表舞台に引きずり出す
「ここからは、僕と倫理のない魔王の戦いだ」
モラスが、ゆっくりと指を鳴らした。
「否定ばかりするメイド女は、大人しくしてもらうよ」
その瞬間、廊下の奥から福音の塵に侵された者が飛び出してきた。
「っ……!」
逃げる間もなかった。
背後から腕を掴まれ、床へ叩きつけられる。
肺の中の空気が一気に押し出され、声にならない悲鳴が漏れた。
すごい力だった。
細い腕とは思えないほど強く、私の肩と背中を押さえつけてくる。
身動きが取れない。
「今すぐスイッチを入れて、君を爆発で殺してやりたい」
モラスは、私を見下ろして笑った。
「けど我慢だ。ここは我慢してやる」
「ぐっ……!」
「僕の長年の研究成果、福音の塵を否定したお前を、あっさり死なせるわけにはいかない。反省させてやる。僕を否定したことを、骨の髄まで後悔させてから、僕の手で殺してやる」
起き上がれない。
腕も動かせない。
喉の奥から、恐怖で震えた息だけが漏れる。
「メイ!」
ミーレ様がこちらを見た。
その瞬間、モラスの顔が歪む。
「戦いの最中によそ見とは、僕を馬鹿にしているのか!」
モラスの右手に炎が集まった。
「メガファイア!」
巨大な火球が放たれる。
ミーレ様は片腕でゼル様を抱いたまま、もう片方の手で魔王剣を振るった。
銀の刃が炎を斬り裂く。
火球は王室の壁を焦がす前に、空中で霧散した。
「……ふん。埒が明かないね」
「はあ……はあ……」
ミーレ様の呼吸が荒くなっている。
顔色はますます悪い。
額には汗が浮かび、唇の色も失われていた。
体調不良の身体で、ゼル様を守りながら戦っている。
強いはずのミーレ様が、今にも倒れてしまいそうだった。
「苦しそうだね、ミーレ」
モラスは楽しそうに目を細めた。
「罰が当たったんだよ」
「……な、何を言ってるんですか……!」
私は床に押さえつけられたまま、必死に声を絞り出した。
「魔王様は、罰が当たるようなことをしていません……!」
モラスの眉間に、深いしわが寄る。
「……またか。また僕を否定するか、女」
声が低く沈む。
「そんなに僕を煽りたいのか? 王族は悪だ。精霊を宿す者が王になる仕組みは異常なんだ。精霊が死ねば魔族は滅びる。だから誰も王に逆らえない。そんな独裁的な王に罰が当たらないだと? 否定するなら、もう少し頭を使え!」
モラスがつらつらと言葉を並べるが、意味がわからず一切頭に入らない。
――ただ、ムチャクチャな主張をしていることだけはわかる。
私は歯を食いしばった。
「人を操って、爆発させて、赤ちゃんを殺そうとするあなたより……魔王様の方が、ずっと正しいです……!」
「黙れ!」
モラスが激高する。
その時だった。
『……地獄に堕ちなさい。王様ごっこさん』
背後から、聞き覚えのある女性の声がした。
――直後。
ざんっ、と鈍い音が響いた。
「ぐっ……!?」
モラスの背中が裂け、血が噴き出す。
背後にいたのは、手のひらサイズの人形だった。
小さな両手に握ったナイフが、赤く濡れている。
「ま、またお前か……!」
モラスが振り返る。
「また不意打ちだと……!? 命のやり取りをするなら、正々堂々とあるべきだろう……! やはり女はどいつもこいつも愚かだ! 倫理がなっていない!」
『黙りなさい。不快です』
人形の声は冷たかった。
次の瞬間、廊下の影から、次々と人形が現れた。
1体……2体……3体……
手のひらほどの小さな人形たちが、きーきーと鳴きながらモラスへ群がる。
「やめろ! 僕に触るな! 僕を誰だと思っている!」
『醜い偽物でしょう?』
人形たちは容赦なくナイフを突き立てた。
腕、脚、胸、喉――。
モラスの身体から血が溢れ、床へ広がっていく。
やがて、彼はびくりと大きく痙攣したあと、動かなくなった。
「お、終わったのですか……?」
私は拘束されたまま、震える声で尋ねた。
モラスが死んだ。
少なくとも、目の前のモラスは動いていない。
けれど、人形は淡々と告げた。
『これは偽物ですよ。先ほどの卑怯な男のコピー品です。本物は別にいます』
「偽物……」
ミーレ様が小さく息を呑む。
「何度死んでも蘇るからくりは、そういうことだったのね」
『福音の塵で意識を奪った者に、イミテーションで自分の姿を与えているのでしょう。悪趣味で、臆病で、実にあの男らしい手口です』
「メイ。すぐに解放するわ」
ミーレ様が魔王剣を構えた。
そして、私を押さえつけている末期者を見た。
一瞬だけ、ミーレ様の表情が痛みに歪む。
それでも、彼女は剣を振った。
銀の斬撃が走る。
私を拘束していた末期者の首が、音もなく落ちた。
身体が崩れ、私の背中を押さえつけていた重みが消える。
「……ごめんなさい」
ミーレ様は、倒れた末期者へ向けて小さく呟いた。
「どうか安らかに眠って。あなたたちを殺した罪は、私が一生背負うわ」
その声に、胸が締めつけられた。
ミーレ様は、操られた人たちを敵とは思っていない。
救えなかった命として、ちゃんと見ている。
だからこそ、剣を振るたびに傷ついている。
「あの、人形さん。尋ねてもよろしいですか?」
『内容次第で回答いたします』
「先ほどの方が偽物なら……本物はどこにいるのですか?」
『近くにいますよ。間違いなく』
「え?」
『偽物を自分そっくりに動かすには、細かな指示が必要です。完全な自律人形ではありません。福音の塵で操っているだけなら、なおさら本体の意識が近くにあるはずです』
人形は、私の方を見た。
『それに、あなたも心当たりがあるでしょう?』
「私、ですか……?」
『首を絞められた時、こう言われたはずです。「微塵も魔力を感じない」と』
「……はい」
『あれは、モラス本人の観察による言葉です。少なくとも、偽物の向こう側で本物があなたを見ていた』
背筋が冷たくなった。
あの時――私の首を絞めていたのは偽物だった。
けれど、その向こう側で、本物のモラスが私を見ていた。
私に魔力がないことを知り、福音の塵が効かない理由を理解し、怒り狂っていた。
「……本物は近くで、偽物を操っている……?」
その問いに、人形が答えるより早く、床に大きな魔法陣が浮かび上がった。
黒い光が、王室の床を這う。
「――タネがバレたなら仕方ない」




