの。
相手が予測していない場所へ伸びる。
誰にも見えていない。
僕だけが感じ取ることができる。
でも――
今までの真空の道とは違う。
僕は高瀬さんを見る。
橘さんを見る。
朝倉さんを見る。
どこにも道は伸びていない。
道の先にいるのは、ゴールだけだった。
僕は動けなかった。
これまでも真空の道は、見てきた。
けれど、それは誰かへ届けるためのものだと思っていた。
僕が見つける。
僕が蹴る。
けど、その先に味方がいない。
それが、真空の道だった。
今も、道の先には誰もいない。
僕だけ。
でも、
今はその先に、ゴールがある。
胸の奥が少しだけ痛くなった。
孤独。
その言葉が浮かぶ。
これまでの僕にとって、孤独は怖いものだった。
火の中で。
誰も助けられなかった。
僕は決められなかった。
その結果、両親を失った。
だから、誰かに関わる決断が怖かった。
僕が決める。
僕が選ぶ。
その選択で、誰かが壊れるかもしれない。
だから、僕は自分の判断を信じられなかった。
誰かへボールを出すときでさえ、ほんの少しだけ怖かった。
でも、この道は違う。
誰かを巻き込まない。
誰かに決断を押しつけない。
僕が選ぶ。
僕が運ぶ。
僕が蹴る。
その先に、ゴールがある。
真空の道が、僕1人でも成立している。
楽だ。
けれど、1人だ。
僕はそのことに気づいた。
「湊!」
僕は振り向く。
相手MFが寄せてきている。
僕は身体を開いた。
相手の重心を見る。
右。
僕は左へ。
足を出される。
ボールを少しだけ前へ運ぶ。
もう1人が寄せてくる。
重心。
身体の向き。
力の流れ。
僕は逆へ逃げる。
相手の身体が横へ流れた。
僕は前へ出る。
ゴールが見える。真空の道もまだ見える。
白石さんが立っている。
神戸の守備が動く。
右CB。
ボランチ。
左CB。
白石さん。
全部が、僕の頭の中に入ってくる。
そして
真空の道はゴール右隅へ伸びていた。
白石さんが少しだけ左へ寄った。
その瞬間
僕は迷わなかった。
右足を振る。
ボールを蹴る。
低い。
速い。
神戸のDFの足元を抜ける。
白石さんが反応した。
身体を横へ投げる。
長い腕が伸びる。
でも
この道は絶対の真空だ。
誰も侵すことはできない。
ボールは、その指先をわずかに外れた。
ゴールネットが揺れた。
一瞬、音が消えた。
その直後。
「入ったあああああ!」
スタンドから歓声が湧き上がった。
僕はゴールを見た。
ボールが入っている。
白石さんが起き上がる。
僕のところへ、高瀬さんが走ってくる。
「詩音!」
肩を掴まれる。
「ナイスシュート!」
橘さんも来る。
「今のはすげえぞ!」
朝倉さんが僕の頭を叩く。
僕は少しだけよろめいた。
何が起きたのか。
分かっている。
僕が蹴った。
僕がゴールを決めた。
でも、まだ現実感がなかった。
僕はもう一度、ゴールを見る。
そこには、さっきまで見えていた道の名残が残っているような気がした。
真空の道。
僕は今まで、それを誰かへ届ける道として見てきた。
けれど
違った。
真空の道は、誰かへ向かうためだけの道じゃない。
味方がいなくてもいい。
誰かが走らなくてもいい。
僕だけでもいい。
その先にゴールがあるなら。
僕自身が、そこへボールを届ければいい。
孤独の象徴も、使い方次第で他人を助けることにつながる。
僕は、初めてそれを知った。
試合はまだ終わっていない。
神戸が前へ出てくる。
僕たちは守る。
白石さんも前へ出てくる。
強烈なキックが飛んでくる。
望月さんが跳ね返す。
成瀬さんが拾う。
神戸がもう一度攻める。
クロス。
久世さんが飛び出す。
キャッチ。
残り時間が減っていく。
87分。
88分。
89分。
90分。
アディショナルタイム。
神戸が最後の攻撃を仕掛ける。
中央。
右。
クロス。
僕は戻る。
ボールが上がる。
榊原さんが競る。
こぼれた。
望月さんがクリアする。
ボールがタッチラインの外へ出た。
神戸の選手が急いでボールを拾う。
でも、時間がない。
そして――
試合終了の笛が鳴った。
1-0。
レガルテ横浜、勝利。
決勝トーナメント1回戦突破。
僕はその場に立ったまま、ゴールを見つめていた。
さっきまで、あそこに道があった。
誰にも見えない。
僕にしか見えない。
孤独な道。
それでも、その先にはみんなを助けるゴールがあった。
僕は胸の奥にあるものを探した。
嬉しい。
そうなのかもしれない。
でも、まだよく分からない。
ただ、1つだけ分かることがある。
僕は、誰かに頼らなくてもゴールへ行ける。
誰かを動かすことを恐れて、立ち止まる必要もない。
僕が決めて。
僕が蹴る。
それでも、サッカーは続くし、みんなは助かる。
僕はずっと、孤独を怖いものだと思っていた。
でも、孤独の中にも道がある。
その道の先に、ゴールがある。
僕は静かに息を吐いた。
まだ足りない。
真空の道が、いつでも見えるわけじゃない。
今日見えたからといって、次も見えるとは限らない。
白石さんのようなGKが相手なら、もっと難しくなる。
もっと強い選手もいる。
もっと速い選手もいる。
だから、まだ足りない。
それでも――
1つだけ、新しいものを見つけた。
僕の中の真空は、ただ何もない場所じゃない。
その中には、道がある。
誰かへ向かう道だけじゃない。
僕自身が進むための道もある。
僕はゴールを見つめた。
その先へ。
まだ、行ける。
そう思った。




