嫌われた政治家が殺された歴史
ミーレ様は、体調を崩すことが増えていた。
「魔王様……」
この日、私は付き添いとして、魔王城の会議室に来ていた。
私はゼル様を抱っこしながら、会議を傍聴することになった。
空を見るため、ゼル様を部屋の外へ連れ出して以降、護衛付きであれば外出を許可する方針になった。
ゼル様の成長のためでもあるが、魔王様の側近や政治に関わる者たちに、ゼル様を紹介する意味もあるらしい。
会議室でゼル様を見た大人たちは、最初こそ頬を緩めて可愛がっていた。
けれど、会議の時間になると、すぐに顔つきが変わる。
先ほどまでの柔らかな空気は消え、部屋全体が重々しい雰囲気に包まれた。
広い部屋の中央には長い机が置かれ、そこにミーレ様と数人の兵士、文官らしき人たちが座っている。
議題は、税金についてらしい。
らしい、というのは、私にはその仕組みがほとんど分からなかったからだ。
徴税率。
城下町の維持費。
農地開拓に必要な補助金。
警備費。
福音の塵の調査費。
難しい言葉が次々と飛び交う。
私は部屋の隅で控えながら、ただ目を回していた。
税金というものは、ただ集めればいいわけではないらしい。
高すぎれば国民の暮らしが苦しくなる。
低すぎれば、城や兵士を維持できなくなる。
魔王様は、その間でずっと頭を悩ませているのだ。
「……今年も警備費は削れないわね」
ミーレ様が、書類に目を落としたまま呟いた。
顔色は悪い。
それでも、声だけはしっかりしていた。
「福音の塵の件がある以上、城内と城下町の警備は強化する必要があるわ。でも、その分をそのまま税に上乗せするわけにはいかない」
「ですが、魔王様。このままでは財源が不足します」
「税を上げるべきです!」
文官らしき人たちが声を荒げ、増税を促す。
しかし、ミーレ様は静かに首を横に振った。
「皆の言い分は分かっているわ」
ミーレ様は淡々と述べる。
「けれど、民の暮らしを削る前に、城の支出を見直しなさい。でなければ、10年前と同じことになるわよ」
「「「……」」」
ミーレ様の言葉に、文官たちは全員口を閉じた。
”10年前”
その言葉には、それだけの重さがあった。
ミーレ様は、熱が完全に下がっていないのか、時折、小さく咳をしていた。
それでも会議は続いた。
◇ ◇ ◇
ようやく話し合いが終わる頃には、私は立っているだけなのにぐったりしていた。
ミーレ様はもっと疲れているはずなのに、最後まで書類から目を逸らさなかった。
空気が少し緩み、会議室にいるのは私とミーレ様と護衛の兵士だけになった時――扉が開いた。
「やあ、メイ。元気にしてるかい!」
聞き覚えのある声に、私は思わず顔を上げた。
「お母さん……!」
そこに立っていたのは、宿屋『豊穣』の主人であり、私の育て親でもあるミアロだった。
いつものように豪快な笑みを浮かべ、片手にはずっしりと重そうな袋を持っている。
「な、なぜここにいるんですか……?」
「今日は納税の日だからね。魔王城まで持ってきたのさ。ついでに、あんたの顔も見たくてね」
ミアロは私の頭から足元までをじろじろと見た。
「元気にしてるかい?」
「はい。もちろんです!」
「なら良かったよ。アンタはまだ若いんだ。無理して早死になんて絶対にするんじゃないよ! はっはっは!」
ミアロはそう言って豪快に笑うと、今度は私の腕で眠るゼル様に視線を向けた。
「ほー? これが噂の王子様かい? ずいぶんと可愛いじゃないか。将来、カッコ良くなるか憎たらしいクソガキになるか楽しみだね!」
「そうですね。ゼル様が立派な大人になるように、私達が導いてあげないといけません」
「ほー……立派なこと言うようになったじゃないかい! アンタの言う通りだよ、ガキを責任持って育てんのが大人の仕事さ! 忘れるんじゃないよ!」
ミアロは私の髪をわしゃわしゃとすると、ミーレ様に親しく話しかけた。
「それにしても、あんたは死にそうな顔してるじゃないかい。ミーレ」
「……ミアロ。久しぶりね」
ミーレ様は苦笑する。
「相変わらず豪快ね。ここに入る許可は取ったのかしら?」
「もちろんさ。門番にちゃんと納税だって言ってきたよ」
「それは許可とは少し違う気がするわね……」
「お二人とも、知り合いなんですか!?」
私は思わず声を上げた。
ミアロはにやりと笑う。
「ミーレは魔王になる前、よくうちに泊まって酒をがぶがぶ飲んでいたからね!」
「昔の話よ。懐かしいわね」
ミーレ様は少しだけ苦笑した。
「でも、がぶがぶというほどではなかったと思うわ」
「飲んでただろう。若い頃のあんたは、よく飲んで、よく食べて、よく寝てた」
「……今より健康的だったかもしれないわね」
「今は不健康すぎるんだよ。あの頃の面影がなくなってるよ」
ミアロの言葉に、ミーレ様は困ったように笑うだけだった。
ミアロは手に持っていた袋を机の上へ置く。
どさり、と重い音がする。
「まあ、ちょうどいいさ。ほらよ。今年の分の税金だ。大切に使いな」
「ミアロ。毎年ありがとう」
ミーレ様は丁寧に頭を下げた。
魔王様が宿屋の主人に頭を下げる。
その光景に、私は少し驚いた。
「どうだい、ミーレ。メイはなかなか優秀だろう?」
「ええ。とても助かっているわ」
ミーレ様は私を見て、柔らかく微笑んだ。
「メイのおかげで、ゼルも無事に生まれたわ」
「そりゃよかった」
ミアロは満足そうに頷いた。
私が魔王城で働くことになったきっかけは、ミアロからの推薦だった。
魔王城はメイドの人員が不足していた。
けれど、不審な事件が続いていたせいで、新しく人を雇うことには慎重になっていた。
そこで、魔王城から派遣された人が『豊穣』の従業員を譲って欲しいと交渉してきたのだ。
ミアロの元で働いている人なら信用できると考えたらしい。
その結果、選ばれたのが私だった。
ミアロがミーレ様とここまで親しい仲だったことは、今日初めて知ったけれど。
「うちの従業員をやったんだ。今年の税金は免除してくれないかい?」
「そんなルールはないわよ。紹介料は支払われているはずでしょう?」
「はっはっは! そうだったね!」
ミアロは豪快に笑った。
それから、机の上の袋を軽く叩く。
「決して安い金じゃないからね。文句くらいは言いたくなるさ」
「ええ。分かっているわ」
「けど、まあいいさ。このくらい払ってやるよ。前の王に比べたら、ずっと安いもんさ」
前の王。
その言葉に、会議室の空気が少しだけ変わった。
ミーレ様の表情も、わずかに硬くなる。
「ありがとう、ミアロ。毎年払ってくれて助かるわ」
「大切に使いな。無駄遣いしたら承知しないよ」
「分かっているわ」
ミーレ様は静かに頷いた。
「それが原因で、前の王は大変なことになったんだから」
その事件は、私も知っている。
約10年前のことだ。
当時の魔王とその周囲の政治家たちは、重い税を課したのだ。
民の暮らしが苦しくなっても税を上げ続け、集めた金で贅沢を繰り返した。
その結果、国民の怒りは限界を超えた。
そして前魔王と多くの政治家が、市民によって殺害された。
魔族の歴史の教本にも載っている大事件である。
その後、王となったミーレ様は、長い年月をかけて税の仕組みを見直したらしい。
高すぎず、低すぎず。
国を守るために必要な分を集めながら、民の暮らしを壊さないように。
簡単に聞こえるけれど、今日の会議を見ただけでも、それがどれほど難しいことなのか分かった。
「私、魔王になる時、怖かったのよ」
ミーレ様がぽつりと言った。
「国民に殺されるんじゃないかって、気が気ではなかったわ」
「はっはっは!」
ミアロは遠慮なく笑った。
「わたしゃ年寄りだからね。国民に嫌われた政治家や王が何人も殺されるのを見てきたもんさ。同じようにならないようにするんだね」
「恐ろしいことを言わないでちょうだい……」
ミーレ様は大きくため息をついた。
けれど、その顔は冗談だけでは済ませられないものだった。
王であるということ。
精霊を宿しているということ。
国を守るということ。
それは、ただ強いだけでは務まらない。
民から金を集め、使い道を決め、不満を受け止め、それでも国を動かし続けなければならない。
私は今まで、魔王様は強くて、美しくて、皆から敬われる存在なのだと思っていた。
でも、それだけではなかった。
嫌われるかもしれない。
恨まれるかもしれない。
殺されるかもしれない。
そんな恐怖を抱えながら、それでも玉座に座り続けている。
「……ミーレ様は、大変なのですね」
思わず呟くと、ミーレ様は少しだけ驚いた顔をした。
それから、疲れたように微笑む。
「大変よ。とても……」
「……」
「でも、誰かがやらなければならないことだから」
その言葉に、私は何も返せなかった。
ミアロは袋を机に残すと、私の方へ歩いてきた。
「メイ」
「はい」
「しっかり働きな。あんたが思っているより、ここはずっと大変な場所だよ」
「……はい」
「それと、たまには帰っておいで。宿屋の連中も、あんたの顔を見たがってる」
ミアロは私の頭をくしゃりと撫でた。
昔と同じ、大きな手だった。
「じゃあね、ミーレ。倒れる前に休みな」
そう言い残して、ミアロは豪快に笑いながら会議室を出ていった。
扉が閉まると、部屋にはまた書類の山と、重たい空気が残った。
ミーレ様は税金の入った袋を見つめ、静かに呟く。
「大切に使わないとね」
その横顔は、ひどく疲れていた。
けれど同時に、魔王としての責任を手放す気はまったくないように見えた。
私はその姿を見て、改めて思った。
ミーレ様は強い。
でも、その強さは、ただ敵を倒すためのものではない。
国を背負い、民の生活を背負い、過去の失敗と恐怖まで背負って、それでも前に進むための強さなのだ。




