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孤独の真空〜天才サッカー少年の成長譚〜  作者: ソラリオン
第2章 レガルテ横浜U18編

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第23話 無主張



 U-18での練習が始まってから、何日かが過ぎた。


 最初の頃に比べれば、グラウンドの速さにも少しずつ慣れてきた。


 ボールが動く速度。


 選手たちが判断する速さ。


 身体がぶつかる強さ。


 ジュニアユースとは違うものばかりだったけれど、毎日そこに立っていれば、少しずつ見えるものも増えていった。


 誰が、どこへ走るのか。


 誰が、どこでボールを欲しがるのか。


 誰が、どんなプレーを得意としているのか。


 僕は、それを覚えていった。


 高瀬さんには、身体を相手に預けられる位置へボールを出す。


 朝倉さんには、足元より少し前へ出して、走りながら触れるようにする。


 水野さんが高い位置へ出るなら、その前のスペースへ早めに送る。


 成瀬さんには、次のプレーへ移りやすい場所へ置く。


 望月さんや榊原さんには、相手のプレスが来る方向を考えて、受けたあとに余裕ができる側へ出す。


 そして、橘さんには、前を向いたとき、そのまま仕掛けられる場所へ出す。


 それが分かってくると、僕のパスも少しずつ変わっていった。


 ただ足元へ出すだけではなくなった。


 相手が寄せてくる前に出す。


 走る場所へ出す。


 身体の向きに合わせる。


 次のプレーまで考えて、少し先へ置く。


 僕の中では、それほど特別なことではなかった。


 見えたから、そこへ出す。


 ただ、それだけだった。


「ナイスパス、湊」


 右サイドから、水野さんの声が飛んできた。


「ありがとうございます」


 僕は返事をして、そのまま中央へ走る。


 水野さんが前へ出ていく。


 僕が送ったボールを受け、そのままクロスを入れた。


 高瀬さんが中央へ入る。


 でも、望月さんが身体を入れてクリアした。


「切り替え!」


 声が飛ぶ。


 僕もすぐに戻った。


 相手のボールを成瀬さんが奪う。


 そのまま前へ送る。


 僕が中央へ入ると、成瀬さんからボールが来た。


 受ける。


 前を見る。


 高瀬さんが最終ラインの間に立っている。


 朝倉さんは右から少し内側へ入っている。


 橘さんは中央を走っている。


 相手のセンターバックが高瀬さんへ身体を向け、その横にいる選手が橘さんの動きを警戒した。


 その一瞬、橘さんの前に細い道ができた。


 僕はボールを右へ持ち出す。


 相手のボランチが寄せてくる。


 そのまま進めば、潰される。


 僕は身体を少し左へ傾けた。


 相手の重心が動く。


 右足でボールを引き寄せ、そのまま左足で前へ送る。


 橘さんの走る先。


 少し強めのボールだった。


 でも、届く。


 橘さんが走る。


 相手より先にボールへ触れた。


 そのままシュート。


 ネットが揺れた。


「ナイス!」


「今のいいぞ!」


 声が飛んでくる。


 橘さんが振り返った。


「湊、今のよかった」


「ありがとうございます」


 それだけ答える。


 橘さんは、すぐに自分の位置へ戻っていった。


 僕も戻る。


 胸の奥に、ほんの少しだけ熱が残っていた。


 パスは通る。


 僕が出したい場所へ出せる。


 相手の位置を見て、そこから道を作ることもできる。


 それは、U-15の頃から変わらない。


 その場で見えたものを繋ぐ。


 相手が動けば、その先を見る。


 味方が動けば、その動きによって空いた場所を見る。


 そこへ進む。


 その先にまた道が見えれば、進む。


 そうやって、僕は何度も道を作ってきた。


 シュートだって、同じだった。


 ここで打った方がチームのためになる。


 そう判断したなら、足を振る。


 キーパーに止められることもある。


 枠を外すこともある。


 それでも、シュートを打つこと自体に大きな迷いはない。


 失敗したなら、次のプレーへ行けばいい。


 サッカーの中なら。


 僕は、それができる。


 自分で考えることも。


 試してみることも。


 失敗することも。


 そこから、また別のやり方を探すことも。


 僕には、それができる。


 なのに


 どうしても難しいことが、1つだけあった。


 自分の意見を、誰かに伝えることだった。


 ここへ出してほしい。


 もっと前へ来てほしい。


 今は逆サイドへ展開したい。


 僕がここへ入るから、少し下がってほしい。


 そういうことを、自分から口にするのが苦手だった。


 僕には、周りが見えている。


 だから、こうした方がいいと思うこともある。


 この選択なら、もっと前へ進めると思うこともある。


 でも、それを口にする直前になると、言葉が止まる。


 僕が言っていいのだろうか。


 僕の考えなんて、聞く必要があるのだろうか。


 もし違っていたら。


 もし、僕のせいで何かが崩れたら。


 もし、自分勝手だと思われたら。


 そう考えると、口を開けなくなる。


 だから、相手に合わせる。


 誰かが動いたら、その動きに合わせる。


 誰かがパスを出したら、そこへ行く。


 誰かが指示を出したら、その通りに動く。


 その方が、僕には楽だった。


 少なくとも、自分から何かを決める必要はない。


 僕が決めなければ。


 僕の判断で、誰かが何かを変えなくて済む。


 それなら。


 少なくとも、僕のせいで誰かが傷つくことはない。


 そう思ってしまう。


 練習が終わったあと、僕はグラウンドの端で1人ボールを蹴っていた。


 短い距離へ出す。


 受ける。


 また出す。


 右足で受ける。


 左足へ持ち替える。


 少し強く。


 少し弱く。


 同じことを繰り返していた。


「湊」


 後ろから声がした。


 振り返ると、朝倉さんが立っていた。


「まだやってたんだ」


「はい」


「真面目だね」


「そうですか?」


「うん。かなり」


 朝倉さんが笑った。


 僕は、少しだけ視線を逸らした。


「最近、パス受け取りやすくなったよ」


「……そうですか?」


「うん。前より、僕が走るところを分かってくれる」


「朝倉さんの動きが分かってきたので」


「それだけ?」


 僕は答えられなかった。


 朝倉さんは、僕を見た。


「もっと自分から言ってもいいんじゃない?」


「何をですか?」


「こうしてほしいとか、ここへ出してほしいとか」


 胸の奥が、少しだけ重くなった。


「……難しいです」


「何が?」


「自分の考えを言うことが」


 朝倉さんは、少し黙った。


「なんで?」


 僕は、足元のボールを見た。


「僕の考えが正しいとは限らないからです」


「でも、今まで結構いいパス出してたじゃん」


「それは……」


 言葉が止まる。


 自分でも、どう説明すればいいのか分からない。


「見えたから、出しているだけです」


「それって、十分じゃない?」


「分かりません」


 すぐに答えが出た。


「僕がそう思っただけなので」


 朝倉さんが、黙って僕を見る。


「もっとこうした方がいいと思っても、それを言うと、相手の考えを否定してしまうかもしれないです」


「……」


「僕より年上の人もいますし。僕より、このチームのことを知っている人もいます」


 自分で口にしていて、少し情けなくなる。


「そんな人たちに、僕がこうした方がいいと言っても……」


 そこから先が出てこなかった。


 僕は、自分の意見を言うことに、資格が必要だと思っているのかもしれない。


 上手くなければいけない。


 結果を出していなければいけない。


 誰かより価値がなければいけない。


 そうでなければ、自分の考えを伝えてはいけない。


 そんなふうに、どこかで思っている。


 その理由を考えると。


 やっぱり、あの日に行き着く。


 火事。


 炎。


 煙。


 逃げ遅れた僕。


 そして、死んだ両親。


 あの日のことは、今でも頭から消えない。


 僕がもっと早く逃げていたら。


 僕が別の行動をしていたら。


 何かが変わっていたのではないか。


 そんな考えが、今でもどこかに残っている。


 だから、自分の選択が怖い。


 ただ、自分自身についてのことなら、まだいい。


 自分でドリブルをする。


 自分でパスを出す。


 自分でシュートを打つ。


 失敗して、自分が傷つく。


 それなら、自分で受け止めればいい。


 ボールを失ったなら、自分で取り返せばいい。


 シュートを外したなら、次にまた打てばいい。


 僕自身に起きることなら、まだ耐えられる。


 でも


 自分の選択が、他人に関わることになると怖くなる。


 この人には、ここへ走ってもらった方がいい。


 この人には、こう動いてもらった方がいい。


 僕がそう決めて、相手に伝える。


 もし、その判断が間違っていたら。


 もし、僕の言葉で相手が苦しくなったら。


 もし、僕の選択によって、誰かが何かを失ったら。


 その結果を、僕は受け止められるのだろうか。


 そう考えてしまう。


 火事の日。


 自分のことだけなら、まだどうにかできたのかもしれない。


 でも、両親は違った。


 僕が逃げ遅れた。


 その結果として、両親が死んだ。


 その記憶があるから。


 誰かに関わることを、自分の意思だけで決めるのが怖い。


 相手が自分で選べるなら、その選択に合わせたい。


 相手が自分で決めたことなら、その結果を僕だけの責任にはしなくて済む。


 だから


 僕は相手に任せる。


 相手が走ったら、そこへ出す。


 相手が戻ったら、僕も戻る。


 相手が別の道を選んだら、その道を使う。


 その方が安全だと思う。


 少なくとも、僕が勝手に誰かを動かしてしまうことはない。


「……昔、少し怖いことがあって」


 僕は、それだけ言った。


 朝倉さんは、何も聞かなかった。


「そっか」


 それだけだった。


 しばらく、沈黙が続いた。


 遠くでは、まだ選手たちの声が聞こえる。


 ボールが芝を転がる音もする。


 夕方の風が、少し冷たかった。


「でもさ」


 朝倉さんが言った。


「今日、橘へのパスは結構すごかったよ」


「……そうですか?」


「うん。あのタイミングで、あそこへ出すのは難しいと思う」


「橘さんなら届くと思ったので」


「それって、湊がそう思ったから出したんでしょ?」


「……」


「だったら、言葉も同じじゃない?」


 僕は顔を上げた。


「自分がこうした方がいいと思ったなら、一度くらい言ってもいいんじゃない?」


 僕は、何も答えられなかった。


 朝倉さんは、それ以上何も言わずに帰っていった。


 僕は、その場に残った。


 言葉も同じ。


 その意味を、ずっと考えていた。


 僕は、ボールを蹴る。


 相手を見る。


 空間を見る。


 道が見える。


 そこへ出す。


 相手が来る。


 なら、別の道を探す。


 そうやって、サッカーの中では自分で道を作っている。


 銀雪の道も。


 真空の道も。


 普段のパスも。


 その瞬間に見えたものを、自分なりに繋いでいる。


 それが、たまたま上手くいくこともある。


 上手くいかないこともある。


 でも、試してみることはできる。


 だから、サッカーの中では、僕は何度でも考えられる。


 なのに


 それを「自分の考え」と言われると、急に分からなくなる。


 僕がそう思っただけ。


 僕にそう見えただけ。


 誰でも同じことを考えたかもしれない。


 たまたま上手くいっただけかもしれない。


 そんなふうに思ってしまう。


 僕は、ボールをゴール前に置いた。


 少し下がる。


 助走を取る。


 右足を振る。


 ボールがゴールへ飛ぶ。


 ネットが揺れた。


 入った。


 シュートは、できる。


 その瞬間に迷うことはなかった。


 ここへ打った方がいいと思ったから、打った。


 それだけだった。


 でも


 だからといって、自分がすごいとは思わない。


 打つべきだったから、打っただけだ。


 決まったなら、それでいい。


 外れたなら、それでも仕方がない。


 僕にとっては、そのくらいのことだった。


 もう1度、ボールを置く。


 今度は少し狙いを変える。


 シュート。


 ボールはポストをかすめて外れた。


 僕は、ボールを拾いに行った。


 失敗した。


 でも、僕自身が失敗しただけなら、それでいい。


 またやればいい。


 そう思える。


 なのに


 誰かに対して、自分の考えを使ってほしいと伝えることになると、同じようには考えられない。


 もし、その言葉で相手が間違えたら。


 もし、そのせいで相手が苦しくなったら。


 もし、僕の考えが誰かを壊すことになったら。


 そう考えてしまう。


 だから、言えない。


 翌日の練習。


 僕は、いつもより少し高い位置に立った。


 成瀬さんからボールが来る。


 受ける。


 前を見る。


 高瀬さんが中央にいる。


 朝倉さんが右。


 水野さんが外から上がっている。


 橘さんは、相手の最終ラインの前にいる。


 相手のボランチが僕へ寄ってきた。


 いつもなら、一度戻す。


 でも


 この日は、そのまま前へ持ち出した。


 1歩。


 2歩。


 相手が寄せてくる。


 僕は右へ持ち出す。


 相手が身体を向ける。


 その瞬間、左へ運ぶ。


 抜けた。


 前が開いた。


 高瀬さんが中央へ入っている。


 シュートも打てる。


 パスも出せる。


 僕はゴールを見た。


 ここなら、打てる。


 右足を振った。


 キーパーが弾く。


 こぼれ球が、高瀬さんの前へ転がった。


 高瀬さんが押し込む。


「ゴール!」


 声が響いた。


 僕は、その場に立っていた。


「今のいいぞ、湊!」


 成瀬さんが声をかけてくれた。


「ありがとうございます」


 高瀬さんが戻ってくる。


「助かった」


「いえ」


 僕は、それだけ答えた。


 自分が打ったことに、特別な感覚はなかった。


 打った方がいい。


 そう思ったから、打った。


 それだけだった。


 練習が止まったあと、橘さんが近づいてきた。


「湊」


「はい」


「今の、打ったのはいいと思う」


「ありがとうございます」


「お前、ちゃんと自分で判断できるじゃん」


 僕は少し黙った。


「……サッカーのことなら」


「サッカーのことなら?」


「……必要だと思えば、できます」


 橘さんは、僕を見る。


「じゃあ、何ができない?」


 僕は答えようとして、やめた。


 でも、橘さんは待っていた。


「……自分の考えを言うことです」


「なんで?」


「分かりません」


 嘘ではなかった。


 理由を全部、僕自身が説明できるわけではない。


 ただ。


 怖い。


 自分の考えを口にして、それによって誰かが動く。


 その結果が悪かったら。


 その責任を、僕が背負うことになる気がする。


 それが怖い。


「……僕が言う必要がないと思ってしまいます」


 そう言うと、橘さんは少しだけ眉を動かした。


「必要がない?」


「はい」


「でも、俺は言う方がいいと思うけどな」


「……」


「お前、周り見えてるだろ」


「見えているだけです」


「その見えているものを、俺たちが知らなきゃ意味ないだろ」


 返す言葉がなかった。


 橘さんは、それ以上言わなかった。


「じゃあ、次に思ったことがあったら言ってみろ」


「……努力します」


「努力じゃなくて、言え」


 それだけ言って、橘さんは戻っていった。


 僕は、その背中を見る。


 言え。


 簡単に聞こえる。


 でも


 僕には、それが難しい。


 帰り道、僕は1人で歩いていた。


 夕方の空を見上げる。


 あの日の炎とは違う空だった。


 何も燃えていない。


 何も崩れていない。


 ただ、空がある。


 僕は、自分の手を見る。


 今日も、この手でボールを触った。


 パスを出した。


 道を作った。


 シュートを打った。


 自分なりに考えて、試した。


 それでも


 僕は、自分に大きな価値があるとは思えない。


 サッカーができるからといって。


 何かが見えるからといって。


 それだけで、自分の意見に価値が生まれるわけではない。


 少なくとも、僕にはそう思えてしまう。


 僕が年上の人たちに何かを要求していい理由が分からない。


 僕が誰かの動きを決めていい理由も分からない。


 僕がこうした方がいいと言うことで、その人が困らないか。


 僕のせいで、その人が何かを失わないか。


 そればかり考えてしまう。


 火事があったあの日から。


 僕は、自分の価値を低く見てきた。


 自分が逃げ遅れた。


 その結果として、両親が死んだ。


 だから、僕が何かを選ぶことに、どこかで怯えている。


 自分が壊れるなら、まだいい。


 自分が傷つくなら、自分で受ければいい。


 でも、他人は駄目だ。


 他人まで壊してしまうかもしれないなら。


 最初から、自分が決めない方がいい。


 そう思ってしまう。


 だから、僕は黙る。


 相手が選ぶ。


 相手が動く。


 僕は、それに合わせる。


 それなら。


 少なくとも、自分のせいで誰かの何かが変わる可能性は低い。


 それが正しいことなのかは、分からない。


 ただ、僕には、それしかできなかった。


 僕は、しばらく歩いた。


 そして、ふと足を止める。


 明日。


 もし、また何かが見えたら。


 もし、この場所へボールを出してほしいと思ったら。


 もし、この選手にこう動いてほしいと思ったら。


 1度だけ。


 言ってみてもいいのかもしれない。


 正しいかどうかは、分からない。


 聞いてもらえるかどうかも、分からない。


 それでも


 何も言わなければ、僕が何を見ているのかは誰にも伝わらない。


 僕が何を考えているのかも、伝わらない。


 それは、確かだった。


 だから


 ほんの1回だけ。


 自分の考えを、言葉にしてみようと思った。


 自分が正しいからではない。


 自分に価値があると思えたからでもない。


 ただ。


 何も言わずにいることで、チームに伝わらないことがあるのなら。


 それだけは、少しだけ変えてみてもいいのかもしれない。


 僕は、また歩き出した。


 明日のことを考えながら。


 まだ、自分を信じることはできない。


 自分の価値を高く思うこともできない。


 それでも


 自分が見つけたものを、1度だけ誰かに伝える。


 そこからなら。


 何かが変わるのかもしれない。


 僕には、それくらいしか思えなかった。





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