2話 魔法は使えません
「すいませーん……失礼しまーす……」
魔王城の正門前は、朝からひどく混んでいた。
鎧を着た兵士。
書類を抱えた役人に物資を運び込む商人。
誰もが忙しそうに行き交っている。
「魔王城って、一年中こんなに人通りが多いんですね……」
きょろきょろと周囲を見回しながら、私は入口を探した。
「えーと……どこから入ればいいのでしょうか……」
「そこの女、止まれ」
「は、はい!」
低い声に呼び止められ、私は背筋を伸ばした。
門の横に立っていた兵士が、槍の柄で石畳を軽く叩く。
鋭い目で見下ろされ、喉がひゅっと鳴った。
「魔王城に何用だ?」
「私はメイと言います。家名はありません! 本日より魔王城にて働くことになった下級魔族です!」
緊張のあまり、声が裏返った。
兵士は手元の名簿を確認し、短く頷いた。
「新入りか。階段下に関係者用の入口がある。そこから入れ」
「あ、ありがとうございます!」
何度も頭を下げてから、私は正門の脇へ回った。
教えられた場所には、城壁に隠れるように小さな扉があった。
王族や貴族が通る豪華な門とは違い、使用人や出入りの商人が使う裏口らしい。
扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
「わ……」
中に入った瞬間、思わず声が漏れた。
魔王城の廊下は、想像していたよりもずっと広かった。
天井は高く、壁には古い紋章が刻まれている。
床は黒い石でできていて、磨き上げられた表面に自分の顔が映りそうだった。
「遅いぞ。お前以外は既に到着している!」
「す、すいません!」
廊下の奥から現れた女性が、鋭い声で私を叱った。
背筋がぴんと伸びた、厳しそうなメイドだった。
年齢はミアロより若そうだが、目つきの迫力は宿の酔っ払いを黙らせるミアロに負けていない。
「まあいい。早く入れ」
「は、はい!」
案内された部屋には、同じように今日から働くらしい者たちが数人並んでいた。
全員が落ち着いた様子で、私だけがそわそわしている。
「お前がメイか」
「はい!」
「わたしはメイド長のシスだ。上司の言うことは、ちゃんと聞くように」
「わかりました!」
「返事はいいな。ほら、これに着替えろ」
渡されたのは、黒を基調にしたメイド服だった。
白いエプロンに、きちんと整えられた襟。
宿屋で着ていた作業着とは違い、袖を通すだけで背筋が伸びる気がした。
着替えを終えると、先ほどの女性が書類を見ながら私に尋ねた。
「掃除、洗濯、料理はどの程度できる?」
「すべてできます。宿屋で10年働いていましたので」
「文字は読めるか?」
「はい。お母さんに教えてもらいました」
「……優秀だな」
予想外に褒められて、私は目を丸くした。
「お、お母さんに感謝です……」
「早速だが、お前には料理を担当してもらう」
「は、はい!」
厨房へ案内されると、私はまたしても声を失った。
宿屋『豊穣』の厨房も広いと思っていたが、魔王城の厨房はその比ではなかった。
壁際には巨大な棚が並び、肉や野菜が山のように積まれている。
床には大鍋がいくつも置かれ、そのどれもが私の腰より高かった。
「す、すごい大きい鍋ですね……」
「兵士の分を作らねばならんからな」
「何人分ですか?」
「日によるが、少なくとも数百人分だ」
「す、数百人……」
宿屋で大人数の食事を用意したことはある。
けれど、数百人分はさすがに未知の領域だった。
「料理に火は必須だ。焼く時は『ファイア』を使うように」
「え……」
私は固まった。
先輩メイドは眉をひそめる。
「どうした?」
「あの、その……私……」
胸の奥がきゅっと縮む。
何度も経験したことだった。
子どもの頃から、私は魔法が使えなかった。
魔族なら誰でも使えるはずの簡単な火の魔法も、灯りをともす魔法も、水を呼ぶ魔法も、一度として成功したことがない。
「実は、魔法が一切使えないんです」
「……何?」
厨房の空気が、少しだけ止まった。
「ファイアは下級魔法だぞ。子どもでも扱えるはずだが」
「すみません……私、魔法の適性が何もなくて……魔力もまったく感じ取れなくて……」
先輩メイドは、じっと私を見た。
責めるような目ではなかった。けれど、何か言葉を探しているようだった。
「……珍しい体質だな」
「すみません……」
「謝るな。使えないものは仕方ない」
先輩メイドは小さくため息をついた。
「ファイア程度なら、誰かに頼めば済む。お前は包丁と手を動かせ」
「はい!」
怒鳴られなかったことに少しだけほっとしながら、私はまな板の前に立った。




