第28話 打ち明ける
黒崎監督に言われてから、僕は無理なトレーニングをやめた。
練習が終わったあと、以前のように1人でジムへ残ることはしない。
必要なトレーニングは、クラブのトレーナーに相談する。
今の身体の状態を確認してもらう。
疲労が残っている日は、負荷を落とす。
筋力をつける日。
身体を動かす日。
休む日。
それぞれを分ける。
今までの僕なら、休む時間さえ無駄だと思っていた。
でも。
あのまま続けていれば、自分の感覚まで失っていた。
だから、言われた通りにやることにした。
「湊、今日はここまででいい」
「はい」
トレーナーさんに言われ、器具から離れる。
脚には適度な疲労がある。
以前のように、立っているだけで身体が重いわけではない。
少しずつ戻っている。
練習での動きも、以前ほど悪くはない。
パスも出せる。
トラップもできる。
周囲を見る余裕も戻ってきた。
それでも。
僕の中にある焦りは、消えていなかった。
身体を壊さないようにする。
それはできるようになった。
必要な身体を作る。
それも始めている。
でも。
その先が分からない。
どうすれば、U-18の強度の中で自分のサッカーを成立させられるのか。
どうすれば、身体の強い相手を相手にしても、自分の見えているものを使えるのか。
どうすれば。
その答えが出ない。
練習では、今まで通りボールを受ける。
周囲を見る。
味方が動く。
相手が動く。
道が見える。
そこへパスを出す。
パス自体は通る。
むしろ、U-18の選手たちを知れば知るほど、以前より効果的な場所へ出せるようになってきた。
高瀬さんがどこなら強く収められるのか。
水野さんがどのタイミングなら前へ出られるのか。
橘さんがどこでボールを受ければ仕掛けやすいのか。
成瀬さんがどこにいれば、次の展開を作りやすいのか。
そういうことは、少しずつ分かってきた。
だから。
パスだけを見れば、問題はない。
でも。
相手が僕の身体へ寄せてきたとき。
そこで、まだ僕は苦しくなる。
避ける。
逃がす。
触られる前に出す。
いろいろ試してみる。
それでも、もっと上手くできる方法があるはずだった。
僕は、練習のあとも考え続けた。
寮の部屋へ戻る。
制服に着替える。
机の前に座る。
今日の練習を思い返す。
あの場面なら。
1歩早く動けたかもしれない。
いや。
相手の身体の向きを見れば、もっと別の場所へ移動できたかもしれない。
でも。
それなら、あの場面ではどうする。
その次は。
考えれば考えるほど、答えが増えていく。
どれが正しいのか分からなくなる。
僕は、机に置いたノートを見る。
そこには、練習中に気づいたことを書いていた。
身体の向き。
相手との距離。
ボールを受ける位置。
パスの強さ。
味方の動き。
いくつも書いてある。
でも。
答えは、そこにはなかった。
僕はペンを置いた。
焦っている。
自分でも分かっていた。
早く見つけなければ。
早く。
このままでは、また身体の強い相手に何もできなくなる。
プレミアリーグは続いている。
次の試合も来る。
その次もある。
時間は待ってくれない。
僕だけが立ち止まっているような気がした。
翌日の練習。
僕は、いつも通りグラウンドへ出た。
アップをする。
ボールを触る。
パスを出す。
問題はない。
でも。
頭の中には、ずっと同じことがある。
自分のサッカー。
どうすればいい。
練習の合間。
僕が1人で水を飲んでいると、隣に誰かが来た。
「湊」
顔を上げる。
望月さんだった。
「はい」
「最近、なんか悩んでるだろ」
僕は黙った。
「……分かりますか」
「分かるよ」
望月さんは笑った。
「前より明らかに難しい顔してる」
「そうですか」
「うん」
僕は、少し考える。
「……サッカーのことで」
「やっぱり」
望月さんは、驚いた様子もなかった。
「何に悩んでる?」
「……自分のサッカーについてです」
「自分のサッカー?」
「はい」
そこから先が、うまく言えなかった。
僕は、自分が何に悩んでいるのか分かっている。
でも。
それを言葉にすると、途端に難しくなる。
「身体が……」
言葉を探す。
「身体が弱くて」
「うん」
「それをどうすればいいのか考えていて」
「うん」
「でも、身体だけを鍛えればいいわけじゃなくて」
「うん」
「自分のサッカーをどうすればいいのか……分からなくて」
望月さんは、しばらく僕を見ていた。
「なるほどな」
それだけ言って、少し考える。
「俺だったら」
「はい」
「自分のことをよく知ってる人に相談するかな」
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中に、1人の人が浮かんだ。
西野さん。
トレーニングコーチ。
僕がレガルテ横浜へ入った頃から、ずっと見てくれていた人。
全部見ようとすると判断が遅れる。
今は必要なものに絞れ。
何度も言われた言葉。
剛との練習を見てくれた人。
僕の身体の使い方についても、一緒に考えてくれた。
「……西野さん」
「ん?」
「前にお世話になったコーチがいます」
「なら、その人じゃないか?」
「……はい」
僕は頷いた。
それだけで、少しだけ胸の奥が軽くなった。
答えが見つかったわけではない。
でも。
話してみる相手は、見つかった。
その日の練習が終わったあと。
僕は西野さんのいるトレーニング施設へ向かった。
U-18へ上がってから、しばらく会っていなかった。
扉の前で立ち止まる。
ノックする。
「はい」
聞き慣れた声。
「……西野さん」
「湊?」
扉が開く。
そこにいたのは、久しぶりに見る西野さんだった。
「久しぶりだな」
「……お久しぶりです」
「U-18はどうだ?」
「……難しいです」
西野さんが少し笑う。
「そうか」
中へ入る。
僕は椅子に座った。
何を話せばいいのか、分からない。
自分から誰かに相談すること自体、あまりなかった。
それでも。
「……相談したいことがあります」
「聞こうか」
僕は、ゆっくり話し始めた。
「U-18に上がって……身体の強さが足りないと感じました」
「うん」
「それで、最初は自分で鍛えようとして」
「聞いたよ」
「……はい」
「黒崎からな」
「そうですか」
「かなり無茶してたらしいな」
「……すみません」
「謝ることじゃない」
西野さんは、そう言ってから僕を見る。
「それで?」
「身体を鍛えること自体は続けています」
「うん」
「でも、自分のサッカーをどうすればいいのか分からなくなりました」
そこまで言って、少し息を吸う。
「パスはできます」
「知ってる」
「周りも少しずつ分かってきました」
「うん」
「シュートもできます」
「それも知ってる」
「でも、身体の強い相手に当たられると、思ったように動けなくなります」
僕は、自分の手を見る。
「だから……どうすればいいのか」
「自分のサッカーをどうすればいいのか」
「はい」
西野さんは、少し考えていた。
「湊」
「はい」
「それは、俺が答えを出すことじゃない」
「……」
「お前のサッカーだろ」
僕は黙った。
「だから、自分で答えを見つけろ」
「……はい」
思っていた言葉とは違った。
何か方法を教えてくれると思っていた。
自分の知らない答えをくれると思っていた。
でも。
西野さんは、答えをくれなかった。
「……すみません」
「何で謝る?」
「答えを聞きに来たので」
「それでいい」
「……」
「答えを聞きに来て、答えをもらえなかった」
「はい」
「でも、相談したこと自体は間違ってない」
西野さんは、少し笑った。
「自分で考えるために、人に話すことは必要だからな」
僕は、少しだけ顔を上げた。
「……はい」
「ただ」
西野さんが続ける。
「フィジカルの壁についてなら、話は別だ」
「……?」
「剛とやってただろ」
その名前を聞いた瞬間。
僕の頭に、あの時間が浮かんだ。
大きな身体。
強い力。
真正面からぶつかってくる剛。
僕は何度も押された。
何度も倒された。
それでも。
身体の向きを変えた。
力を逃がした。
相手の力を利用した。
真正面から受けない。
そうやって、剛との1対1を続けた。
「……剛」
「そう」
西野さんが頷く。
「お前、あいつとの練習で何を身につけた?」
「……力のいなし方です」
「そうだ」
西野さんは続けた。
「お前は、身体そのものが強かったわけじゃない」
「……はい」
「相手の力を受けて、どうするかを覚えた」
僕は黙って聞く。
「だったら、それをU-18でも使えばいい」
「でも……」
「剛とU-18の選手じゃ、身体の強さも違う」
「はい」
「だから、同じやり方のままでは足りない」
僕は西野さんを見る。
「もっと進化させればいい」
「……進化」
「相手の力をいなすだけじゃない」
「相手がどこに重心を置いているか」
「どちらへ動こうとしているか」
「そこまで見られるようになれば、お前ならもっと違うことができる」
僕の中で、何かが動いた。
重心。
剛との練習でも、相手の身体の向きは見ていた。
でも。
もっと細かく。
相手がどこへ力をかけているのか。
どちらの脚に重さが乗っているのか。
次にどちらへ動こうとしているのか。
それが分かれば。
「……重心の逆を」
小さく呟く。
「そう」
西野さんが答える。
「お前の観察力なら、できるかもしれない」
僕は、自分の手を見る。
今まで。
身体が弱いなら、身体を強くするしかないと思っていた。
でも。
剛との練習で、僕は別の方法を知っていた。
力そのものではなく。
力の向きを使う。
相手が強いなら、その強さを真正面から受けない。
そして。
もっと相手を見る。
重心を見る。
動きを予測する。
「……試してみます」
「そうしろ」
西野さんは笑った。
「ただし」
「はい」
「それで、お前のサッカーの答えが出るわけじゃないぞ」
「……はい」
「そこは、自分で探せ」
「分かりました」
部屋を出る。
久しぶりに会った西野さんとの時間は、思っていたより短かった。
答えをもらえたわけではない。
自分のサッカーが何なのかも、まだ分からない。
でも。
フィジカルの壁に対して、試せるものが1つ増えた。
剛との練習。
あの頃に身につけた力のいなし方。
それを、もっと進化させる。
僕は、クラブの廊下を歩きながら考える。
相手の重心を見る。
その逆をつく。
身体をぶつけられる前に、相手の動きを利用する。
それができれば。
今より少しだけ、身体の弱さを補えるかもしれない。
でも。
まだ答えではない。
僕のサッカーが何なのか。
どうすれば、この身体でU-18の強度を越えられるのか。
それは、まだ分からない。
だから。
考える。
試す。
失敗する。
また考える。
僕は、そうやって進むしかない。
寮へ戻る道の途中。
夜のグラウンドが目に入った。
誰もいないピッチ。
その中央を、しばらく見つめる。
あの場所で。
僕は、まだ自分の答えを探している。
焦りは消えていない。
むしろ、答えが見つからないことで大きくなっている。
それでも。
今日は、ほんの少しだけ違った。
焦りに追われて走るだけではなく。
その焦りを抱えたまま、次に何を試すのかを考えられる。
それだけだった。
僕は、寮へ向かって歩き出した。
まだ、何も分からない。
でも。
明日の練習で、1つ試せることがある。
それだけを胸に残して、僕は夜の道を進んだ。




