51粒目
旅人の少ない街の宿はほんの数軒だけ。
街に来ている行商人用のお宿。
厩舎も、厩舎がついでに経営している宿も街外れ。
「今夜辺り、馬の出産が被りそうでね、悪いけど食事は外で頼むよ」
この辺りの馬の出産は、春先ではなく遅めの初夏なのだと。
「それは忙しいですね」
「参ったよ、めでたいことではあるんだけど」
宿の主人の嫁は娘の産後の手伝いへ行ってしまい。
「厩舎で雇ってる若夫婦の嫁さんも、そろそろらしくてなぁ」
おめでたいの渋滞である様子。
それだけでなく、忙しい時は助っ人で来てくれる近所の者たちも、
「何だかバタバタしててなぁ」
首を傾げる宿の男。
自分達の馬は放っておいても問題ないと男が伝えれば、
「助かるよ、あんた達の馬は、そうだな、その、逞しそうなお嬢さんたちだな!」
褒め言葉になるのか。
我等が脳筋馬たちは、素直に褒められたと思い、ご機嫌で厩舎へ自ら進んで行く。
簡素な宿は、風呂もなく。
雪隠も外にあるだけ。
ただ寝室と居間は別れており。
荷を置けば、厩舎の人間に構われず寂しいやもしぬのと、我等が脳筋馬の様子を見に行けば、全く気にせず放牧場を駆け回っている。
ドカドカではあるけれど、それなりの速度があるため、ほどほどに見られる走りではある。
何はともあれ、とんと無用な気遣いであった。
部屋に戻ると狸擬きと狼男は仲良く昼寝を初め。
我は、居間の窓際に立つ男に屈むように伝えると、男の煙草に火を灯してやる。
「ありがとう」
「の」
窓から見えるのは放牧場。
(さてさての)
あの小熊のぬいぐるみは、どうやってこちらに接触を試みるのかと思いつつ。
寝室へ続く大きな扉から見えるベッドに寝転がる狸擬きの、一定の間隔で膨らんではへこむ腹の動きを眺めていると。
煙草を吸いきった男に、
「おいで」
抱き上げられた。
厩舎の向こうは、少し霞んだ空。
ふと、男の唇が視線に近く感じ。
「の」
「ん?」
「ここしばらく、お主に唾液を与えられていないの」
仲間が増えたせいもあり。
「……ん、んん」
そうだなと目を逸らす男。
どうやら、絶えず気にはしていた様子。
「くふふ」
ならばと、寝室にいる1人と1匹の気配を探りつつ、人差し指を舐めて男の唇に運べば。
「……あぁ」
吐息と共に我の手首をやんわり掴み、指を口に含む。
いつもより舌が絡み、くすぐったい。
男の唇から指を引き抜けば、射し込む西陽にぬらりと照らされる人差し指。
「美味の?」
「堪らない」
男の瞳に、我が映る。
我が見ているのは、男なのか、男の瞳に映る我自身なのか。
それは解らずとも。
男の瞳が眺めているのは、間違いなく我であり。
「……」
我の、どこかも知れぬ、奥深くの「何か」が、とても、満たされ。
また、我は指を咥え唾液をまぶし、男に与える。
西陽が沈み、部屋が暗くなり、男が名残り惜しそうに、
「灯りを点けようか」
と我の指を離すまで。
何度も、何度も。
「グー……」
と大きく聞こえた来たのは、寝室で寝ている狸擬きの腹。
「フン?」
自身の腹の音で目を覚ました狸擬きは、
「フンフン」
わたくしめはどうやら空腹な様子ですとベッドから飛び降りると、居間の硬い長椅子に座る我等の元へやってきた。
「聞くまでもないの」
狼男も、
『何だかよく眠れた』
とやって来たけれど、狸擬きに釣られたのか腹を軽く撫でている。
街に出て狸擬きの鼻頼りに、夕食のために辿り着いた店が、旅の女と再会したのが、食堂兼飲み屋だった。
「美味しかったです」
男が若店主におあいそを頼むと、あの旅の女の分は含まれていない。
若店主が、
「彼女の分は僕持ちですので、気にしないで下さい」
やはりどうにもやつれ気味の店主が、こそりと答えつつ笑う。
どうやら、我等の奢りだとわざわざ女が声を上げたのは、女をよく思わない母親への“アピール”であった様子。
宿へ戻れば。
これも、ぬいぐるみの力なのか、たまたまなのか。
「ああ、旅人さんたち!」
両手にバケツを持った宿の男が、
「人手が足りないんだ、これも旅の土産話になると思って、ちょっと手を貸してくれないか!」
何やら騒がしい厩舎の方へ男と狼男を連れて行き。
どうやら馬の出産が始まった様子。
しばらくすると、男が戻ってきたけれど、
「2頭目の出産が始まるらしく、しばらく厩舎に詰めることになりそうだ」
男がすまないと我の頭を撫でて、厩舎へ走って行く。
(ぬん)
我は狸擬きと顔を見合せ。
「では、頼むの」
「フーン」
宿からこそりと出ると、我を乗せた狸擬きが服屋までスッタカスッタカと駆け出した。
大通りでない食事処もない小道は夜はそう人気もない。
けれど、もしかしたら、人払いされているのかもしれない。
服屋のガラス越しに、小熊を眺めれば。
小熊が、よたよたと立ち上がり、棚から降りると、扉の前に立つ。
ただ小熊は扉の取っ手に手が届かず。
扉には小さな鐘が付いているため、我は狸擬きの背に乗り大きな取っ手を手にし、そっとそっと、鐘の鳴らぬように扉を開けば。
小熊が、そろりそろりと出てきた。
途端に、
『あっ、良かった、繋がりましたね』
(のの?)
この大層可憐な少女の声は。
「お主は、ぬいぐるみの街の看板ぬいぐるみであるの」
『そうです、そちらに私たちの街のぬいぐるみがあったので、何とかあなたの気配を追いました』
ふぬ。
「また無駄に力を使ってまで、我に何用であるかの」
緊急事態か。
『あの、あのですねっ』
「の」
『あなたが、ご主人様宛に、当てた手紙ですっ』
ふぬ。
『わたしが、“ご主人様と旅に出たいと言っている”と書いたのですか?』
あぁ。
別れ際に、あやつの首許のリボンに挟んだメモか。
「そうの」
あの時、ほんの少しばかり、馬のぬいぐるみから、主人と旅をする狸擬きを羨むような妙な間を感じたからの。
「で、どうなったのの?」
『た、旅に出ることになりそうなんですっ』
おやの。
『私のご主人様も、この街のぬいぐるみを、他の街の人たちにも知って欲しいと思っていたらしくて……』
ほうほう。
売り物のぬいぐるみを馬車に詰んで、少し近隣を回ってみると馬のぬいぐるみに伝えてきたと。
『そのぬいぐるみの屋台の看板ぬいぐるみとして、わたしを連れて行ってくれると、ご主人様が……』
ほうほう。
「それは良かったではないかの」
『そんな、そんな簡単な話では……っ』
あるであろうの。
何を狼狽えることがある。
ぬいぐるみたちの扱いに誰よりも長けている主人であれば、移動の不安もなかろうて。
『……でも、でも……』
「なんの、お主は、その報告のためだけに、わざわざ我の居場所を探し、離れた場所のぬいぐるみにまで意識を繋げたのの?』
ぬいぐるみたちの力を使って。
『あ、あまりの事に動揺して……』
まぁ、確かに元凶、ではなく原因は我にあり。
「では、お主の主人に当てた手紙は余計なお世話だったかの」
ならば何かしら詫びか責任を取らねばならぬけれども。
『……そんな事は』
事は。
『ないのです……』
ならば良き。
「我等がまたいつかお主達の街に立ち寄ることがあれば、その時は、お主の旅の話を聞かせて欲しいの」
『それは、えぇ。勿論、よろこ……で……』
おやの。
「フーン」
さすがにぬいぐるみの街から外れたこの距離では、力もそうそう保てない様子だと。
ののん。
力を使わせ過ぎるのも良くない。
「ではの、またいつかの」
別れの挨拶をすれば。
『……た、また。……あなたたちに、会いた……』
ふっと何か途切れた様に、声も聞こえなくなり。
目の前のぬいぐるみも、くたりと倒れ微動だにしない。
我はこそこそと店の中に入りぬいぐるみを元の場所に戻すと、狸擬きの背に乗り宿へ戻る。
男たちが部屋に戻った様子はなく。
宿はしんと薄暗く。
我の男たちが連れて行かれたのも、本日の客は我等だけだったためと思われる。
寝巻きに着替え、
「フーン」
狸擬きの毛を濡らした布で拭いてやり。
「何だか懐かしいの」
1匹と1人きりは。
「フーン」
今も楽しいですが、あの頃も楽しかったですねと狸擬き。
「そうの」
まだあの頃はこやつもだいぶ大人しかった。
背中の毛を梳かしてやっていると。
「フーン」
「のの?」
「フンフン」
青のミルラーマからは近い山のわたくしめの仲間に、またお菓子を差し入れるように、あの山の猟師に伝えて欲しいのですと。
「ふぬ。それは良いけれど、……しかし、あやつはあちらまで行くかの」
手紙には、そのうちこちらに向かうとあったし。
「フーン」
鳥を使えばいいのですと狸擬き。
確かに、あちらには中型の鳥もいた。
人の言葉を理解する賢い弾丸桃鳥経由で頼めば、届けて貰えるであろう。
「では、また手紙を送らぬとの」
男たちは朝方まで戻ってこないかと思われたけれど、
「終わったよ」
汚れきった身体を水場を借りて流し、借りた服を羽織って戻ってきた。
2頭とも無事に産まれたと。
「子馬はどうだったのの?」
狼男に訊ねれば。
「あぁ、とても美味そうだった」
ののん。
さすが元野生。
窓から夜目で厩舎の方を眺めれば、男と狼男の服が並んで干されている。
急ぎでない時は、服は干して乾かされることがほとんどであり。
「明日も、少し世話を頼まれた」
稀に見ぬ人手不足らしい。
もしこれがぬいぐるみの力であれば、そろそろ解消しそうではあるけれど。
翌日。
やはり、あのぬいぐるみの力であったか。
昼前には、近所の住人たちが、
「やっと手が空いたよ」
「ごめんねぇ!忙しい時に手伝えなくてさぁっ」
厩舎を勝手知ったる者たちが現れ。
それでも、まだ作業は若干滞っていると聞いたため。
我等は、堆肥をかき混ぜたり、馬たちの寝床を掃除したり。
「おーお嬢ちゃんか、ちっちゃいのに良く働いてくれるなぁ」
嵩の張る藁を頭上に掲げて狸擬きと共に運んでいると、汚れた布を抱えた宿の男とすれ違い、感心されつつ感謝もされた。
「随分といいとこのお嬢様に見えたけど、見掛けだけで判断するもんじゃないと反省したよ」
反省もされた。
(ふぬぬ)
我の“格好だけ”は男の趣味で、
「どこぞのやんごとなきお嬢様」
に見えなくもないからの。
今は頭の三角巾に白いエプロンも、泥や干し草が付き。
厩舎の掃除も終われば。
「小さいけど、うちの風呂を使ってくれ」
遠慮なく宿の男の家の浴室を借り、ほんのりとでもなく付いた糞尿の臭いはさすがに好まぬらしく、狸擬きも大人しく狼男に毛を洗われ。
「フーン」
もふりもふりと“ボリューム”を増して出てきた。
宿の男からは礼として、宿代を引いてくれるだけでなく、いい機会であるしと狼男が乗馬を教わることになり。
「……フーン」
狸擬きは、自分も乗せて欲しいけれど、狼男と言うド素人の乗馬へぐいぐい割り込む勇気はない模様。
狼男自身も、自分が上手く乗りこなせるかと及び腰ではあったけれど。
「のの」
「あぁ、センスがあるんだな」
さすが半獣半人。
鞍を乗せた馬に跨がってさえしまえば。
宿の男に教えられるまま、すぐにコツを掴み、軽快に馬を歩かせ始める。
「フンッフンッ!」
すかさず、自分も乗せろとスタコラ駆けていく狸擬き。
「そうだ、お嬢ちゃんも、子馬を見にくるかい?」
可愛いぞと宿の男に誘って貰えたけれど。
(ぬぬん)
「行かないのか?」
我を抱っこする男にも、不思議がられたけれど。
「のの。平気だとは思うのだけれど、我が子馬に近付くことで、何かしらの良くない影響を与える可能性もあるからの」
子馬など、これ以上なく無垢な存在。
どうやらなぜか真逆に位置するらしい我が近付いたならば。
「んん……」
否定は出来ない男。
その男が、
「ええと、先に食事をして来ます」
と話を逸らせば、
「そういや朝から手伝いに駆り出しちまったな」
助かったよお疲れさんと労られ。
鋭くそろそろ食事かと察したか、狼男とご機嫌な狸擬きを乗せた馬がトコトコと戻ってきた。
宿の男に聞いた食堂で食事をしつつ。
「フーン、フーン」
もう一度馬に乗りたいです乗りたいのですとせがんでくる狸擬き。
どうやら狼男の乗馬の腕は、狸擬きのお眼鏡に叶う様子。
男に伝えれば、
「そうだな、戻ったら頼んでみようか」
「の」
特に予定もなし。
ただその前に、食後の甘味を所望するのと、食堂を出てから男のシャツを引けば。
「おやなんだい、昨日の旅人さんたちじゃないかい」
旅の女と再会を果たした食堂の母親が、片手にカゴを抱えて、偶然だねとやってくると、
「昨日は来てくれてありがとうね」
男にぎゅむりとしがみつく我を見て、ニコニコ相好を崩し。
「お嬢ちゃんは女の子だからか、やっぱりおとなしいねぇ」
我を通し見ているのは、幼い頃の息子の姿であろうか。
男が、そんな母親に、甘いものが美味しい店はこの辺りにあるかと訊ねてくれる。
「甘いのは、あぁそうだね、この先のね、大きく花が描かれてる扉の茶屋が美味しいよ」
大通り沿いだから、分かりやすいよとも。
「のの」
男が礼を伝え、我を抱え直すと。
「はいはいじゃあね、気が向いたら、また店にもおいで」
と、自ら先に踵を返した癖に。
我等が歩き出した途端。
「……ああね、ちょっと。ちょっと待っておくれ」
「?」
振り返った母親には、その顔にすでについ先刻の笑みはなく。
「……」
むしろ何か、こちらを案ずるようなものが浮かんでいる。
(……?)
「……あぁそのね」
逡巡は顔だけでなく、片手で耳に触れ、落ち着かなげに視線を彷徨わせた後。
「もうね、やだね、ホントにね。……悪口陰口は、好きでないんだけど」
眉間に皺を寄せ、
「でもねぇ……」
溜め息を吐くと。
「ああもう、こんな要領を得ない独り言聞かせられて、あんたたちも困っちゃうよね」
その無理に浮かべた笑みに。
(ぬん……)
見上げた我と視線を合わせた男が、もし時間が取れるようなら、お勧めしてもらえた茶屋へ案内して貰えないかと母親を誘い。
「フーン」
狸擬きが促すように尻尾を振れば。
「あらま。うぅん、そうだね。悪いね、あんたたちにも気を遣わせちゃったね」
母親が、こっちだよと先を歩く。
そう遠くない場所に建つ茶屋には広い中庭があり、周りの建物で日射しは遮られ、建物の間から流れる風は涼しく、気温の高めな今日でも、とても心地好い。
母親が勧めるのはオレンジのタルト。
母親は紅茶だけ頼むよと、顔見知りらしい店員に気さくに挨拶している。
タルトが運ばれてくるまでは、母親に、海まではまだ遠いけれど、のんびり行けばいいよと、先の街の話を聞き。
間もなく紅茶と共に運ばれてのは、
「のの♪」
皮の剥かれたオレンジがたんまり乗せられたタルト。
オレンジの下はカスタードクリーム。
「ぬふん♪」
果実の瑞々しさとクリームのなめらさかとサクサクタルト。
「うん、美味いな」
「フーン♪」
『これはとても好きだ』
柑橘類でも美味しく食べる狼男。
そんな我等に、少し力が抜けたように笑う母親は、自身の頼んだ紅茶のお供に付いてきたビスケットの乗った小皿は、我の前に置いてくれてから。
「……うちの息子ね。あれも大の甘党でさ、少し前までね、あの3倍はふくよかだったんだよ」
あのやつれた若店主が。
我等だけでなく、
「フン?」
狸擬きすらも驚いて、フォークを持つ前足を止めた。




