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うつろうものを、なお想う  作者: あめたす


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第3話:憎しみの影に、なお想う

第3話:憎しみの影に、なお想う


 夕刻の陽光が、古い作業台の傷跡を深く縁取っている。

 大家の大山さんは、先ほどから店に飾られた古い柱時計の「カチ、カチ」という音に合わせて、どこか楽しそうに貧乏ゆすりをしていた。


「アサミさん。この時計、たまに止まるんだけどね。止まるたびに、中に入ってる小さな妖精が休憩してるんだと思って、叩かずに待つことにしてるんだよ」


 私は、手に持ったルーペを外さずに、微かに口角を上げる。


「……優しいですね。でも大山さん、それは妖精じゃなくて、単に歯車の油が切れているだけですよ。今度、私が差しておきます」


「はは、現実的だねぇ。でも、そういう『理屈』が君を支えてるんだろう?」


 理屈。そうかもしれない。

 感情という、温度も形も不確かなものを扱うには、金属の硬度や融点といった「動かない事実」に頼るのが一番安全だ。


 重厚なドアベルが、どこか切迫した音を立てた。

 入ってきたのは、高梨冴子たかなし さえこさん。四十代の、隙のない女性だった。

 アイロンのきいたスーツ、磨かれたヒール。彼女はカウンターに立つと、まるで契約書でも差し出すような所作で、青いスエードのジュエリーケースを置いた。


「これ。同じデザインで、ネックレスと、ピアスと、ピンキーリングを。すべて、最高級のダイヤモンドで揃えていただけますか」


 提示されたのは、かつて別の店で購入されたであろう、華奢なネックレスだった。

 私は、そのチェーンの細さや、石の留め方を慎重に確認する。


「……三点セットですね。何か、特別な記念日でしょうか」


「いえ。……復讐です」


 冴子さんの声は、驚くほど平坦だった。

 裏切った恋人への、あるいは、その相手と今も繋がっている過去の自分への。彼女は、相手が二度と手の届かない高みへ行くために、目に見える「価値」という鎧を求めていた。


「彼を憎むことでしか、私を保てないんです。でも、憎めば憎むほど、鏡に映る自分の顔が、あいつの卑劣な笑い方に似てくる気がして。……耐えられないの」


 彼女の指先が、カウンターの縁を白くなるほど強く握りしめる。

 その怒りは、鋭利なガラスの破片のように、彼女自身の内側を傷つけていた。


「相手を呪えば、自分の輪郭も歪みます。……宝石も同じです。強すぎる力で固定しようとすれば、石は割れるか、金属が歪んでしまいます」


「それでもいい。形にしてください。私が彼を『過去』として踏み台にするための、輝く重石を」


 私は、彼女から元のネックレスを預かった。

 

「……承知いたしました。深く潜りますので、少し、お時間をいただきます」


 私は、ガスバーナーに火をつけた。

 青い炎が、シュ、と静かな音を立てる。

 ここからは、私の領域だ。

 私は、地金プラチナを溶かし、叩き、伸ばしていく。

 周囲の音が、遠ざかる。

 大山さんが新聞をめくる音も、商店街を走る車の音も。

 集中が一定の深度を超えると、時間の感覚が奇妙に伸び始める。一秒が、一分のように長く、静謐な時間へと変わる。

 かつて、私が絶望した「天才」の背中を思い出す。

 私は迷いなく線を引いた。呼吸するように、金属を御していた。

 私にあるのは、そんな天賦の才ではない。ただ、血を吐くような反復と、この「遅すぎる時間」の中で、一ミリの狂いも許さないという、執念に近い熟練だけだ。

 冴子さんの憎しみを、熱に変換する。

 彼女の「言われたくなかった本音」を、ダイヤモンドの裏側に彫り込むようにして留めていく。

 憎しみは、愛情よりも純度の高いエネルギーになることがある。けれど、それは自分自身を燃やす燃料だ。いつか、燃え尽きたあとに何が残るのか。


「……終わりました」


 顔を上げると、外はすっかり濃紺の闇に包まれていた。

 いつの間にか店内の椅子でうたた寝をしていた冴子さんが、私の声に肩を揺らして目を開ける。


「……どのくらい、経ったかしら」


「三時間、といったところでしょうか。私には、一日くらいに感じられましたが」


 完成したジュエリーを、トレイに乗せて差し出す。

 最高級のダイヤが、店内のわずかな光を拾って、暴力的なまでの輝きを放っていた。


「……綺麗。でも、なんだか、怖いほどの光ね」


 冴子さんは、ネックレスを首に当て、鏡を見た。

 その瞳から、先ほどまでの刺々しい殺意が、少しだけ影を潜めているように見えた。


「普通の集中は、時間を早く感じさせます。でも、深く、深く潜ると、時間は逆に遅くなるんです。……冴子さん、あなたは今、その『遅い時間』の中にいる。憎しみに急かされる必要はありません」


 冴子さんは、自分のデコルテで輝く石を、愛おしそうではなく、冷静に観察するように触れた。


「……そうね。あんな男のために、私の時間を早く消費するのは、もったいないわ」


 彼女は、代金を支払い、背筋を伸ばして店を後にした。

 彼女が去ったあとの空気には、冷たい熱気が微かに残っていた。


「……アサミさん。君の作るものは、時々毒にも薬にもなるねぇ」


 大山さんが、止まっていた柱時計を指で軽く突いた。

 カチ、カチ。

 時計は、何事もなかったかのように再び時を刻み始める。


「……毒ですよ。私は、彼女に『自分を許せ』なんて無責任なことは言えませんから。ただ、その憎しみが美しく結晶するように、手を貸しただけです」


 私は、作業台の上の工具を一本ずつ、定位置に戻していく。

 ヤスリの溝に詰まった、細かな金属の粉を払い落とす。

 私は「待つのは得意」だ。

 けれど、私は何を待っているのだろうか。

 いつか、この指先から私だけの意志が生まれる日を待っているのか。

 それとも、この静かな工房に来る「何か」を待っているのか。

 前髪が、視界を遮る。

 私は、鏡を見る。

 そこに映っているのは、一人の職人だ。

 けれど、その輪郭が、時折、自分ではない誰かの影と重なって見える。


「……アサミさん。次は、何を作るんだい?」


「……歪みを直します。大山さんが壊した、その時計の歯車を」


 私は、小さなドライバーを手に取った。

 窓の外では、夜の風がスイートピーの葉を揺らしている。

 理解されたと錯覚した瞬間に、人は孤独を深める。


 うつろうものを、なお想う。

 私はその孤独を、今日も静かに、磨き続ける。

物語のテンポが良いので3時間程度で製作したことになっていますが、この作業内容ではとても3時間では終わらないです…

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