第24話 初めての主張
リーグ戦の開幕が近づいていた。
練習の強度は、少しずつ上がっている。
ゲーム形式の時間も増えた。
これまで以上に、実戦を意識したメニューが組まれている。
僕も、その中で少しずつU-18のサッカーに慣れていった。
それでも、まだ自分から声を出すことは少なかった。
パスは出せる。
周りを見ることもできる。
必要なら、自分でボールを運ぶこともできる。
シュートを打つことにも、迷いはない。
でも。
誰かに対して、「こうしてほしい」と伝えることだけは、やっぱり難しかった。
そして。
そんな僕にとって、リーグ戦前の最後の練習試合が組まれた。
相手は、同じく高いレベルのユースチームだった。
試合前。
ロッカールームには、いつもより少し静かな空気が流れていた。
リーグ戦が始まる。
その前に、自分たちがどこまでできるのかを確かめるための試合だった。
僕はベンチに座っていた。
スタメンではない。
それでも。
ベンチ入りできた。
U-18に入って、初めてのことだった。
膝の上に手を置く。
目の前では、先輩たちが準備をしている。
久世さん。
望月さん。
榊原さん。
水野さん。
成瀬さん。
橘さん。
朝倉さん。
高瀬さん。
いつも練習で一緒にプレーしている選手たちが、これから試合をする。
僕は、静かにピッチを見ていた。
キックオフ。
試合は、すぐに激しくなった。
相手のプレスが速い。
ボールを奪えば、すぐに前へ来る。
レガルテ横浜もボールを繋ごうとする。
久世さんが後ろからボールを動かす。
望月さんが中央で受ける。
成瀬さんが落ちる。
水野さんが右から上がる。
何度か前へ進むことはできた。
でも。
相手の守備が固い。
橘さんが受けても、すぐに2人目が来る。
朝倉さんが仕掛けても、サイドを閉じられる。
高瀬さんへ入れようとしても、身体を寄せられて自由を与えてもらえない。
前半20分。
失点した。
自陣でボールを失い、そのままショートカウンター。
久世さんが飛び出した。
でも、シュートはその横を抜けた。
0-1。
僕はベンチからピッチを見る。
相手は、失点してからさらに前へ出てくる。
レガルテ横浜もボールを繋ぐ。
けれど。
相手の守備は崩れない。
前半終了。
0-1。
後半が始まる。
流れは、変わらなかった。
レガルテ横浜がボールを持つ。
でも、前へ進めない。
相手が中央を閉じている。
サイドへ出せば、2人が寄ってくる。
中央へ入れれば、囲まれる。
高瀬さんが下りれば、前線が空く。
橘さんが下りれば、ゴールから遠くなる。
朝倉さんが内側へ入れば、右サイドの幅がなくなる。
僕は、ベンチからずっと見ていた。
少しずつ。
相手の守備の形が見えてきた。
中央を守るために、ボランチの2人がかなり内側へ寄っている。
その分、サイドの内側に少し空間がある。
右サイドから水野さんが上がったとき、相手の左サイドバックは下がる。
その瞬間、その前にいる選手が中央へ絞る。
なら。
逆サイドの成瀬さんを経由して、もう一度右へ戻せば。
相手の守備が横へ動く。
その一瞬だけ。
中央の手前に、空間ができる。
そこへ橘さんが入れば。
高瀬さんが最終ラインを押さえているから、センターバックは簡単には出てこられない。
さらに朝倉さんが内側へ入れば、相手のサイドハーフが遅れる。
僕が中央へ入れば。
道ができる。
見える。
僕には、そこが見えていた。
でも。
その考えを口にすることはできなかった。
僕はベンチに座ったまま、手を握った。
言えばいい。
そう思う。
でも。
僕が言っていいのだろうか。
僕が試合の中にいるわけでもない。
まだベンチに入ったばかりの14歳だ。
そんな僕が、先輩たちにこう動いてくださいと言う。
もし間違っていたら。
もし、それで形勢が悪くなったら。
僕のせいになる。
そう考えてしまう。
後半15分。
監督が動いた。
「湊、準備しろ」
「……はい」
僕は立ち上がった。
心臓が少しだけ速くなる。
ユニフォームの裾を整える。
スパイクを確認する。
ピッチへ入る準備をする。
そのとき。
「湊」
黒崎監督に呼ばれた。
「はい」
僕が近づく。
監督は、僕をまっすぐ見た。
「何か見えているか?」
「……」
一瞬、言葉が止まった。
「はい」
小さく答えた。
「なら、言え」
「……」
「ここまでベンチから何を見ていた?」
僕は、答えようとした。
でも、言葉が出ない。
監督の目が、僕を見る。
「湊」
「はい」
「お前、今までずっと黙っていたな」
「……はい」
「試合の流れが見えていないわけじゃない」
「……」
「練習でもそうだった。見えている。でも、口にしない」
僕は、何も言えなかった。
「今からピッチに入る」
監督の声が少し低くなる。
「そこでまだ何も言わないなら、今後は使わない」
「……」
胸の奥が、強く締まった。
「サッカーは、お前1人でやるものじゃない」
「……はい」
「自分の中で分かっているだけじゃ、チームには伝わらない」
僕は下を向いた。
「分かっています」
「なら、言え」
それだけ言って、監督は僕から離れた。
僕は、ピッチを見る。
0-1。
流れは悪い。
相手の守備は固い。
僕が見つけた道がある。
でも。
それを言うことが怖い。
そのときだった。
「湊」
後ろから声がした。
久世さんだった。どうやらアクシデントでプレーが止まってベンチの方に来たらしい。
僕が振り返る。
「はい」
「監督に何か言われたか?」
「……はい」
「何を?」
僕は少し迷ったあと、答えた。
「主張しないなら、今後は使わないと言われました」
「そっか」
久世さんは、少しだけ笑った。
「じゃあ、言えばいい」
「……」
「何か見えてるんだろ?」
「はい」
「なら、言えよ」
僕は答えられない。
そのとき。
「俺も聞きたい」
望月さんが近づいてきた。
「湊、お前、試合中ずっとピッチ見てたよな」
「……はい」
「何かあるんだろ?」
「……」
僕は、視線を落とした。
「僕の考えが間違っていたら……」
言葉が出る。
「それで、試合が悪くなったら」
「そうなったら?」
望月さんが聞く。
「……僕のせいで負けるので」
しばらく沈黙があった。
そして。
望月さんは、静かに言った。
「ならない」
「……」
「少なくとも、俺はそうは思わない」
僕は顔を上げた。
「サッカーはチームスポーツだ」
望月さんが続ける。
「お前が言ったことが正しければ、みんなで使えばいい」
「……」
「もし間違っていたとしても」
望月さんが、ピッチを見る。
「全員で取り返せばいい」
「……」
「誰か1人の判断で、全部が決まるわけじゃない」
久世さんも頷いた。
「そういうこと」
「でも……」
「湊」
久世さんが僕を見る。
「お前が何も言わない方が、俺は怖いけどな」
「……」
「俺たちは、お前が何を見てるのか知らない」
僕は黙って聞いた。
「だったら、教えてくれよ」
その言葉は、思っていたより重かった。
僕は。
ずっと、自分の判断で誰かを壊すことを怖がっていた。
でも。
今、2人は。
間違ってもいいと言っている。
失敗しても、全員で取り返すと言っている。
僕の言葉だけで、すべてが決まるわけではない。
そう言っている。
それでも。
口を開くのは怖かった。
喉が乾く。
胸が苦しい。
言葉が出てこない。
でも。
僕はピッチを見た。
相手の守備。
味方の位置。
空いている場所。
もう、ずっと見えていた。
僕には。
そこに道がある。
「……1つだけ」
声が出た。
久世さんと望月さんが、僕を見る。
「うん」
望月さんが促す。
僕は、ピッチを指差した。
「相手のボランチが、中央に寄りすぎています」
「うん」
久世さんが頷く。
「だから、右へ大きく動かしたいです」
「右?」
「水野さんを高い位置へ出して、1度成瀬さんを経由します」
自分の声が、少し震えている。
でも。
続ける。
「相手の左サイドバックが水野さんへ引っ張られたら、その前の選手が中央へ絞ると思います」
「それで?」
望月さんが聞く。
「そのとき、橘さんが中央へ入ります」
僕は、橘さんを見る。
「高瀬さんが最終ラインを押さえてくれれば、センターバックは簡単には出てこられないと思います」
「なるほど」
久世さんが言った。
「それで、湊は?」
僕は、一瞬だけ言葉に詰まった。
「僕は……」
自分の位置を見る。
そして。
「成瀬さんからもう1度ボールを受けます」
「そのあとは?」
「中央へ入ります」
僕は、相手の守備を頭の中でなぞる。
「朝倉さんが内側へ入ってくれれば、相手のサイドハーフが遅れると思います」
そこまで言って。
僕は、一度息を吸った。
「その瞬間、僕が橘さんと入れ替わります」
望月さんが、少しだけ目を細めた。
「そこから?」
「橘さんが前を向ける場所を作ります」
「で、お前は?」
「僕は……」
自分の言葉が、喉の奥に引っかかった。
でも。
言った。
「高瀬さんの近くまで入って、最後のパスか、シュートを選びます」
言い切った。
僕は、俯かなかった。
怖かった。
これが間違っていたら。
この言葉で、何かが壊れたら。
そう思う。
それでも。
言った。
望月さんが、少し笑った。
「いいじゃん」
「……」
「やってみよう」
久世さんも頷いた。
「俺も後ろから見てる」
「はい」
「もし何か違ったら、その場で変えればいい」
僕は小さく頷いた。
そのとき。
「湊!」
黒崎監督の声が飛んできた。
「準備できたか!」
「はい!」
僕は返事をした。
大きな声だった。
自分でも少し驚いた。
監督が一度だけ頷く。
僕はピッチへ向かった。
後半18分。
僕は、U-18の公式戦に近い強度の練習試合で、初めてピッチへ入る。
芝の感触が足の裏に伝わる。
相手がいる。
味方がいる。
そして。
僕の頭の中には、ずっと見ていた道がある。
「湊、入ったぞ!」
望月さんの声。
「はい!」
僕が返す。
ボールが動く。
相手の守備が動く。
僕も走る。
そして。
まずは、水野さんが右サイドへ走った。
僕は、その動きを見た。
今までなら。
ただ、その先へパスを出していた。
でも。
今日は違う。
僕は、声を出した。
「成瀬さん!」
成瀬さんが振り返る。
「右、一度使ってください!」
声にした。
僕自身の考えを。
自分の見ているものを。
成瀬さんが頷いた。
ボールが動く。
水野さんへ。
相手が動く。
僕は中央を見る。
橘さんが入ってくる。
高瀬さんが最終ラインを押さえる。
朝倉さんも中へ入る。
少しずつ。
僕が考えた形に、ピッチが変わっていく。
まだ、うまくいくかは分からない。
この先、ボールを失うかもしれない。
相手に読まれるかもしれない。
それでも。
僕は、初めて自分の考えを仲間に渡した。
ボールではなく。
言葉として。
それは、僕にとって。
パスを出すよりも、ずっと怖いことだった。




