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EX.吐き気がするほど邪悪な男

 魔族の国の外には、深い森林が広がっている。


 そこは、あまり人の近づかない場所だった。


 かつて家畜だったものが、魔物のように変質し、森の中をさまよっているからだ。

 豚、牛、鶏。

 人の手を離れたそれらは、長い年月の中で凶暴化し、今では立派な脅威となっていた。


 国の外に出る者は少ない。


 せいぜい、森の手前を切り開き、畑として使う程度。

 その先の森林地帯にまで足を踏み入れる者は、よほどの事情がある者か、命知らずくらいのものだった。


 そんな森の中枢部。


 木々に隠れるように建てられた、今にも崩れそうなボロ小屋があった。


 その中に、一人の少女がいる。


 ゴシック調の黒い服。

 腰まで伸びた銀色の髪。

 右目を覆う眼帯。


 年齢は、メイとそう変わらないようにも見える。

 けれど、その佇まいには、年相応の幼さよりも、どこか人形じみた冷たさがあった。


 少女の周囲には、手のひらサイズの人形がいくつも転がっている。


 壊れたもの。

 腕のないもの。

 首だけになったもの。

 まだ動き出しそうなほど綺麗なもの。


 少女はその一体を膝の上に乗せ、小さな指先で丁寧に糸を結び直していた。


「……来客ですか」


 少女が、ふと顔を上げる。


 小屋の外から、足音が聞こえた。


 重い足音ではない。

 森の獣でも、魔物化した家畜でもない。


 それは明らかに、人の足音だった。


「こんな汚らしい森に住みつくとは、倫理を疑うよ。正気とは思えないね」


 小屋の外から、独り言のような声が響く。


 少女は眉ひとつ動かさず、人形を机に置いた。


 そして、軋む扉を開けて外へ出る。


「人の住処にケチですか? ゾンビさん」


 森の薄暗がりに立っていたのは、先日死んだはずの男だった。


 モラス元裁判長。


 首が折れ、地面に叩きつけられ、死体として回収されたはずの男。


 その男が、何事もなかったかのように立っていた。


「人をゾンビ呼ばわりとは、倫理を疑うね」


 モラスは不愉快そうに顔を歪める。


「差別的なあだ名をつけて、いい気になるなよ女。これだから女は嫌いなんだ。愚かで、頭が悪くて、すぐに感情で物を言うんだ」


「吐き気がするほど邪悪な男ですね、あなた」


 少女は顔を歪め、心底嫌そうに言った。


「君だろう?」


 モラスの目が細くなる。


「あの不快な人形をけしかけたのは。人を爆発で吹き飛ばし、高所から落下させ、首をへし折る。君の倫理はどうなっているんだい?」


「よく特定できましたね。バレないように気を使っていたのですけど」


「僕は魔力を検知する能力が、人一倍優れているんだ」


 モラスは得意げに胸を張った。


「君と人形を繋いでいた魔力の糸を辿らせてもらった。この能力は、倫理に優れた僕へ世界がくれた贈り物だよ」


 両腕を広げ、大げさに笑う。


 少女はその様子を見て、呆れたように肩をすくめる。


「何度死んでも蘇る能力も、世界がくれた贈り物とでも言うつもりですか?」


「もちろんさ!」


 モラスは迷いなく答えた。


「優れた倫理を持つ者は、優遇されなければならない。僕が死を超越するのは当然のことだ!」


「ウソばっかり」


「……なんだと?」


 モラスの笑みが消えた。


 少女は、淡々と続ける。


「物を別の形に象る魔法、イミテーションがあります」


 モラスの奥歯が、ぎり、と鳴った。


福音の塵(ゴスペルダスト)で操っている者を、あなたと同じ容姿に変えただけでしょう?」


「……」


福音の塵(ゴスペルダスト)で意識を縛り、好き放題に動かせるからこそできる裏技ですね。あなたらしい、臆病で、姑息なからくりです」


 少女は、冷たい笑みを浮かべた。


「ここに来ているあなたも偽物でしょう? 臆病者の元裁判長さん」


「この女ァッ!」


 モラスは顔を怒りで歪めると、少女へ襲いかかる。


 素早く腕が伸ばされるが、少女は慌てなかった。


「お喋りが過ぎたようですね」


 少女は小さく息を吐く。


「そろそろ、わたくしは逃げさせてもらいます」


「なんだと。人を煽るだけ煽って、逃げるなんて許さな――」


 その瞬間――。


 びゅん、と空気が裂けた。


 黒い弾丸のような何かが、森の奥から飛来する。


 それはモラスの身体に直撃した。


「が……?」


 モラスの腹部に、大きな空洞が開いていた。


 血が遅れて噴き出す。


 モラスは自分の身体を見下ろし、信じられないという顔をした。


「な、何が……起きた……?」


「また来たのですね」


 少女は、黒い弾丸が飛んできた方向へ視線を向けた。


「しつこいですね」


 森の奥から、一人の少女が姿を現した。


 黒いシスター服。

 首元にかけられた小さな十字。

 手には、魔族の武器とは明らかに異なる、金属製の長い筒。


 先日、死体として魔王城に運ばれた人間族の女性と、同じ服装だった。


 人間族の少女。


 彼女は表情を変えず、淡々と告げる。


「コードネーム:ドールを発見。近くに魔族の男がいたため、排除しました」


 少女の耳元につけられた小さな通信機から、ざらついた声が漏れる。


『了解。ただちにドールを始末、または捕獲せよ。排除した男は、別部隊が回収に向かう』


「はい」


 シスター服の少女は、迷いなく返事をした。


 ゴシック服の少女――ドールは、小さく肩をすくめる。


「変な名前をつけてくれましたね。まあ、分かりやすくて結構です」


「な、なぜ……僕が……」


 腹に穴を開けたモラスが、地面に膝をつく。


「こんな……あっさり……」


「人間族を舐めない方がいいですよ」


 ドールはモラスを一瞥した。


「恐ろしい集団ですので」


 シスター服の少女が、金属の筒を構え直す。


 その動きに迷いはなかった。


 ドールは指を軽く振る。


 小屋の中から、人形たちが一斉に動き出した。


 きー! きー!

 きー! きー!


 甲高い鳴き声が、森の中に広がる。


「では、わたくしは死にたくないので、この辺で失礼します」


 ドールはスカートの裾をつまみ、優雅に一礼した。


「もうあなたとは会いたくありません。ごきげんよう、偽物の裁判長さん」


「待て……! この、女……!」


 モラスが手を伸ばす。


 しかし、ドールはもう振り返らなかった。


 人形たちがシスター服の少女へ飛びかかる。

 少女は無表情のまま、黒い弾丸を放つ。

 小屋の壁が砕け、木々が折れ、森の中に爆音が響いた。


 その混乱の中、ドールの姿は木々の奥へ消えていく。


 腹に穴を開けたモラスだけが、泥の上に取り残された。


「僕を……誰だと……思っている……」


 その声は、森に響く銃声にかき消された。

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