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魔王様の家族の時間

 ――夜。


 仕事を終えて王室へ戻られたミーレ様は、顔が真っ青だった。


「魔王様……!」


 思わず声を上げる。


 ミーレ様は扉のそばで一度足を止め、壁に手をついた。


 その指先には力がなく、立っているだけでも苦しそうだった。


「し、心配かけるわね……メイ……」


 そう言って笑おうとするが――。


 その笑顔はあまりにも弱々しかった。


 日に日に、ミーレ様の体調は悪くなっている。


 肺炎は治りきっていない。

 本当なら、もっと休養が必要なはずだった。


 それでもミーレ様は、魔王としての仕事に戻らなければならなかった。


 何度も現れるモラス。

 福音の塵。

 人間族による空からの偵察。

 城内警備の見直し。

 国民の不安。


 どれも、魔王であるミーレ様でなければ判断できないことばかりだった。


 魔族の国を守れるのは、ミーレ様しかいない。


 だから、誰も強く止められなかった。


 でも、このままでは取り返しのつかないことになる。


 そんな嫌な予感が、胸の奥で膨らんでいた。


「魔王様、お身体が……」


「大丈夫よ……少し、疲れただけ……」


 私の腕の中で、ゼル様が小さく声を上げた。


「あう……」


 その声に、ミーレ様の表情が少しだけ柔らかくなる。


「ゼル……ただいま……」


 ミーレ様はゼル様へ手を伸ばそうとした。


 けれど、その手は途中で力を失ったように下がってしまう。


 私は胸が痛くなった。


 抱きしめたいはずなのに。

 声をかけたいはずなのに。

 母親として、そばにいたいはずなのに。


 それすらできないほど、ミーレ様は疲れ切っていた。


 ミーレ様は背中に負っていた魔王剣を外し、壁に立てかける。


 いつもなら丁寧に扱うその動きも、今日はどこかぎこちなかった。


 金の鍔が壁に触れ、かたりと小さな音を立てる。

 その音さえ、今のミーレ様には重すぎるように見えた。


 ミーレ様は寝台まで歩くと、ゆっくりと身体を横たえた。


「少しだけ……眠るわね……」


「はい。どうか、ゆっくりお休みください」


「ゼルを……お願い……」


「お任せください」


 私が頷くと、ミーレ様は安心したように目を閉じた。


 次の瞬間には、もう眠っていた。


 眠った、というより、意識が落ちたように見えた。


 それほど限界だったのだ。


 休んでいただけるのは嬉しい。


 けれど、胸の奥は晴れなかった。


 私はゼル様を抱いたまま、寝台で眠るミーレ様を見つめる。


 顔は青白く、呼吸は浅い。


 その姿は、魔族最強の魔王には見えなかった。


 ただ、疲れ果てた1人の母親だった。


「あう?」


 ゼル様が、不思議そうにミーレ様へ手を伸ばす。


 小さな指先は、眠る母親には届かない。


 それでもゼル様は、何度も何度も手を伸ばそうとした。


「……ゼル様」


 私はそっと、その手を包んだ。


 ミーレ様でなくては、魔族を守れない。


 けれど、そのせいでミーレ様は多忙になり、ゼル様と一緒に過ごす時間を失っている。


 国を守るために、家族の時間が削られていく。


 それは本当に、仕方のないことなのだろうか。


 魔王として正しくても――。


 母親として……家族として……これは正しいのだろうか。


 私には、分からなかった。


 今の魔族には、考えなければならないことが山ほどある。


 それでも私は、目の前の二人から目を離せない。


 眠る母親へ手を伸ばすゼル様の姿が、どうしようもなく寂しかった。


「……どうにか、できないでしょうか」


 私は小さく呟いた。


 国を救う方法なんて分からない。


 モラスを倒す方法も、人間族を追い払う方法も、私には分からない。


 私は魔法も使えず、剣もまともに振れない。


 けれど、ほんの少しだけでも、ミーレ様とゼル様が一緒に過ごす時間を作ることなら。


 それくらいなら、私にもできるかもしれない。


「ゼル様」


「あう」


「お母さんと空を見たくありませんか?」


「あう~」


 ゼル様は、意味を分かっているのかいないのか、小さく声を返した。


 仕事ではなく、戦いでもなく、国のためでもなく。


 ただ、母と子として、一緒に空を見上げてほしかった。


 私は眠るミーレ様を見つめながら、そっと拳を握った。


 何かしなければならない。


 このままでは、きっと後悔する。


 そんな気がした。

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