第七章 言葉ある獅子(ジェナ=ファ=カカン) (2)
石の剣の王4 海があふれた日 第七章 言葉ある獅子(ジェナ=ファ=カカン) (2)をお届けします。
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あまりに突然すぎて、カナンはすぐには状況が理解出来なかった。
彼は掠れた声で呟いた。
「…………エイデン……? え………ほんとに………?」
「マルドラン!!」
エイデンが口を開くより先に、黒衣の後ろからジーヴァが勢いよく黒馬の背から飛び降りてきた。
一直線に、茫然と立ち尽くすカナンに駆け寄る。
そして、その勢いのまま、ジーヴァは思い切りカナンに抱きついた。
「良かった無事で!! 本当に良かった!! 何日もあちこち探し回ったのに全然見つけられなくて、他の奴らは『あの滝から落ちたらまず助からないし、死体も上がらない事が多いから、もう諦めた方がいい』などとふざけた事を言い出すし、正直私ももう駄目かと………!」
語尾は涙声だった。上げた顔も濡れていた。喜んでいるのか怒っているのかよくわからない表情だった。
「何やってんだよ! 無茶をするなよ! 私を庇って代わりに矢を受けるなんて! この大馬鹿が!」
「ご……ごめん。………痛っ!」
反射的に謝罪の言葉が出たカナンだったが、肩に走った激痛に思わず顔をしかめていた。
「あ! すまん!」
それを見たジーヴァが慌ててカナンから離れる。
「お前は怪我しているのに。大丈夫か?」
カナンは微笑んだ。
「大丈夫だよ。自分で手当てしたし。心配かけてごめん」
ジーヴァがこんなに動揺しているのも、泣き顔を見るのも、カナンは初めてだった。思い切り体当たりされたせいで肩の矢傷だけでなく体中あちこち痛んだが、そんな事はどうでもよかった。彼女をこんなにも心配させてしまった事を、カナンは激しく後悔した。
そして同時に、彼女が自分の事をこんなにも心配してくれていた事実が嬉しくもあった。
不謹慎だとは思ったけれど。
「ずいぶん下流まで流されたのだな」
ジーヴァに遅れて、パドーと同じように頭を垂れた黒馬の背から降りたエイデンが言った。
いつもと同じ冷静な口調だったが、言葉の端々には濃い安堵の色が滲んでいた。
「ジーヴァが『パドーの声が聞こえた』と言うので、もしかしたらと思い、こちらへ来てみたのだ。見つける事が出来て良かった」
カナンはパドーを振り返った。
「パドーが僕を川から引っ張り上げてくれたんだ」
かなり強引で、力任せだったけれど。
「そうだったのか!」
ジーヴァは破顔すると、先ほどカナンにやったように羽根食いの首をぎゅっと抱き締めた。
「お手柄だ、パドー! よくやった!」
カナンの気のせいかもしれないが、パドーの表情は誇らしげだった。ピンと垂直に立った尾もいつもより凛々しく見える。
「マルドランが川に落ちた夜からパドーの姿も見えなくなってしまって、その事も心配してい………え?」
おそらく、やっとカナンを見つける事が出来た嬉しさと興奮のあまり彼しか見えていなかったのだろう。ここでようやくジーヴァはジェナの存在に気付いたらしかった。
「ジ……ジェナ!?」
声が裏返る。
ジーヴァは慌てて地面に片膝をつくと、両手を胸の前で重ねて頭を下げた。
勢い良く膝をついたせいで、ベルトに吊るした飛び刃が大きな音を立てる。
「も、申し訳ありません! どうか無礼をお許し下さい!」
ジェナは寛容に笑った。
「構わぬ。行方知れずだった大切な者とようやく再会出来たのだ。周囲が見えなくなるほど喜ぶのは当然だ」
「感謝します……!」
「大切な者」というジェナの言葉にカナンは思わず赤面したが、ジーヴァはジェナに向かってさらに深く頭を下げただけだった。
気恥ずかしさを感じたのは自分だけなのか? とカナンは思ったが、よく見るとジーヴァの耳が少し赤い………ような気がする。
気恥ずかしさを誤魔化すように、カナンはエイデンに向かって尋ねた。
「そ……それより、エイデンはどうしてここに? 僕が〈石の鎖の庭〉にいるって、貴方はどうやって知ったの?」
「君とラーキンがガラハイド国領主邸から姿を消したあの夜、シャンデリアを落とし近衛騎士たちを襲った武器は飛び刃だとすぐにわかった。あれは独特な音がするからな。ナイヴァルとシャリマーがラーキンの危機を察し、彼を助けにきたのだろうと、そう考えたのだ。そして、状況から君も一緒に逃げたのだろうと。ならば、行き先は〈石の鎖の庭〉しかない」
淡々とした口調で理路整然と語るエイデンに、カナンは心底感心した。
「すごいな。全部その通りだよ」
さすがはエイデンだ。何もかもお見通しである。
「ナイヴァルたちと一緒なら、君もラーキンも大丈夫だと思った。何故君たちを探しに行かないのだと、サザーはかなり怒っていたがね。殴られるかと思った」
「ほんとに?」
いささか物騒な話だが、スヴェアらしいと言えなくはない。
カナンは微笑んだ。
「いい人だよね、スヴェアって。とても頼りになるし」
カナンたちが突然姿を消してしまって、スヴェアはさぞや心配した事だろう。
次に会えた時は彼にちゃんと謝らないと。
カナンはそう思った。
「………では、我はもう行くとしよう」
ジェナが体の向きを変えた。
「無事に彼らと合流出来て良かったな、ワクトーの孫」
カナンは頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
ジェナはカナンからエイデンに視線を移すと、全ての獣がひれ伏す王らしい厳かな口調で告げた。
「カナンがお前に尋ねたい事があるそうだ、エイデン=イグリット。偽りなく、正直に答えてやるがいい」
そう言い残し、巨大な青白い獅子は現れた時と同様、悠然とした足取りで再び白い岩の中へと消えていった。
カナンは深く息を吐き出した。ジェナと対峙した緊張のあまり、我知らず体に力が入っていた事に気付く。
まさに「獣の王」と呼ぶに相応しい、神々しく威厳に満ちた、並ぶ者なき存在だった。
「尋ねたい事とは?」
ジェナが消えた白い岩を見つめるカナンに、エイデンが聞いてきた。
「うん。ええと………」
カナンは口ごもった。ちらとジーヴァの方を見やる。
カナンは小声で囁いた。
「その………ジーヴァは、貴方の昔の事は知ってるの?」
エイデンが実は七賢者イル=ファン=イア本人であり、そしてかつて〈海の九王国〉の魔王の一人であったという事を。
カナンの言う「昔」が何を指しているのかすぐにわかったエイデンは、一瞬だけ間を置いてから答えた。
「………いや」
「それじゃ後でいいよ。周りに人がいない時に。聞きたいのは七十……昔、貴方とじいちゃんの間に何があったのか、だから」
エイデンは微かに目をみひらいた。
ひとつ、息を吐く。
まるで、カナンがそう問うてくる事をずっと待っていたかのように。
覚悟していたかのように。
エイデンは闇色の目を伏せた。
「……………わかった」
「私が何だって!?」
自分の名を聞き咎めたらしく、パドーの側にいたジーヴァが聞いてきた。
地獄耳だなと思いながら、カナンはやや大きな声で答えた。
「何でもない!」
エイデンは束の間カナンの顔を見つめた後、ジーヴァを振り返った。
「ジーヴァ、君は先にパッサに戻れ」
ジーヴァは露骨に不満げな顔をした。
「え? 何で?」
「羽根食いは私の馬より足が早い。跳躍力も。ひと足先にパッサに戻り、ラーキンやナイヴァルにカナンを無事見つけたと知らせて欲しいのだ。彼らもとても心配していたからな、一刻も早く安心させてやった方がいい」
「なるほど。そういう事か」
ジーヴァは納得したように頷いた。
「わかった。じゃあ私は先に戻る事にする。また後でな、マルドラン。寄り道するなよ。………行くぞ、パドー」
ジーヴァはパドーにひらりと跨ると、あっという間に駆けていった。
鞍がないのはいつもの事だが、今回は手綱も付けていないのに、どうしてあんなふうに自在に乗りこなせるのだろう? と、カナンは驚き呆れつつも感心した。
茂みをかき分け岩を飛び越え駆けていく羽根食いの蹄の音は瞬く間に遠ざかり、辺りには鳥のさえずりだけが残った。
エイデンは改めて上から下までカナンを見た。
「本当に、君が無事でよかった」
心の底から安堵しているとわかる、しみじみとした口調だった。
「ナイヴァルならばおそらく君たちをパッサに連れて行くだろうと当たりを付けて来てみたら、君が川に落ち行方不明だと聞かされた。下流の滝の事は知っていたから、そう聞かされた時は肝が冷えたよ。捜索しているという事だったので、私もそれに加わったのだ」
「そうだったんだ………心配かけてごめん」
「謝る必要はない。………何だ?」
カナンが小さく吹き出したのを見て、エイデンは訝しげに眉をひそめた。
カナンは懐かしさと可笑しさ半々の表情で答えた。
「ううん。ただ、その言い回しを聞くのは久し振りだなって」
「言い回し?」
「『必要ない』」
カナンはクスクス笑った。
「貴方の口癖だよね。自分では気付いてないかもしれないけど」
エイデンの反応から、カナンは彼が自分の口癖に全く気付いていないのだとわかった。
プレストウィック国の路地裏でも、初対面のスヴェアに向かってエイデンはそう言い放った。エイデンの性格からしてそんな意図はなかったのだろうが、まるでスヴェアを小馬鹿にして挑発するかのような冷たい物言いに、カナンは驚いたものだ。
あの時のスヴェア、めちゃくちゃ怒ってたっけ………。
懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
あれからもう五ヶ月近く経つのか。
まるで何年も前の出来事のようだ。
「…………カナン」
しかし、次にエイデンが告げた言葉に、カナンは言葉を失った。
「君に知らせなければならない事がある。………レディ・マリエルが死んだ」
*
まるで顔面を拳で殴られたようだった。
頭の中が真っ白になり、カナンはエイデンが何と言ったのか理解するのにしばらくかかった。
「…………嘘………」
ようやく発した声は激しくうろたえ、うわずり、掠れていた。口の中がカラカラに乾き、うまく息を吸う事すら出来ない。
「そんな………ほんとに……? あのまま……目を覚まさないまま………?」
「いや。目は覚ました」
エイデンは頭を横に振った。
重々しく、痛ましげに。
彼にとっても非常にショックな出来事だったという事がありありと見て取れた。
「君がいなくなってから、ほどなくして」
「それじゃあ、何故………」
「彼女は聖王ウィーアードに謁見する為に赴いた王宮内で、何者かに刺された。………君にこんな知らせを告げねばならないとは。本当に残念だ」
「そんな………」
カナンは愕然とした。
信じられなかった。
マリエルが死んだ?
しかも王宮の中で刺されて?
どうしてそんな事が起きるのだ? 王宮は水晶騎士団が厳重に警備しているのではなかったのか? ………そう、あのトロイ率いる水晶騎士団第二師団が……!
カナンは震える手で口元を覆った。
眩暈がした。足元がふらついて、自分がちゃんと地面を踏み立っているのかすらわからない。
「…………まさか………そんな事………」
とても現実とは思えなかった。悪い夢を見ているようだ。ガラハイド国攻防戦でのソーンの死に様を何度も繰り返し見せられた、あの忌まわしく恐ろしい悪夢のように。
「…………でも……一体誰が………? 側に護衛の騎士は誰もいなかったの? スヴェアは? 彼はいつもレディ・マリエルの側にいたはずじゃあ………」
「むろん、その時もサザーともう一人の騎士が彼女の護衛についていた。だが、人払いを指示された為、彼らは部屋の外に出ていた。異変に気付いた彼らが駆けつけた時には、すでに彼女は血を流し床に倒れていたそうだ」
カナンは眉をひそめた。
「人払いをさせたって………誰がそんな事を?」
「レクサ王女だ」
「レクサ王女が!?」
思わず聞き返す。
エイデンは頷いた。
「ああ。人目を憚る重要な話だからと、レディ・マリエルを呼びに来た王女の側仕えの女官がそう告げたらしい。王女の命では、サザーたちも従う他なかったのだろう。………だが、レクサ王女によると、王女はレディ・マリエルを呼ぶよう命じた覚えはないそうだ」
「!? どういう事!?」
エイデンは浅く息をついた。
カナンと同様、彼も困惑しているように見えた。
「それに、その側仕えの女官……レディ・イヴァンカによると、彼女はレクサ王女から直接その命を受けたわけではないらしい。別の側仕えの女官から『王女にレディ・マリエルを呼ぶよう仰せつかったが、自分は兄が危篤になったとの知らせが届いた為、大至急故国に戻らねばならないから』と、代わりを頼まれたそうだ」
年は下だが王女の側仕えとしては先輩にあたる女官からの頼みだった事もあり、イヴァンカは承知したという。
王女からの命を他の者に頼むなど、よく考えればおかしいと気付けたはずなのにと、イヴァンカは涙ながらにそう証言した。マリエルの死を知らされた彼女は、ショックのあまりその場で失神してしまったという。「こんな事になるなんて」と、何度もうわ言を口走っていたらしい。
無理もない。故意ではないとは言え、結果的に世継ぎの王女の言葉を偽った事になるのだ。ビスズ=アンダーレイのように、反逆の罪に問われ一族全員処刑されてもおかしくない。
そして、イヴァンカに偽りの王女の命を伝えた件の側仕えの女官は、王宮から逃亡を図って故国へ馬車を走らせていたところをトロイの部下によって拘束された。
その女官の名はパセアナ=フィオーラ=アゲイド。オルデン国公子エタニエルに同調し進軍を開始した、カルデナン国の准貴族の娘である。
エイデンの説明を茫然とした面持ちで聞いていたカナンは、ふいにハッとした。
「スヴェアは………彼は大丈夫?」
返ってきた答えはカナンの予想通りだった。
「打ちひしがれている。レディ・マリエルの護衛についていながら彼女を護れなかった、自分は騎士失格だと後悔の言葉を口にし、ひどく悲嘆にくれている。あんなサザーを見たのは初めてだ。もしかしたら、彼は騎士を辞めるかもしれない」
「そんな……! だって、レディ・マリエルの側を離れたのは仕方がなかったんだし………!」
「それが気休めになると思うか?」
カナンは唇を噛んだ。
「…………ううん」
両親の墓参りに行ったマリエルが倒れた時もそうだった。側にいながら何も出来なかったと、スヴェアはひどく自分を責めていた。
しかし、今回の彼の嘆きと後悔はあの時とは比べ物にならないに違いない。「ひと目見てわかった。俺はあの方の為に存在しているのだと」などと熱く語るほど心の底から心酔し、固い忠誠と深い献身を捧げていた女性を目の前で失ったのだから。
突然、大切な人を………愛する者を目の前で失う。
そんな悲惨な事が他にあるだろうか?
カナンが最後にマリエルを見たのは、ベッドに横たわり昏々と眠る姿だった。目を閉じ、ピクリとも動かず、血の気が失せた紙のような顔色の。芯まで冷たい真っ白な石の彫像のように。長い髪は侍女の手で丁寧に梳られ、金色に輝く滝のように枕の上に流れ落ちていた。
その様は儚げで、今にも消え入りそうだった。
あの姿が最後になるなんて。
カナンの両目から涙がこぼれた。
またいつか会えたらいいなと思っていた。縁があればきっとまた会えるだろうと。
そんな事わからないのに。
もう二度と、あの慈愛に満ちた優しい微笑みを見る事は出来ない。
あのまるで水晶が奏でる歌声のような穏やかで美しい声も聞けない。
彼女は逝ってしまったのだ。
永遠に。
別れの言葉も告げられぬまま。
「…………行こう、カナン」
革手袋をはめた手がそっとカナンの肩に置かれた。
涙で汚れた少年の顔を見つめながら、エイデンは静かに言った。
「そして、君の質問にも答えよう。七十年前、私とワクトーの間に何があったのかを。私がワクトーに何をしたのかを。偽らず、ごまかさず、正直に答えよう。それに相応しい場所で」
カナンは首をかしげた。
「『相応しい場所』って………パッサに戻らないの?」
ジーヴァには「寄り道するな」と言われたのに?
「パッサへ戻る途中にある。おそらくジーヴァはそこは避け、他の道を通るだろうが」
エイデンは彼方に広がる白い岩山の連なりに目をやると、達観したようなどこか遠い声音で続けた。
「……………君が〈石の鎖の庭〉に来たのも、そして、この人が吐く穢れを浄化する地の水晶で満たされた泉のある神聖な〈加護の授〉の地で私が君と再会したのも、きっと意味があるのだろう」
ガラハイド国領主邸でシャリマーが告げた予言の通り、過去が姿を現わすのだ。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
今回は少し短めです。すみません。
7章かかってやっとカナンとエイデンが合流しました。長かった(笑)
エイデンの口癖「必要ない」。あれを(悪党キャラの)スヴェアに言い放させたくてエイデンのキャラ設定が出来上がったようなものなので(笑)
それにしても、スヴェアの嘆き悲しむ演技はうまくいっているようです。
次回も引き続きお読み頂けますと嬉しいです。
ではまた。




