12話 メイド達は赤ちゃんが好き
私は王室で、1人でゼル様のお世話をしていた。
「あうー」
「可愛いですー……」
寝台の上でころころと手足を動かすゼル様を見ているだけで、頬が緩んでしまう。
ゼル様の育児係に任命されてから、そこそこの時間が経った。
最初は抱き上げるだけでも首を支えるのに神経を使っていたのに、最近は少しずつ首がすわり始めている。ふにゃふにゃだった身体にも、ほんの少し力がついてきた。
その小さな変化を見るたびに、時間がちゃんと進んでいるのだと実感する。
「ゼル様、また少し大きくなりましたね」
「あう?」
「はい。とても立派です」
私がそう言うと、ゼル様は分かっているのかいないのか、小さな手をぱたぱたと動かした。
今日もミーレ様はお仕事で忙しく、私がひとりでゼル様を見ている。
本来なら、王子のお世話を下級メイドひとりに任せるなどあり得ないことなのだろう。
けれど今の魔王城は、誰を王室に近づけるか、とても慎重になっている。
福音の塵。
行方不明者。
夜中に徘徊する謎の人形。
不穏な出来事が続いているせいで、ゼル様の育児に関われる者は限られていた。
シスさんは信用されているらしいが、そもそもメイド長なので仕事が多すぎる。
私のように長時間、ゼル様のそばにいることはできない。
改めて、自分がかなり特殊な立場にいるのだと実感する。
その時だった。
ぐーっ、と部屋に間の抜けた音が響いた。
「……」
「あう?」
「い、今のはゼル様ではありません。私のお腹です……」
もちろん、ゼル様ではなく私のお腹の音だ。
壁に掛けられた時計を見ると、昼食の時間はとっくに過ぎていた。
「もうこんな時間ですか……」
けれど、代わってくれる人はいない。
ミーレ様はお忙しく、シスさんも来られない。
王室を離れて食堂へ行くわけにもいかない。
「少しくらい我慢するべきでしょうか……」
そう呟きながら、ぼんやりとゼル様の顔を眺めていると、扉の向こうから小さな物音が聞こえた。
がさがさ。
「……?」
私は顔を上げた。
王室の扉が、ほんの少しだけ開いている。
隙間の向こうから、こそこそと声が聞こえた。
「……ちょっと、よく見えない」
「……しっ。バレたら怒られるよ」
「……分かってるよ。でも見たいじゃん」
若い女の声だった。
魔王城で若い女性となると、大体見当はつく。
おそらく、私と同じメイドだ。
「何をされているのですか?」
「「「わああああああああああああ!?」」」
私が声をかけた瞬間、3人のメイドが扉の隙間から転がるように倒れ込んできた。
床に重なるように倒れた3人は、しばらく目を白黒させていた。
「い、いや、その……赤ちゃん見た――じゃなくて!」
「そ、そう! 不審な人がいないかなって!」
「警備の人がいなかったから、その隙に赤ちゃんを見ようとして覗こうとか、一切そんなことないから!」
「赤ちゃん見たいとか一切思ってないからー! その……ほら! これ! これ持ってきたのー! お腹減ってると思ってー」
一人のメイドが、慌てて何かを差し出してきた。
食べかけのお菓子の袋だった。
「……ありがとうございます」
受け取っていいものか迷いながら、私は袋を見つめる。
袋の口は雑に折られており、中には焼き菓子が数枚残っていた。
「あの……勝手に王室に入ると怒られますよ? 特に今は、魔王城内がピリピリしていますし……」
「そうなんだけどー」
「だって赤ちゃん、見たいじゃん」
「そうそう! 可愛い子を見ると仕事の励みになるし!」
「お菓子あげるから黙ってて~!」
3人のメイドは、床に膝をついたまま両手を合わせて頭を下げた。
あまりにも必死だった。
ちらり、ちらりと私の顔色をうかがうように頭を上げる。
そして、3人の視線が私の腕の中にいるゼル様へ向いた瞬間――。
「「「可愛い――――――っ!」」」
王室に、三人分の歓声が響いた。
「ちょっ、声が大きいです!」
「こんな可愛い子を新人メイドちゃんが独り占めしてたの!? 許せない!」
「そうそう! 可愛いはみんなで共有しなきゃ!」
「今度、赤ちゃん用のお菓子、持ってくるね~! たくさん食べて大きくなってね」
三人のメイドは目を輝かせながら、私とゼル様を取り囲む。
「あ、あの……近いです……!」
初対面の人たちに囲まれているのに、ゼル様は泣かなかった。
きょとんとした顔で、三人を順番に見ている。
「あう?」
「喋った!」
「天使!」
「魔王城に天使がいる!」
「魔族です! ゼル様は魔族の王子です!」
私が訂正しても、三人はまったく聞いていなかった。
その時、廊下の奥から凄まじい怒声が響いた。
「馬鹿者おおおおおおおおおおおおお――!」
「「「リーダー!?」」」
シスさんだった。
ものすごい形相で王室へ踏み込んできたシスさんは、3人のメイドを見た瞬間、こめかみに青筋を浮かべた。
「勝手に王室へ入るな! 殺されても文句は言えんぞ!」
「だって、可愛い子見たい!」
「赤ちゃん見たくて!」
「お菓子あげるから見逃して~!」
「見逃すかあああああああああ―――――ッ!」
シスさんの怒声に、3人の肩がびくっと跳ねる。
「今の魔王城内で、不用意にゼル様へ近づくな! 人間族のスパイとでも疑われてみろ! 処刑されるぞ!」
「「「それでも赤ちゃん見たいですううううううう!」」」
「駄目だ!」
「「「わああああああん!」」」
泣き真似なのか本当に泣いているのか分からない声を上げながら、3人のメイドはシスさんに襟首を掴まれた。
「メイ、すまなかった。あとでこいつらにはきつく言っておく」
「あ、はい……」
「ゼル様に何もなかったな?」
「はい。大丈夫です」
「ならいい」
シスさんはそう言うと、3人をまとめて引きずり始めた。
「リーダー! せめてもう一回だけ!」
「ゼル様に手を振らせて!」
「新人メイドちゃん、あとでお菓子追加するからね~!」
「黙って歩け!」
騒がしい声は、廊下の向こうへ少しずつ遠ざかっていった。
王室に、ようやく静けさが戻る。
「ごめんなさい、ゼル様。騒がしくしてしまって」
「きゃっきゃ」
ゼル様は特に怖がっていなかった。
むしろ、先ほどの騒ぎが面白かったのか、楽しそうに手を動かしている。
あの3人に悪意はなかったのだろう。
本当に、ただ可愛いゼル様を見たかっただけ。
少なくとも、私にはそう見えた。
だから――。
「……あれ?」
ふと、胸の奥に小さな違和感が引っかかった。
私はゆっくりと扉の方を見る。
さっき、あのメイドたちは何と言っていた?
『警備の人がいなかったから』
警備の人が、いなかった。
王室の扉の前には、常に兵士が立っている。
ゼル様を守るため。
ミーレ様を守るため。
そして、今の魔王城で何が起きても対応できるように。
なのに――。
なぜ、警備の人がいなかったのだろう?
背筋に、冷たいものが走った。
「……ゼル様」
私はゼル様を抱く腕に、そっと力を込めた。
先ほどまで温かかった王室の空気が、急に重く感じられた。




