90粒目
水の入ったバケツを持って戻ってきた御者は1人。
「お客さんたちのお馬様たちが、うちの馬を誘って散歩へ行きましたよ」
我等が脳筋馬は妙な信頼がある。
実際、放っておいても大丈夫であろうと、我等はラベンダー畑で、
「フーン♪」
昼食の支度。
マダムと宿の主人がたんまり、本当にたんまり用意してきてくれた分に加え、狼男が村の方から貰ってきた果物やパンを広げられ。
「フンフン」
「ぬんぬん」
宿の料理とはまた違う、優しいやわこい味がする。
「美味の」
「あぁ」
宿の主人に、旅の食事情を訊ねられ。
食事の出ない代わりに水場のある宿にも多く泊まること、天幕を張る野営も珍しくないと男が答えている。
「おぉ。ではやはりお料理が得意なのですか?」
「必要に駆られてです。お菓子作りは彼女の方が得意なので」
ぬぬ。
別に得意ではないと口を開きかけるも。
「フーン♪」
主様の作る甘いものはとても美味しいのですと余計な口を挟む従獣。
『とても美味しい』
狼男まで。
「まぁま、何でも出来てしまうのねぇ」
「多才なのですね」
驚き半分感心もされるけれど。
何でもは出来ぬと男に口を拭われれば。
「まー酒にはとことん弱いみたいですけどねぇ」
御者の軽口に、
「お客様を前にして、失礼でしょうっ」
ごめんなさいねと慌てるマダムに、顔を背けつつ吹き出す男たち。
食後は。
我はせいぜい子供らしく、マダムと宿の主人の前で、
「ふん♪ふん♪」
「フーン、フーン♪」
狸擬きと共に。
いつかどこぞの、そう遠くない村で覚えた簡単なステップを踏んで踊って見せれば、
「まぁま、まぁま♪」
「可愛い、とても可愛いです」
手放しで褒めてくれるマダムと宿の主人。
マダムはステップに合わせて歌を唄ってくれ、宿の主人と御者は手拍子を打ってくれる。
狼男は尻尾を揺らし、男はすかさずスケッチ帳を広げている。
「~ふん♪」
「フン♪」
カーテシーをすれば。
「マダムと同じくらい、いいところのお嬢様なんですかねぇ?」
御者には大きく首を傾げて不思議がられるけれど。
「お客様への詮索は、決して褒められたものではありません」
マダムが眉を寄せ、御者は肩を竦めて煙草を取り出す。
その御者の口振りからしても、我等の素性、出自は従業員たちの間では、とくと楽しい推測が流れている模様。
男が、どんな憶測が飛んでいますかと、こちらも好奇心を見せつつ訊ねれば。
御者の男は、マダムの顔色を気にしつつも。
「いやぁ、色々ですねぇ」
噂話の的としては事欠かない様子。
「立ち振舞いからしても結構なお嬢様に、見た目よりだいぶ賢い獣を連れて、従者の兄さんと用心棒の獣人さん」
後にも先にもない組み合わせですからねぇと顎髭をなぞる。
あれだけ騒ぎを起こしても尚、我はお嬢様に見えているらしい。
「……フーン」
我の隣で少々不服げな従獣。
「初めは、何かから逃げてきたなんて説が強かったですけど、宿でのんびりしてる所からしても、ハズレましたね。……おおっとぉ?」
マダムが笑っていない。
正確には目が笑っていない。
御者は尻で後ずさると、
「これはあくまでも私の勝手な想像ですからねっ」
そろそろ馬を連れてきますかと大慌てで立ち上がり、ひょこひょこ駆けていく。
足はあまり早くない模様。
「全くもう……っ」
「うちの従業員の無礼な発言をお許し下さい」
教育がなっておりませんでとそれぞれに謝られるけれど、
「いえ、興味本位で聞いたのは自分なので」
男が我を抱き上げ、膝に乗せる。
我の頭を撫でた後。
「実は、彼女が魔法を使えるようになる方法を探しています」
男のシャツにしがみつく我の右手をそっと握り。
隠す必要もないしの。
「まっ……まぁ?」
「その、ええと。……1つも、ですか?」
意外な程に動揺をされた。
「えぇ」
「……そ、そうなのですね」
「お、おぉ……」
やはり、ここでも、とても反応に困る“デリケート”な事情らしい。
「その、成果などは……?」
男は芳しくありませんねと気さくに笑うためと、我もブンブンとかぶりを振ってみせれば。
「まぁま……」
「ううん……」
何とか、笑みを見せてはくれるけれど。
「では、見つかるまで、旅を続けるのですか?」
そうの。
「そうですね、でもたまには家にも帰らないととは思っているので」
家と言う単語に、2人からは大きな安堵の空気。
無人の屋敷であるけれども。
今は熊の村長が屋敷を管理をしてくれていると話せば、目の前の2人は信じるのか、冗談だと思うのか。
馬たちが戻るのを待ち。
帰りの馬車は、我等が脳筋馬が引く荷台に、我と男と狼男。
馬を牽くのは宿の主人。
御者の牽いてきた馬車の荷台に、マダムと狸擬き。
「久しぶりにお休みで、気が抜けてしまったのかもしれません……」
その馬たちが御者に連れられて戻って来る頃、マダムがらしくなく額に手を当てて息を吐いている。
夫の方はオロオロと狼狽えているため、珍しい事柄な様子。
確かに、マダムの顔色が少々良くない。
ならば。
「狸擬きの」
「フン?」
「枕になってやるのの」
荷台用のクッションは積んである。
「フン」
お任せくださいと胸を張る狸擬き。
横になるだけであるしの。
マダムには宿の主人に付いてもらい、男が馬車を牽きましょうと申し出たけれど。
「いいえ、私が請け負います」
お客様に馬車を牽かせるわけには行きませんと、そこは宿の主人が譲らず。
万能石のおかげで、荷台の揺れもだいぶ押さえられている。
ラベンダーの香りに包まれる帰路の途中、馬車を停めて、そっと御者の馬車の荷台を覗けば、
「おやの」
狸擬きに半身を預けるようにマダムはぐっすり眠り、狸擬きもグースカ寝ている。
『宿を営んで行くのも大変なんだな』
「今は特に厄介な客がいるからな」
「そうの」
3人で顔を見合わせて笑い。
いつもならば、帰りに宿の主人の実家のある村へ寄っていくらしいけれど、今日はそのまま宿へ戻ると。
トコトコ、トコトコ。
宿の下の村を突っ切るのではなく、直接、宿への坂道を上がる頃。
「フーン……?」
後ろの馬車から狸擬きが目を覚ます気配が微かに伝わる。
釣られてマダムも目を覚ましたらしい。
宿へ着けばチーフや、顔見知りなった宿の者たちが出迎えてくれた。
「すっかり眠ってしまいました」
寝心地が良くてと顔色も良くなっているマダムは、白い花を両手に、
「素敵なお花と、枕になっていただいたお礼は、後程」
「フーン♪」
マダム以外は、厩舎の奥の大きな建物へ向かい。
いつもより倍の量を積んでいるため、男や狼男も一緒にラベンダーの束を下ろし。
部屋へ戻ると、花瓶に白い花を飾る。
「マダムはどうだったのの?」
「フゥン」
単純に疲れかと思われますと狸擬き。
客が面倒を起こしただけでなく、夫が倒れたりと心労もあるのかもしれない。
「フーン」
馬車で、旅は楽しいかと問われました。
おやの。
「どうの?」
「フンスン」
大変に刺激的で楽しく御座いますと狸擬き。
それは良かったの。
夕食時には、
「フーン♪」
何やら普段より美味な酒を出して貰いご満悦な狸擬き。
デザートはレモンのシャーベットであったけれど。
「後でお部屋に運ばせて貰います」
と、今日のお礼にとマダム特製のセミフレッドなる冷たい甘味を出して貰えた。
昨日から仕込んでくれていたらしい。
「のの♪」
ナッツと果物が入ったアイスクリーム、と言えば近いかもしれない。
大変に美味な甘味。
「ぬんぬん♪」
我の食べっぷりをみて、男が自分の分を我の口に運んでくれる。
「ぬー♪」
『冷たくて甘い』
率直な感想を述べる狼男は、山でも。
『暑い時期は、長に、果実などを、川の岩の縁に置いて冷やすように教わった』
その長は、狼男の父親から教えられたと言うけれど、父親は人である母親から教わったのだろう。
「……」
狼男の母親は、なぜ山へ来たのか。
狸擬きが我を迎えに来るために、あの辺りを盛大に走り回っていた時も、山の麓に村があった形跡は1つも見られなかったと聞いている。
「フンスン」
雨や嵐で地形が代わり、土砂などで呑まれた可能性もありますがと狸擬き。
「フンフン」
だいぶ離れた場所に、廃村の気配はありましたとも。
ほうほう。
きっと。
あの癖の強いお山ならば、その辺りの事情をもう少しは知っているのだろうけれど。
教えろと要求すれば、代わりに百年くらいここに留まれと隔離されるのは目に見えている。
「あーむぬ♪」
別に狼男が知りたがっているわけでもない。
そう。
「……」
“老猿は鍋に手を突っ込まない”
なんて言葉もある。
我は、猿でも猫でもない。
好奇心に殺されるのも、とんと御免被るのである。




