弱くなる特殊な体質
モラスの襲撃以降、私たちメイドに新しい日課ができた。
訓練である。
「ふぇー……朝から面倒だよー。お菓子食べたいー」
中庭に、気の抜けた声が響く。
声の主はカッシリーさんだった。
兵士殺しの疑いをかけられていた彼女は、その後の調査で無事に容疑が晴れ、今は普段通りメイドの業務へ戻っている。
戻っているのだが――。
「カッシリー。訓練中に菓子の話をするな」
「だってリーダー、朝は甘い物が必要だよー」
「必要なのは集中力だ」
「集中力は甘い物からできてると思うー」
「口答えするな」
「はーい……」
シスさんに睨まれ、カッシリーさんはしょんぼりと肩を落とした。
中庭には、私を含めた大勢のメイドたちが集められている。
普段なら洗濯物や荷物が運び込まれる場所だが、今日は訓練用の的や木剣が並べられていた。
兵士たちが使う本格的な訓練場ではないけれど、それでも私たちメイドにとっては十分すぎるほど物々しい。
空は薄く曇っている。
まだ朝だというのに、中庭の空気はどこか張り詰めていた。
「よく聞け」
シスさんが、私たちの前に立つ。
いつものメイド服姿ではあるが、腰には短剣を下げていた。
「モラスは、また現れる可能性がある」
その言葉に、中庭の空気が少しだけ重くなった。
モラス。
死んだはずなのに現れ、また死体として回収された男。
二度死んだはずなのに、三度目があるかもしれない。
魔王城の中には、そう考えている者が少なからずいた。
「加えて、近頃は人間族の動きも活発になっている。空から偵察らしきものが確認されたという報告もある」
周囲のメイドたちがざわめく。
「人間族が……?」
「空からって、どういうこと?」
「乗り物で飛んでるって噂、本当なのかな……」
「空を飛べるなら、幻影兵に出会わないよね。ズルくない?」
「静かに!」
シスさんの声が飛ぶと、ざわめきはすぐに収まった。
「万が一の事態に備え、最低限、自分の身を守れるようになってもらう。戦えとは言わん。だが、逃げる時間を稼ぐことくらいはできるようになれ」
「逃げる時間……」
私は小さく呟いた。
モラスに首を絞められた時の感覚が、ふと蘇る。
息ができず、視界が黒く染まっていく恐怖。
あの時、人形が助けてくれなければ、私はきっと死んでいた。
そして私が死んでいたら、ゼル様を守ることもできなかった。
「まずは木剣だ。各自、持て」
シスさんの指示で、私たちは訓練用の木剣を手に取った。
「お、重い……」
私は両手で木剣を握り、思わず声を漏らした。
木でできているため、本物の剣に比べれば軽いのだろう。
けれど、普段持っているのは箒や洗濯籠、せいぜい鍋くらいだ。
剣の形をしたものを握るだけで、腕にずしりと重さがのしかかる。
少し持ち上げただけで、手首がぷるぷる震えた。
「新人メイドちゃん、大丈夫ー?」
隣のカッシリーさんが、木剣を肩に担ぎながら覗き込んでくる。
「はい……たぶん……」
「無理しないでねー。倒れたらお菓子食べられなくなるよー」
「お菓子基準なんですね……」
「カッシリー。無駄口を叩くな」
「はーい」
シスさんの注意に、カッシリーさんは慌てて前を向いた。
「剣は敵を倒すためではなく、距離を取るために使え。相手の攻撃を受け流し、隙を作り、逃げる。それがメイドに求める最低限の動きだ」
シスさんはそう言うと、手本として木剣を振った。
ひゅん、と空気が鳴る。
無駄のない動きだった。
重そうな木剣が、シスさんの手の中ではまるで枝のように軽く見える。
「では、構え」
「は、はい!」
私は見よう見まねで木剣を構えた。
腕が震えて、腰が引ける。
正直、自分でもかなり頼りないと思う。
「メイ」
「はい!」
「剣先が下がっているぞ。あと肩に余計な力が入っている」
「す、すみません!」
私は慌てて姿勢を正した。
けれど、木剣はやっぱり重い。
数回振るだけで、腕がじんじんしてきた。
「こ、これを兵士の方々は毎日やっているのですね……」
「兵士はこれより重い剣を振る」
「尊敬します……」
私は心の底からそう思った。
しばらく木剣の基礎訓練を行った後、シスさんは手を叩いた。
「次は魔法の訓練を行う!」
中庭の端に、木製の的が並べられる。
丸く描かれた中心には、すでに焦げ跡がいくつもついていた。
「皆の者、的に向かってファイアを放て!」
シスさんの合図とともに、メイドたちが一斉に手をかざした。
「ファイア!」
「ファイア!」
「ファイア!」
小さな炎が次々と飛び、的へ命中していく。
ぼん、ぼん、と乾いた音が鳴り、木の的に焦げ跡が増えていく。
カッシリーさんも、眠そうな顔のまま手を向けた。
「ファイアー」
ぽん、と軽い音を立てて炎が飛び、的の端に命中する。
「当たったー。ご褒美にお菓子食べるねー」
「駄目だ」
「えー」
あのカッシリーさんですら、普通に魔法を使える。
低級魔法とはいえ、確かに炎を出せている。
私は自分の手を見つめた。
いつもと変わらない手。
皿を洗い、洗濯物を干し、ゼル様を抱く手。
けれど、魔法を出せたことは一度もない。
「メイ。お前もやってみろ」
「……はい」
私は的の前に立った。
周囲の視線が、少しだけ集まる。
胸がどきどきした。
分かっている、出ないと――。
昔から、何度やっても出なかった。
それでも、やらないわけにはいかない。
私は右手を的へ向けた。
「ファイア!」
何も起きなかった。
風が、かすかに中庭を通り抜ける。
的は焦げるどころか、揺れすらしない。
「……もう一度」
私は手に力を込める。
「ファイア!」
やはり、何も出ない。
火の粉ひとつ出ない。
魔力が集まる感覚も、熱が生まれる感覚も、何もない。
「ファイア!」
声だけが空しく響いた。
何度やっても同じだった。
昔からそうだった。
宿屋『豊穣』で働いていた頃も、かまどに火をつけようとして何度も失敗した。
魔法が使えれば楽なのにと言われて、笑ってごまかしたこともある。
ただ、才能がないだけだと思っていた。
私が不器用で、魔法の扱いが下手なだけだと。
でも――。
先日のモラスの言葉が、頭をよぎる。
『微塵も魔力を感じない……?』
胸の奥が、冷たくなる。
魔法が下手なのではない。
魔力がない。
モラスは、確かにそう言った。
「……」
私は手を下ろした。
指先が少し震えている。
「メイ」
シスさんの声が聞こえた。
「やはり特殊な体質だな。使えないものは仕方がない。剣を振る練習に専念しろ」
「は、はい!」
私は木剣を握り直した。
魔法が使えないなら、せめて剣だけでも。
そう思って力を込め、木剣を振る。
1回、2回、3回と腕を振る。
しかし、あまりにも腕が重い。
10回を過ぎたあたりで、肩が焼けるように痛くなった。
20回目を振り下ろした頃には、息が乱れ、膝が笑っていた。
「はあ……はあ……お、重いです……!」
私は木剣を支えきれず、その場にへたり込んだ。
全身が汗だくで、指先まで震えている。
「息切れか? 体力もあまりないな」
シスさんが眉をひそめる。
「む、昔からそうで……周りの人たちからも驚かれます……」
「虚弱体質なのか?」
「子どもの頃から、風邪とかはあまり引いたことがないのですが……」
身体が弱いわけではない。
病気になりやすいわけでもない。
でも、力がなく、体力もない。
魔力もない。
周りの魔族が当たり前に持っているものが、私には何もないような気がした。
私が落ち込んでいると、カッシリーさんがひょいと顔を出した。
「新人メイドちゃんって、魔族っぽくないよねー」
その場の空気が、少しだけ止まる。
「カッシリー」
シスさんの声が低くなる。
「その発言はよくない。控えろ」
「はーい。ごめんね、新人メイドちゃん」
「あ、いえ……大丈夫です」
私は慌てて笑った。
大丈夫。
そう言ったはずなのに、胸の奥に小さな棘が刺さったような気がした。
”魔族っぽくない”
カッシリーさんに悪気はなかったのだと思う。
けれど、その言葉は妙に頭から離れなかった。
私は自分の手を見る。
魔法を出せない手。
木剣すらまともに振れない手。
それでも、ゼル様を抱くことだけはできる手。
「……」
私はゆっくりと木剣を拾い直した。
魔法が使えず、体力もない。
それでも、何もしない理由にはならないのだ。
ゼル様を守りたいなら――。




