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王子様に空を見せたい

 今日も朝から、ミーレ様は仕事だった。


 王室には、私のサポートとしてシスさんとカッシリーさんが来ている。

 ゼル様は寝台の上で、ころころと寝返りをうちながら、小さな手を伸ばしていた。


 私はその姿を見つめながら、胸の奥にある言葉を何度も飲み込んでいた。


 言っていいのだろうか。


 これは、ただの下級メイドである私が口にしていいお願いなのだろうか。

 けれど、このまま何もしなければ、きっと後悔する。


 そう思って、私は二人に向き直った。


「あの……お二人にお願いがあります」


「改まってどうしたのー? お願いしなくても、カッシリーがお菓子あげるよ」


「メイがそんなことを言うのは珍しいな。話せ」


 シスさんは真剣な顔で私を見る。


 私はゼル様を抱き上げ、ゆっくりと言った。


「ゼル様と魔王様が、一緒に過ごせる時間を作りたいんです」


「魔王様とゼル様の?」


「はい。できれば、ゼル様に空を見せてあげたいんです」


 私の言葉に、シスさんの眉がわずかに動いた。


 カッシリーさんはきょとんと首を傾げる。


「空くらい見せてあげればいいと思うけどー。って、あれ? この部屋、窓ないね。カッシリーびっくり」


「王室には窓がない」


 シスさんが静かに説明する。


「外から魔法で狙撃されないための対策だ。王族は何があるか、わからんからな」


「ゼル様、生まれてから一度も空を見たことないのー?」


 カッシリーさんはゼル様を見た。


「あ、でも屋上で生まれたんだっけ? なら見たことあるのかな?」


「生まれた時は、まだ目を開けられません。なので、おそらく……空を見たことはないかと」


「ずっと王室なんだー」


 カッシリーさんの声が、少しだけ沈んだ。


「それ、ちょっと可哀想……」


 その言葉に、私は強く頷きそうになった。


 可哀想。


 その一言で片づけていい話ではないのかもしれない。


 ゼル様を守るためには仕方ない。

 危険がある以上、外へ出さないのは当然だ。


 でも、それでも――。


 この子が一度も空を知らないまま育つのは、あまりにも寂しいと思ってしまった。


「しかし……ゼル様を外に出すのは難しい」


 シスさんは腕を組んだ。


「リーダー! ゼル様が可哀想だよー。お菓子あげるから、新人メイドちゃんのお願い聞いてあげよう」


「菓子で解決する問題ではない」


「じゃあ2袋」


「数の問題ではない」


 シスさんは小さくため息をついた。


「私だって、聞いてやりたいさ」


 その声には、怒りではなく苦しさがあった。


「だが、これは命に関わる問題だ。もし最悪の事態が起きたら、クビや斬首刑でも責任を取りきれん。私たちの首が飛んだところで、ゼル様の命は戻らないのだ」


「……そう、ですよね」


 分かっていた。


 分かっているけど、胸の奥が沈む。


 ゼル様は私の腕の中で、何も知らずに「あう」と声を上げた。


 その時だった――。


『可愛い悩み』


 聞き慣れない女性の声が、王室に響いた。


「何者だ――!?」


 シスさんが即座に短剣を抜く。


 カッシリーさんも慌てて木剣を構えた。


「え、なになに!? お菓子泥棒!?」


「黙って構えろ!」


 声は、王室の扉の近くから聞こえた。


 私たちが一斉にそちらを見ると、そこにいたのは手のひらサイズの人形だった。


 小さな身体に丸い頭。

 ぎこちなく動く手足。


 けれど、その人形からは、確かに女性の声がしていた。


「人形さんー。お菓子あげるから帰ってほしいなー」


『ご安心ください。危害を加えるつもりはありません。もちろん、そちらが攻撃してきた場合は、相応に反撃いたします』


 シスさんが低く唸る。


「扉の前には兵士がいたはずだ。どうやって入った?」


『扉から入っておりませんので』


「……何?」


『あ、それと大声を出して兵士を呼ぶのは控えていただけますか? あなたたちの可愛い悩みを解決するために、わざわざ声をかけてあげたのですから』


「信用ならん。斬る」


 シスさんが一歩踏み出した。


 その瞬間、私は慌てて声を上げる。


「待ってください!」


「メイ?」


「人形さん、あなた……モラスさんが襲撃してきた時、私を助けてくださった方ですよね?」


 人形の丸い顔が、こちらを向いた。


『人形さんって、あなた……。わたくしの本体は別にあります。この人形を使って、遠い場所から会話しているだけです』


「そうなんですね。すごい魔法です」


 人形は小さな肩をすくめるように動いた。


『モラス……あの醜い男のことですね。そこの赤子に尽くしているメイドが死なれると、わたくしが困ります。なので助けてあげました』


「あの時は、ありがとうございました」


 私はゼル様を抱いたまま、深く頭を下げた。


 シスさんはしばらく人形を睨んでいたが、やがて短剣を下ろした。


「敵ではない、ということか……?」


『あなたとわたくし。敵対するほどの関係は築いてないでしょう』


「曖昧だな」


『曖昧で結構です。世の中、白黒だけで分けられるほど単純ではありませんので』


 シスさんの目が細くなる。


「なら答えろ。なぜ魔王城内をうろついていた?」


『魔王剣の資格を持つ者を監視していました』


「魔王様を監視していたのか?」


『それもあります』


 人形は、ゆっくりとゼル様の方を向いた。


『ですが、もう一人いるでしょう? 魔王剣に触れる資格を持つ者が』


 私は目を丸くした。


 まさか――。


「ゼル様……ですか?」


『はい。その通りです』


 人形の声は淡々としていた。


『頭のおかしい元裁判長が、魔王とその子どもを殺そうとしている。そういう情報を得たため、人形を送って監視していました』


「どこでその情報を得た」


 シスさんが鋭く問う。


『答える義務はありません』


「お前はいったい何者だ。魔王剣の資格を持つ者と、おまえは何の関係がある?」


『それもお答えできかねます。わたくしにもプライバシーがございますので。それに話したところで、どうせ信じていただけません』


「複雑な事情を持った人形さんみたい。ストレス溜まるんじゃない? お菓子あげるよー」


『いりません』


「えー。美味しいのに」


 カッシリーさんは少し残念そうに肩を落とした。


 人形は気にした様子もなく、こちらへ向き直る。


『本題に戻しましょう。その子に空を見せたいのですよね』


「は、はい……」


 私はゼル様を抱く腕に力を込めた。


「でも、危険なのは分かっています。だから、どうすればいいのか……」


『なら、一芝居付き合ってください』

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