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11話 メイド、魔王剣に触る

「ふー……剣の手入れは大変ね」


 王室の一角で、ミーレ様は一振りの剣を膝の上に置いていた。


 金の鍔に、銀の刀身。

 光を受けた刃は、まるで月の欠片を削り出したように美しく、見ているだけで息を呑むほどだった。


 それが、魔族の王のみが持つことを許された剣。

 魔王剣。


 私はゼル様を抱っこしながら、少し離れた場所でその様子を見守っていた。


「魔王剣って、手入れが必要なのですね」


「錆びることはないのだけどね」


 ミーレ様は柔らかい布で刀身を拭きながら、苦笑した。


「汚れが溜まると、柄に収まりにくくなるのよ。だから定期的に拭いてあげないといけないの」


「魔王剣でも、そういうところは普通の剣と同じなんですね」


「そうね。どれだけ特別な剣でも、道具は道具だもの。大切に扱わないと拗ねてしまうわ」


 ミーレ様が冗談めかして笑う。


 けれど、魔王剣から放たれる空気は、冗談で済ませられるものではなかった。

 ただそこに存在するだけで、部屋の空気が少し重くなる。


 近づきすぎると、肌の表面を細い針で撫でられているような感覚がした。


「今日はこの辺にしようかしら」


 ミーレ様は魔王剣を鞘に納めると、そっと壁際に立てかけた。


「職人の方に依頼されてはいかがですか? 魔王様はお忙しいですし、その方が時間の節約にもなると思うのですが……」


「そうしたいのは山々なのだけどね。それができない事情があるのよ」


「事情、ですか?」


 ミーレ様は手についた汚れをタオルで拭き取りながら、私の腕の中にいるゼル様を見た。


 ゼル様は、何も知らずにすやすやと眠っている。


「メイ、ゼルをこちらへ」


「あ、はい」


 私は慎重にゼル様をミーレ様へ渡した。


 ミーレ様はゼル様を受け取ると、慣れた手つきで胸元へ抱き寄せる。


「ふふ。よく眠っているわね。メイは本当に抱っこが上手ね」


「えへへ、ありがとうございます」


「ゼルも安心しているのね」


 そう言われて、胸がふわっと温かくなった。


 私は思わず頬を緩める。


 その瞬間だった――。


 かたり、と小さな音がした。


「え?」


 壁に立てかけていた魔王剣が、ゆっくりと傾いていた。


 ――倒れる。


 そう思った時には、もう身体が動いていた。


「危ない!」


 私は反射的に手を伸ばした。


「メイ、駄目よ!」


「え?」


 ミーレ様の声が聞こえた時には、もう遅かった。


 私の指先が、魔王剣の柄に触れた。


 次の瞬間――。


「あばばばばばばばばばばばばばばばばばっ!?」


 全身に、雷が落ちたような衝撃が走った。


 頭のてっぺんから足の爪先まで、見えない針で一斉に刺されたみたいだった。


 身体が勝手に跳ねる。


 視界が白く弾け、口から変な声が漏れた。


 私はそのまま床に倒れ込んだ。


 ぷしゅー、と自分の身体から黒い煙が上がる。


 焦げ臭い。


 たぶん、私が焦げている。


「メイ!」


 ミーレ様が慌てて駆け寄ろうとしたが、腕の中のゼル様がびくりと震えたため、すぐに足を止めた。


「ああ、起こしてしまうわね……」


「ま、魔王様……私……生きてますか……?」


「ええ。生きているわ」


「よ、よかったです……」


 私は床に倒れたまま、ぴくぴくと指を動かした。


 まだ全身が痺れている。


「メイ。魔王剣は、魔王の資格を持たない者が触れると拒絶するの」


「……し、知りませんでした……すみません……」


「謝らなくていいわ。私が先に説明しておくべきだったわね」


 ミーレ様は苦笑しながら、倒れた魔王剣へ視線を向けた。


 剣は床に落ちている。


 けれど、不思議なことに、刀身には傷一つついていなかった。


「この剣はね、魔族の王を選ぶ剣でもあるの。資格なき者が持とうとすれば、今のあなたみたいに弾かれるわ」


「弾かれる、で済んでいるのでしょうか……」


「今回は触れただけだからね。握り続けようとしたら、もっと酷いことになるわ」


「もっと酷い……?」


 私は青ざめた。


「手が焼けて骨が軋むわ。さらに魔力に身体を侵されて――最悪の場合、命を落とすわ」


「ひえ……」


「だから、魔王剣には絶対に触ってはいけません。分かった?」


「はい……一生触りません……」


 私は床に倒れたまま、力なく頷いた。


 魔王剣。


 なんて恐ろしい剣なのだろう。


 見た目はあんなに綺麗なのに、少し触れただけで全身が焦げるなんて。


 私が震えていると、ミーレ様は少しだけ申し訳なさそうに微笑んだ。


「でも、ありがとう。倒れそうになったのを止めようとしてくれたのよね」


「い、いえ……反射的に手が出てしまっただけで……」


 ミーレ様はゼル様を抱き直し、優しくその背を撫でた。


「次からは私を呼びなさい。あなたが怪我をしたら、ゼルも悲しむわ」


「ゼル様が……」


 私はゼル様の寝顔を見た。


 小さな口を開けて、すやすやと眠っている。


 その顔を見ていると、さっきまでの痛みが少しだけ和らいだ気がした。


「分かりました。次からは絶対に触りません」


「ええ。それがいいわ」


 ミーレ様は落ちた魔王剣へ手を伸ばした。


 私が触れた時とは違い、魔王剣は何の抵抗も見せず、当然のようにミーレ様の手に収まった。


 その光景を見て、私は改めて思った。


 この剣は、私のような者が触れていいものではない。


 魔王様のための剣。


 強き者のための剣。


 魔族の命を背負う者のための剣。


 私とは、あまりにも遠い存在だった。

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