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石の剣の王4 海があふれた日  作者: 水崎芳
第四章 水晶は歌う
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第四章 水晶は歌う

石の剣の王4 海があふれた日 第四章 水晶は歌う をお届けします。

最後までお読み頂けますと嬉しいです。 

    第四章 水晶は歌う


 去っていくカナンの後ろ姿を見送りながら、カハンティは言った。

「彼は素直で礼儀正しい良い少年だな」

 ラーキンは頬を緩めた。

「ええ。本当に。私には兄弟はいませんが、もし弟がいたとしたら彼のような感じではないかと」

 しかし、そう答えつつ、一方でラーキンはダールら近衛騎士たちが自分を捕らえにきたあの夜の事を思い起こしていた。

 ガラハイド国領主邸の円形回廊が崩壊した時の事を。

 ダールの前に立った時のカナンは、まるで別人だった。怒りと憎悪に満ちた、ゾッとするような恐ろしい冷酷な目をしていた。

 そして、ダールの腕が一瞬で消え失せた時、カナンは笑っていた。激痛に苦しみのたうち回るダールの惨めな姿が愉快で堪らない、とでもいうふうに。

 スヴェアや他のガラハイド国の騎士たちには背中を向けていたので、彼らにはあの時のカナンの表情は見えていなかったろう。

 だが、ラーキンにははっきりと見えていた。

 あの時、ラーキンは心の底から恐怖を覚えた。カナンがダールを残忍に(なぶ)り殺すのではないかと思ったのだ。猫が捕らえたネズミをいたぶるように。

 愉悦の笑みを浮かべながら。

 あの時のカナンは、ラーキンの知るカナンではなかった。

 ラーキンは体の脇でそっと手を握り締めた。

 では………一体「誰」だったというのだ?

「ひとつ、君に頼みたい事があるのだ、ラーキン」

 カハンティの言葉に、ラーキンは鬱々とした思考から引き戻された。

「頼みたい事? 何でしょう? 私に出来る事であれば………」

「君にこそやる資格がある事だ」

 ラーキンは首をかしげた。

 どんな事なのだろうか?

 カハンティは宵闇にぼんやりと青白く浮かび上がる彼方の岩山の連なりに視線を向けた。

「〈獣使い〉の一族には〈(たま)送り〉という伝統がある。死んだ者を弔う儀式………〈地の民〉でいうところの葬儀だな。だが、我らは〈地の民〉のように亡骸をすぐに土に埋めたり、燃やしたりはしない。死んだ年から数えて百年の間、〈(かり)寝屋(ねや)〉と呼ばれる特別な場所に安置するのだ。そして、百年経った(のち)に、亡骸は子孫の手によって改めて荼毘に付され、遺灰は〈(めい)の口〉と呼ばれる地中湖へ流される。それが〈魂送り〉だ。新たに生まれた赤子をジェナに披露する〈加護の授〉と同様、我ら〈獣使い〉の一族にとって神聖な儀式であり、重要な伝統だ。君の祖父ドン=エスの血族は〈()く者の(まも)り〉と呼ばれ、代々〈仮の寝屋〉を守る役目を担っていた」

「〈逝く者の護り〉………」

 ラーキンは微かに目をみひらいた。

 先の大戦について記した記録や文献以外で、ラーキンがドンと彼の血族について知ったのはこれが初めてだったからだ。

 自分の実の祖父が七賢者の一人ドン=エスであると知ったラーキンは、ドンと〈獣使い〉の一族についてあれこれ調べた。自分の身に流れる四分の一の血についてもっと知りたかったからだ。

 しかし、文献も記録も驚くほど少なかった。

 ドン=エスは〈獣使い〉の一族の出。

 〈勝利王〉オニールに仕えた七賢者の一人。

 先の大戦で戦死した。

 ただそれだけ。

 〈獣使い〉の一族についても同様だった。遠い昔に〈天の民〉の都〈黄金の鷺(アルゴーフォア)〉を追放された敗残者たちで、賢王の誉れ高い〈氷雪王〉サローエンの慈悲によって〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉を与えられた。

 高い戦闘能力を誇り、羽根食いと呼ばれる馬に似た〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉だけに生息する奇妙な獣に乗り、独特な武器を操る。

 多くの者が傭兵を生業としており、雇い主のもと戦に加わったり、貴族や商人の護衛をしたりする。時には武術の師として領主や貴族や騎士団に雇われる事もある。

 しかし、ひとたび聖王に仇なす者が現れた時は、直ちに聖王のもとに馳せ参じ聖王の盾となって戦う。

 最も知られる功績は『ローアーの黄昏』、そして先の大戦での戦闘である。

 同様に、〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉についてもほとんど文献はなかった。そこにしか生息しない奇妙な姿形の鳥獣が跋扈する、神々の王の怒りが降り積もった忌み地。青白い巨大な獅子……獣の王が徘徊する、世にも恐ろしい太古の地だ………という事くらいしか。

 しかし、ラーキンが実際にその目で見た〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉は息を飲むほど美しく、雄大で、荘厳だった。彼が調べ読み漁った記録や文献から滲み出る、異質でおどろおどろしい印象とはまるで違っていた。

 ラーキンは頭を下げた。

「ありがとうございます。祖父の事を教えて下さって。ずっと知りたいと思っていたのです」

 カハンティは薄く微笑んだ。

「君がそう思っていてくれた事を嬉しく思う。ドンも、そしてエスの血族もそう思っている事だろう。だが………」

 まるでその場に居合わせ、全てを目撃していたかのように、カハンティの声音が暗く沈んだ。

「先の大戦の際、エスの血族は〈天の民〉軍の将軍カデナルによって皆殺しにされた。口にするのもおぞましい、残虐非道な方法で。女も子供も老人も、一人残らず」

 カハンティは耐えるように一瞬だけ言葉を詰まらせた。

「………以来、このカデナルの悪行が行われた地は〈血の壁〉と呼ばれている。七十年の時を経た今も尚、かの地に吹く風には無残に命を奪われたエスの血族たちの断末魔の悲鳴と呻き声が混じっている。彼らの苦しみすすり泣く声が聞こえるのだ。〈獣使い〉の一族の者は誰一人あそこには近づかぬ」

 カハンティは苦い溜め息を獅子の形をした己の影に落とした。

「そうして、エスの血は途絶え、我ら一族は代々〈仮の寝屋〉を守っていた〈逝く者の護り〉を失った」

 ラーキンはおずおずと尋ねた。

「今、その役目は……?」

「一族の別の者が担っている。〈逝く者の護り〉は我らにとって神聖な務めゆえ、一族皆で話し合い、合意の上で」

 ラーキンは幾分かホッとしたように表情を緩めた。

「では、あなた方の大切な伝統である〈魂送り〉そのものは失われずに済んだのですね」

 伝統でも(わざ)でも、担い手がいなくなればいとも簡単に(すた)れ、失われてしまう。後世の者が復活させようと試みても、完璧に元通りにするのは難しい。どこかしら差異が生じ、歪み、変わってしまうものだ。

 しかし、安堵するラーキンとは反対に、カハンティの表情は苦渋に満ちていた。

「だが、カデナルがエスの血族を皆殺しにしたせいで、彼らの〈魂送り〉をする者がいなくなってしまった。子孫の手で送ってやらねば、死した者の魂は安らげない。我らは悲嘆に暮れた。…………ラーキン、君が現れるまでは」

 カハンティはラーキンの顔を真正面から見据えると、彼の両肩に手を置いた。

「だから君に頼みたい。今から三十年後、エスの血族が死んで百年後に当たる年に、君に彼らの〈魂送り〉を執り行って欲しいのだ。ドン=エスの孫である君に」

 ラーキンは目をみひらいた。

「私に………?」

「三十年後、私はもういないだろう。ナイヴァルやジーヴァも〈仮の寝屋〉で眠っておるやもしれぬ。だが、〈地の民〉の血も引く君は我らよりずっと長く生きる事が出来る。どうか君の祖父と血族の魂を送り、彼らに〈冥の口〉での永遠(とことわ)の安らぎを与えて欲しい」

 自分を見つめるカハンティの眼差しに、ラーキンは胸を衝かれた。その鉱物めいた色の薄い瞳は静謐で、揺るぎなく、冷厳だった。

 ラーキンは、ガラハイド国領主邸で初めてナイヴァルに会った時の彼の台詞を思い出した。

 確かナイヴァルはこう言っていた。「ディアドラ系譜図書館から戻ったジーヴァから君の事を聞いた時、一族がどれほど歓喜したことか」「祝福すべき()()()なのだ」と。

 「クウイ」とは〈天の民〉の言葉で「奇跡」という意味だと、後でカナンに教えてもらった。

 あの時のナイヴァルは本当に嬉しそうだった。

 まるで………長い間荒野を彷徨い歩いた末にようやく喉の渇きを癒してくれる清らかな水が湧き出る泉を見つけた旅人のように。

 絶望が希望に変わった瞬間のように。

 正直言って、あの時のラーキンには何故あれほどナイヴァルが歓喜を露わにしていたのか理解出来なかった。ディアドラ系譜図書館でラーキンが自らの素性を打ち明けた際の、小躍りせんばかりのジーヴァの喜びようも。

 少々大袈裟なのでは? と思っていた。

 しかし………

「…………わかりました」

 ラーキンは深く頷いた。

「三十年後に私がどこの地にいようとも、必ず〈石の鎖の(こ こ )庭〉に戻ってきて、エスの血族の〈魂送り〉を執り行います。ドン=エスの孫として」

 カハンティは破顔した。心の底から嬉しげに、そして長年の胸のつかえが取れホッと安堵したように。

「ありがとう、ラーキン。これで私も安心して戦場に戻れる」

         *

 カナンが煌々と篝火の灯りに照らされた桟橋にやって来ると、そこは宴の場とはまた違った賑わいをみせていた。

 川岸には木箱や壺や布で包まれた荷が(うずたか)く積み上げられ、その間で人々が数を数えたり中身を確認したりと忙しく動いている。確認が終わった荷は、次々と手際よく荷車へと積み込まれていた。少し離れた場所には荷車を曳く大きな牛が数頭繋がれ、草を食んだり座って口をもぐもぐさせながら大人しく出番を待っている。

 桟橋には数艘の船が繋がれており、そこからはまだ続々と荷が下ろされていた。荷下ろししているのは〈地の民〉の商人のようだ。上半身裸の人足たちに「ぐずぐずするな!」「もっと手早く運べ!」などと大声で指示している。この川は遠く王領カエメンにまで繋がっているという事なので、そこから来た商人なのかもしれない。

 船の側には腰に大振りの剣を吊るした二人の大男が仁王立ちしていた。商人に護衛として雇われた傭兵たちだろう。胸に十字にかけた幅広の革帯にずらりと細刃の短剣が並んでいる。剃っているのか二人とも頭髪はなく、いかにも荒くれふうで、ひと睨みで凶悪な野盗も裸足で逃げ出しそうな物騒な目つきで周囲を睥睨している。はっきり言って、彼らの方がよほど凶悪な野盗に見える。

 ジーヴァは桟橋の上で縞模様の洒落た帽子を被った初老の商人と話していた。

 何故か少し困ったような、苛立ったような表情をしている。

 それに対し、商人の方は頭の後ろに手をやっていかにもすまなそうな様子だ。

 何か問題でも起きたのだろうか?

 カナンは、

「ジーヴァ!」

 と声をかけながら桟橋に近づいた。

 ジーヴァは少し驚いたような顔をして振り返った。

「マルドラン? どうしたんだ、こんなところで?」

「忙しいのに邪魔してごめん。君がカハンティさんたちと一緒に発つって聞いたから、その前にお別れを言いたくて」

 ジーヴァは「ああ」とにっこり笑った。

「そうなのか。わざわざすまん。ここが終わったら、私の方からお前とラーキンのところへ別れの挨拶を言いに行こうと思っていた」

 そうだったのか。

 カナンは得心した。

 それでひと言もなくいなくなったのか。後でまた会うから、と。

 カナンは変に勘繰ってしまった自分が恥ずかしくなった。

「どうした?」

 ジーヴァの不思議そうな問いに、カナンは慌てて頭を横に振った。

「ううん、何でもない。それより、何かあったの?」

「ちょっとな」

 ジーヴァは肩をすくめた。

「荷の一部が届いてないんだ。荷の到着自体も遅かったしな。本当は一昨日には届いているはずだった」

「上流で降った大雨のせいで川が増水してしまいましてな。予定通り出航出来なかったのですよ」

 初老の商人がすまなそうに言う。

「そのうえ、途中で一隻が流木にぶつかって舵が故障していまいまして。この川はすぐに暴れるので難儀なことです。平時でも見かけより流れが急ですし、操船が難しい。一見羊のようにおとなしそうに見えて、舐めてかかると牙を剥いてくる」

 カナンは篝火に照らされた暗い川面に目をやった。

 商人の説明の通りだった。想像以上に流れが早い。流木や草が混じる水は茶色く濁っており、桟橋に並ぶ船も上下左右に絶え間なく揺れている。

「舵の修理が終わり次第、残りの荷も到着するはずですので」

「わかってる。あんたはいつも精一杯やってくれている。私も父上も、カエメンの商人の中ではあんたの事を一番信用している」

「ありがたいお言葉です、どうも。………では、残りの荷下ろし作業を急がせますので」

「ああ。頼む」

 初老の商人は頭を下げると、荷下ろしが続く船の方へと戻っていった。

 カナンは周囲を見回した。

 いつもジーヴァと一緒にいる羽根食いの姿がない。桟橋の上にも、川岸にも見当たらない。

「パドーは? もう寝てるの? 君の側にいないなんて珍しいね」

「あいつは今狩りに出掛けてる。鳥を狩るのは夜の方がやりやすいからな。あいつは大食漢なうえに大雑把でな、羽根だけ(むし)って食べるのが面倒臭いのか、小さな鳥だと丸ごと食ってしまうんだ。この前なんかカラスを丸呑みしてた。困ったやつだ」

「へ、へぇ………」

 カラスを丸呑み。

 その様を想像してしまい、カナンは身震いした。

 「困ったやつ」というひと言で片付けるには怖すぎるのでは?

 ………いや、深く考えるのはよそう。

 カナンは気分を改めるように軽く頭を振ると、ずらりと並ぶ荷車を示しながら言った。

「ここからは陸路で運ぶんだね。船じゃダメなの?」

「ここから少し下流に大きな滝があるんだ。とても美しい滝で、見る分には壮観だが、船がバラバラに壊れてしまうほどの物凄い落差がある。滝より手前で、大きな船でも安全に岸に付けられる場所がここなんだ。いったん滝の下流まで荷車で運んで、そこからまた今度は小さい船や筏に積み替えて運ぶ。滝の先は三つの支流に分かれていて、流れも少し穏やかになる。目的地によってはそのまま陸路で運ぶ場合もある」

「へえ、そうなんだ。だからこの集落の名前も『(パッサ)』っていうんだね。………ところで、良ければ僕も何か手伝うよ」

「本当か? 助かる。ええと、それじゃあ………」

 ジーヴァは川岸に積み上げられた荷の山を見回した。

「………そうだ! ちょうどいい、薬草類の荷の確認作業を頼めるか?」

 カナンは頷いた。

「わかった。荷には薬草もあるんだね」

「もちろんだ。戦場では怪我がつきものだからな」

 なるほど。

 言われてみればその通りだ。

 ジーヴァは荷の山の一角を指差した。

「あそこにシャリマーがいるだろう? そこへ行ってくれ。薬草類の荷はそこにある。シャリマーは少し薬草の心得があるから、そっちをやってもらってる」

 その時、またジェナの咆哮が夜の闇に響き渡った。

 先ほどより近い気もしたが、はっきりとはわからない。

 ジーヴァやシャリマー、そしてその場にいる〈獣使い〉の一族の者たちが皆手を止め、先ほどのカハンティのように祈りを捧げ始める。

 商人や人足たちの方は慣れているのか、一瞬手を止めただけで黙々と荷下ろし作業を続けている。

 ただ、彼らの顔には覆い難い恐怖の色が透けて見えた。無理もない。どこからともなく突如轟く獅子の咆哮は、本能的な恐怖を抱かせるには十分だ。

 先ほどより短い時間で咆哮は止んだ。

 ジーヴァが独り言のように呟いた。

「…………今夜はジェナの咆哮が続くな」

「そうなの?」

「ああ。何日も聞こえない事もある。時間も場所も決まっていない。いきなり耳元で聞こえる事もある。びっくりするかもしれんが、気にするな。ここでは普通だ」

 カナンは引き攣った笑みを浮かべ頷いた。

「う、うん………わかった」

 でも、多分そんな事になったら、自分はこの世の終わりみたいな悲鳴を上げてしまうに違いない。

「えっと………それじゃあ、僕、シャリマーさんを手伝ってくるね」

 カナンは桟橋から降り、シャリマーのところへ向かった。

「手伝いにきました」

 というカナンの言葉に、シャリマーは笑顔を見せた。

「そうか。それは助かる」

 薬草類は木箱に納められていた。

 その数の膨大さに、カナンは驚いた。

「これ全部薬草ですか? すごい量ですね」

「何ヶ月も膠着状態が続いていて、大規模な戦闘はないとはいえ、哨戒部隊同士のちょっとした衝突はしじゅう起こっているからな。どうしても手傷を負う者が出るし、それだけ薬草も必要になる」

 シャリマーは〈地の民〉の言葉から〈天の民〉の言葉に切り替えると、木箱の山に向かって怒鳴った。

『サシュカ! 助っ人が来たぞ!』

 木箱の山の間から一人の男がひょいと顔を覗かせた。

『それは助かる。そろそろ腰が痛くなってきたところだ』

 サシュカは非常に年老いた男だった。腰は曲がり、手足は筋張って細く、杖をついている。頭髪は枯草のように縮れ、歯も何本かない。他の〈獣使い〉の一族の者と同じように革鎧をまとい、腰には剣を下げてはいるが、とても現役で戦えるようには見えなかった。

 サシュカはカナンが誰かすぐにわかったようだった。ひび割れた松の皮のような皺だらけの顔をさらにくしゃっとさせ、彼は言った

『これはこれは………緑の手(ドラン)(ワクトーのこと)の孫と一緒に仕事が出来るとは光栄だよ』

 そう言いながら、サシュカは懐から使い込まれ擦り切れた一冊の古い書を取り出した。

 カナンは首をかしげた。

『? それは何の本ですか?』

『これは、昔ドランが〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉を去る時に我ら一族の為に残してくれた薬草についての手記だ。薬草の種類や効能、組み合わせ方などが記されている。多くの手で書き写され、写本が作られた。これもその一冊だ。わしら〈獣使い〉の一族の薬師は皆これを持っている』

 関節の目立つ手で大切そうに書の表紙を撫でる老人の表情はとても和やかで、温かかった。

 〈地の民〉よりはるかに寿命の短い〈獣使い〉の一族であるサシュカが、ワクトーと直接会った事はおそらくないだろう。しかし、まるでワクトーから直接手渡されたかのように、角は折れ擦り切れた古びた書を見つめる彼の目には尊敬と親愛の情がこもっていた。

 じいちゃんは本当にすごい人だったんだな。

 カナンは改めて心の底から感嘆した。

 七十年の時を経ても尚、こうやって多くの人々に慕われ、尊敬されている。

『…………さて』

 サシュカはワクトーの薬草の書を再び懐にしまった。

『お喋りはこのくらいにして、作業に戻ろうか。マルドランはシャリマーとそっち側の木箱の中身の確認を頼む。アケイラ、マルドランに目録を渡してやりなさい』

『はい』

 アケイラと呼ばれた若者から目録を記した数枚の紙を渡されたカナンは、早速シャリマーと共に確認作業に取りかかった。

 ひとつひとつ木箱を開け、中身を確認していく。カナンが薬草の種類と数を声に出して告げ、シャリマーが目録をチェックした。

 作業が進むにつれ、カナンは薬草の種類についてある事に気付いた。アグリモニーやヤロウを始めとして、ディタニー、スギナ、キイロカワラマツバなど、切り傷や刺し傷の治療に使うものばかりなのだ。特にアグリモニーが多い。アグリモニーのみいっぱいに詰め込まれた木箱が何個もある。

「………こんなに大量のアグリモニーを見たのは初めてかも」

「鉄の武器による傷にはアグリモニーが一番だからな」

 独り言のように呟いたカナンに、シャリマーが言った。

「〈天の民〉の鎧は天の水晶で造られているが、剣や矢尻や槍の穂先は鉄製だからな」

 手の目録をめくりながら、

「他には………打撲や捻挫に効く薬草(もの)が多いな。イラクサやアマドコロ、カカハスといった」

 カナンは感心した。

「シャリマーさんは薬草に詳しいんですね」

 先ほどジーヴァはシャリマーの事を「()()薬草の知識がある」と言ったが、少しどころではないような気がする。

 シャリマーは肩をすくめた。

「私自身怪我が絶えなかったせいだ。剣はまだましだったんだが、飛び刃の習得にはひどく苦労してな。なかなか上手く操れるようになれなくて、いつも体中切り傷や痣だらけになっていた。結構ひどい大怪我をしてしまって父を狼狽させた事もある。今でも飛び刃は苦手だ。やはり生まれついての体格や骨格、筋肉の付き具合や運動能力は、両親とも〈獣使い〉の一族の者に比べたらどうしても劣ってしまうからな」

「………え?」

 まるで何でもない事のようにさらりと告げられた事実に、カナンは一瞬言葉を失ってしまった。

 カナンの反応を見たシャリマーは「今気が付いた」といった表情をした。

「ああ、マルドランには言ってなかったか。私の母は〈地の民〉なんだよ。息子の剣の師にと、私の父を雇ったとある貴族の娘だった。堅苦しく格式張った〈地の民〉の貴族の男とはまるで違う、野性的で率直で逞しい父に、母はひと目惚れしたらしい。父も美しくひたむきな彼女に心奪われ、二人は恋仲になった。だが、当然ながら父の雇い主の貴族は二人の仲を認めるはずもなく、思い余った父と母は手に手を取って駆け落ちした。貴族の追っ手を逃れ、この〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉まで。そうして生まれたのが私というわけだ」

「なんか………吟遊詩人が詠う恋物語みたいですね」

 カナンの言葉に、シャリマーは口の端だけでちらと笑った。

 どこか嘲りの滲む笑みだった。

「…………だが、母はすぐに現実を思い知る事となった。母にとって〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉での生活は悪夢だった。当然だ。生まれた時から何不自由なく蝶よ花よと育てられ、服を着替えるのも靴を履くのも顔を洗う事さえ全て使用人にさせていたような、名家の貴族の姫君なのだから。それが、干し煉瓦の壁と布の屋根の粗末な家で寝起きし、食事を作り、使い終わった鍋や食器を磨き、衣服が破れたら自分で繕わねばならない。家畜の世話をし、同じ集落の者たちと共に畑を耕し、作物を収穫しなければならない。それまで彼女がそのか細い上品な手で握った事のあった物と言えば、美しいレースの扇子と、皿の上の料理を切り分け口に運ぶ為の銀のナイフやフォークくらいだったのに。母にとって〈獣使い〉の一族の生活は野蛮で、粗野で、不潔で、耐え難いものだった。羽根食いと同じ屋根の下で暮らす事も、母には我慢ならなかった」

 それは………確かに大変だったろう。

 カナンはそう思った。

 深窓の貴族の姫君にとっては、まさに天地がひっくり返るほどの過酷すぎる生活だ。

「父は母がなるべく快適に暮らせるよう腐心したが、母が〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉での暮らしに馴染む事はなかった。そして、母はやがて父を憎むようになった。何故こんな場所に自分を連れてきたのだと、父をなじり、罵り、責めた。かつて手に手を取って駆け落ちした頃の、父への熱烈で一途な恋情は跡形もなく擦り切れ消え失せていた」

 シャリマーはひとつ溜め息をつくと、物憂げに前髪をかき上げた。

「…………結局、母は〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉を出て行った。実家に手紙を書き送り、邸に戻りたいと懇願した。娘可愛さからか、母の両親は母を許した。『〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉で暮らした数年間はなかった事にして、こちらに戻ったら我が家の格式に相応しい血筋正しい貴族と結婚すればよい』と。母は『再婚の邪魔になるから』と私を父のもとに置いていった。それ以来、母には会っていない。まだ生きているのか、どこで何をしているのか、()()()()()貴族との再婚は上手くいったのかどうかも知らない。私には関係ない事だ。私はフソーキス=ニネの子、シャリマー。〈獣使い〉の一族なのだから」

 何と言ったらよいのかわからず黙り込んでしまったカナンに、シャリマーは達観したような透明な笑顔を見せた。

「ひとつだけ母に感謝する事があるとすれば、この身に半分だけ流れる〈地の民〉の血のおかげで私に予言の才が現れた事だ。予言者は〈地の民〉特有のもの、〈地の民〉の血を引く者にしか現れない。もしも両親共に〈獣使い〉の一族であったなら、私は予言者ではなかったろう。私の予言の能力(ちから)などレディ・マリエルに比べたら微々たるものだが、それでも一族の役に立てる」

 シャリマーは少し冗談めかした仕草で軽く肩をすくめた。

「まあ、要するに、済んだ事は済んだ事、考えても仕方がないという事だ。私はただ自分に出来る事をやっているだけだ」

 もう吹っ切れたというふうにシャリマーは語ったが、そこに至る心境にまで辿り着くのは並大抵の事ではなかったはずだ。

 強い人だ。

 カナンはそう思った。

 山と積まれた薬草の木箱を見回す。

 自分に出来る事をやる。

 カナンは体の脇で固く手を握り締めた。

 ………そうだ。

 あるではないか。

 自分にも………薬師である自分にこそ出来る事が。

 カナンはシャリマーを振り返った。

「シャリマーさん、僕もみなさんを手伝います」

 シャリマーは怪訝そうに眉をひそめた。

「? 何を言ってる? 今手伝ってくれているじゃないか」

「そうじゃなくて………これだけたくさんの薬草が必要だって事は、薬師も一人でも多くいた方がいいですよね? だったら、僕もシャリマーさんやカハンティさんたちと一緒に最前線へ行きます。じいちゃんみたいには役に立てないかもしれないけど、薬師として少しでもみなさんの力になりたい」

「マルドラン………」

 シャリマーは驚いたように目をみひらくと、カナンの顔をまじまじと凝視した。

「わかっているのか? 戦場に行くんだぞ? いつ命を落とすかもわからない、危険な場所に」

「ガラハイド国攻防戦の時も、僕は救護所で軍医さんを手伝って怪我人の手当てをしました。その救護所は〈天の民〉の槍騎兵に襲われました」

 あの時カナンが死なずに済んだのは、エイデンがガラハイド国騎士団の一個師団を引き連れ駆けつけてくれたからだ。でなければ、おそらくカナンは今ここにはいない。アダル=ソーンのように、地の水晶のかけらを握らされ墓の下で永遠に眠っていた事だろう。

「戦場で負傷者の治療する危険はわかってるつもりです。そのうえで言ってます。僕も一緒に最前線へ行かせて下さい」

 〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉に来たのは成り行きで、自分の意図した事ではなかったかもしれないけれど、それでも来た以上は自分に出来る事をするべきだ。

 ジーヴァや、他の〈獣使い〉の一族の人たちの為に。

 彼らと共に。

 自分に出来る事があるのに、安全な場所(パッサ)でただこの〈天の民〉との戦が終わるのを待っているだけなんて。

 出来る事があるのなら、やらなければ。

 人の価値を決めるのは何が出来るかではなく、何をしたか、なのだから。

 シャリマーは真っすぐな目で自分を見上げる小柄な少年の顔をしばし見つめた後、頷いた。

「………そうか。わかった。(カハンティ)には私から話しておこう」

 カナンはパッと顔を輝かせた。

「ありがとうございます……!」

「礼を言うのはこちらの方だ。正直言うと助かる。………やはりお前を連れてきたのは正解だったな」

 カナンは眉をひそめた。シャリマーの言い方が引っ掛かったのだ。

 まるで………最初からラーキンだけでなく、カナンも〈石の鎖の庭(ブラントーム)〉に連れてくるつもりだったかのような………?

「今のは、どういう………」

 問い返そうと口を開きかけたカナンは、突然何かに気付いたようにハッと振り返った。

 シャリマーが怪訝そうに尋ねた。

「? どうした? 大丈夫か?」

 カナンは周囲を見回した。

「…………歌が………」

「歌?」

 歌が聞こえた。

 男とも女ともつかぬ、風にふわりとなびく絹布のような、妙なる歌声が。

 密やかに、気のせいかと思うほど微かに。

 しかし、確かに。

 次第に大きくなってくる。

 カナンは全神経を集中するように眉間に皺を寄せた。

 聞き覚えのある歌だった。

 プレストウィック国で、エイデンやスヴェアと始めて会った時に。

 そして………

 ガラハイド国攻防戦の間中、ずっと聞こえていたものと同じ。

 天の水晶が奏でる歌声……!

 さっきシャリマーは何と言っていた?


 「〈天の民〉の鎧は

     天の水晶で造られている」


 カナンはうわずった声を上げた。

「近くに〈天の民〉がいる………!!」

 次の瞬間、数本の矢がカナンのすぐ側の木箱と………サシュカの体に突き刺さった。

         *

「サシュカ!!」

 声もなくどうと倒れたサシュカに、アケイラと呼ばれた若者が無防備なまま駆け寄る。

 シャリマーが怒鳴った。

「馬鹿! さっさと身を屈めろ!」

「え? ………ギャッ!」

 飛来した一本の矢がアケイラの喉を貫く。

 (くう)に血の弧を描きながら地面に転がり倒れたアケイラは、数秒間痙攣した後すぐに動かなくなった。

 さらに無数の矢が飛んでくる。

 カナンは慌てて木箱の陰に隠れた。

 だが、シャリマーは隠れなかった。前に飛び出し、飛んでくる矢を飛び刃で次々に叩き落としていく。「扱うのが苦手」だとは思えぬ見事な手腕(うで)だ。

 矢の雨とほぼ同時に、まるで巣をつつかれた蜂の群れのごとく複数の〈天の民〉の兵士が川岸沿いの草藪から一斉に飛び出してきた。

 彼らの装備はガラハイド国攻防戦の折の槍騎兵とは微妙に異なっていた。冠鷲にも叫び鳥にも跨ってはおらず、背に矢筒を背負い、弓を持っている。そして腰には剣。

 弓兵か、もしくは歩兵だろうか?

 しかし、目元以外の生身の部分は一切見えない、天の水晶で造られた甲冑は槍騎兵のものと全く同じだった。

 殺気も。

 〈天の民〉の兵士たちは突進しながらさらに何度か矢を放った後、腰の剣を抜き払い川岸にいた人々に襲いかかった。

 シャリマーが怒りと焦りがない交ぜになった唸り声を上げた。

「くそっ! こんなところにまで入り込んでくるとは!」

 言い捨てざま、彼女は武器を飛び刃から剣に持ち替えると、突進してきた〈天の民〉の兵士に猛然と切りかかった。

 剣と剣が激しく火花を散らす。

 体格では明らかに相手の方が勝っているにも関わらず、シャリマーは全く力負けしていなかった。夕陽を浴びた小麦畑のように輝く長い金髪をなびかせながら、鋭く、豪胆に剣を振るう。その姿は、まるで獲物を引き裂く獰猛な黄金色のヒョウのよう。

 あちらこちらで悲鳴と怒号があがり、川岸は大混乱となった。

 逃げ惑う商人や人足たち。肉を切り裂き貫く恐ろしい音。血飛沫が雨のように降り注ぎ、地面を赤く染めていく。

 シャリマーと同様、〈獣使い〉の一族の者たちは飛び刃や剣を手に突如急襲した敵に立ち向かった。体に刺さった矢を引き抜き、あるいは突き刺さったまま、革鎧と麻の衣装を血に染めながら猛り狂った手負いの獣のごとく戦っている。アケイラのように地面に倒れ、すでに絶命している者もいる。

 誰かが篝火を倒してしまい、瞬く間に大切な物資に燃え移った。もうもうと炎と煙が立ち昇り、炎に怯えた荷車用の牛たちが騒ぎ出す。繋がれた紐を引き千切り、走り出す牛もいる。

「! ジーヴァは!?」

 カナンは桟橋の方角を振り返った。

 ジーヴァは桟橋の上で商人の護衛の傭兵と共に戦っていた。両手にそれぞれ飛び刃と剣を持っている。まるで意思を持った金属の蛇のように飛び刃が(くう)を走り、派手な水音と共に次々と〈天の民〉の兵士が血飛沫を撒き散らしながら川に落ちていく。天の水晶で造られた鎧もジーヴァの飛び刃の前では脆い土くれのようだ。額に食らわした飛び刃の一撃で敵兵の兜を真っ二つに割り、露わになった頭部を剣で切り飛ばす。その動きは流れる水のように淀みなく、鋭く、一切の躊躇もひとかけらの慈悲もない。

 だが美しかった。

 次々と敵兵を屠る彼女の姿は。

 目を奪われた。

 その鮮烈さに。

 そんな場合ではないとわかっていながら、カナンは魅入られずにはいられなかった。自在に宙を舞う飛び刃の長い鎖も、血に染まった剣も、まるでジーヴァの身を飾り立てる華やかな宝飾のよう。

 ふいにサシュカの呻き声が聞こえた。

 カナンは振り返った。

 体に三本もの矢を受けながら、老人はまだ生きていた。弱々しく手を伸ばし、衣に燃え移った火を消そうとしている。

 カナンは立ち昇る煙と炎をかいくぐってサシュカのもとに駆け寄ると、大急ぎで老人の衣の火を消し、燃えていない安全な木箱の陰まで彼を引きずっていった。

 その途中で、サシュカの胸に刺さっていた矢がボロリと抜け落ちる。革鎧のおかげで矢が体まで届かなかったらしい。でなければ、サシュカもアケイラと同じ運命を辿っていた事だろう。

 だが、残る二本の矢が刺さった脇腹の傷はかなりの重傷だった。

 カナンはついさっきまで自分とシャリマーで確認作業をしていた木箱のひとつを開けると、中からディタニーを鷲掴んだ。老人の体から矢を抜き、傷口に薬草を押し当てる。

 サシュカは不機嫌な呻き声を漏らした。

『やれやれ………まさか自分で使う羽目になるとは………』

『ここを押さえてて下さい。出来ますか? 僕、応援を呼んで来ます』

 ………その時。

 背後に気配を感じ、カナンはハッと振り返った。

 避けたのはほとんど奇跡に近かった。

 顔面すれすれを剣の刃が掠める。髪の毛が数本、断ち切られて宙を舞った。

 立ち込める煙と炎の向こうから突如現れた〈天の民〉の兵士は、間髪置かずカナンめがけて再び剣を振り下ろした。

 考えるより先に体が動いていた。

 カナンは咄嗟に横たわるサシュカの腰から剣を抜き払うと、振り下ろされた〈天の民〉の兵士の剣を何とか受け止めた。

 ガリガリッ! と不快な金属音が響く。

 相手の剣は腕が痺れるほど重かったが、それでもスヴェアに比べたら全然軽かった。

 剣を持つ腕と体をひねり、相手の剣先を別方向へ反らす。

 スヴェアとの剣の鍛錬で、掌に血豆が出来るほど何度も何度も繰り返した動作だ。

「………いいか、カナン」

 頭の中で、剣の稽古を付けてくれていた時のスヴェアの声が鳴り響いた。

「相手が鎧で武装している時は繋ぎ目を狙え。首、脇、膝裏、足の付け根………鎧の可動部を。そこが弱点だ」

 剣先を反らされ〈天の民〉の兵士の体勢が崩れた瞬間、カナンは相手の兜と鎧の隙間目掛けて剣の切っ先を突き出した。

『ガ……ッ!』

 剣先は見事に〈天の民〉の兵士の喉元を貫通し、兵士は重々しい音と共にどうと地面に倒れた。

 そのまま動かなくなった〈天の民〉の兵士を見下ろし、カナンは茫然と呟いた。

「………や…った……?」

 〈天の民〉の兵士を斃した?

 横たわったまま、サシュカが笑みを浮かべながら低くくぐもった声で言った。

『驚いたな………やるじゃないか』

 喋ったせいで傷が痛んだらしく、顔をしかめる。

 カナンは血糊で汚れた剣を持ったままサシュカに駆け寄った。

『大丈夫ですか?』

『ああ。お前さんのおかげで死なずに済んだ。今日は良い日だ。ありがとう』

 カナンは少し照れたように微笑んだ。

『お役に立てて良かったです』

 周囲を見回すと、戦闘はすでに終わっていた。奇襲を仕掛けてきた〈天の民〉の兵士は全員斃され、あるいは捕らえられて、武器を取り上げられきつく縛り上げられている。

 アケイラの他にも数名が犠牲になったようだが、血を流し地面に倒れているのは〈獣使い〉の一族の者より商人や人足の方が圧倒的に多かった。

 カナンは深く震える息をついた。

 おそらく戦闘時間は二十分もなかったろうが、カナンにはとてつもなく長く感じられた。固く握り締めたままのサシュカの剣が今更ながらずっしりと重い。

 カナンは『勝手に借りちゃってすみませんでした』と謝りながらサシュカに剣を返すと、ジーヴァのいる桟橋へ急いで向かった。

 顔や衣に返り血を浴びた彼女の姿に、一瞬ドキッとする。

「ジーヴァ、大丈夫? 怪我は?」

「ないに決まってる。お前の方こそ怪我はないか?」

「僕も大丈夫」

「それなら良かった。………それにしても………」

 ジーヴァは武器を腰に戻しながら忌々しげに表情を歪めた。

「まさかこんな奥地まで敵の斥候が潜り込んでくるとは思わなかった。油断した」

 ちょうどその時、ようやく騒ぎに気付いたらしいナイヴァルや他の者たちが駆けつけてきた。

 ジーヴァが忌々しげに毒づいた。

『遅いんだよ』

 ジーヴァの悪態にカナンが思わず苦笑した時。

 また歌が聞こえた。

 天の水晶の歌が。

 ヒュ……ッという小さな風の鳴る音も。

「ジーヴァ!!」

 反射的にカナンは動いていた。

 ジーヴァの体を突き飛ばした次の瞬間、まるで大きな石が肩にぶつかったような衝撃を感じた。

 焼けつく激痛はその後に襲ってきた。

「マルドラン!!」

 こちらに伸ばしたジーヴァの手を掴もうとしたが叶わず、カナンは肩を矢に貫かれたまま激しく逆巻き流れる濁流に落ちた。

最後までお読み下さいましてありがとうございました。

またもやカナンが危機に陥ってしまいました。

まあ、主人公ですから。試練も盛りだくさんです(鬼)

今後も彼を見守って頂けますと嬉しいです。


尚、本作品は毎週日曜日午後に投稿しておりますが、諸般の事情により、次の日曜日9月6日の投稿はお休みとなります。

申し訳ありません。

次回の投稿は9月13日(日)午後を予定しております。


引き続きお読み頂けますと幸いです。

ではまた。


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