98粒目
賑やかな晩餐の後。
部屋に戻り。
ここを出発すれば。
「大きなベッドともしばらくお別れかの」
男にベッドに乗せられる。
「そうだな」
大きな港まで、小さな村はあるけれど、大きな宿のありそうな街は港町になると。
「フーン」
悪くない宿でしたと隣のベッドに飛び乗る狸擬きと、
『“贅沢”を体験させてもらった』
ごろりと転がる狸擬きの隣に横たわる狼男。
(そうの)
昼間の狸擬きの提案を男と狼男に話せば。
「いいな、楽しそうだ」
『あぁ。キミの山を訪ねてみたい』
妙に話が弾み、出発前夜だと言うのに、無駄に夜更かしをしてしまった。
次の日。
今朝も我等しかいない食堂で、欠伸をしつつ、本日も無駄に豪華な朝食を頂けば。
「また来て下さいよ。冬は休みとるから、俺はいるか分かんないですけど」
厨房の若い男には、そんな、なんとも軽い挨拶をされ。
荷はあらかじめ纏めていたため、世話になった客室を見渡し、季節的にもそろそろ荷台に仕舞われるはずの麦わら帽子を男に被せられれば。
「フーン」
テラスから海を眺めていた狸擬きも部屋に戻って来た。
部屋を出て広間へ向かえば、男がチーフの立つ受付で会計のために向かい。
端に並ぶ籐のソファに座って待っていると。
建物の外から、こちらへやってきた宿の主人の姿が見えた。
けれど。
不意に騒がしい音と声。
「?」
食材を裏手に運んでいた馬車が、建物の裏に回る手前で後輪が外れ掛けてしまっていると。
助けに入るためか、たっと外へ駆けていく狼男。
我と狸擬きは、人目がある限りは特に出来ることはないため、ぼんやりしていると。
「お嬢様」
「のの」
食堂からマダムが出てきた。
ソファから飛び降りようとしたけれど、マダムに止められ。
「お世話になったのの」
座ったまま伝わらない礼を伝えれば。
マダムは、笑みを浮かべ我の前に両膝を付き、その膝に手を重ねると。
「色々と、本当に色々と、ありがとうございました」
頭を下げられた。
「のの」
それはお互い様ののとかぶりを振れば。
なせが一層、やわこく感じる笑みを浮かべるマダムは。
「……実はお嬢様に、誰よりも、夫よりも先に、お伝えしたいことがありますの」
内緒話の様に声を潜め。
おやの。
「なんであるかの」
我も声を潜めれば。
マダムは、麻のシャツ越しに腹部に手を当てると。
「実は、このお腹に赤ちゃんがいるみたいなんです」
と、そっと目を伏せた。
「んのっ?」
「フン?」
狸擬き共々、さすがに驚けば。
「えぇ、えぇ。私も、この通り、そう若くないですし」
始めは、この年にありがちな不調かと思っていたと。
でも。
「今まで平気なものが食べられなくなったり、ちょっとした不調などが、その、昔に母親から聞いていたつわりとそっくりでして」
普段ならとうに始まっている月のものも、来ていないのだと。
(ほうほう)
ラベンダー畑などで見せていた不調は、そのためであったか。
「大変にめでたいのの」
パチパチと拍手をすれば、狸擬きも尻尾をフリフリ、前足の肉球をふにふにと合わせている。
「まぁま、ありがとうございます」
綻ばせる口許に手を当てるマダムは。
最近、我の事を注視していた理由もそれであるかと、心底納得できた。
けれども。
メモを取り出し、
「そんな大事なことを、夫でなく、我に伝えてよかったのの?」
書いて問えば。
マダムは躊躇いなく。
「勿論です。私たちの許に赤ちゃんを運んでくれたのは、お嬢様だと、私は思っているのですから」
なんと。
それはさすがに買い被り過ぎである。
「我は何もしていないのの」
書いて見せても。
マダムは肯定も否定もせず、ただ、目尻を下げて微笑むだけ。
(のん……)
不意に、大きく聞こえる男とチーフの声に視線を向ければ。
なにやら少々揉めている様子。
「なんの?」
支払いを渋る様な男ではないはずであるけれど。
「フーン」
逆に御座いますと狸擬き。
「の?」
「フンフン」
提示された額があまりに低いため、男がそれは受け入れられないと揉めていますと狸擬き。
「……んのの」
それは厄介であるのと息を吐けば。
マダムは、膝を付いたまま、両手の手の平を我に向けて来た。
「?」
と思いつつも、それぞれの手の平に手を置いてみせれば。
マダムは、その我の手を包み、その手を自身の額に当て。
「……またいつか、どうか、この宿に。今度は、私たちの許に生まれた子供の顔を見に来て下さい」
祈るように、願うように。
心からだと感じる言葉に。
(……のの)
「そうの」
いつになるかは分からぬけれど。
「の」
頷いて見せれば。
「お待たせ」
男が、大きなため息を吐きながらやってきた。
袋に用意していたコインがあまり減っていない。
マダムが立ち上がり、男の表情に含み笑いをしている。
当然、マダムと宿の主人、それにチーフで、我等の宿泊費を決めた結果なのであろう。
外に出ると、応急処置を施した馬車が、ガタゴトと奥へ進んでいる。
男たちが宿の主人やマダムと、挨拶と握手を交わし。
「はいはいどうも、お待たせしました」
我等が脳筋馬が荷台を引きつつ、宿の御者に牽かれてやってきた。
宿の主人が我の前に片膝を付き、
「本当に。本当に、色々とお世話になりました」
胸に手を当てる。
「こちらこその」
「フーン」
感謝しろと狸擬き。
「おー、ギリギリ間に合った」
「お嬢様、またうちの食堂にもお茶に来て下さいよ」
厨房の若い男と四角い男が、バタバタ走ってくると、大きなカゴに焼きたてのぱ、もう1つのカゴには焼き菓子を詰めたもの、道中で召し上がってくださいとそれ以外にもたくさん渡された。
「のの、感謝の♪」
男が恐縮しつつ礼を伝え、我はカゴを抱えたまま男に馬車に乗せられる。
「フーン」
狸擬きが続き、男、狼男も馬車に飛び乗り。
マダムは両手で顔を覆い、宿の主人がそんなマダムの肩を抱いている。
それでも馬車を出せば。
マダムも涙を流しながらも、笑みを浮かべ手を振ってくれる。
「またの」
「フーン」
また、いつか。
そのいつかは。
案外、あの青年との再会の様に早いかもしれず。
ずっと先の先のことかもしれず。
村へ降りれば。
『お、おぉ……っ?』
「フーン」
道沿いに、主に狼男と狸擬きが世話になった村人たちが、ちらほらとは言えない、割りと多くの村の者たちが立っていた。
狼男と狸擬きが馬車から降り、挨拶をしつつ、餞別を貰い、荷台に積んでは進み、餞別を貰っては荷台に積んでの繰り返し。
村から出る時には荷台が重くなったのを我等でも感じる程。
『す、すなまい』
「お主のせいではないのの」
馬たちは俄然張り切っているし。
トコトコ、トコトコ。
地図に沿って陸地に進み、村のざわめきも聞こえぬ距離を進めば。
『俺もいつか』
「?」
『どこかで、旅立つキミたちに手を振り、見送る立場になるんだろうか』
ふぬ。
それは。
どうであろうか。
我にも分からぬ。
だからそれはきっと。
「お主次第であるの」




