5話 魔王様が死ぬとみんなが死にます
それからも時々、ミーレ様は屋上に来るようになった。
「あらあら。今日もご苦労さま」
「ま、魔王様! こんなところに来たらだめです! お腹のお子様に障ります!」
私は慌てて洗濯物を抱え直した。
ミーレ様は大きなお腹を片手で支えながら、まるで庭を散歩するような気軽さで屋上へ入ってくる。
風に揺れる金色の髪。柔らかな微笑み。
その姿はとても美しいのに、見ているこちらの心臓には悪かった。
「いいじゃない。外の空気を吸いたいのよ」
「え、ええっと……」
止めたい。
けれど相手は魔王様だ。
下級メイドの私が、どこまで口を出していいのか分からない。
そんな私の困惑を知ってか知らずか、ミーレ様はにこにこと笑いながら、屋上の端に置かれたベンチへ腰を下ろした。
「ねえ、一緒に話さないかしら? 隣に座っていいわよ」
「お仕事中ですので……」
「私が許可します」
「わかりました……」
実質命令である。
逆らえるはずもなく、私は観念してミーレ様の隣に腰を下ろした。
「と言いましても……私、何を話せばいいのか……」
「そうね。ちょっと面白い話があるわよ」
「面白い話ですか?」
「実は最近、魔王城で変な人形が発見されているの」
「変な人形ですか?」
「手のひらサイズの、可愛い人型の人形よ」
ミーレ様は、まるで子どもに怪談を聞かせるように声を潜めた。
「きーきーと不気味な声を出しながら、夜中の魔王城を徘徊しているそうよ」
「え……」
「何人もの兵士が見つけて、捕まえようと飛びかかるの。けれど次の瞬間には、どろんと消えてしまうのよ」
「そ、それはまるで……」
「ええ。幽霊みたいでしょう?」
「ええええっ!」
思わず肩を跳ねさせると、ミーレ様は楽しそうに笑った。
「どう? 怖かったかしら?」
「は、はい……かなり……」
「ふふ。素直で可愛いわね」
「か、からかわないでください……」
私は恥ずかしくなって、膝の上で両手を握った。
「その人形の目的は、一体なんなのでしょうか……?」
「さあ。まだ、分からないわ」
その声は、先ほどまでの冗談めいたものとは違っていた。
魔王としての声。
城の中で起きている不可解な出来事を、ただの怪談として片づけてはいないのだと分かった。
「でも、警戒はしているの。誰かを傷つけたわけではないけれど、目的の分からないものを城内で自由にさせておくわけにはいかないもの」
「そうですよね……」
私は屋上の扉の方をちらりと見る。
もし、その人形が今ここに現れたら――。
そう考えただけで、背筋がぞわぞわした。
「メイは、私に聞きたいことはないの?」
「聞きたいことですか……」
突然そう言われて、私は少し考えた。
魔王様に聞きたいことなど、本当なら山ほどある。
魔王城のこと、王族のこと。
ミーレ様のお腹のお子様のこと。
けれど、ふと脳裏をよぎったのは、もっと大きなものだった。
「……精霊戦争のことを、少し聞いてもいいですか?」
私がそう言うと、ミーレ様は静かに瞬きをした。
「精霊戦争?」
「はい。私が生まれる前に起きた、酷い戦争だと聞いています。でも、詳しいことはあまり知らなくて……」
「そうね。城下町で暮らしていると、深く学ぶ機会は少ないかもしれないわね」
ミーレ様は城下町の向こう、遠い森を見つめた。
「では、精霊とは何なのですか?」
そう尋ねた瞬間、風が少し強く吹いた。
洗濯物が揺れる音だけが、しばらく耳に残る。
「精霊はね、種族の命を司る存在なの」
ミーレ様の声は穏やかだった。
けれど、その内容は重かった。
「精霊は、その種族で最も強い者を器にして眠る。そして精霊が死ねば、その種族は全員死ぬわ」
「……全員、ですか?」
「ええ。ひとり残らず」
さらりと言われた言葉に、背筋が冷たくなった。
私は今まで、その話をどこかで疑っていた。
精霊が死ねば、種族が滅びる。
言葉としては知っていた。
けれど、あまりにも規模が大きすぎて、現実味がなかったのだ。
でも、ミーレ様は冗談を言っていなかった。
その横顔は、見たことがないほど真剣だった。
「昔は、マーメイド、ドワーフ、エルフ、フェアリー、獣人……本当に多くの種族がいたそうよ」
「今は……いませんよね」
「ええ。精霊戦争で、多くの精霊が死んだ。そのたびに、その種族も滅びていったの」
私は言葉を失った。
教本で読んだ歴史が、急に血の通ったものになった気がした。
そこには、暮らしがあったはずだ。
家族がいて、町があって、笑い声があって、明日の予定を話す人たちがいたはずだ。
それなのに、精霊が死んだだけで、全員が消えた。
そう考えると、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「では、魔族の精霊もいるんですよね」
「もちろん」
「いったい、どこに……?」
ミーレ様は、そっと自分の胸に手を当てた。
「ここよ」
「ここ……?」
「私の中にいるわ」
「えええええええええええ!?」
私は思わずベンチから飛び上がりそうになった。
「そっか。メイは知らないのね」
「初めて知りましたよ、そんなこと!」
「魔族の中で一番強い者が魔王に選ばれる理由が、それなの」
ミーレ様は静かに続けた。
「精霊は、一番強い者を器にして眠る。だから魔王は、ただ国を治める者ではないの。魔族全員の命を預かる器でもある」
「では、魔王様の中に……魔族全員の命が……」
「そういうことになるわね」
私は青ざめた。
目の前にいる美しい女性。
よく屋上へ抜け出して、私を困らせて、怪談を楽しそうに話す人。
その人の中に、魔族全員の命がある。
城下町で働く人たちも。
兵士たちも、シスさんも。
ミアロお母さんも。
そして、私も――。
全員の命が、ミーレ様とつながっている。
「だから、私がもし殺されるようなことがあったら……」
「お願いします! お身体は大事になさってくださいいいいいいいい!」
私は反射的に両手を合わせて懇願した。




