第39話 Jユースカップ⑤ー最後の道
先制した。
レガルテ横浜が、東京ヴァルディアから1点を奪った。
けれど、それで試合の流れがこちらへ傾いたわけではなかった。
むしろ、東京ヴァルディアは落ち着いていた。
キックオフのボールが戻される。
CBからボランチ。
ボランチからサイド。
そこから中央へ。
僕たちがプレッシングをかける。
でも、東京ヴァルディアは慌てない。
1人目を外す。
2人目が来れば、3人目へ預ける。
無理なら後ろへ戻す。
そして、もう一度組み立て直す。
焦って前へ出てこない。
1点を失ったチームとは思えないほど、冷静だった。
僕は中央にいる。
冴島さんと向かい合う。
黒崎監督から与えられた役割は変わっていない。
冴島さんを自由にさせない。
だから、僕は距離を保ちながら追う。
でも、冴島さんも無理に僕との勝負を選ばなかった。
ボールを受ける。
僕が近づく。
その瞬間、横へ出す。
味方が受ける。
僕が追う。
また別の選手へ。
そして東京ヴァルディアは、僕たちのプレッシングを少しずつずらしていく。
冴島さんがボールを持っても、すぐにドリブルを仕掛けない。
僕が待っているなら、パスを出す。
僕が少し離れれば、前へ運ぶ。
その判断が速い。
無理に僕を抜こうとはしない。
だから、こちらも簡単には奪えない。
時間だけが過ぎていく。
僕たちは先制している。
でも、ボールを握っているのは東京ヴァルディアだった。
それでも。
僕は焦っていなかった。
俯瞰を使っていた。
東京ヴァルディアの選手たちを見ている。
ボールが動く。
選手が動く。
守備の形が変わる。
その変化を、僕は頭の中へ入れていく。
試合前にも、相手の情報は入れていた。
映像を見た。
冴島さんのドリブルも。
パスも。
東京ヴァルディアのビルドアップも。
何度も見た。
でも。
ビデオと、生で見るものは違う。
映像には、映像にしかない情報がある。
でも、生には、生にしかない情報がある。
音。
距離。
速度。
身体の向き。
選手が動く直前の小さな変化。
味方との距離が数十センチ変わっただけで生まれる選択肢。
映像で見たときには分からなかった、実際の速さ。
その瞬間の重心。
ボールが芝を転がる音。
選手が踏み込んだときの僅かな間。
それらは、試合の中でしか入ってこない。
だから、時間が必要だった。
僕は試合が続くほど、情報を蓄積していく。
東京ヴァルディアの選手が、どこへ動くのか。
冴島さんが、どのタイミングでパスを選ぶのか。
どの選手が、どの場所へ走るのか。
どの場所にボールが入ったとき、東京ヴァルディアの攻撃が速くなるのか。
逆に、どこで止まるのか。
僕は見ていた。
ずっと。
だから、この時間は僕にとっても無駄ではなかった。
東京ヴァルディアがボールを握るほど。
冴島さんがゲームを作るほど。
僕の中には、情報が増えていく。
俯瞰が深くなる。
最初は、ただ全体を見るだけだった。
そこから、選手の動きを見る。
その動きの前にある重心を見る。
さらに、その重心が変化する理由を見る。
その変化によって生まれる次の選択肢を見る。
僕は、少しずつ東京ヴァルディアの中へ入っていった。
そして。
前半のロスタイム。
冴島さんが、再び中央へ入ってきた。
ボールを受ける。
僕も前へ出る。
冴島さんが、僕を見る。
いや。
僕だけを見ているわけではない。
周囲を見ている。
右。
左。
前。
後ろ。
味方の位置を確認する。
そして、ボールを動かした。
今までとは違う。
僕は一歩だけ止まった。
冴島さんのドリブルには、2つの意味がある。
1つは、突破。
ボールを失わない足元の技術で相手を引きつけ、味方を使ったフェイントを混ぜながら自分で抜いていく。
もう1つは、ゲームメイク。
ドリブルそのものを囮にして相手を動かし、空いた場所へパスを出す。
さっきまでの冴島さんは、その2つを別々に使っていた。
でも、今は違う。
2つが同時に存在している。
僕が待てば。
ボールを少しずつ動かしながら、危険な場所へパスを出す。
僕が飛び込めば。
その力を利用して、僕をかわして突破する。
パスとドリブル。
どちらを選んでも、攻撃になる。
僕は冴島さんを見た。
ボールを見る。
足を見る。
重心を見る。
そして、周囲を見る。
もう、分かる。
冴島さんが次に何をするか。
正確には。
どの選択肢を選ぶかが、分かる。
僕は一歩下がった。
冴島さんがボールを動かす。
その瞬間、中央に小さな空間ができる。
危険な場所。
そこへパスを出せる。
僕が待てば、そこへ通される。
なら。
僕は前へ出た。
わざと。
冴島さんの身体が反応する。
僕が飛び込んだ。
その瞬間。
冴島さんは、ドリブルを選んだ。
やっぱり。
僕はさらに踏み込む。
冴島さんがボールを動かす。
ほんの僅かな動き。
右足の角度。
腰の向き。
左脚へ移った重心。
僕は、その先を見る。
冴島さんが行こうとしている場所が見えた。
僕はそこへ先に入った。
足を伸ばす。
ボールを刈り取る。
奪った。
「……っまた!」
冴島さんの声が聞こえた。
僕はボールを前へ蹴り出した。
その瞬間、主審の笛が鳴った。
前半終了。
僕はそのまま歩き出した。
ロッカールームへ向かう。
途中で、横を見る。
冴島さんが僕を見ていた。
唖然としている。
何が起きたのか理解できていないような顔だった。
僕は何も言わなかった。
ただ、前を向いた。
◇
後半
冴島さんは、僕を避けるようにサイドへ寄るようになった。
でも、それも想定していた。
中央にいなければ、僕と直接対峙する必要がない。
そう考えたのだと思う。
黒崎監督からの指示は変わらない。
中央は成瀬さんと橘さんに任せる。
僕は冴島さんを追う。
徹底的に仕事をさせない。
僕はその役割を続けた。
冴島さんは、ボールを受けても長く持たなくなった。
1タッチ。
2タッチ。
空いている場所へパス。
味方が動く。
そこへ出す。
また受ける。
そして、すぐに出す。
僕が近くにいるなら、ドリブルを選ばない。
それでも。
東京ヴァルディアの強さは、冴島さんだけではなかった。
ボールが回る。
僕たちが追う。
でも、追い切れない。
東京ヴァルディアの選手たちは、1人1人の技術が高い。
パスが速い。
トラップが正確だ。
判断も早い。
少しずつ。
少しずつ、僕たちは押し込まれていった。
それでも、失点はしない。
高瀬さんまで守備へ戻っている。
前線の選手なのに、ゴール前まで戻る。
身体を張る。
ボールを蹴り出す。
また走る。
僕も戻る。
望月さんが声を出す。
成瀬さんが中央を締める。
橘さんも守備へ戻る。
全員が耐えていた。
時計が進む。
残り20分。
15分。
10分。
東京ヴァルディアが選手を交代する。
攻撃的な選手が入る。
レガルテも守備の選手を入れる。
どちらも、やりたいことは同じだった。
東京ヴァルディアは、絶対に1点を取る。
僕たちは、絶対に1点を守る。
それぞれの気迫がぶつかっていた。
残り5分。
冴島さんが動いた。
サイドにいた冴島さんが、中央へ戻ってくる。
僕もついていく。
ボールが冴島さんへ入った。
僕は距離を詰める。
その瞬間。
冴島さんが前へ走った。
味方が横から入ってくる。
ワンツー。
僕は一瞬、判断が遅れた。
冴島さんがボールを受ける。
僕の身体が、完全に置いていかれた。
抜かれた。
僕はすぐに切り替えた。
全力で戻る。
冴島さんが前へ進む。
味方との連携。
ドリブル。
またパス。
一気にペナルティエリア前まで来た。
僕は戻る。
でも、冴島さんとの距離は縮まらない。
榊さんが前へ出る。
冴島さんがシュートモーションに入った。
榊さんの身体が反応する。
その瞬間。
冴島さんはボールを横へ動かした。
カットイン。
榊さんをかわす。
そして、その裏へ。
ラストパス。
僕には、それが見えていた。
いや。
正確には、感じ取っていた。
冴島さんが最後に選ぶ場所。
そこだけを見た。
僕は走る。
全力で戻っていた。
だから、間に合う。
ボールが通る。
その瞬間に足を出した。
カット。
ボールが僕の足元へ収まった。
危険は消えた。
そして。
今度は、僕たちの攻撃が始まる。
僕は前を向いた。
中盤に橘さんがいる。
そこへ蹴る。
「橘さん!」
ボールが入る。
橘さんは止めなかった。
ダイレクト。
右へ。
朝倉さんへ。
朝倉さんが走る。
東京ヴァルディアの守備も速い。
もう戻っている。
朝倉さんの前にDFが立つ。
高瀬さんにも、2人がついている。
朝倉さんはボールを持った。
仕掛ける。
右へ行くように見せる。
1つフェイント。
そして、逆へ。
その瞬間、水野さんが外側を追い越していった。
朝倉さんがボールを預ける。
水野さんがクロスを上げる。
ゴール前。
高瀬さんがいる。
でも、2人に挟まれている。
高瀬さんが跳ぶ。
頭に当たった。
強くはない。
ボールはゴールへ向かわず、GKに大きく弾かれた。
こぼれ球。
僕は走っていた。
俯瞰を使っていた。
シュートの瞬間。
GKの位置。
DFの位置。
高瀬さんの身体。
ボールの回転。
弾かれる角度。
全部を見ていた。
だから、落ちる場所が分かった。
僕は誰よりも早く、そこへ入った。
ボールが落ちてくる。
柔らかくトラップする。
足元へ収める。
そして。
僕の前に、冴島さんがいた。
また。
僕たちは向かい合った。
でも、今度は違う。
僕はボールを持っている。
時間はない。
ゴールまで、まだ距離がある。
冴島さんが構える。
僕も見る。
その瞬間。
見えた。
銀雪の道。
道の先にいたのは
望月さん。
後ろから上がってきている。
走った勢いを、そのまま攻撃へ変えようとしている。
望月さんが蹴りやすい場所。
身体の向き。
走る速度。
東京ヴァルディアの守備位置。
その全部が重なる。
道が見えた。
僕は迷わなかった。
ボールを転がす。
強く蹴るのではない。
望月さんが、そのまま蹴れる場所へ。
銀雪の道の上を、ボールが進む。
望月さんが走る。
冴島さんが僕を見る。
僕はもう、ボールを見ていなかった。
望月さんが踏み込む。
ペナルティエリアの外。
でも。
望月さんは足を振った。
強烈なシュート。
ボールが一直線にゴールへ向かう。
GKが反応する。
でも、遅い。
ボールがゴールへ突き刺さった。
ゴール。
2点目。
スタジアムが揺れた。
レガルテのベンチから選手たちが飛び出す。
望月さんが拳を握る。
僕はその場に立っていた。
残り時間は、ほとんどない。
アディショナルタイムも試合がほとんど止まってないため、短い。
東京ヴァルディアが急いでボールを中央へ戻してリスタートする。
一斉攻撃。
けれどその勢いは強くなかった。
ボールを掻き出す。
主審が時計を見る。
そして。
笛が鳴った。
試合終了。
レガルテ横浜、2―0。
東京ヴァルディアを破った。
そして。
僕たちは、Jユースカップの頂点に立った。
歓声が降ってくる。
選手たちが走っている。
高瀬さんが叫んでいる。
橘さんも。
成瀬さんも。
朝倉さんも。
水野さんも。
望月さんが仲間たちに囲まれている。
僕も、その輪の中へ引っ張られた。
「詩音!」
名前を呼ばれる。
身体を叩かれる。
頭を撫でられる。
何人もの声が重なる。
僕は、少しだけ目を細めた。
でも。
それだけだった。
まだ足りない。
僕はそう思った。
今日、勝った。
優勝した。
それでも、僕の中には、まだ先がある。
東京ヴァルディアを破った。
冴島さんを止めた。
銀雪の道を何度も通した。
俯瞰も、さらに少しずつ深くなっている。
それでも。
僕はまだ、強くない。
もっと見えるようになりたい。
もっと速く判断したい。
もっと強い身体が欲しい。
もっと正確にボールを蹴りたい。
そして。
いつか、両親との約束を果たす。
そのためには、まだ足りない。
だから僕は、歓声の中で静かに空を見上げた。
冬の空は、冷たかった。
でも。
その冷たさが、今は少しだけ心地よかった。




