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石の剣の王4 海があふれた日  作者: 水崎芳
第五章 謁 見
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第五章 謁  見

石の剣の王4 海があふれた日 第五章 謁見 をお届けします。

最後までお読み頂けますと嬉しいです。

    第五章 謁  見


「ガラハイド国領主クレメンツ=ハーディ公、並びに予言者レディ・マリエル=サンデバルト様、お見えにございます!」

 独特な韻を踏んだ口上と共に重厚な両開きの正面扉が開いた。

 マリエルとクレメンツは恭しく一礼した後、中に足を踏み入れた。

 そこは〈聖王の間〉と呼ばれる大広間だった。初代聖王〈双子王〉の輝かしき御世以来六千年、代々の聖王だけが坐する事を許された神聖にして至高の王座・双(ふた)つ玉座がある、水晶王宮で最も広い大広間だ。数々の公式行事が執り行われる格式高い場であり、また聖王が臣民に謁見する厳粛な場でもある。

 左右にずらりと居並ぶ近衛騎士たちの表情も厳めしい。

 平民の出であるマリエルにとっては、もちろん生まれて初めて足を踏み入れる場所だった。

 王都に住んでいた子供の頃は、小高い丘の上にまるで白亜の巨人のごとくそびえ立つ水晶王宮を毎日のように眺め上げていたが、もちろん王宮内に立ち入った事などない。

 それが………まさか双つ玉座の前に立つ日が来ようとは。

 思いもよらぬ運命の悪戯に、マリエルはひどく緊張していた。

 決して粗相のないようにしなければならない。万一、そんな事になれば厳しい罰が待っているだろうし、クレメンツにも恥をかかせてしまう。

 〈聖王の間〉の左右の壁には、まるで双つ玉座に傅(かしず)くようにそれぞれ二十二個ずつ紋章が刻まれていた。〈双子王〉に仕えた四十四人の騎士………後の正貴族(サストン)四十四家の紋章だ。紋章の中にはガラハイド国のトネリコと乙女と猟犬の紋章もある。

 そして、削られ消された紋章もあった。三千年前に起きたエギンテの反乱で、聖王に反旗を翻し滅ぼされた六つの正貴族(サストン)の紋章だ。愚かしくも聖王に反逆した者の末路をさらすかのように、且つあの忌まわしき負の歴史を忘れてはならぬという〈麗明王〉グナワルダの遺言によって、粗く削られた無残な跡はわざとそのままにされている。

 左右から正貴族(サストン)の紋章に見守られながら、正面扉から真っすぐ………数段高い位置に並ぶふたつの玉座に向かって、マリエルとクレメンツは粛々と進んだ。長く床にあったせいでやや足元がおぼつかないマリエルを、傍らのクレメンツがさり気なく支えてくれている。

 そんなクレメンツの気遣いがマリエルには頼もしく、心強かった。

 双つ玉座の前まで来たマリエルとクレメンツは、王宮儀礼に則り恭しく頭(こうべ)を垂れ臣下の礼を取った。

「聖王陛下におかれましては、拝謁のお許しを賜り、誠に恐悦至極にございます」

 深々と頭を垂れたまま、クレメンツが口上を述べる。

「顔を上げよ」

 重々しくはあったがどこか投げやりな声が放たれ、マリエルとクレメンツは顔を上げた。

 黄金と翡翠の装飾が美しい双つ玉座の背後の壁には、聖王シーグリエン家の巨大な紋章の彫刻が掛けられていた。そして、その両脇には〈双子王〉ディアティス・ディアドラ両王の肖像画。聖王が同性の双子である場合は特に定まってはいないが、伝統的に聖王が男性の場合はディアティスの、女性である場合はディアドラの肖像画側の玉座に座る。

 そして今、顔を上げたマリエルとクレメンツの目の前には、ディアティスの肖像画側の玉座に一人の男が座っていた。

 長い昏睡から目覚めたばかりのマリエルよりもさらに顔色が悪い男だった。見るからに不機嫌そうで、そして疲れ切って見える。直前まで酒を飲んでいたのだろうか? マリエルが立っている位置にまで酒の臭いが漂っていた。頭上に頂く王冠も、胸で燦然と輝く太陽を象った黄金と金剛石(ダイヤモンド)の胸飾りも、シロテンの毛皮で縁取られた豪華な真紅の儀礼用マントも、どこか違和感めいて空々しい。体をやや傾けて背もたれに寄り掛かり、片方の腕を肘掛けに置いている。気難しげに深く眉間に皺を刻み、唇を真一文字に引き結び、両眼は落ち着きがない。背後の壁の紋章と同じ意匠の大きな指輪をはめた手が小刻みに震えていたが、苛立ちのせいか酒の影響かはわからない。

 マリエルはごくりと息を飲み込んだ。

 この御方が………聖王ウィーアード陛下。

 〈地の民〉唯一の王にして、天空・大地・大海の三世界のうちのひとつを支配する者。

 ウィーアードが座る双つ玉座の壇の両脇には、煌びやかな正装に身を包んだ数人の男女がいた。

 そのうちの一人………琥珀色の瞳のうら若き気品溢れる女性の顔を見たマリエルはほんの一瞬だけ目をみひらいたが、すぐに表情を改めウィーアードに視線を戻した。

「それで、オルデン・カルデナン両国の騎士団はいつ王都にやって来るのだ!?」

 ウィーアードの第一声はヒステリックで、ほぼ喚き声に近かった。

 マリエルは困惑して眉をひそめた。

「オルデン国とカルデナン国………でございますか?」

「そうだ!! そなたは『王宮の未来に関わる重要な予言を視た』のであろう!? エタニエルの若造め、わしがあやつの父親から領主の座を取り上げた事を逆恨みし、騎士団を動かしたのだ! あやつの母親の実家カルデナン国までもが、愚かにもそれに迎合しおった。母子揃って、正当な理由でナサニエルを罰したわしを害するつもりなのだ!!」

 双つ玉座の下に控える恰幅の良い貴族がウィーアードを宥めるように言った。

「陛下、その件につきましては、まだ王宮の外部には………」

 クレメンツが小声でマリエルに告げた。

「あれは宰相ワーテワン閣下だ。先ほど君が見ていた、五人の女官を従えた琥珀色の瞳の御方がレクサ=アナ王女。王女の下座にいるのは、水晶騎士団総騎士団長アステランザ殿と、近衛騎士団長ウォルフォ殿。つまり水晶騎士団のトップとナンバー2だね。どちらも正貴族(サストン)の出だ。そして………宰相閣下の隣りの、陛下に最も近い位置にいるのが〈黒蘭の君〉……妾妃(アドアディナ)レディ・プルーデンスだ」

「あの方が………」

 マリエルは黒と深い紫色のドレスをまとった妖艶な貴婦人を見やった。まるでその場にいる者全員に彼女の地位をひけらかすように、金剛石(ダイヤモンド)と白金(プラチナ)の帯飾りが燦然と輝いている。古宝飾(アンティーク)と思しき大粒の真珠の耳飾りと櫛が彼女の白い肌と黒髪によく映える。胸元と髪がキラキラと輝いているのは金粉を吹きかけているせいだ。長い睫毛に縁取られた瞳は神秘の魔力を秘めた緑玉(エメラルド)のよう。口元にうっすらと刻まれた微笑みは甘く蕩けるようでありながら神々しく、そして絶対的な自信に満ちている。

 だが、そのもはや人とは思えぬほどの妖艶な美貌よりも、プルーデンスの立ち位置の方にマリエルは驚いていた。本来、その位置には王族か、聖王の代理人たる宰相が立つはずだったからだ。

 心なしかレクサやワーテワンの表情が硬いのも、そのせいなのかもしれない。

 しかし、今のマリエルには王宮内の権力図よりもはるかに重大な事があった。

「………恐れながら、陛下」

 ウィーアードの顔を真っすぐ見上げ、マリエルは厳かに切り出した。

「わたくしが啓示を受けましたのは、オルデン・カルデナン両国に関するものではありません。白銀の大鷲がこの水晶王宮に飛来する予言でございます。全てが暗闇に沈む中、水晶王宮は廃墟と化し、〈境界の地の水晶(シーグリエン)〉の塔も無残に溶け崩れておりました。そして………」

 一面の血の海に浮かぶ無数の骸。

 その只中に立つ人物。

 マリエルは一瞬だけ躊躇うように言い淀んだ。

「………そして、見渡す限り、無数の人々が斃れ、息絶えておりました」

「!!」

 マリエルがそう告げた瞬間、まるで稲妻に打たれたかのように〈聖王の間〉の空気が一変した。

 マリエルは硬い表情で続けた。

「わたくし共予言者の間では、白銀の大鷲は〈天の民〉を表わすとされております。七十年前の〈天の民〉来襲の折も、聖女ロザリンド=アンダーレイがこの白銀の大鷲の啓示を受けました。そして、崩壊する〈境界の地の水晶(シーグリエン)〉の塔の啓示は、聖王シーグリエン家の危機を表わす凶兆でございます。かの大予言者カラグロワが〈双子王〉ディアティス陛下の死を予言した時も、〈境界の地の水晶(シーグリエン)〉の塔が崩れる啓示(さま)を視たと伝えられております。………陛下、遠からず〈天の民〉の翼と剣が王都に………水晶王宮に届くでしょう。王都は〈天の民〉軍によって蹂躙され、多くの民が命を奪われ、水晶王宮は陥落します。そのような凶事は何としても防がねばなりません。この予言を覆す為に、陛下におかれましては何卒早急にご英断賜りますことを」

 マリエルの奏上を継ぐように、クレメンツが真剣な面持ちで言った。

「陛下、事態は一刻を争います。僭越ながら、マリエルも申し上げました通り、この予言を覆す為直ちに〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉へ………〈獣使い〉の一族のもとへ水晶騎士団を援軍に出し、〈天の民〉の王都到達を阻止すべきと考えます」

 ワーテワンが冷たく言い放った。

「それは陛下がお決めになる事だ」

 その口調と表情は「出しゃばった事を申すな」と言わんばかりだったが、同時に隠し切れぬ動揺が混じっていた。

「王宮の政(まつりごと)ぞ。公が口出しする事ではない。慎まれよ。…………陛下、王命を賜りたく、どうかご指示を」

 その場にいる者全員の視線が、双つ玉座に座る男に注がれる。

「…………何たる事………!!」

 ウィーアードは声を震わせた。

 ………いや、ブルブルと全身を。

 歯がカタカタと鳴る音が、マリエルの耳にもはっきりと聞こえた。

 ウィーアードは双つ玉座の上で身をよじらせた。

「何たる事だ……! では、間もなくここに〈天の民〉の大軍が押し寄せてくると申すのか!? 〈獣使い〉の一族は〈天の民〉に敗れるのか!? ………アステランザ! 貴様、彼奴らに戦わせておけば王都も王宮も安泰だと申しておったではないか!!」

 胸にずらりと勲章が並ぶ華麗な純白の制服に身を包んだ痩躯を折り曲げ、アステランザはぴったりと撫でつけ梳(くしけず)った白髪頭を深々と下げた。

「〈獣使い〉の一族は〈氷雪王〉サローエン陛下のお慈悲によって生き永らえた身。その恩に報いる為の〈盾の誓い〉でございますれば、彼らには身命を以て陛下の盾となる義務がございます」

「だがこの予言者(女)は〈天の民〉が王都に押し寄せると申しておるぞ! 何が〈盾の誓い〉だ! おかしな武器と獣(けだもの)を操るだけの役立たず共め! ………ワーテワン!」

「はい、陛下」

「わしはディアドラ系譜図書館へ参るぞ! もちろんプルーデンスも連れていく!」

 ワーテワンはポカンとした。

「…………は?」

「何だその阿呆面(あほうづら)は。エギンテの反乱の折も、時の聖王カレンザーグはディアドラ系譜図書館に避難したではないか!」

「し、しかし………」

 口ごもるワーテワンに代わって、聖王を護る任の責任者であるウォルフォが進み出た。

「恐れながら、陛下、〈天の民〉の兵は巨大な鷲を駆り空から襲って参ります。ディアドラ系譜図書館には空からの攻撃に対する備えはございません」

「ではどこならば良いと申すか!?」

 ウィーアードは唾を飛ばして喚き散らした。

「物知り顔で知ったふうな口を叩きおって! 厳重に監視しておったはずのナサニエルにはまんまと逃げられるわ、反逆者アンダーレイの血を引く者は捕らえ損ねるわ、失態ばかり重ねる無能者め! 貴様のその純白の制服と『忠誠と献身』と刻まれた腰の剣はただのお飾りか!?」

「……………申し訳ございませぬ」

 ウォルフォは深々と頭を下げた。こめかみを引き攣らせ、歯を食いしばって。

 確かにこのところ失態続きの近衛騎士団だが、他の臣下もいる前でこうまで激しく罵倒しなくても……と、マリエルは内心ウォルフォに同情した。

 居並び控える他の近衛騎士たちも、こみ上げる感情を必死に抑え込んでいるように見える。

 主君の罵声に耐えるウォルフォを横目で見ながら、アステランザが口を開いた。

「ナサニエル公は気鬱と称して領主邸の自室に引きこもり、何日も姿を見せなかったとか。それで逃亡の発覚が遅れたのでございます。今にして思えば、それも監視の目を欺き逃亡を図る為の仮病であったかと。反逆者アンダーレイの血を引く者に関しましては、思いもよらぬ奇襲を受けたがゆえに捕らえ損ねたのでございます」

「ふん! 言い訳ばかり達者よの」

 ウィーアードが王位に就いて以来、ずっと今の地位にある為もう慣れてしまっているのか、アステランザは鉄面皮を保ったまま表情一つ変えず主君の嫌味をさらりと受け流した。

「逃亡した罪人共につきましては、現在鋭意捜索中でございます。どうか今しばらくお待ち頂きますよう。このウォルフォも、近衛騎士団の名誉にかけて今度こそ陛下の期待に応える所存。…………ところで、話は変わりますが、陛下」

 アステランザは一拍置いてから続けた。

「ディアドラ系譜図書館に代わる陛下のご避難先として、ひとつご提案が」

「何だと? どこだ?」

 アステランザはちらとレクサに視線をやってから答えた。

「王領シリュンタハナでございます」

「シリュンタハナ?」

「御意。地の水晶の最大の産出地として知られる、亡きカサンタル王妃のご実家オルトー家が管理する王領です。確か、かの地には古い水晶鉱山跡を利用した要塞があったと記憶しております。かなり昔に造られたものですが、坑道奥の洞窟内に築かれておりますゆえ、空からの攻撃には鉄壁かと」

 ウィーアードは掌で玉座の肘掛けを打った。

「それは良い! 王領には水晶騎士団も常駐しておる。失態続きの近衛騎士団よりよほど役に立つやもしれぬな! オルトー家の者は陰気で退屈な者ばかりだが、プルーデンスがおれば古めかしい要塞も華やかな仮の王宮に生まれ変わる事であろう。………のう、プルーデンス?」

 双つ玉座から身を乗り出し手を差し伸べるウィーアードに向かって、プルーデンスは嫣然と微笑んだ。

「陛下のおわすところ、すべからく神聖荘厳なる王の宮でございます」

「…………王都はどうなさるのですか?」

 その場にいる他の者など全く目に入らぬかのように寵愛する妾妃(アドアディナ)と甘ったるい視線を搦め合うウィーアードに向かって、静かな問いが発せられた。

「王都に住まう臣民たちは、どうなさるのですか?」

 問うたのはレクサだった。

 その声音は静謐で、落ち着き払っていたが、琥珀色の瞳には音もなく燃える炎のような静かな怒りが滲んでいた。

 敏感にレクサの怒りを感じ取ったのか、彼女の後ろに控える五人の側仕えの女官たちが青い顔で固唾を飲んでいる。

 ウィーアードは忌々しげにレクサを睨みつけた。

「王都は水晶騎士団が護ればよい。そなたにべったりのトロイ率いる第二師団を始めとして、王都には複数の師団が常駐しておるではないか。それに今、王都中の貴族や商人共から海水を詰めた硝子工芸品を供出させておる。他にも、特別な許可を与えた者たちを大海へ遣わし、海水を汲み上げさせておる最中だ。それを使えばよい」

 クレメンツが驚いたように尋ねた。

「海水を………でございますか?」

「左様」

 アステランザが頷く。

「貴国がガラハイド国攻防戦にて用いたものです。ヨモギの煙幕と同様、海水は〈天の民〉に対し効果覿面(てきめん)であったのでしょう? 公から王宮へ提出された報告書にそうありましたぞ。我が水晶騎士団は何十機ものポッツの腕(投射機のこと)を保有している。〈天の民〉の兵共に豪雨のごとく海水を浴びせかけてやりましょうぞ」

「確かに効果は絶大ではありましたが…………」

 クレメンツは言葉を濁らせた。

「しかし、我が国が使用したのはポッツの腕の投擲一回分だけです。海水は天の水晶を一瞬で蒸発させるほどの非常に濃い穢れを有すもの、それを王都で大量に撒き散らすというのは………」

「己は使っておきながら、今更何を仰るか」

 アステランザは小馬鹿にしたような口調で言った。

「それとも、貴国ならば適切に扱えるが、我ら水晶騎士団には無理だとでも? 大した自信ですな、クレメンツ公。さすがは〈救国公〉と呼ばれるだけの事はある」

「そうは言っていない」

「言葉が過ぎるぞ、アステランザ」

 にわかに不穏な空気になったクレメンツとアステランザの間に、ワーテワンが割って入った。

「身の程をわきまえよ。そなたもクレメンツ公と同じく正貴族(サストン)ではあるが、そなたは領地も領主の座も継げぬ第三公子、故国では大甥である現領主の臣下に過ぎぬ。今の物言いは、一国の領主であるクレメンツ公に対し無礼であるぞ」

 故国での己の立場を改めて思い知らせるようなワーテワンの容赦ない言葉に、アステランザは一瞬頬を引き攣らせた。

 しかし、彼はすぐに感情を押し殺すと、勲章が輝く胸に片手を当て慇懃に頭を下げた。

「…………失礼致しました。どうかお許しを、宰相閣下。クレメンツ公」

 一見素直に謝罪したように見えたアステランザだったが、彼が口の中で「侍女の息子風情が」と吐き捨てたのを、マリエルは彼の唇の動きから目ざとく気付いていた。ガラハイド国でも、クレメンツの家臣の貴族たちがよくそう陰口を叩いているのを何度も見聞きしてきたからだ。中にはわざとクレメンツに聞こえるよう吐き捨てる者もいた。

 「事実なのだから仕方ない」と、クレメンツは笑っていたけれど。

 今のアステランザの嘲りの独語に、クレメンツは気付いたろうか?

 マリエルはそっとクレメンツの顔を見やったが、物静かで柔和な横顔はいつも通りで、彼の心の内は推し量れなかった。

「他に何か予言は?」

 ウィーアードの問いに、マリエルはハッと双つ玉座に視線を戻した。

 彼女は頭を下げた。

「いえ。ございません」

「まことか? こちらに向かっておるオルデン国とカルデナン国の騎士団については?」

「陛下、彼らが王都に向かって進軍しているとはまだはっきりとは………」

「黙れ!」

 一喝され、ワーテワンが押し黙る。

 頭を下げたままマリエルは答えた。

「それにつきましては何も」

「不吉な予言をほざいておいて、肝心のわしが一番知りたい事は何もわからぬと申すか。これだから予言者などあてにならぬのだ。ウィメスの時もそうであった」

 マリエルは横でクレメンツが身を固くした気配を感じた。ウィーアードの彼女への侮辱の言葉に対する反応だろう。

 マリエルはさらに深く頭を下げた。

「陛下のご期待に沿えず、誠に申し訳ございません」

 ウィーアードは「ではこれ以上は時間の無駄だ」と言わんばかりに、蝿でも追い払うようにぞんざいに片手を払った。

「ならばもう予言者(そなた)に用はない。下がれ」

「御意」

 従順に頭を垂れたマリエルとクレメンツに、ワーテワンが重々しい口調で言い渡した。

「言うまでもなかろうが、両名とも今の謁見の内容については他言無用ぞ。特にレディ・マリエル、そなたには先ほど陛下に奏上した不吉極まる予言を人前で口にせぬよう、厳に命ずる。万一、そなたの予言が王都の住民に知れ渡ればパニックが起きる。それは避けねばならぬ」

「心得ましてございます」

「それでは、これにて御前を辞させて頂きます」

 威厳を保ちつつも神妙な口調でクレメンツが言った。

「聖王陛下におかれましては、この神聖至高なる〈聖王の間〉にて慈悲深くも我らに拝謁の栄誉を賜りましたこと、重ねて深く感謝申し上げます。………………陛下に永久(とことわ)の勝利と栄光が齎(もたらさ)されんことを。心からの忠誠と献身を捧げ申し上げます」

 最後にもう一度丁寧に臣下の礼を取り、マリエルとクレメンツは〈聖王の間〉を辞した。

 扉が閉まる寸前、何事か言い募るワーテワンやレクサを無視して、

「サシャ離宮に戻るぞ、プルーデンス!」

 と言い放つウィーアードの声が聞こえた。

         *

 〈聖王の間〉に続く控えの間では、スヴェアら数名のガラハイド国の騎士たちが二人の謁見が終わるのを待っていた。神聖な〈聖王の間〉には王族の護衛………つまり近衛騎士と水晶騎士団第二師団の騎士以外の騎士(もの)は立ち入れない決まりだからだ。

「ご首尾のほどはいかがでしたか?」

 戻ってきたマリエルとクレメンツに、開口一番スヴェアが尋ねてきた。

「予言者としてわたくしに出来る事は全てやりました。あとは陛下の御心次第………」

 マリエルは憂いに語尾を曇らせた。

 自分がもたらした予言によって、ウィーアードがあんな事を言い出すとは考えもしなかった。

 まさか、王都の臣民を見捨て王都から逃げ出すなどとは。

 王都の破滅という恐ろしい予言を覆す為に、〈獣使い〉の一族へ直ちに援軍を送ってくれると思っていた。水晶騎士団を〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉へ向かわせ、そして各国の領主に自国の騎士団を派遣するよう王命を発する、と。

 七十年前、〈勝利王〉オニールがそうしたように。

 援軍派遣反対派である宰相ワーテワンや水晶騎士団総騎士団長アステランザも、あの予言を聞いた後ならば賛成に転じるだろうと期待していた。

 しかし、結果は全く違った。

 それどころか、自分のもたらした予言のせいで、返って最悪の方向に向かってしまったのではないだろうか?

 ウィーアードに謁見した事自体、誤りだったのでは?

 ウィーアードとの謁見が終わった今、マリエルの胸中には激しい後悔の念しかなかった。

「疲れたのかい?」

 クレメンツが顔を覗き込んできた。

「大丈夫ですか、レディ・マリエル?」

 スヴェアも心配そうに問う。水晶王宮へ赴く際も、まだ明らかに体調が万全ではないマリエルをスヴェアはひどく心配していた。聖王に謁見するのはもう少し回復を待ってからにした方が良いのでは? と。

 マリエルは微笑んだ。

「大丈夫です」

「無理は禁物だ。『大丈夫』とは程遠い顔色ではないか」

 心配げにクレメンツが言う。

「早く領主邸に戻って休んだ方がいい。………スウェーガー、先に行って、ダフナットに馬車の準備をさせておいてくれ」

「御意」

 スウェーガーと呼ばれた騎士は敬礼すると、踵を返し足早に去っていった。

 スウェーガーはマリエルが倒れたとの知らせを受け、王都に駆けつけたクレメンツに随行してきた騎士の一人だ。マリエルもよく見知った騎士で、ガラハイド国攻防戦ではあの混乱の中〈天の民〉の槍騎兵から懸命にマリエルを護ってくれた。大柄なスヴェアに比べると……そもそもスヴェアの体躯が規格外なのだが……格段に体格は劣るし、少し頭の固いところもあるが、クレメンツに対する忠誠心は固く、篤(あつ)い。上官のダットン卿から推薦され、今回クレメンツの護衛の任に就いた。

 クレメンツは穏やかな仕草でマリエルを促した。

「さあ、領主邸に戻ろう」

「はい」

 マリエルとクレメンツは馬車が待機する場所に向かって歩き出した。

 スヴェアら護衛の騎士たちが続く。

 先ほどクレメンツたちには「大丈夫」と答えたが、生まれて初めて王宮に立ち入り、そのうえ聖王に謁見した緊張もあってか、マリエルはひどく疲労感を覚えていた。足は重く、体はだるく、少し頭痛もする。クレメンツが普段の彼の歩く速度よりゆっくり歩いてくれているのも、マリエルの体調を慮(おもんぱか)っての事だろう。

 それにしても………水晶王(ここ)宮はなんて広いのだろうか。

 マリエルはそっと息をついた。

 王都に到着した時、ガラハイド国領主邸の広さに驚いたマリエルだったが、王宮はその比ではなかった。とてつもなく広大で、何もかもが荘厳華麗だ。格式高く、装飾や調度も全てが神々しく、煌びやかで、洗練されている。廷臣や貴族や役人、侍従や女官など王宮に仕える者たちがたくさん行き来しており、あちらこちらに警備の騎士の姿も多い。

 そう言えば………

 と、マリエルはふと思い出した。

 カナンも、王都に到着した日にガラハイド国領主邸の広さに言葉を失くしていた。ポカンと口を開け、目を丸くして。

 その姿に思わず笑みを漏らしたマリエルに、

「でも、今貴女だって驚いてたでしょう?」

 と、ばつが悪そうに言い返してきた。

 ひっきりなしの来客の相手や貴族からの招待で忙しくしているマリエルの為に、疲れが取れるお茶を淹れてくれた。

 もうずいぶん昔の出来事のようだ。

 今頃、カナンはどうしているのだろう?

 無事でいるだろうか?

 怪我などしていないだろうか………?

「いつの間にか雨が降り出していたようだ」

 長い廊下といくつもの階段を通り抜け、ようやく馬車の扉を開けて待っている御者のダフナットの姿が見えた時、クレメンツがそう言った。

 彼の言う通りだった。灰色の空から静かに細かい雨が降っている。石畳や、扉にガラハイド国の紋章を刻印した馬車やダフナットの髪と制服もしっとりと濡れていた。パラパラと雨粒が当たる度、生垣の葉が微かに揺れている。

「そう言えば、昨夜遅くにも降っていたね」

「そうでしたわね」

 マリエルは頷いた。

「王都の夏ももう終わりですわね」

 王都では、雨は夏の終わり………秋の始まりを意味する。これからは昼と夜を繰り返す度に気温は下がっていき、空気は冷たさを増し、木々の葉も赤や黄色に色づいていく事だろう。色が薄くなった空を渡り鳥の群れが連なって飛んでいく季節が訪れるのだ。

「君は精一杯やった」

 降りしきる雨に視線を向けたまま、クレメンツが言った。

「陛下や王宮の重臣たちを前にしても、全く臆する事なく。とても立派だったよ。後はレクサ王女やワーテワン殿、アステランザ殿の務めだ。君も私も、これ以上王宮の政(まつりごと)には口出し出来ない。あの不吉な予言を覆せるよう、きっと彼らは最良の選択をしてくれるだろう」

「………だと……よろしいのですけれど………」

 でなければ………

 真っ暗闇の空を飛ぶ白銀の大鷲。

 溶け崩れていく〈境界の地の水晶(シーグリエン)〉の塔。

 無残な廃墟と化した水晶王宮。

 一面の血の海に浮かぶ無数の骸。

 そして………

 全身に返り血を浴び、愉悦の笑みを浮かべた人物。

 あれが全て現実となる。

 皆、死んでしまう。

 「彼」が皆を死なせてしまう。

「………そう言えば………」

 と、ふと思い出したようにクレメンツが言った。

「王宮(ここ)へ来る前、イグリット殿と何か熱心に話し込んでいたようだが………陛下に奏上した予言についてなのかい?」

「え? ………はい。そうです。彼が聞きたがったので」

 ひと言も発する事なく、エイデンは真剣な表情で聞いていた。

 そして、マリエルの言葉を全て聞き終えた彼は、深く思案し迷っているようだった。

 エイデンはどう決断するだろうか?

 一体、彼はど(・)ち(・)ら(・)を選ぶのだろう?

 どちらを………捨てるのだろう………?

 クレメンツはそっとマリエルの頬に触れた。

「大丈夫。全てうまくいく。『予言は最良の選択をする為の道標(みちしるべ)に過ぎない』………以前、君がそう言ったのだ、マリエル。予言は変える事の出来ない絶対的な未来ではない、と。私もそう信じている。予言は果たす事も覆す事も出来るものだ。例え、それがどんな予言であっても」

 クレメンツは思わせぶりにちょっと肩をすくめて見せた。

「だから、私は何度でもこう言おう。…………私(・)は(・)諦(・)め(・)な(・)い(・)よ(・)、マリエル」

「クレメンツ公………」

 マリエルは困ったように淡く微笑んだ。朝霧の向こうから差し込む澄んだ光のように。

 その微笑みには、困惑と共に嬉しさも混じっていると、クレメンツは信じたかった。

 彼は瞳を和らげた。

「やはり君は笑顔が良く似合う。君は本当に美しい。あの〈黒蘭の君〉など足元にも及ばない」

 二人は馬車の前に到着した。

 彼らを待っていた御者のダフナットが体を九十度に折り曲げ、恭しく頭を下げる。

 ………が、その時。

「お待ちを、レディ・マリエル」

 馬車に乗り込もうとしたマリエルを誰かが呼び止めた。

 マリエルとクレメンツは振り返った。

 淡い金髪と透き通るような紫色の瞳の女官が立っていた。アネモネの花を象った首飾りと揃いの耳飾りが、美しく儚げな彼女の顔立ちによく似合っている。

 マリエルは彼女に見覚えがあった。先ほど〈聖王の間〉でウィーアードに謁見した際、レクサの後ろに控えていた五人の女官のうちの一人だ。

 紫色の瞳の女官は恭しく腰をかがめて名乗った。

「わたくしはイヴァンカ=マヤ=フォーブリーと申します。レクサ王女の側仕えを務めております」

 マリエルは洗練された優雅な所作で挨拶を返した。

「ご機嫌麗しゅう、レディ・イヴァンカ」

 横からクレメンツが尋ねた。

「我らは領主邸に戻るところなのだが。何用ですかな、レディ・イヴァンカ?」

「レクサ王女が、レディ・マリエルにお会いしたいとの仰せにございます」

 マリエルは目をみひらいた。

「レクサ王女がわたくしに? これから、今すぐに、ですか?」

 イヴァンカは頷いた。

「はい。とても重要なお話がある、と」

 クレメンツは眉を曇らせた。

「だが………彼女は病の床から目覚めたばかりで、未だ体調が万全ではない。見ての通り非常に疲れてもいる。出来れば日を改めさせて頂きたいのだが………」

「いえ、クレメンツ公」

 難色を示すクレメンツを、マリエルはやんわりと制した。

「他ならぬレクサ王女からのお招きです。お断りするのは不敬というもの」

「しかし………」

「大丈夫です。公は先に領主邸へお戻り下さいませ」

 確かにマリエルの言う通り、世継ぎの王女の呼び出しを断るなど臣民として許されない行為だ。「貴婦人(レディ)」の称号を持っているとはいえ、マリエルは平民の出。王族に逆らったとして下手をすれば鞭打ちや投獄、処刑すらあり得る。

 つい最近も、レクサは長年自分に仕えてくれた忠臣であったはずの教育係を、気に入らぬ事を言ったからと王宮から追放したと聞く。

「…………わかった」

クレメンツは渋々頷いた。

 マリエルが王女の不興を買い、彼女の身が危うくなるような危険(リスク)は避けなければ。

「では行っておいで。万一、具合が悪くなった時は、遠慮せず王女にそう申し出るのだよ。…………サザー、フィロズ、二人は彼女につけ」

「御意」

「畏まりました」

 マリエルはイヴァンカに向き直った。

「では参りましょう。案内をお願い致します、レディ・イヴァンカ」

最後までお読み下さいましてありがとうございました。

ウィーアードのクズっぷり炸裂回でした(笑)

こんな王様だと家臣も民も大変ですね。

しれっと再登場したガラハイド国騎士スウェーガーですが、彼はガラハイド国攻防戦でマリエルの側でぶっ倒れてたあの騎士です。

何となく再登場させてみました(笑)

ところで、ワーテワンがマリエルに口止めしてましたが、すでに予言のことエイデンに喋っちゃってますね(笑)


次章は少々……いえ、かなり衝撃展開となります。

読者の皆様の反応が少し怖いかも。作者、少々ビビってます(笑)

ですが、第1巻 約束の予言 で初登場した時からこの展開は決めておりましたので、どうかご容赦を。

それでは、引き続きお読み頂けますと幸いです。

ではまた。

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