75粒目
我の男は。
自身でも獣を狩るし、解体もする。
我の狩った大型の獣達も、難儀しつつもそれは大きさにであり、溢れ出す血にも内臓にも、怯むことはなかった。
だからあんなもの、何にも感じぬであろうと、高を括るどころか、そもそも何も思っていなかった。
しかし。
自身を異形の捕食対象として見初められ、その異形が、半身はまんま人の女であったものたちが、生きたまま食われていく様を見て。
やはり何も思わぬ我や狸擬きとは違い。
人である男には、刺激と言うものが少々強かった様子。
小島でも、その鱗片は見せていたのに。
(もう少し、気遣うべきであったの)
籐のソファに腰を降ろし、煙草を咥える男の顔色はあまり良くない。
隣に腰を下ろせば、男はそれでも笑みを浮かべて我の頭を撫でてくる。
けれど。
(消耗しておるの)
「フンフン」
閉められた窓から雨空を眺めていた狸擬きがこちらを振り返り。
「の?」
「フーン」
島で遊び足り足りず、しかし今は雨で外に出られず、ならば宿を散策したいのですと。
ふぬ。
宿の中ならば。
「お主1匹でも平気であろうの」
「フーン」
主様と散策したいのですと狸擬き。
「のの?」
尻尾を緩く振られる。
狸擬きと宿の散策へ行くと男に伝えれば。
「なら俺も」
と男は立ち上がり掛けるけれど。
「お主がいたら冒険にならぬの」
「冒険?」
「の」
「……」
男は迷う顔を見せるものの。
この雨であるし、建物の中ならばと許可を貰えたため。
男に扉を開けて貰い。
「行ってくるの」
「フンフン」
「人様の迷惑にならないようにな」
「の」
「フーン」
任せろと狸擬き。
我等の部屋は1階では一番奥の端に位置し、壁に掛けられたあまり上手でない貝殻の絵などを眺めながら、広間へ向かう。
雨のせいで村で足留めされているのか、新しい客の姿はなく。
若干伽藍とした広間を見渡せば。
「おや、何か御用ですか?」
マダムの次に偉いと思われる、主に受付に立っていることの多い年配の男が、わざわざ受付から出てくると、身を屈めて問うてくれた。
「の」
小さな鞄から紙と筆を取り出し、
「やどのたんさく」
と書いて見せれば。
「あぁ」
強めの雨の降る外に視線を向け、
「なるほど」
存分に見て回って下さいと笑みを浮かべて頷いてくれる。
ついでに飴玉を貰えた。
「ぬんぬん♪」
「フンフン♪」
飴玉を口の中で転がしながら、狸擬きはバリボリと噛み砕きながら。
扉の半分開いた食堂を覗けば、テラスに出られぬせいか、食堂でお茶をしている客の姿がちらほら。
「あれ、お2人だけですか?」
主に食堂を担当する者たちとは、特に互いに顔を覚えつつあり。
小柄で細身な、食堂でも、調理よりも接客が主であろう若い男が、我と狸擬きに気付くと小走りにやってきた。
狸擬きも立派な客らしい。
先刻書いた紙を若い男にも見せれば、
「あー、雨ですしねぇ」
退屈ですよねぇと顎に手を当てると。
「調理場でも見ていきます?」
そんな誘いをして貰えた。
「のの?」
良いのであろうかと思うも、
「フーン」
案内しろとさっさと歩き出す狸擬き。
食堂の、仕切り代わりの布が掛けられた向こうから、いい匂いがしている。
「夕食の仕込みをしてるんですよ」
こんな時間から。
我が驚いたことを気付くと、
「量も作りますし、美味しいものを作るには時間も掛かるので」
ふぬふぬ。
せいぜい邪魔にならぬよう、厨房の大きな扉の入り口からちらと覗かせて貰うと。
(大きいの)
宿の客数を考えると、厨房はだいぶ大きく感じる。
これが普通なのであろうか。
手前にある、今も何か煮込まれている寸胴1つ取っても。
「大きいのぅ」
「フーン」
たくさん食べられますねと狸擬き。
近くの棚にやってきた女の料理人は、我等に気づけばニコニコ手を振ってくれてから、大きな箱から食材を漁っている。
馴染みのない根菜と思われるものを取り出しながら、
「うちのご飯は美味しい?」
問われ頷けば。
狸擬きは返事の変わりに身軽にその場でステップを踏んで美味いと答え。
そんな我等の返事に、
「あーよかったぁっ。遠い土地のお客様みたいだから、こっちの土地の食事は合うのかなって心配だったの」
問題ないと更に狸擬きがくるくる尻尾を回せば、
「夜も楽しみにしててね♪」
日焼けした顔に人懐っこい笑みで胸に根菜を抱えて奥へ向かう。
「楽しみであるの」
「フン♪……フッ」
狸擬きが、厨房の棚にずらりと並んだ酒の瓶に目を奪われ、
「ほれ、行くの」
お酒は夜のと踵を返しかけた時。
「なんだっ?お転婆お嬢様じゃないか?どうしましたね?」
大柄で四角い印象の男が、ズカズカとこちらへやってきた。
お転婆。
狸擬きに乗って食堂から飛び出した我は、そんな二つ名がまかり通っているらしい。
接客の若い男が、宿の散策中らしいですと代わりに答えてくれ。
「ははっそうかそうか。雨だもんなぁ。あーそれなら、ちょっと待ってて下さいよっと」
その見た目に似合わず、素早い動きで奥へ向かい。
「?」
若い男に、
「向こうで待ってましょうか?」
と食堂を指差され。
「?」
どうやら、あの四角い男が、仕込みで忙しい中にも関わらず、我等に何か出してくれる様子。
「ののん」
繁盛期で忙しい中、余計な仕事を増やしてしまった。
食堂の一角。
クッションを敷いて貰えた椅子によじ登り、
「しごとのじゃまをしてもうしわけない」
と書いて見せれば。
「あはは、僕も厨房も、まだ余裕があるから大丈夫ですよ」
特に今日は雨でテラスで寛ぐ客もおらず、暇な方なのだと。
暇だからこそ、声を掛けて貰えている様子。
ならば無駄に手間を取らせている事も、男に怒られずに済みそうであると安堵していると。
じっと紙を眺める若い男に、
「……お嬢様は、もしかして他の土地の文字も書けるんですか?」窺う様に問われた。
「そうの」
一応はのと頷くと、
「凄いなぁ。僕は土地の文字でいっぱいいっぱいですから」
尊敬しますと目をキラキラされ。
我は尊敬されてしまった。
我のいた土地では、文字は読める者は多くなく、文字の代わりに絵が描かれていることも珍しくなかったと書いて教えていると。
「ほれ、残りもんばかりで悪いけどな」
四角い男が、両手に皿を乗せてやってきた。
「のの?」
大きめの皿に、小さな焼き菓子、小皿に盛られたジェラート、サクランボを煮詰めたものに、チーズと木の実を蜂蜜で絡めた甘味の盛り合わせ。
なんと。
「フーン♪」
目の前にご馳走おやつが置かれ。
「とてもうれしい、じゅうじゅうの分もふくめてれいをつたえる」
と書いて見せれば。
「じゅうじゅう?あぁ、従獣。ははっそうか、従獣か、そうだな」
若い男と四角い男はなぜかおかしそうに笑い、
「通り雨っぽいからな、雨がやむまでの我慢だ」
四角い男は手を振って厨房へ戻って行き。
若い男は、やってきた他の客の姿に、いらっしゃいませと席を離れ。
「ぬふん♪」
「フンフン♪」
思いがけぬ甘味に有り難く舌鼓を打ちつつも。
窓の外は、降り続く雨。
「の」
「フン?」
「あれの、男はどうすれば良いかの」
放っておいて良いものか。
「フーン」
主様と旅をする以上、あれくらいの事でいちいち心を折られていては困るのですと辛辣狸。
のの。
「お主の考える我の旅は、随分と猟奇的であるの」
「フーン」
この先も男が下等な化け物たちの標的になる可能性が出てきた以上、甘いことは言っていられませんと、空になった皿を舐めたそうに鼻先を近付ける狸。
ぬぬ。
「……そうの」
一理ある。
我は人魚たちを屠る事に躊躇いなど一切ないし、躊躇いは微塵もなく小豆は飛ばすし、この手で縊り殺すこともするけれども。
男は。
半分は若い人の女である人魚たちを、その手に掛けることはを、ナイフを振り上げる事は出来たであろうか。
我は。
我は完璧などではなく、色々と綻びだらけであり。
男にも、無論、弱さは存在する。
我等を気に掛け、再びこちらにやってきた食堂の若い男に、
「フーン」
おかわりと寄越せと皿を持ち上げてみせる狸擬き。
「のの、これやめるの」
はしたない。
雨が小降りになってきた。
ごちそうさまの礼を書き、厨房の四角い男にも礼を伝えて欲しいと書いて見せると、若い男に、
「えぇ、また夕食時にお待ちしております」
見送られ食堂を後にする。
宿の階段を登るのは、あの仲良しな女2人の部屋に招かれて以来であれど。
上階は客室が続くだけで大して面白くもなく、我等の背丈では、窓から外も眺められず。
つまらぬのとまた階下へ降りると。
「フーン」
雨が上がった様子、と広間から外へ飛び出す狸擬き。
通り雨は、流れるのも早い。
狸擬きに続いて外へ出ると、カラリとした地に、珍しく湿気を強く含んだ風が吹き付け。
それは、元いた土地の梅雨と呼ばれる季節も似た。
「……」
敷地に咲くジャスミンの香りが強く漂う。
「よき香りの」
「フーン」
狸擬きが忙しなく鼻を蠢かし、広い敷地をうろうろしながら裏へ回ると、規模は小さいながらも畑もある。
薪も積まれている所を見ると、冬はそれなりに寒いのであろうか。
厩舎へ向かえば、我等が脳筋馬にご機嫌伺いをし。
雨が上がったお陰で、村で足留めされていたらしい客たちの馬車も見えはじめたため。
「そろそろ部屋に戻るかの」
「フーン」
そうですね、過保護な男が心配しているかもしれませんと狸擬きと共に部屋へ帰れば。
しかし。
「……お?」
あぁお帰りと、籐のソファから立ち上がる。
「早かったな」
のの?
「そうでもないのだけれどの」
(ぬぬん)
我の長めの不在にすら気づけぬ程。
男は、気を遠くにやっていた様子。
灰皿に、煙草の吸殻だけは溜まっている。
「……」
強い噛み跡の残っているものも少なくない。
窓を開けば、狸擬きは1人掛けのソファに飛び乗り、
「フーン」
夕食までの惰眠を決め込む模様。
我は。
「の、抱っこの」
「ん?あぁ……」
心ここにあらずな男に両手を伸ばし。
とりあえず静観を決め、膝に乗せられ男の胸に頭を凭せれば、男は無意識に我の頭を撫でてくる。
部屋に流れてくる風に、
(先刻の雨は涼雨であったの)
ふと思い、口にしかけるも。
機械的な男の手の動きに、我は黙って目を閉じる。
男は煙草を吹かすことなく、狼男が宿に戻るまで。
ただひたすら、我の頭を撫で続けていた。
夕刻。
狼男が戻り、狸擬きは伸びをして起き上がり。
皆で食堂へ向かえば。
食堂へ向かう間に伝えた、我等が世話になった礼を、食堂の若い男に男が伝えてくれている。
その男は。
前菜こそ、酒で流し込むように口に運んでいたけれど、
蒸された魚だけは、
「いや、今日はあまり腹が減っていないみたいだ」
と狼男に譲り。
肉も半分ほど食べて狸擬きの前に置いている。
『大丈夫か……?』
狼男が、狸擬きのためだけでなく、男自身のためにひっきりなしに酒を追加して頼む姿に、懸念した顔で問うている。
「あぁ、平気だ」
食後の甘味は、いつも通り我に譲ってくれるけれど。
「の、少し飲み過ぎの」
食後酒を呷った後も、強めの酒を追加している。
狸擬きすら、食後酒が出ればおとなしく腹を擦っているのに。
男は、
「そうでもないよ」
それでも酔えぬのか顔色変えずに微笑むけれど。
そうでもあるであろう。
部屋の風呂では。
「フーン」
また戻している様子と狸擬き。
ぬぬ。
(あまりよくないの……)
案の定。
男は。
夜に、明け方まで酷く魘されていた。
そして翌朝。
さすがにげそりとした男は。
「少し体調が悪いらしい」
と、それでも無理に笑みを見せてきた。
「……昨日の人魚たちに当てられたかの」
それとなく口にしてみれば。
男が口を開く前に。
「フーン」
軟弱者めと狸擬き。
「なんの」
何を言う。
「お主こそ、お舟では男の影でちんまく縮こまっていただけではないかの」
情けない。
「フ?」
「軟弱なのはお主の方であろうの」
鼻で笑ってやれば。
「フッ!?フーンッ!!」
あれは主様に対しての圧倒的な恐怖心であり、わたくしめはあんな下等な人外ごときに怯えたりはいたしません!とプンスコしながら短い4つ足を床にジダジダ打ち付けて騒がしいけれど。
「あのの。そもそも我の従獣だと言い張るお主が、主である我に怯えてどうするのの」
「……フ?」
それに。
今回の我等の危機にも、こやつは。
ただの1つも、なんの役にも立たず仕舞いであった。
我の視線で、
「……」
本人、ではなく本狸もそこに思い至ったか。
途端に、チラチラと慌てたように視線を泳がせ、
「……フーン」
助けを求めるように狼男を振り返り。
「フーン、フーン……」
情けなく鼻を鳴らしながら、
「フンフン」
スンスンと狼男の後ろにすり寄るように隠れた。
その狼男は、
『……俺は、恐ろしいと言う理由だけで、島で1人待機していたことを、恥ずかしいし申し訳なく思う』
ベッドに腰かける、今も力のない男の様子に、狼男は尻尾を丸めていたけれど。
「あぁいや。……君には、元から島に残って貰う予定だったんだ」
そう。
何があるかも分からないため、万が一の時のことを考えて。
我等はともかく。
他所様から、長から預けられている狼男を。
信頼されて託されている以上、迂闊に死なせるわけにはいかず。
独り立ちさせるまでは、なんとしてでも責任を持って生かしておかなければならない。
とは言え。
今も無自覚に大きく息を吐く我の男には。
若干、どうやら気持ちの静養が必要であり。
朝食は、
「お主はやめておくの」
「あぁ……」
マダムには、男は二日酔いであると狼男が伝え。
朝は珈琲だけの客も珍しくない中で、我等は今朝はパニーニのサンドイッチにしっかり齧り付き。
狼男は、
『俺がいても、あまり出来ることはなさそうだし、少しでも村で稼いでくる』
男を気遣いつつも村へ向かうと言う。
「フンフンッ」
ならばわたくしめも仕事をしてきますと、役立たずの汚名返上を目論む狸。
「狼男の邪魔をしてはならぬのの」
「フーン」
わたくしめの足を引っ張るなよとヒヨッコ、と狸擬きは狼男と仲良く村へ向かい。
我は、男のいる部屋へ戻ると。
男は、未だベッドに腰掛けたまま。
「すまない」
顔色の冴えない男を見上げる我を見て、力なく笑った。
「お主が謝る必要は、どこにもないの」
男はそれにはなにも答えないかわりに、ただ耐える様に奥歯を噛み締めている。
(よくないの)
眉を寄せれば、はたと思いつき。
我はベッドによじ登り、男の隣に座ると、膝の上で指を絡めていた男の片手を取る。
「……?」
いつかもしたことがあるけれど、あれはどこであったか。
男の手の平を、指でぎゅむぎゅむ押してやり。
指も1本1本握って圧を掛け、再び手の平をぎゅむぎゅむしてから。
(この当たりであったかの)
腕のツボと終われる箇所を押してやり。
効果の程は定かではないけれど。
「んしょの」
男の反対側に回り、もう片方の手をぎゅむぎゅむしてやっていると。
「……あぁ」
男の口からは溜め息でなく、少し弛んだ吐息が漏れる。
きつい歯の食い縛りからは解放されたか。
そのまま委ねるように目を閉じた男に、ベッドに横になるように促し。
我はベッドに座り込み、再び手の平をぎゅむぎゅむとしてやっていれば。
「……」
少しは、何かしらが効いたのか。
間もなく、男は静かな寝息を立て始め。
我は、そんな男の寝顔をしばらく眺めてから。
男に寄り添い、聞こえてくる海の音に耳をすませた。




