第三章 獅子の影を持つ者(2)
石の剣の王4 海があふれた日 第三章 獅子の影を持つ者(2)をお届けします。
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こちらに近づいてくる足音がして、宴の場から離れ一人考え事していたカナンは物思いから引き戻された。
足音の主はラーキンだった。背後の宴の篝火が彼の足元に長く影を引いている。
「こんな所にいたんですね。いつの間にか姿が見えなくなってしまったので、どこに行ったのかと………隣りに座っても?」
「うん。もちろん」
ラーキンはカナンの隣りに腰を下ろすと、彼の顔を覗き込んだ。
「疲れたのですか? それとも、もう遅い時間ですし眠くなりましたか?」
ラーキンは少し頬が赤かった。酒のせいだろう。しかし、こちらに歩いてきた時の足取りはしっかりしていたし、言葉遣いも普段通りだ。一見あまり酒には強くなさそうに見えて、実はわりといける方なのかもしれない。
「ラーキンの方こそ、主役なのに抜け出してきちゃっていいの? 宴はまだお開きじゃないんでしょ?」
カナンは首をねじって宴の場の方を振り返った。賑やかさは少し収まっている気もしたが、辺り憚らぬ笑い声や食欲をそそる焼いた肉と強い酒の匂いがまだこちらまで漂ってくる。
「ナサニエル公とオルデン国の騎士の方々は、先ほど宴の席を辞されましたよ」
「そうなんだ」
二日酔いにならなきゃいいんだけど、と、カナンは思った。
「〈獣使い〉の一族の方々はまだ楽しんでおられます。夜明けまで続けそうな勢いです。私も酒は人並みに嗜む方ですが、さすがにこれ以上飲まされては意識が飛んでしまいます。それに………」
ラーキンはちらと背後を一瞥した。
「みなさん、もうかなり出来上がっておられるので、私がいなくなっても気付かないのではないかと」
カナンは思わず吹き出した。
「きっと、みんなラーキンに会えてとっても嬉しかったんだよ」
ドン=エスの孫に。
七十年も前に途絶えてしまったと悲しみ諦めていた、エスの血を引く者に。
ラーキンはしみじみとした口調で言った。
「みなさん、本当に良くして下さいます。温かく迎えて下さって。ここに来て良かったと思います」
「〈天の民〉との戦の真っ最中だとは思えないくらい、ここは平和だよね。みんな明るくてびっくりしたよ」
カナンの感想に、ラーキンも同意して頷いた。
「私もです。もっとこう……何と言うか……ピリピリとした緊迫感や悲壮感に包まれていると思っていました。ですがこの集落の人々は皆笑顔で、余裕に満ちている」
「そうだね」
もうとっくに母親に尻を叩かれて家の中へ帰らせられていたが、宴が始まった頃には通りで子供たちが木の枝で楽しげにチャンバラごっこをしていた。軒下で居眠りしている老人や、畑仕事から帰ってきたばかりらしい女たち。山羊や豚に餌をやる妊婦。男女を問わず剣や飛び刃を腰に吊るした革鎧姿の者がやたらと目につく以外、〈地の民〉の農村の日常風景とほぼ変わらない。
「〈獣使い〉の一族は本当に優れた戦士なのでしょうね。今回〈天の民〉が来襲した際も、〈石の鎖の庭〉の北端にあるいくつかの集落が被害を受けましたが、それ以上の侵攻は許していないそうです。ですが、時折ごく少人数の敵軍の偵察部隊が思いもよらぬ場所に出没する事があるので、油断は出来ないとの事でした」
それから、ラーキンは困ったような表情を浮かべて続けた。
「みなさん、何かと話しかけて下さるのですが、あまり早口で話されるとまだまだよく聞き取れない事があって………カナン、引き続き私に〈天の民〉の言葉を教えて頂けますか? あなたのように完璧に喋れるようになりたいのです。おそらく〈石の鎖の庭〉には長くいる事になるでしょうし………もしかしたら、もう二度とディアドラ系譜図書館へは戻れないかもしれないので」
「ラーキン………」
カナンは痛ましげに顔を曇らせた。少し俯き加減のラーキンの横顔は寂しげだった。義理の兄に裏切られ、愛する妻にまで見捨てられて、どれほど彼は傷ついたろう?
王都を脱出して以来、ラーキンがその事について口にした事は一度もなかった。
カナンも。
しばらくの沈黙の後、カナンは労るようにそっと言った。
「……………こんな事になってしまって、本当に残念だね」
ラーキンは薄く儚い笑みをカナンに向けた。
「そうですね」
それから、ラーキンは達観したようなどこか遠い表情でいくつもの岩塊が浮かぶ夜空を見上げた。
「…………アシュエンは、ただ自分と自分の家族を守ろうとしたのでしょう。愛する妻や大切な子供たちを。彼に私の素性を教えたのは、義父のシュトワです。アシュエンは水晶騎士団の騎士なので、私に何か困った事が起きた時は助けになるだろうと義父は考えたようです。キリからの手紙のひとつにそう書いてありました。まさかこのような事になるとは、きっと義父もキリも思ってもいなかったでしょう。二人が悔やんでいなければいいのですが」
「悔やむ?」
思わずカナンは聞き返していた。
義父はともかく、自分をあっさりと見捨てたキリの身まで心配するなんて。
お人好しにもほどがあるのでは?
「でも、アンダーレイ家が反逆罪で処刑された後、キリさんは自分にとばっちりが来ないようあなたと離婚したんでしょ?」
「離婚を申し出たのは私の方からです」
「え!?」
思いもよらぬ返答に、カナンは絶句した。
ラーキンはカナンを宥めるように穏やかな口調で続けた。
「私の為に憤って下さってありがとうございます。ですが、今申し上げた通り、私の方からキリに離婚してくれるようお願いしたのです。彼女や義父や義兄に迷惑がかからないようにする為に。アンダーレイ家の処刑では、何十年も前に王都を離れ、実家とは完全に縁を切っていたビスズの娘やその子供たちまでもが、刑場に引っ立てられ処刑されたと聞きました。一番幼い子供はまだ三才になったばかりだったそうです。可哀相に。私は、私の愛する人たちをそんな目に遭わせたくなかった。ですから、キリと離婚すると決めたのです」
ラーキンは口の端に切ない笑みを刻んだ。
「幸い……と言いますか……私たちの間には子供はいません。キリも私もずっと子供が欲しかったのですが、今思えばいなくて正解でした。でなければ、例え離婚して『赤の他人』となったキリは大丈夫でも、私たちの子供はアンダーレイの血を引く者として処刑されていたでしょうから。きっとキリには耐えられない。私も」
「キリさんは何て………?」
カナンの問いに、ラーキンは苦笑いをこぼした。
「最初は、それはもう私に激怒し、断固として拒否してきました。返信の手紙にはこれ以上ないほどの怒りの言葉が書き綴られていました。キリがあんなに怒ったのは初めてでした。もし面と向かって離婚して欲しいと告げていたら、きっと彼女は私を引っぱたいていた事でしょう。エイデンを平手打ちしたシャリマーさんのように。私は義父へも手紙を送り、キリを説得して欲しいと頼み込みました。その甲斐もあって、最後にはキリもどうにか離婚を承諾してくれました。キリを傷つける結果となってしまいましたが、おかげで彼女は今も無事です。シュトワも、反逆者の義理の父という汚名を免れ、中央館司書筆頭の地位も失わずに済みました。近い将来、彼は次のディアドラ系譜図書館総司長に就任するでしょう。本当に良かったです」
「良かった」と口にしながら、ラーキンの頬には深い痛みと悲しみの影が落ちていた。
最愛の妻の命を守る為とはいえ、キリとの離婚を決意したラーキンの心情を思うとカナンはやるせなかった。もう二度と二人は会えないかもしれないのだ。手紙のやり取りすら厳しいだろう。危険だから。どこでどう過ごしているのか、無事なのかすら知る由がない。淡々と語ってはいるけれど、本当はラーキンもとても辛いに違いない。
アシュエンの所業を思うと、よけいに。
アシュエンは今どんな気持ちでいるのだろう? 少しは後ろめたさを………罪悪感を覚えているのだろうか? それとも、望み通り報酬と昇進を得て小躍りして喜んでいるのだろうか?
家族には………父や妹や、妻や子供たちには、自分が何をしたか話したのだろうか?
胸の奥底からふつふつと怒りが湧き上がってくる。
カナンは膝の上に置いた手を固く握り締めた。
ラーキンのように広い心を持つ事なんて、自分にはとても出来ない。傷つき打ちのめされた心で、きっと復讐を誓うだろう。この手で罰したいと願うだろう。
「私の件にあなたまで巻き込んでしまって、申し訳なく思っています」
「え?」
カナンは虚を突かれたようにラーキンの顔を見た。
「あなたまで王都を脱出しなればならなくなってしまいました。近衛騎士が捕らえにきたのは私だけだったのに」
ああ、その事か、とカナンは思った。
確かに「巻き込まれた」と言えなくはないかもしれないが………
ガラハイド国攻防戦の時とは異なり、カナンはアリアンテが白い光を放ち、ガラハイド国領主邸の円形回廊が崩落した時の事をなんとなく覚えていた。
自分を見るエイデンの表情。自分が彼に言い放った言葉も。
でも、全てを覚えているわけではない。まるで薄膜越しに見ているような、ひどく不鮮明でぼんやりとした感覚だった。自分ではない誰かが、自分の体を通して喋っているような。
何故かひどく懐かしげに、エイデンが自分に向かって何か大事な核心めいた事を語りかけていたような気がするが、そっちは霧がかかったように曖昧で記憶が判然としない。
そして………
アリアンテが白い光を放った瞬間の、あの高揚感。恍惚感。
気分が良かった。力を感じた。身の内の一番奥深いところに凝っていた何かが解放され、体の隅々まで行き渡り、満たされ、指の先から迸るような。
しかし、シャンデリアが轟音と共に落下した瞬間、カナンは我に返った。
ガラハイド国攻防戦で〈天の民〉の槍騎兵と空中砦を一瞬で消し去った時、カナンはあれはアリアンテがやった事だとアニガンに言った。
あの時はそう思っていたから。
しかし、今回ガラハイド国領主邸で起きた出来事は、本当に「自分ではなく」「アリアンテがやった事」だと言い切れるのか?
ひとかけらも自分の意思ではなかったと?
あの時感じた激しい怒りと憎しみ………そして、傲慢な敵を痛めつけた時のあの快感は、自分の感情ではないと?
複雑な思いでカナンが考え込んでいたその時。
突然、どこからか腹の底に響くような恐ろしい獣の咆哮が轟いた。
「!?」
カナンは驚いて立ち上がった。ラーキンも。
二人は周囲を見回した。
咆哮は断続的に続いた。低く、長く、一定の間隔で。誰かに………何かに訴えかけるかのように。あるいは威嚇するかのように。狼の遠吠えよりもはるかに野太く、重厚で、迫力があり、本能的な恐怖を駆り立てられる咆哮だった。耳を澄まし、夜の闇にいくら目を凝らしても、咆哮の主がどこにいるのか全くわからない。ずっと遠くから聞こえるような気もするし、すぐ近くから聞こえるような気もする。
「心配ない。あれはジェナの咆哮だ」
ふいに背後から声がして、カナンとラーキンはぎょっとして振り返った。
パチパチと爆ぜ揺れる焚火の音と灯りを背に、カハンティ=テュボーが立っていた。
カハンティはみぞおちの高さで両の掌を上に向けて重ねると、祈りを捧げるように静かに目を閉じた。
カナンはさっきまで聞こえていた宴の喧騒がぴたりと止んでいる事に気付いた。
首を伸ばして宴の方を覗いてみると、他の〈獣使い〉の一族の者たちも皆カハンティと同じポーズをして立ち尽くしている。
染み渡るような、厳かな空気が流れた。
咆哮は数分間続き、そして始まった時と同様唐突に止んだ。
虫や夜の鳥獣たちの密やかな鳴き声が戻ってきて、カナンは咆哮が聞こえ始めたと同時にそれらも全て途絶えていた事に気付いた。
そして、まるで何事もなかったかのように宴の喧騒も戻った。人々は大きな肉や魚にかぶりつき、酒をあおり、笑い、大声で語り合っている。まだまだ床に入るつもりは微塵もないようだ。
重ねていた手をおろし、目を開いてカハンティが言った。
「ジェナの咆哮がした時は、我ら〈獣使い〉の一族は今のように祈りを捧げるのだ。ジェナへの畏敬と、我らが〈石の鎖の庭〉に住まう事を許してくれたジェナの慈悲と加護への感謝を込めて」
「カハンティさんはジェナを見た事は………会った事はあるんですか?」
「むろんだ」
カナンの問いに、カハンティは深く頷いた。
「ほとんどの〈地の民〉は未だに実在すら怪しんでいるようだがな。砂色ではなく青白く輝く毛皮を持つ獅子など………ましてや人の言葉を操る獅子など信じられぬと。ジェナは〈地の民〉の前にはほとんど姿を現わさぬし、咆哮しか聞こえぬせいもあろう。恐れるのに、実在は疑う。おかしな話だ。我らとてジェナには滅多に会えぬが、ジェナは確かに存在している。私の影がその証だ」
自信のこもった力強い口調だった。
カナンはカハンティの足元を見た。
昼間見た時と同じように、彼の足元から長く伸びたその影はやはり獅子の形をしていた。篝火が揺れるのに合わせて、影も揺れている。
何度見ても不思議だ。
カハンティは表情を和らげると、苦笑交じりに言った。
「ところで、二人ともこんな所で何をしているのだ? 主役が二人とも宴の場から抜け出してどうする」
「え? 僕もですか?」
カナンは目を丸くした。
「主役はラーキンなんじゃあ………」
「私にとっては君も大事な主賓だ、マルドラン」
と言いながら、カハンティはカナンの肩に手を置いた。
戦を生業とする者らしい、固くて分厚くて力強い手だった。
「本当によく来てくれた。嬉しい限りだ」
「いえ、そんな………」
カナンは照れ臭そうに微笑んだ。
カハンティは口調を改めて告げた。
「予定より早く発つ事になったので、二人に別れの挨拶をしに来たのだ。私はワシテイテと彼の騎士たちと共に最前線へ戻る」
「そうですか」
少し残念そうにラーキンが言った。
「もっといろんなお話をしたかったのですが。でも仕方ありませんね。貴方には一族の長としての責務があるのですから」
「機会があればまた話そう」
ラーキンは微笑んだ。
「はい。ぜひ」
カハンティは肩越しにちらと背後を一瞥した。
「オルデン国からの援軍は心強い。一族の士気も高まる。ワシテイテは反逆者の汚名を着せられるのも承知の上で、我ら一族の為に騎士を率い来てくれた。〈地の民〉が……ましてや正貴族の身で……聖王の命に逆らうのは相当勇気のいる事だ。ワシテイテは『自分の事は心配いらぬ』と笑っておったが、この一件でさらにウィーアードの怒りを買った事は火を見るより明らかだ。さぞ重い決断であったろう。彼にはどれほど感謝しても足りぬ」
「ナサニエル公は本当にご立派な方です。まさに現代の〈雷鳴公〉と呼ばれるに相応しい。それに比べて聖王陛下は………」
「双つ玉座の主がどのような者であろうと、我らはサローエンに誓った〈盾の誓い〉を守るだけだ」
気まずげに言葉を濁すラーキンに対するカハンティの台詞は静かで厳かだったが、どこか冷たかった。
カナンは獅子の影を持つ男の目の奥にウィーアードに対する侮蔑めいたものを感じた。
カハンティはカナンに向き直った。
「ところで、君は何故サローエンが我ら一族に〈石の鎖の庭〉を与えたのか疑問に思っているようだな。昼間、私がジェナの影を持つ事となった経緯を語った時、そんな表情をしていた。サローエンに対する非難めいたものを感じた。彼が我ら一族をいいように利用しようとしたとでも思ったか?」
やはり心の内を見透かされていた。
カナンはばつが悪そうに口ごもった。
「えっと……その………すみません」
カハンティは笑った。
「何を謝る。君がそう感じてくれた事を私は嬉しく思う。偉大なる〈氷雪王〉サローエンを悪く言う〈地の民〉などおらぬしな。君は一般的な〈地の民〉とは考え方・感じ方が少し違うようだ。ジーヴァが君を気に入るわけだ」
不意打ちを食らってわかりやすく耳まで真っ赤になったカナンを面白そうに眺めながら、カハンティは鉱物めいた瞳を和ませた。
「だがそれは悪い事ではない。君は君のままでいればいい。しかし、もう少し己に自信を持った方がいいやもしれぬな。でないと完全にジーヴァの尻に敷かれるぞ」
「そ……っ!」
反論しかけたカナンの横でラーキンが盛大に吹き出す。
カナンは憮然とした。
カハンティといい、ナイヴァルといい、この人の悪いところは本当にスヴェアにそっくりだ。
「話を戻すが」
と、カハンティはまだ微かに笑みが残る声音で言った。
「サローエンが我ら一族に〈石の鎖の庭〉を与えたのは、そうせよという予言があったからだ。『いつか北の果て「常冬の地」より故郷を追われた者たちがやって来る。その時は、その者たちに〈石の鎖の庭〉を与えよ』と。サローエンより数代前の聖王の時代の予言らしい」
「そうだったんですか?」
カナンは思わず聞き返していた。
ラーキンを振り返り、
「ラーキンは知ってた?」
「ええ。まあ………」
ラーキンの返答は何故か歯切れが悪かった。
カナンは内心首をかしげたが、すぐに思い至った。もしかして、自分が予言に対してあまり良い感情を抱いていない事を知っているから、ラーキンは敢えて口にしなかったのではないか? と。
以前、レクサ王女の母カサンタル王妃の事が話題になった際も、ラーキンは彼女がウィーアードの王妃に選ばれたのは予言によるものだったという事実については黙っていた。カナンは後日ガラハイド国領主邸の騎士からその事を聞いたのだ。
その騎士自身も、予言者に貰った予言に基づいて妻を娶っていた。
ラーキンがカナンに話さなかったのは、予言についての話題が出る度にカナンがいつも複雑な表情をするのを見ていたからだろう。
ラーキンはいつも他人の事ばかり思いやる心根の優しい人だから。
だとしたら、彼によけいな気を遣わせてしまった。ラーキンの方が自分なんかよりずっとずっと大変なのに。
心の内で反省しつつ、カナンはカハンティの説明に意識を戻した。
「サローエンを擁護するわけではないが、当然ながら獣の王の存在を知っていた彼は、故郷を追われ命からがら逃げ延びてきた者たちにそのような恐ろしい凶獣がいる土地を押しつけて良いものかと、最初は躊躇ったそうだ。予言は無視し、例えばカエメンやキスカ、シリュンタハナやアティスモットといった、十四ある王領のいずれかに住まわせれば良いのではないかと考えた。しかし、〈獣使い〉の一族の飛び抜けた戦闘能力の噂はすでに〈地の民〉の間に広まっており、そのような『危険な』異郷の者が隣人となる事を不安視する声が多かった。各国の領主や王宮の廷臣たち、候補に挙がった王領の住人たちもこぞって反対した。結局、サローエンは予言に従う事にした。〈地の民〉らしく」
カハンティは雄牛のようにがっしりとした肩をすくめた。
「…………まあ、ジェナに関しては、おそらくサローエンの予想とは全く異なる結果だったろうが」
ラーキンは苦笑した。
「サローエン陛下もさぞ驚かれた事でしょうね」
「だろうな。その時彼が一体どんな顔をしていたのか、この目で見たかったものだ。だが、直後に起こった『ローアーの黄昏』を鑑みるに、我ら一族の先祖を拒絶せず、予言に従い受け入れたサローエンの判断は正しかった。我ら一族も新たな安住の地を得る事が出来た。でなければ、我ら一族は根無し草のままチリヂリとなってしまった事だろう。代を重ねる毎に歴史も伝統も失われ、かつて先祖が使っていた言葉も、先祖がどこからやって来たのかすら忘れ果ててしまったやもしれぬ。縁となる安住の地があるというのは、大事な事だ。〈盾の誓い〉は、我ら一族を存続の危機から救ってくれたサローエンへの恩に報いる為のもの。水晶騎士団が聖王の『剣』であるならば、我ら〈獣使い〉の一族は聖王の『盾』なのだ」
カハンティは腕を組んだ。
「それに、これは我ら一族にとっては新たに得た安住の地を守る為の戦でもある。七十年前も、今回も。〈天の民〉の空中砦から自国を守ったガラハイド国と同じだ」
そう言いながら、カハンティの視線はじっとカナンの顔に据えられていた。
カナンはドキッとした。
ひょっとして、彼はガラハイド国攻防戦でカナンが………カナンのアリアンテがやった事を知っているのではないかと思ったのだ。
でも………
まさか。
そんなはずはない。
カナンは頭に浮かんだその考えを振り払った。
ジーヴァにもラーキンにも、もちろんナイヴァルやシャリマーにも、あの時の出来事については一切話していないのだから。
カハンティが知るはずがない。
「それに………」
と、カハンティは含みのある声音で続けた。
「ワシテイテの他にも、密かに自国の騎士団を我らの援軍に寄越してくれている領主は複数いる。心強い事に」
「そうなのですか?」
思わず聞き返したラーキンに、カハンティは頷いた。
「ああ。聖王の手前大っぴらには派遣出来ぬゆえ小規模ではあるが、何ヶ月も前から我らと轡を並べ共に〈天の民〉と戦ってくれている。ワシテイテに代わり我らと水晶王宮との連絡役となったユンドラ公に至っては、着任の挨拶を兼ねて初めて〈石の鎖の庭〉を訪れた際、自らの護衛と称して引き連れてきた騎士団百五十騎をそのまま残してくれた。まだ十才だというのに、実に肝の座った気骨ある人物だ。他にも今後新たにやって来る予定の騎士団もいる。むろん、事の成り行きを静観しているだけの国もある。ただ単に見て見ぬふりを決め込んでいるだけやもしれぬが、小国ゆえ騎士団を送る余裕がなかったり、国内が乱れていてそれどころではなかったりと、それぞれ事情があるのだろう。致し方ない事だ。だが、これだけは言える。全ての〈地の民〉が聖王と同じではないという事だ」
〈地の民〉最大最強の水晶騎士団を擁していながら、何もしない。
ガラハイド国を見捨て、〈獣使い〉の一族には自分たちだけで何とかしろと突き放す。
自分がしでかした事ではないのに、カナンはカハンティや他の〈獣使い〉の一族の人々に対しとても恥ずかしかった。
ナサニエルや、ウィーアードからの命を待たず〈獣使い〉の一族に援軍を派遣した他の領主たちも、きっと同じ気持ちだったに違いない。
エルレイが永眠る薔薇の園を焼き払った事といい、ラーキンを反逆者呼ばわりして捕らえようとした事といい、どうしてこうも愚かしく許し難い事ばかりするのだ、ウィーアードは。
そして、同時に、ウィーアードに無断で自国の騎士団を〈石の鎖の庭〉へ派遣している領主が複数存在するという事実は、それだけウィーアードの聖王としての権威の低下を意味していた。
〈地の民〉はこれからどうなってしまうのか。
責務を果たさぬ愚かな聖王は臣下から見放され、民は一致団結して敵に立ち向かう事も出来ず、人心はバラバラのまま。
「ナイヴァルさんやシャリマーさん、それにジーヴァさんも、貴方がたと一緒に発つのですか?」
カハンティに向けて発せられたラーキンの問いに、カナンはハッと顔を上げた。
カハンティは頭を横に振った。
「いや、ジーヴァとシャリマーは私と共に発つが、ナイヴァルは残る。彼には君たちの世話を任せているからな。君たちも、このまましばらくパッサに留まるといい。ここは〈天の民〉軍の本隊がいる最前線からもかなり離れている。ここにいれば安全だ」
…………そうなんだ。
カナンは瞳を曇らせた。
やっとジーヴァと再会出来たというのに。
もうお別れだなんて。
久し振りにジーヴァに会えて、ジーヴァがわざわざ迎えに来てくれて、カナンはとても嬉しかった。ディアドラ系譜図書館で別れた時よりぐんと成長していた姿には驚き戸惑ったが、それでも彼女はあの時と同じように輝いていて、颯爽としていて、相変わらずジーヴァはジーヴァだった。
でも………
ジーヴァの方はどうなのだろう?
彼女も、自分と同じくらい再会を喜んでくれているのだろうか?
再会した時の彼女はとても嬉しそうに見えた。でも、それは自分が勝手にそう思い込んだだけなのかもしれない。宴の時も、最初はカナンと一緒に楽しく語り合い飲み食いしていたのに、いつの間にかいなくなってしまったし。
カナンの顔は見れたから、もうそれで良いと思ったのだろうか………?
暗い表情のカナンを見て、カハンティはカナンがジーヴァの身を案じているのだと思ったらしかった。
「心配しなくていい。ジーヴァは私やナイヴァルや他の一族の者と同様、生まれながらの戦士だ。そして、彼女は強い。母親譲りの優れた飛び刃の使い手だ。飛び刃の扱いに関しては、ジーヴァの右に出る者はいない」
「………はい」
カナンは弱々しく微笑んだ。
「ジーヴァにお別れの挨拶をしたいんですけど………」
「ああ。そうするといい。彼女は今補給物資の確認作業をしている。川にかかる桟橋へ行ってみるといい。宴の場を通り抜けた方が早い」
「わかりました。行ってみます。それから、カハンティさんもお気をつけて。ご武運をお祈りしています。ええと………貴方に勝利と栄光を」
「ああ。ありがとう」
横からラーキンが言った。
「それではまた後で、カナン」
「うん」
カナンはカハンティに深々と頭を下げ、次にラーキンに向かって軽く手を振ると、早足で駆けていった。
ジーヴァがいるという桟橋へ向かいながら、カナンは思った。
先ほどカハンティは自分たち〈獣使い〉の一族を盾、水晶騎士団を剣だと言った。
だけど………
盾だけでは、戦には勝てない。
敵を切り裂き貫く剣もなければ。
最後までお読み下さいましてありがとうございました。
キリの冤罪が晴れてよかったです(笑)
ラーキンがこの戦を生き残り、キリと再会出来るといいですね。
そして、年頃の男の子らしく思い悩みちょっぴり青春してるカナンが何とも微笑ましい(笑)
こちらも成就するといいですね。
次回も引き続きお読み頂けますと幸いです。
ではまた。




