87粒目
『おぉ。宿では、そんな興味深いことが起きていたのか』
「の。人魚は男がナイフで額を貫通したことにしているから、話を合わせるのの」
『わかった』
生真面目に頷く狼男に、酷く不味いものでも口に放り込まれた様な顔をする男。
「お主はどうであったの?」
『村では、大きな迷惑などは掛けずに働けていると思う』
ふぬふぬ。
「村のお宿も埋まっているのの?」
『あぁ。夏の間だけ、住んでいる家の空き部屋を貸す家もあると聞いている』
「フンフン」
わたくしめは明日は村の方へ稼ぎに行きますと狸擬き。
「なんの、妙に働き者の」
天地がひっくり返る予兆か。
「フーンッ!」
わたくしめはいつでも働き者で御座いますと何やら戯れ言をほざく我が従獣。
「失礼します。大変にお待たせしました」
扉の叩かれる音と共にマダムの声。
夕食は、今夜は少し時間をずらしてテラスで。
宿の主人が、同席させて貰えないかとのお伺いを立てられていた。
食事の時間が遅ければ、狼男には少し早めに戻ってきて貰えれば一緒にテーブルに着ける。
狸擬きを使いに出し、戻ってきた狼男と部屋で、無駄に軋むようになってしまった座高の低いソファに腰掛け、話をしていた宵の口。
テラスに向かえば、すでに前菜などが並び、専用の頑丈な椅子を抱えた宿の主人がやってきた。
「お部屋のソファは、明日には別のものに替えさせて頂きますので」
恐縮する宿の主人。
「いやいや、困りました」
と本当に困っているのであろうけれど、安堵で笑いが止まらず、腰を抜かし立てもせず、重さでギシギシと軋んでいく巨体とソファを思い出すと、男に抱っこされながらも少し笑ってしまう。
宿の主人は、
「酒はあまり強くないのですが」
今日は1杯だけと指を立てれば。
マダムはニコニコと、
「まぁま、珍しい」
すぐにお持ちしますと中へ入って行く。
しかし。
宿の主人の前に置かれる皿は。
「規格外に量が多いの」
狸擬きでさえ、羨ましいと言わない、言えない。
こう、客に出せない食材の端や欠片がたんまりと盛られている。
『その勇ましい肉体を継続するには、やはりそれなりの量が必要なんだな』
感心する狼男。
「食べなければ痩せるかと思ったのですが、食べないと痩せる前に動けなくなってしまい……」
体力仕事でもあり、食べないわけにもいかないと。
パンは、切り分ける前のパンがででんと3つ。
「代わりでもないのですが、酒も甘いものも食べないのです」
ほう。
「食べるのは、たまに妻が作ってくれる甘いものくらいで……」
なんの。
食べる前からご馳走様であるの。
照れ臭そうに笑っているはずなのに、美味な獲物を前に、えげつない程にほくそ笑んでいるようにしか見えない宿の主人。
「お待たせしました」
運ばれてきた酒と、我と狼男はジュースで乾杯。
「旅の途中でも、やはりナイフで狩りをなさっているのですか?」
男がいえいえ、ナイフは緊急用ですと、それでも靴にも仕込んでいると話せば、
「それは、とても痺れます」
痺れた様子。
マダムも、
「同席させて頂いてもよろしいでしょうか?」
給仕はチーフが受け持ってくれると。
宿の主人は、食べる勢いの割に品のなさは全く見受けられない。
「そこは厳しくチーフや妻に躾られました」
ほーうほう。
隣で、カパーッと酒を流し込む狸擬きを横目で見れば。
パンも千切らず、そのまま大きく開いた口にポーンッと放り込んでいる。
「……」
「フンッ!?」
慌てて背筋を伸ばし、ナプキンを蝶ネクタイに差し込んでいる。
ののん。
従獣には定期的な躾は必要であると脳内にメモをしつつ、男を見ると、今は魚料理を躊躇いなく食べている。
昼間の宿の主人とのやりとりで、“トラウマ”なるものが呼び起こされた様子もない。
我と狸擬きは、ほろ酔いのマダムにお願いをされ。
椅子から降りた狸擬きの背中に乗って見せれば。
「まぁま、可愛い、可愛いわ♪」
我が狸擬きの背中に乗る姿は、マダムが幼少の頃に読み聞かせて貰った、羊の背中に乗る少女の絵本を思い出すのだと。
手の平を合わせて目尻を下げはしゃぐ妻を、微笑ましそうに見つめる宿の主人。
そんな宿の主人に負けじと肉を頬張る狼男。
人魚たちには、小島にいる狼男の姿も見えていた。
半獣半人と言う珍しい血を持つ者。
けれど、人魚たちが欲しがったのは、我の男。
我の男には、我の血が混じっていたからであり。
ならば人魚が、ただの人であり、今も妻と仲睦まじく笑い合う宿の主人に惹かれた理由は、なんであろうか。
翌日。
今朝も快晴の中。
『行ってくる!』
「フーン」
1人と1匹を見送り。
我は、
「おはようございます、今日もよろしくお願いします」
宿の主人と、ジャスミンを摘む。
男は、今日はそんな我等の姿を描きながらも、宿の主人と何やら話している。
通訳は不要と告げてあるため、言葉の解らぬ音声だけを聴きながら、花を摘みつつ。
我はぼんやりと、再びの思考を巡らせる。
『高台の宿へ迎えに行く』
と宣った人魚は、果たして、どれくらい本気であったのか。
人里に疎いのは、貴金属もお船の錆びた部品も一緒くたの価値だと思っていた所からしても、察するものはあれど。
もしかしたら、あの人魚は。
本気で、宿の主人に惚れていたのかもしれない。
現実的には到底不可能な海沿いではなく。
わざわざ、高台の宿へ迎えに行くなどと約束している。
もし、約束を果たせたら。
人の女ではなく、自分を選んで欲しいと。
(……)
無意識に片眉が寄り。
(違うの)
あやつらは。
(そんな殊勝な玉ではなかったの)
ただ。
何か。
何か、はあったはず。
迎えに行くと言い切れる程の。
人魚が、二足歩行を出来る方法が。
「君が何が好きかを聞かれているよ」
男の言葉に、ふと思考が途切れた。
「の?」
「お礼をしたいと」
ニコニコしている宿の主人。
「すでに散々宿代をまけてもらっているのの」
高額な郵便鳥代も負担させている。
「いや、君個人にだそうだ」
のの、我にであるか。
「あぁ」
宿の主人曰く。
人魚と言うお伽噺の存在と遭遇した自分の、きっと初めは渋るであろうその口の重さの枷を外すために。
「大きな秘密にしているはずの、君の従獣に人の言葉を話させたことに対してのお礼だそうだよ」
なんの。
まぁ一応、秘密ではあるけれど。
ここ最近ではあやつは。
「言葉を操れない」
と思われている方が立場的に気楽だからと考えている節もあるし。
それでも宿の主人は、こちらを案ずる様な瞳で、ジャスミンを摘む手も止めているため。
ふぬ。
我の好きなもの。
そうの。
我は、小豆洗いと。
「我はお主が好きの」
男を見上げれば。
「……ん?」
男は、虚を突かれた様に瞬時固まり。
(ぬ?)
けれどすぐにその場で屈むと、
「俺もだ」
と、とかくやわこい笑みを見せて、我の頬に唇を寄せてきた。
(のの)
胸の辺りがこそばゆい。
男はすぐに立ち上がり大きく踵を返すと、宿の主人に何か伝えている。
宿の主人は、うんうんと心得た様子で頷いている。
彼女は自分のことが好きらしいと、伝えたのであろうか。




