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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第2章 レガルテ横浜U18編

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第26話 プレミアリーグ



 練習試合を終えてから、数日が過ぎた。


 あの試合を境に、僕の中で少しだけ変わったものがあった。


 急に自信が持てるようになったわけではない。


 自分のことを好きになったわけでもない。


 練習中に、誰よりも大きな声を出せるようになったわけでもなかった。


 それでも、以前なら飲み込んでいた言葉を、少しずつ口にできるようになっていた。


「成瀬さん、今は右を使いたいです」


「橘さん、もう1歩だけ前に出てください」


「高瀬さん、次は足元でお願いします」


 言葉にする。


 相手が動く。


 その結果を、自分の目で確認する。


 それを繰り返しているうちに、少しずつ分かってきたこともあった。


 自己主張は、声だけでするものではない。


 アイコンタクトだけでも伝わることがある。


 パスの強さを変えるだけでも、相手に次の動きを要求できる。


 少しだけ前へ出せば、走ってほしいという意味になる。


 足元へ戻せば、落ち着いて受けてほしいという意味になる。


 僕が何も言わなくても、パスを受けた味方が次のプレーへ動いてくれることがある。


 そんな小さなやり取りが、少しずつ増えていた。


 それでも、まだ自分から強く何かを要求するのは苦手だった。


 だから。


 できるようになったというより、できなかったことを少しずつ試しているだけだった。


 そんなある日の練習後、黒崎監督に呼ばれた。


「湊」


「はい」


「来週のプレミア、ベンチに入る」


 僕は、聞き返した。


「……僕がですか?」


「ああ」


 黒崎監督は、淡々と答えた。


「まだ先発ではない。試合の流れ次第では出番がある」


「分かりました」


「準備しておけ」


「はい」


 それだけだった。


 でも、胸の奥には何かが残った。


 高円宮杯U18サッカープレミアリーグ。


 U-18年代で、全国の強豪が集まる最高峰のリーグ。


 その舞台に、14歳の僕がベンチに入る。


 練習試合とは違う。


 勝つことを目的にした公式戦。


 そこで、出場する可能性がある。


 僕は帰り道も、そのことを考えていた。


 嬉しいのか。


 怖いのか。


 自分でも、よく分からない。


 ただ。


 何かが始まるような気がしていた。


 試合当日。


 会場に着くと、すでに多くの人が集まっていた。


 スタンドから声が聞こえる。


 ピッチの芝も、いつもの練習場よりきれいに整えられていた。


 僕はベンチからグラウンドを見る。


 今日の相手は、アルビオン東京U-18。


 東京都を拠点とする強豪クラブで、毎年プレミアリーグ上位を争うチームだ。


 赤と黒のユニフォーム。


 アップしている選手たちを見るだけでも、身体の大きさが目についた。


 センターバックは肩幅が広い。


 ボランチは脚が太い。


 前線の選手も身体の芯が強そうだった。


 僕は、しばらく相手を見ていた。


 強そうだと思った。


 でも。


 それだけで怖くなったわけではない。


 サッカーは、身体だけでは決まらない。


 そう思っていた。


 僕には、見ることができる。


 パスも出せる。


 道も作れる。


 それに、U-18に入ってから少しずつチームメイトとの関係も作れてきた。


 だから、戦えると思っていた。


 キックオフ。


 試合は、序盤から激しいものになった。


 レガルテ横浜は、いつも通り後ろからボールを動かす。


 久世さんが低い位置まで下がったボールを受ける。


 望月さんと榊原さんが左右へ開く。


 成瀬さんが中央へ下りる。


 水野さんが右サイドを高く取る。


 ボールは動く。


 それでも、相手のプレッシャーも速い。


 中央で受ければ、すぐに寄せてくる。


 サイドへ出せば、2人目が連動してくる。


 それでも、レガルテ横浜は少しずつ相手の守備を動かしていった。


 前半20分。


 相手に先制を許した。


 自陣でのボールロストから、一気に前へ運ばれる。


 久世さんが飛び出す。


 でも、相手のシュートがその横を抜けた。


 0-1。


 ベンチの空気が少しだけ重くなる。


 それでも、選手たちは落ち着いていた。


 前半35分。


 成瀬さんから橘さんへ縦のボールが入る。


 橘さんが前を向く。


 朝倉さんが右から中へ入る。


 その動きに合わせて高瀬さんが最終ラインの間へ入った。


 橘さんが一瞬だけ相手を引きつけ、左へ出す。


 そこからクロスが入る。


 高瀬さんが合わせる。


 1-1。


 前半は、そのまま終了した。


 僕はベンチから試合を見続けていた。


 相手の選手たち。


 ボールの動かし方。


 身体の使い方。


 競り合い。


 特に気になったのは、やっぱり身体だった。


 相手が身体を当てても、軸がぶれない。


 ボールを受けた瞬間に押されても、姿勢が崩れない。


 僕なら少し流されるような接触でも、相手はそのまま次のプレーへ移っている。


 僕は、自分の手を見る。


 同じサッカー選手なのに、身体が違う。


 その違いが、妙に現実的だった。


 後半が始まる。


 試合は1-1のまま進んでいく。


 後半10分。


 レガルテ横浜が少し押し込まれ始めた。


 相手の前線からのプレスが強まる。


 望月さんが声を出す。


「落ち着け!」


 久世さんがボールを動かす。


 成瀬さんが受ける。


 水野さんが走る。


 それでも、なかなか前へ進めない。


 後半17分。


 黒崎監督が立ち上がった。


「湊、準備しろ」


「はい」


 僕はベンチから立った。


 ウォーミングアップをする。


 走る。


 身体を動かす。


 ボールを触る。


 心臓が少しだけ速くなる。


 プレミアリーグ。


 初めての公式戦。


 そして。


 僕は14歳だ。


 相手の選手たちは高校生。


 その中へ入る。


「湊」


 黒崎監督が呼ぶ。


「はい」


「中央で受けろ」


「はい」


「無理に1人で何とかしようとするな」


「分かりました」


「周りを使え」


「はい」


 僕はピッチへ向かった。


「湊、行け!」


 望月さんの声が飛ぶ。


「はい!」


 僕は返事をした。


 後半19分。


 僕はプレミアリーグのピッチへ入った。


 芝の感触が足に伝わる。


 相手の選手がいる。


 味方がいる。


 スタンドから声が聞こえる。


 ボールが動く。


 成瀬さんから、僕へパスが入った。


 僕は受ける前に周囲を見る。


 左に橘さん。


 右に朝倉さん。


 前に高瀬さん。


 水野さんは右サイドを上がっている。


 いつも通りだ。


 僕は右足でボールを止めた。


 その瞬間。


 相手のボランチが寄せてきた。


 速い。


 僕は身体を半歩引いた。


 左足へボールを持ち替える。


 その直後、肩に強い衝撃が入った。


「っ……!」


 身体が流れる。


 ボールが少し前へ離れる。


 僕はすぐに追う。


 でも、相手が先に身体を入れた。


 僕は外側から回ろうとする。


 肩がぶつかる。


 押し返そうとする。


 でも、押し返せない。


 むしろ、僕の身体が外へ弾かれた。


 ボールが、そのまま前へ転がる。


 相手が拾う。


 レガルテ横浜の守備が一気に後退した。


「戻れ!」


 望月さんの声が響く。


 相手が中央へ運ぶ。


 僕も追う。


 でも、身体が重い。


 相手の前線へボールが入る。


 望月さんが寄せる。


 榊原さんも中央へ絞る。


 相手が右へ展開する。


 クロス。


 高いボールが入る。


 望月さんが競る。


 相手FWが身体をぶつける。


 ボールがこぼれる。


 その先に、別の相手選手がいる。


 シュート。


 久世さんが飛び出した。


 ボールが久世さんの指先をかすめ、ゴールの外へ抜けていった。


 危なかった。


 僕は、その場で立ち止まった。


 息が苦しい。


 何が起きたのかは、分かっている。


 身体で負けた。


 ただ、それだけだった。


 判断は遅れていない。


 ボールの位置も見えていた。


 次にどこへ出そうとしていたかも分かっていた。


 なのに。


 身体が負けた。


 その一瞬だけで、すべてが崩れかけた。


「湊、大丈夫!」


 朝倉さんが声をかけてくる。


「はい!」


 僕は返事をした。


 そのとき、相手の選手が僕を見る。


 次のプレーで、また僕のところへ来た。


 成瀬さんからボールが入る。


 僕が受ける。


 相手が寄せる。


 身体を当てる。


 僕は1タッチで逃がそうとする。


 でも、その瞬間にはもう2人目が来ていた。


 パスを出す。


 少しずれる。


 相手に触られる。


 失う。


 僕は追う。


 でも、相手はすぐに前へ出る。


「湊、無理するな!」


 成瀬さんの声が飛んでくる。


 僕は下がる。


 またボールが来る。


 今度は身体を向けて受けようとする。


 でも、背中から圧力がかかる。


 軸が崩れる。


 トラップが少し浮く。


 ボールを奪われる。


 相手が前へ行く。


 僕は走る。


 でも、届かない。


 望月さんが身体を張る。


 榊原さんがカバーする。


 なんとかボールを外へ出す。


 僕は、その場に立った。


 また助けてもらった。


 その瞬間から、相手がはっきりと僕の弱点を狙ってくるようになった。


 ボールを受けるたびに身体を当てる。


 前を向こうとすれば押し込む。


 横へ逃げれば、もう1人が寄せてくる。


 僕が技術を使う前に、接触で自由を奪ってくる。


 剛との練習を思い出す。


 相手の力を受け流す。


 身体をぶつけられたとき、真正面から受けない。


 相手の重心を見て、その逆へ動く。


 僕が覚えてきたことだった。


 でも。


 今は、その重心を見る前に押される。


 相手の腕が入る。


 肩がぶつかる。


 身体がずれる。


 そのたびに、僕の中にある技術へ辿り着く前にプレーが終わってしまう。


 後半27分。


 僕が中央でボールを受ける。


 相手が寄る。


 身体を半歩だけ引く。


 相手の重心を見る。


 右へ行く。


 そう思った。


 でも、その前に肩をぶつけられた。


 バランスが崩れる。


 ボールが少し離れる。


 相手が奪う。


「しまっ……」


 僕は追う。


 でも、その選手はすぐに前へ出る。


 レガルテ横浜の守備が下がる。


 望月さんが止める。


 相手が左へ出す。


 榊原さんがスライドする。


 なんとか守る。


 また、助けてもらった。


 僕は、自分の足元を見る。


 ボールを触ることはできる。


 パスも出せる。


 判断もできる。


 でも。


 相手に身体を当てられた瞬間、それらを使うための時間が消えてしまう。


 その事実が、怖かった。


 後半31分。


 レガルテ横浜が攻撃を作る。


 成瀬さんから橘さんへ。


 橘さんが前を向く。


 朝倉さんが右へ流れる。


 高瀬さんが中央へ入る。


 僕も上がる。


 橘さんから僕へパスが来た。


 ボールを受ける。


 相手が寄ってくる。


 僕は1タッチで朝倉さんへ出した。


 朝倉さんが走る。


 クロス。


 高瀬さんが競る。


 ボールはこぼれる。


 橘さんが拾う。


 シュート。


 ゴール。


「2-1!」


 レガルテ横浜が逆転した。


 僕は、その場で立っていた。


 勝った。


 チームは、勝てる。


 でも。


 僕は、そのゴールにほとんど関わっていない。


 周りが助けてくれた。


 周りが動いてくれた。


 僕が何もできない時間を、チームが埋めてくれた。


 それで勝っている。


 後半40分。


 相手が最後の攻撃を仕掛ける。


 僕は守備へ戻る。


 相手が中央へ入れてくる。


 成瀬さんが身体を寄せる。


 ボールがこぼれる。


 僕が拾う。


 前を見る。


 でも、相手がすぐに寄ってくる。


 身体を当てられる。


 僕は、1タッチで水野さんへ逃がした。


 水野さんが前へ運ぶ。


 そのまま時間を使う。


 相手が追う。


 水野さんが外へ出す。


 スローイン。


 残り時間が減っていく。


 そして、試合終了のホイッスルが鳴った。


 2-1。


 レガルテ横浜の勝利。


 僕は、立ったまま息を整えていた。


 勝った。


 けれど、嬉しいより先に別の感情があった。


 何もできなかった。


 それが、一番大きかった。


「湊、お疲れ」


「ナイスゲームだったぞ」


「初めてのプレミアで勝ったな」


 先輩たちが声をかけてくれる。


「ありがとうございます」


 僕も答える。


 でも、胸の中はまったく落ち着いていなかった。


 焦っていた。


 久しぶりに、強い焦りを感じていた。


 U-18に入ってから、僕は少しずつ自分にできることを増やしてきた。


 味方を知った。


 パスを変えた。


 自分から言葉を出すことも覚え始めた。


 練習試合では、結果も出た。


 だから、少しずつ前へ進めていると思っていた。


 でも


 今日、僕は身体の差だけで自分のプレーを止められた。


 パスを出す前に潰された。


 道を作る前に押された。


 相手の重心を見る前に、身体を崩された。


 技術を使う場所まで、辿り着けなかった。


 それは、今まで感じたことのない種類の壁だった。


 ベンチへ戻る。


 僕は椅子に座った。


 汗でユニフォームが重い。


 足を見る。


 何度もボールに触れた足。


 今日もパスは出せた。


 判断もできた。


 でも、その全部を使うための身体が足りなかった。


 そう思った瞬間、胸の奥で何かが燃えた。


 焦り。


 もっとやらなければならない。


 もっと強くならなければならない。


 このままでは駄目だ。


 U-18で戦うことすら、まだ十分にはできない。


 それなのに、いつかプロの舞台へ行く。


 そんなことを考えている。


 今の僕には、遠すぎる。


 指を握る。


 強く。


 爪が掌に食い込む。


 痛い。


 でも、その痛みの方が、今はありがたかった。


 何が足りないのかが、はっきりしたからだ。


 身体。


 強度。


 接触への耐性。


 そして、その身体でも自分の技術を失わずにプレーすること。


 やらなければならないことがある。


 それだけは分かった。


 でも、今日の僕には、その方法すらまだ分からない。


 帰りのバス。


 僕は窓の外を見ていた。


 横浜の街が流れていく。


 誰とも話さなかった。


 今日の試合が頭から離れない。


 肩に当たった衝撃。


 崩れた身体。


 離れていくボール。


 それを追えなかった自分。


 そのたびに、胸の奥の焦りが大きくなる。


 僕は、窓に映った自分の顔を見た。


 相変わらず、表情は薄い。


 でも、自分でも分かる。


 今、僕は焦っている。


 しばらく感じなかった感覚だった。


 もっとやらなければならない。


 追いつかなければならない。


 このままではいけない。


 そう思う。


 そして


 僕は、また自分に足りないものを探し始めた。


 ただ


 今回だけは、これまでとは違う。


 技術を増やすだけでは足りない。


 考えるだけでも足りない。


 走るだけでも足りない。


 僕のサッカーを、この身体で使えるようにしなければならない。


 それができなければ、どれだけ道が見えても、どれだけパスが通っても、どれだけシュートが打てても、その前に潰されてしまう。


 バスが停車する。


 僕は立ち上がる。


 バッグを肩にかける。


 そして、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……強くならないと」


 それは、決意というより焦りから出た言葉だった。


 胸の奥で燃え始めた炎は、まだ小さくならない。


 むしろ、際限なく大きくなっていた。






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