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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第2章 レガルテ横浜U18編

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第29話 流れを視る



 西野さんと話してから、僕の練習は少し変わった。


 身体を強くする。


 それは、今まで通り必要だった。


 でも。


 それだけを考えることはなくなった。


 練習中。


 僕は相手を見るようになった。


 ボールを持っているときだけじゃない。


 ボールを持っていないときも。


 相手がどこへ動こうとしているのか。


 どちらの足に体重を乗せているのか。


 肩の向き。


 腰の向き。


 膝の曲がり方。


 1歩目を踏み出す直前の身体の揺れ。


 剛との練習を思い出す。


 力を真正面から受けない。


 相手が力をかけてきた方向へ、自分の身体を少しだけ逃がす。


 押される前に動く。


 押されたあとではなく、押される瞬間を見る。


 それを繰り返す。


「……」


 最初は、何も分からなかった。


 相手の身体を見ても、ただ身体が動いているようにしか見えない。


 右へ動く。


 左へ動く。


 前へ出る。


 それだけだった。


 でも。


 何度も見ていると、少しずつ違いがあることに気づいた。


 右へ動く前には、ほんの少し左足に重さが乗る。


 身体を左へ向ける前には、肩がわずかに動く。


 前へ踏み込むときは、腰が先に浮く。


 ほんの少し。


 本当に小さな変化だった。


 僕は、それを見逃さないようにした。


 練習試合でも。


 ゲーム形式でも。


 対人練習でも。


 相手と向き合うたびに、見る。


 そして、動く。


 最初は失敗ばかりだった。


 相手の動きを読んだつもりで逆へ動いて、ボールを失う。


 重心を見ようとして、ボールへの反応が遅れる。


 相手の身体を気にしすぎて、自分のプレーがおかしくなる。


「湊、今のはボール見ろ」


「はい」


 成瀬さんに言われる。


「湊、相手だけ見すぎ」


「……すみません」


 水野さんにも言われた。


 僕は頷いて、また練習へ戻る。


 まだ、できない。


 でも。


 やめなかった。


 剛とやったときも、最初からできたわけではない。


 何度も倒されて。


 何度も失敗して。


 その中で少しずつ身体の使い方を覚えた。


 だったら。


 今回も同じだと思った。


 見る。


 試す。


 失敗する。


 また見る。


 それを繰り返した。


 その間も、プレミアリーグの試合は続いていた。


 僕はベンチ入りすることはあった。


 でも。


 何試合か、出場することはなかった。


 ベンチから試合を見る。


 ピッチの外から、選手の身体を見る。


 自分が出ていない分、見る時間は増えた。


 相手の身体の向き。


 寄せる角度。


 ボールを奪いに行くときの1歩。


 受ける側がどちらへ逃げようとしているのか。


 試合の中には、練習よりも多くの情報があった。


 僕は、それをひたすらに見た。


 時々、隣に座る望月さんが僕を見る。


「また見てるな」


「はい」


「何か分かる?」


「……まだ、少しだけです」


「そっか」


 それ以上は聞かれなかった。


 僕は、またピッチへ視線を戻した。


 1試合。


 2試合。


 3試合。


 時間が過ぎていく。


 僕は、少しずつ身体の動きを見ることに慣れていった。


 1ヶ月。


 西野さんに会ってから、1ヶ月が経った。


 その頃には、以前とは少し違うものが見えるようになっていた。


 相手が寄せてくる。


 その瞬間。


 身体の中心が、ほんの少しだけ動く。


 右足に乗る。


 左足に乗る。


 前へ。


 斜めへ。


 身体全体が動き出すより前に、その兆候がある。


 僕は、それを感じ取れるようになっていた。


 まだ、はっきりとはしない。


 でも。


 確かに、以前とは違った。


 そして、


 夏の大会が始まる。


 日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会の予選。


 全国大会へ進むための、大切な試合だった。


 試合前。


 僕はベンチに座っていた。


 グラウンドへ出ていく選手たちを見る。


 夏の日差しが強い。


 ピッチから熱気が上がっている。


 少しだけ緊張する。


 でも。


 それ以上に。


 試したかった。


 1ヶ月間。


 ずっと考えていたこと。


 相手の重心を見る。


 力の方向を見る。


 そして。


 その力を利用する。


 前半。


 レガルテ横浜はボールを保持しながら試合を進めた。


 相手も激しく来る。


 身体を寄せる。


 球際でぶつかる。


 僕はベンチから、それを見ていた。


 見る。


 相手がボールへ寄せる。


 右足に重さが乗る。


 次に左へ身体を切り替える。


 僕の目には、その動きが以前よりはっきり見えていた。


 でも。


 まだ、自分で試すことはできない。


 後半。


 スコアは僅差のままだった。


 後半の途中。


「湊、準備」


 黒崎監督から声がかかった。


「はい」


 僕は立ち上がった。


 身体を動かす。


 軽く走る。


 ボールを触る。


 久しぶりの公式戦。


 胸の奥が少しだけ速くなる。


 でも。


 焦りはなかった。


 今までとは違う。


 身体で負けることへの怖さが、なくなったわけではない。


 それでも。


 試してみたいと思っていた。


「湊、入れ」


「はい」


 ピッチへ入る。


 芝の感触。


 スタンドから聞こえる声。


 味方の声。


 相手の声。


 全部が一気に入ってくる。


 僕は、1度だけ周囲を見た。


 そして。


 ボールが動いた。


 成瀬さんからパスが出る。


 僕は中央へ移動する。


 相手のボランチが寄せてきた。


 いつものように。


 身体を当てるために、距離を詰めてくる。


 僕は、ボールを見る。


 そして。


 相手を見る。


 その瞬間だった。


 何かが。


 ほんの一瞬だけ、変わった。


 相手の身体の周囲に。


 線のようなものが見えた。


「……」


 錯覚だと思った。


 でも。


 消えない。


 相手の右足。


 そこへ重さが集まっている。


 腰が少し右へ傾いている。


 肩は、僕の左側へ向いている。


 次に来る力が。


 見える。


 僕は、身体を半歩だけ右へずらした。


 相手の身体が、左へ流れる。


 肩が触れる。


 でも。


 押されない。


 僕の身体が、相手の力と同じ方向へ少しだけ動いた。


 力を逃がす。


 剛との練習で覚えた動き。


 でも。


 今までとは違った。


 相手がどちらへ動くのかが、先に見えた。


 僕は、そのまま前を向いた。


 ボールを運ぶ。


 相手が振り返る。


 次の選手が寄せてくる。


 また、見えた。


 今度はもっとはっきり。


 左足。


 重心。


 腰。


 肩。


 身体の中心から、力が流れている。


 まるで


 人の身体の中に、見えない線が走っているようだった。


 その線が、どちらへ向かっているのか。


 僕には分かる。


 相手が僕へ近づく。


 僕は、左へ動く。


 相手は右から当たりにくる。


 衝突


 しかし、いなす。


 そのまま僕は反対へ身体を動かした。


 すれ違う。


 抜けた。


 自分でも驚いた。


 身体をぶつけられた。


 それなのに。


 負けなかった。


 僕は前へ進む。


 前を見る。


 高瀬さんがいる。


 相手のDFが寄せている。


 僕はボールを出した。


 パスが通る。


 高瀬さんが収める。


「ナイス!」


 声が飛ぶ。


 僕は走る。


 そのまま前へ出る。


 ボールが戻ってくる。


 相手のDFがまた寄せてきた。


 今度は、さっきより近い。


 でも。


 見える。


 相手の右脚に力が乗る。


 身体が左へ向こうとしている。


 なら。


 右。


 僕は一歩だけ逆へ動いた。


 相手の身体が流れる。


 僕は、その横を抜けた。


「……」


 まただ。


 僕は、自分の身体を見た。


 何も変わっていない。


 身体が急に大きくなったわけじゃない。


 脚が速くなったわけでもない。


 力が強くなったわけでもない。


 それなのに。


 相手の身体に触れられても、以前のように押し負けない。


 相手の力が来る方向を知っている。


 だから。


 真正面から受けなくていい。


 僕は、また周囲を見る。


 味方。


 相手。


 空いている場所。


 そして。


 相手の身体。


 さっきまで、身体の動きはただの動きだった。


 今は違う。


 身体の中を通る力が、少しずつ形になって見えてくる。


 線。


 流れ。


 重さ。


 方向。


 それが、僕の視界の中に浮かび上がってくる。


 相手が近づけば。


 もっとはっきりする。


 距離が近くなるほど。


 身体が動くほど。


 その流れが明確になる。


 僕は、相手の力の向きを見る。


 そして。


 その逆へ動く。


 相手の肩が僕の肩に触れる。


 でも。


 身体が流れない。


 むしろ。


 相手の力を使って、僕の身体が前へ進んだ。


 僕は、そのまま抜ける。


「湊!」


 望月さんの声。


 前を見る。


 右に水野さん。


 中央に高瀬さん。


 左には橘さん。


 相手の最終ラインが下がる。


 僕には、いくつもの道が見えた。


 その中から。


 1本を選ぶ。


 右足でボールを運ぶ。


 相手が寄せてくる。


 また見える。


 重心が左。


 身体は右へ動こうとしている。


 なら。


 左へ。


 僕は一瞬だけ身体を動かす。


 相手の足が止まる。


 その横を抜ける。


 そして。


 高瀬さんへパスを出した。


「高瀬さん!」


 ボールが入る。


 高瀬さんがシュートへ持ち込む。


 ゴール。


 歓声が上がった。


 僕は、その場で立ち止まった。


 得点した高瀬さんのところへ、味方が集まっていく。


 僕も走る。


 でも。


 頭の中に残っているのは、今のプレーだった。


 見えた。


 相手の身体。


 重心。


 力の方向。


 ほんの少しの動き。


 全部が。


 今までより、はっきりと。


 試合が再開される。


 僕は、また走る。


 相手が来る。


 見える。


 今度は、もっと明確だった。


 身体の中心から、力が流れている。


 右へ。


 左へ。


 前へ。


 後ろへ。


 それぞれの動きが、まるで線になって僕の目に映る。


 僕は、その線の反対へ身体を置く。


 相手が来る。


 躱す。


 また来る。


 躱す。


 身体を当てられる。


 でも、倒れない。


 力を逃がす。


 そして、前へ進む。


 これまで。


 僕は、身体の弱さをどう埋めるかばかり考えていた。


 筋力。


 体格。


 強さ。


 でも。


 僕に必要だったのは、それだけじゃなかった。


 身体が強い相手と、同じ強さになる必要はない。


 相手の強さを、真正面から受けなければいい。


 相手の力を見て。


 その力が向かう場所から、自分を外す。


 それだけで。


 僕の身体でも、戦える。


 試合終了の笛が鳴った。


 僕は、その場に立っていた。


 呼吸が荒い。


 汗が頬を伝う。


 身体は疲れている。


 でも。


 以前とは違う疲れだった。


 自分の身体で。


 U-18の選手と戦えた。


 相手に身体を当てられても。


 負けなかった。


「湊!」


 望月さんが走ってくる。


「ナイスだったぞ!」


「……ありがとうございます」


 続いて、成瀬さんも来る。


「今日、かなり抜けてたな」


「はい」


「何か掴んだ?」


 僕は少し考えた。


「……たぶん」


「たぶん?」


「相手の身体が……見えます」


「見える?」


「はい」


 自分でも、うまく説明できない。


 だから、それ以上は言わなかった。


 僕は、もう1度ピッチを見る。


 相手選手が歩いている。


 その身体にも。


 今は。


 はっきりと見えた。


 重心。


 力の流れ。


 動こうとする方向。


 僕は、それを見つめる。


 1ヶ月前まで。


 僕は、身体の弱さに追いつめられていた。


 身体が弱い。


 だから、強くならなければならない。


 それだけしか考えていなかった。


 でも。


 西野さんは言った。


 剛との練習を思い出せ。


 それを進化させればいい。


 僕は、少しだけ理解できた気がした。


 僕に足りないものを、全部埋める必要はない。


 自分にあるものを使って。


 足りないものを補う。


 観察する。


 予測する。


 相手の力を見る。


 そして。


 その力を利用する。


 まだ完璧ではない。


 今見えているものも、試合の中でどこまで通用するのか分からない。


 もっと強い相手なら。


 もっと速い相手なら。


 もっと身体の大きな相手なら。


 同じように見えるとは限らない。


 だから。


 まだ足りない。


 でも。


 今までとは違う。


 僕は、ようやく。


 身体の弱さを抱えたまま戦うための方法を、1つ見つけた。


 それは、身体を強くすることとは違う。


 自分の身体を。


 自分の目を。


 自分の感覚を使って。


 相手の強さそのものを、避ける。


 僕は、静かに拳を握った。


 まだ。


 ここからだった。







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