99粒目
まこと。
とんと今更であるけれど。
この我の飛ばされたこの世界。
人の口に入る食べ物の加工技術、万能石の優秀さだけを見ると。
元の世界と重ねれば、きっと、中世も終わりの近世に近いのだと思う。
ただ一方で。
乗り物や武器となる物、飛び道具は未だ洋弓やクロスボウ辺り。
その辺りは著しく進化がなく。
何なら中世未満とすら言える。
物や事の発展や進化にだいぶバラつきと差が激しいのは。
とかく、人間同士の争いや戦争がないためであろうと、我はあまり良くない頭で考えている。
人々は皆。
我の知る限りでは、極少数の一端を除いては、誰も彼もが穏やかな気質であり。長い歴史の中で、流行り病や、飢饉も少なかったであろう代わりに。
子の数は無尽蔵に増えず。
空は鳥の領域なのは、どこでも、離れた地でも共通の認識。
見上げても、お空を飛ぶ乗り物は存在せず。
我の辿ってきた道程では、地を走る列車がようやく現れた程。
もう百年もすれば、また色々と変わっていくのであろうけれど。
「どうした?」
我は、元いた世界から。
「なんでもないの」
今度は、この世界の数百年を辿っていくのであろうか。
「……」
ただ。
「フーン」
そろそろおやつの時間ではと狸擬き。
『この辺りは、あの山の縄張りなんだろうか?』
先に聳えるお山に目をすがめる狼男。
空を見上げる我の頭を、黙って撫でてくる男。
そう。
元いた世界と違うのは。
我は。
ずっと先は知らねども。
少なくとも今は。
「今日も旅日和であるの」
歩みを共にしてくれる者たちがいること。
ーーー
「……悪い、どうやら道を間違えたらしい」
しばらくの間、男が思案ぎみに地図と先の、頼りない轍の跡を進んでいたけれど。
辺りを見回し大きく息を吐いて馬車を停めた。
「なんの。我等もお主に任せきりであるのだから謝るでないのの」
そもそもの地図の精度が、どうにも頼りない。
地図の1枚に至っては、道を知っている者が知っている道を適当に紙に描いてみた、そんな地図であるし。
「フーン」
辺りには、全く人や村の気配はありませんと狸擬き。
『だいぶ手前に、村の気配を感じていたんだが……』
進む道が正しいと思い、口にしなかったと頭を垂れる狼男。
今進んでいる路は、猟師たちの山へ入るための道に思えたけれど、狸擬き曰く、それも過去の出来事の様子と。
村の気配も、だいぶ前に消えていると狼男。
代わりに山は近く。
狼男と狸擬きが口にする現存する村は、だいぶ手前で道を外れ通り過ぎていたと。
「今日は野宿かな」
少なくとも今日は引き返すのを諦めた男の言葉に、馬車から飛び降りて先へ走った狸擬きから。
「フーン」
しばらく進めば、天幕を張れそうな拓けた場所がありますと報告を受け。
そのまま先へ進めば、村の者たちが、以前はここに馬車を停めて山へ入っていたであろう形跡が微かに窺える。
狸擬きは、その辺りをうろちょろしていたけれど。
「フーン」
立ち止まれば、じっとお山を見上げている。
「遊んで来るのの?」
「フゥン」
いいえ、おやつが食べたいのですと狸擬き。
ふぬ。
「村でもたくさん貰ったからの」
今日はずっと移動で休憩もしていない。
「フン♪」
敷物だけを広げ、湯を沸かしお茶を淹れ。
よりどりみどりのおやつの後に、皆で手分けをして小石を退けて、天幕を広げ。
馬たちも解放していたけれど、大人しくその辺りの草を食んでいる。
男と狼男は荷台から他の地図も取り出し、眺め、見比べ、書き足し。
我と狸擬きは、
「よいしょの」
「フーン」
荷台から布団を取り出したけれど。
「少し埃っぽいの」
「フー……ブシュッ!」
狸擬きの盛大なくしゃみ。
少しは違うかと敷きっぱなしの敷物の上に布団を広げていると。
「だいぶ戻るけれど、村まで戻れば、そう複雑そうでもない道になりそうだ」
天幕の入り口から男が声を掛けてきた。
「の」
皆おやつを食べ過ぎて、ぽんぽんが減らぬまま夕刻になれば。
「フーン」
天幕でゴロゴロしていた狸擬きが、山に遊びに行きたいのですとむくりと起き上がった。
「なんの」
やはり夜のお山が好きであるか。
良いのと告げても。
「フーン」
主様も、と狸擬き。
のの?
「何かあるのの」
この山に。
「フーン」
なぜか分かりませんが、一緒に来て欲しいと思ったのですと狸擬き。
ふぬ。
獣の勘であるか。
「従獣の頼みであるからの」
けれど陽が暮れてからお散歩には、当然、我の同行を渋る男。
『なら俺も行こう』
狼男が腰を上げたけれど。
「夜行性の獣たちが目を覚ます時間の。何がいるか分からぬからの、お主は男と共にいて欲しいのの」
我が止めれば。
『わかった』
あっさり座り直す狼男。
狼男がすんなり言うことを聞く程度には、男も、我の無駄な強さを思い出したか。
「あまり遅くならないように」
渋々許可を貰い。
「の」
狸擬きは我を背に乗せ。
「フーン」
夜空を背負うように聳えるお山へ走り出した。
(……ぬぬ?)
我を乗せているせいか、緩やかな斜面を選ぶ狸擬きが、やわこい土や枯れ葉を踏みながらテコテコと山を登っていくも。
「妙に静かのの?」
我や狸擬きの、異物に対しての警戒かと思いきや。
「フーン」
いえ、わたくしたちへの関心があまり向けられない程、山の生き物たちは、何か別のものに注視している気配と狸擬き。
「の?」
“別のもの”
なんの、こやつはそれに気付いて我を誘ったのかと思いきや。
「フーン」
いえ、わたくしめも、山に足を踏み入れてから異変に気付きましたと狸擬き。
その狸擬きのフーンに嘘はなく。
「なんであろうの」
狸擬きは足を止めることもなく山を登っていく。
我を連れていれば、引き返す程の脅威ではないのか、はたまた好奇心か。
青のミルラーマに比べれば、だいぶ背の低いお山の天辺の1つに、あっさりと辿り着いた時。
「やはり静かの」
「フーン」
なんでしょうと狸擬きも小首を傾げた時。
その狸擬き曰く、“別のもの”。
“それ”
の出現は。
我でも、一目置ける程には唐突であり。
一体、どこに潜んでいたのか。
我等の気配に気付くなり、追ってきていたのか。
“それ”は。
成人した人間の女がすぽりと収まる程度には大きな、寝袋の様な黒い芋虫は。
あまりにもこの山に馴染み。
我は背後から、
「んのっ!?」
非常に粘液力の強い体液を頭から吹き掛けられてから。
その巨大芋虫の存在に、初めて気付いた。
少し離れて辺りを窺っていた狸擬きですら、
「フーンッ!?」
やはり大量の粘液が我に向かって吐き出されると同時にそれに気付いたくらいに。
「んのの……」
鈍ちんな我はともかく、狸擬きすら欺くとは。
(我でも舌を巻く程の気配の消し方の)
しかし。
「くっさいの……」
眉間に皺が寄る程の生臭さとなにやら形容しがたい悪臭。
狸擬きなど、少し離れた場所にいても半分白眼を剥いている。
ただ、悪臭に辟易しても、この場から逃げ出さない事に関してだけは、後で褒めてやろうではないか。
「してお主。会話は可能かの」
夜の始まりにぬらりと滑る芋虫に。
『……』
我は手の甲で、粘液のためにくっつきかける唇を拭い、
「どうの、我の言葉は通じるかの」
口を開くも。
『……』
どうやら、不可能な様子。
もしくは言葉は通じても、言葉を発する力の持ち合わせはないのか。
そんな、我と対峙するこの巨大芋虫の攻撃は。
どうやら、ただやたらめったら臭く強い粘液を口から吐き出すことだけと見た。
一方。
頭から強力な粘液まみれにされ、それでもその場で振り返ることが出来、尚、言葉を放てる我の姿に、自身の形勢が不利なことに気付いたか。
巨大芋虫は、捕食対象であるはずの獲物と対峙していたにも関わらず。
間もなく、その場から身を翻すようにその巨体をしならせ。
「のの?」
夜の山を這いながら逃げて行く。
「ぬぬぅ」
こちらは当然とんだ肩透かしを食らう。
更に、“そんなの”でも。
(あやつは、この山の主かの)
それくらい。
我はおろか、やはり狸擬きですら、
「フンッ?」
すでに気配を追うのに難儀している。
あの巨体でありながら、地を擦り草を踏む音すら聞こえない。
「……フーン」
我への失言の数々を除けばそう考えなしのアホタレでもない従獣も、やはり相手の陣地であるためか、迂闊に走り出すことはせず、じっと、そのおにぎり型の耳を澄ませていたけれど。
「フーン」
どうやらあちらの方角へ逃げている様子ですと4つ足を踏み締め我の前に立ち、追いましょうと急かされども。
この粘液まみれの身体で、狸擬きの背に乗るわけにもいかず。
「……フッ!?」
不意に狸擬きが更に大きく膨らんだのは。
「……なんの。……あれの子供かの」
小さい、とは言え人の男の拳を2つを合わせたくらいの、ぬらぬらと黒光りした芋虫たちが、気付けば我と狸擬きを囲んでいた。




