表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/72

68粒目

「あぁ、見えてきたな」

「おやの」

案外早かった。

「フーン?」

麦わら帽子がなんともいい陽射し避けの仕事をする様で、隣でうたた寝をしていた狸擬きも目を覚ました。

まだだいぶ遠目であれど。

海を、初めて目にした狼男は。

『……』

しばし絶句し。

『……あれが、全部』

全部。

『水、なのか……?』

「そうの」

海水であるけれど。

白い珈琲の街は、翠玉色であったけれど、こちらは空色寄り。

『先が、どうなってる……?』

「水平線の向こうも海の」

『?』

背の低い木々の通りを抜け、遠くには小さな街が見える。

我等はその街ではなく、そのまま馬車で緩やかな坂道をしばらく下れば。

『……』

瞬きすら忘れて、腰を浮かせて海を凝視していた狼男は、しかし鼻先を覆うように手を当てると。

『さっきから鼻につく、この風に(まぎ)れてくる臭いはなんだ?』

「海の匂いの」

海に住むもの達も呆れる程に存在するからの。

彼等の匂いでもある。

『海の臭い』

海から目を離さない狼男は、

『この地を支配しているのは、この海と呼ばれるものなのか……?』

のの。

それは。

果たして。

「どうであろうの」

狼男は、今までで一番、積極的に色々と問い掛けてくる。

例え実際はそうでなくとも、海と言う存在は、今の狼男には、自身の、はたまた我等の生死に関わる状況に置かれている様子。

海への信用がなく、問いかけが多くなっても不思議でもない。

馬車の車輪が砂を踏むじゃりじゃりした音が混じり始め。

やがて正面に見えてくるのは、何とも眩しい程に白い砂浜。

弓なりに大きく砂浜が続き、先に小さな島が見える。

ここは割りと弓の端の方に位置する様子。

遠くに人影はいくつかあるけれど、こちらは馬車の通り道しかないため、誰もいない。

男が馬車を停め。

「靴は脱いだ方がいいな」

狼男は言われた通り、靴を脱いでから、馬車から飛び降り。

『砂が、とてもサラサラしているんだな……』

「君も」

「の」

男が、我の靴と靴下を脱がしてくれる。

至近距離で改めて海を眺める狼男は。

『……あの水に近付くのは、とても危険な気がする』

危険。

『こちらを引き摺り込もうとしている様に見える……』

それに関しては、ないとは言い切れず。

「浅瀬ならば平気であるの」

ただ足許の砂ごと持っていかれるから気を付けのと伝え。

それでも。

狼男はなかなか近付こうとせず。

まぁ無理もない。

「フーン♪」

狸擬きは尻尾をフリフリ。

では。

「駆けっこの」

「フンフーン♪」

適度に熱を持った砂を蹴って波打ち際に駆け出せば、

『あっ……!』

慌てる声を背中に、正面からは海風を感じ。

さらさらした砂から、濡れた砂を踏み締めつつ。

先を駆ける狸擬きを追えば。

波が、ざぱり、ざぱりと。

足に纏わりつく。

「フーン♪」

波を飛び越え、はしゃぐ狸擬きに。

『そんなに近付いたら……危ないのではないか?』

恐る恐るやってくる狼男。

そして。

「君の足跡は小さいな」

馬たちを自由にし、裾を捲り上げてこちらに歩いてきた男の呟きに、

「そうかの」

砂浜を振り返れば。

「……の」

目に入るのは。

狸擬きの足跡。

少し癖のある狼男の足跡。

男の足跡。

そして。

我の足跡。

「……」

昔は昔。

大昔。

まだ、元いた土地で、気紛れに海に向かい、打ち寄せる波に足を浸した時。

振り返っても、そこには、小さな足跡1つだった。

今は。

我の足跡の両脇に、まるで寄り添うように、足跡が残されている。

形も大きさも、てんでバラバラな。

それでも。

足跡は、我1人のものだけではなく。

(ぬん……)

なぜか、胸の辺りがじわりと熱を持ち。

「……」

我が動きを止め、じっと砂浜を見つめていたせいか。

「どうした?」

男に問われ。

「……なんでもないの」

ただ。

「抱っこの」

両手を伸ばせば、男は我の顔を見てから、ちらと眉を上げ、我を抱き上げてきた。

そんな男に、額を押し付けて強くしがみつけば。

男は、我の頭から外れて落ちる麦わら帽子をそのままに、頭を撫でてくれる。

(なんの……)

この気持ちは。

考えても答えは出ず。

男の言っていた通り、我は自身のことについては、少々疎いらしい。

その今も我を抱き上げる男が、海風に流される我の髪を、指先で掬う様に我の耳に掛け。

その指先に促される様に顔を上げれば。

「フーン♪」

波打ち際をテンテコテンテコ、波を避けながら走る狸擬き。

『おおお、おおお……?』

一方。

好奇心と恐怖の入り交じった、若干でもなく腰は引け尻尾を丸める狼男の姿に。

「……くふふっ」

堪らず笑ってしまうと、

『君たちは、この海を越えてきたのか……』

狼男が波を気にしながらやってくると、砂浜に落ちた麦わら帽子を拾い、我の頭に被せてくれる。

「そうの」

『凄いな』

「凄いのは、この海を越えるお船を造った者たちであるの」

狸擬きも海風に毛を靡かせながら、

「フーン♪」

こちらに戻ってきた。

馬たちはここぞとばかりに、かなりの距離があれど、すでに弓の真ん中辺りにまで走り、今は浅瀬で楽しげに跳ねているのが遠目に見える。

そのまま、男の腕越しに海に目を向け。

セイレーンはともかく。

「の、人魚はいるかの」

男の隣に立つ狸擬きに問えば。

「フーン」

狸擬きは水平線へ向けて鼻先を向け。

「フゥン」

今は全く気配は感じませんが、あちらが主様の存在に気付けば、こちらにやってくるかもしれませんと狸擬き。

ふぬ。

元いた世界では、人魚は色んな顔で姿で描かれていたけれど、この世界の人魚は、一体どんな姿形であるのか。

『この海というものは』

「ぬ?」

『夜になって人目がなくなれば、その隙に波が人里に迫って来たりすることはないのか?』

海を信用しない狼男。

津波などの事象はまた次に勉強がてら教えることにして。

「波が引くことはあるのの」

『引く』

「満ち引きの」

『???』

この世界。

「月がない」

のではなく。

ものすごく小さいのではないかと推測している。

我の目視ですら、星たちに紛れる程度に。

年頃になった女が血を流す周期は、我の知っている月経の周期よりも、次に始まるまでの長さがある様子。

どの辺りで孕むことが可能なのかなどは分からない。

男に聞いてみようかとも考えたけれど、そんな我の問いには、男は無駄に深読みしそうであるし。

狸擬きには、

「フーン?」

人の繁殖に付いてはそこまで詳しくありませんとすでに返事を貰ってる。

その辺りの、若干繊細な部分となる話を聞ける程に親しい者はおらず。

(ぬぬ)

いや。

1人。

1人いたではないか。

吸血鬼。

あれならば詳しそうであるし、懇切丁寧に教えてくれそうである。

いつか訊ねて見よう。

その吸血鬼からはたまに手紙が届くけれど、摘み食いが弾んで先になかなか進まないと。

旅は、とても楽しいらしい。


「先に、宿を取ろうか」

男の提案に、反対するものはなく。

我も数日ぶりに湯船に浸かりたい。

我等が荷台へ歩き出すと、馬たちが気付き、物凄い勢いで砂を蹴散らして駆けてきた。

頑丈さが売りの我でも、あれにはぶつかられたくはない。

馬たちは、今は遊び足りなくても、まだまだ機会はあるだろうと察している様子。

脳筋でありつつも(かしこ)い馬たちは男の手によって大人しく繋がれ、

「宿は空いているかの」

砂浜へ向かう道と街への分かれ道まで戻り。

やがて現れた緩やかな坂の通りは、小さな宿が多く。

街と言うにはのんびりとした空気と、建物もこじんまりと纏まってる。

その少しばかり大きな村の店先では、どんな店にでも錆止めが売られており、錆止めのあの独特の臭いまでが、海風と共に僅かに村に漂っている気がする。

桃の街より、更に風通しの良さげなシャツを羽織る男、女たちも涼しげで楽そうなワンピース姿にサンダル。

たまにでなく村を歩く洒落た格好をしている者たちは、我等同様、他所から来た者たちで間違いなく。

店の扉はどこも大きく開かれており、室内の砂を吐き出す箒が立て掛けられ。

道に点々と並ぶ屋台に、

「フーン」

狸擬きが前足の爪を咥えるため。

「の、の」

男に停めて貰えば。

「お、いらっしゃい!うちは収穫の始まったばかりの葡萄ジュースを出してるよ」

今年は早摘みでも甘いよと、ガツガツと割った氷と共に器に注いでくれ。

「ぬ?……ぬふん♪」

葡萄ジュースは、強い甘味の後に仄かな酸味が続き、鼻に抜けるのは芳醇な香り。

「の、おかわりの」

「フーン♪」

数日、先を急ぎろくな甘味にありつけていなかったためか、男も渋らずにおかわりを頼んでくれる。

「ぬんぬん♪」

「フゥン♪」

『人の世界には、行く先々に美味しいものが存在するんだな』

飲み干した器を覗き、低く唸る狼男。

「の、旅の大きな楽しみの1つの」

おかわりを飲みながら辺りを見渡せば。

(のの?)

村を走る馬車の馬たちは、どの馬たちも、心持ち蹄が大きい気がする。

男が、屋台の男に組合の場所を訊ねれば。

「あぁ、組合なら目の前だよ」

大通りの向かいにある、少し大きめな建物が組合だと。

男が大通りを突っ切り、建物の中へ入って行き。

少し待てば、片手に紙を1枚持って戻ってきた。

「行商人用の小さな宿は埋まっているけれど、海の見える高台の宿は、まだ空いてるそうだ」

立地だけでなく、宿泊代もお高いせいであろう。

男が貰った簡易な地図を眺めながら馬車を進めると、道は複雑でなく、なだらかな曲線を描いているものの、ほぼ一本道。

馬車がすれ違える程度に広い坂を進めば、道沿いにも先に見える高台の立派な宿は、海風を避けるためか高めの木々が植えられている。

手前には門番までいるけれど、着ているものは、やはり風通りのよさげな薄手の麻と思われる生地のシャツに同色の膝丈のパンツ。

男が、

「部屋が空いていると組合から聞きまして」

と伝えると、門番は我等をさらりと眺め、我の姿にもう一度目を止めてから、

「えぇ、えぇ、空室は御座います」

と、控え目な笑みから笑顔になり、馬車のままどうぞと手の平を先に向けられた。

先に進めば。

『……何か、泊まるのに条件があるのか?』

門番の視線に鋭く反応する狼男。

「お高いお部屋しか残っていないからの、宿代が支払える客であるか、若干吟味はされたのの」

幾何学模様の建具屋の洒落男にプレゼントされた我のワンピースは、無駄にレースや刺繍がなされていたり、値が張るのは一目瞭然。

着るものに金の掛けられた子供に、物珍しい獣を連れて。

狼男は旅のお供として雇われた冒険者とでも思われたか。

男の、

「組合から聞いた」

と、大きなお墨付きはあったけれど。

『俺たちは“選別”をされたのか』

狼男は、落ち着かなさげに振り返るけれど。

「のの。あれはどちらかと言うと、客に恥を掻かせないためのものの」

値段を聞いて、やっぱりやめると宿から退散するのは、新婚などならば若干でもなく気まずいであろうし。

『恥を……』

難しいなと唸る狼男。

先に見える3階建ての白いお宿へ向かって、小鳥が飛んで行く。

その姿に、今思えば青のミルラーマから近いとも言える、冬の湖畔の豪奢な宿を思い出した。

客であるマダムたちのアイドル的な存在であり、あれも鳥が相棒であった宿の主人。

あの宿の主人がくれた砂時計は、今も紅茶を淹れる時に重宝している。

忘れられる前に、手紙でも書いて送ってみようか。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ