52粒目
背凭れに身体を預けた母親は、思い出すように宙に視線を向け。
「あの旅の子はさ、さっぱりした性格だし、うちの料理も美味しそうに食べてくれるしね」
初めて息子があの子を店に連れてきた時は、息子とだいぶ年は離れているし、流れ者と聞いて、どうなんだろうとは少し思ったと。
それでも、息子はニコニコと今までになく楽しそうだし、息子が幸せになるならばと、彼女を歓迎していたと。
「でもね……」
息子は、だんだん、だんだんと息子が痩せ、2年も経たずに、あそこまで痩せてしまったと。
食べる量は変わらず、息子自身は元気で全く気にしてもいないと。
(ぬぬん)
我のいた土地では、真っ先に病気を疑うけれど、この世界の大人は、皆頑丈で丈夫。
無論、例外はあるだろうけれど、
「火の出方も問題ないしね」
こちらでは、指から出す火の様子で健康状態を測る様子。
「考え過ぎなんだと思うけどね……。あの子が現れた時期と、息子が痩せ始めたタイミングとぴったりなんだよ……」
俯きがちに紅茶を啜る女は、カップを両手で包むと。
「こんなさ、よく知りもしないおばさんの妄言なんか聞かせちゃって、あんたたちの気分も悪くさせて、申し訳ないね」
眉を寄せたまま、無理に笑みを浮かべたけれど。
「ほら、私も、だいぶ、もういい年だから……」
いい年であるか。
「そうさ、ほどほどにね」
身体を揺らして笑うと。
「昨夜も、あの子がね。……あんたたちに、特に、あんたに向ける視線が、うちの息子に向けるものとそっくりだったんだよ」
母親は男をちらと見ると、
「……ほんの老婆心だよ。これも、大層余計なお世話かもなんだけどね……」
どうしても黙っていられなかったと何度目かの溜め息。
男がそっと煙草を差し出すと、
「いいのかい?旅人さんには貴重なものだろう?」
母親は躊躇したけれど。
「この辺りでは、手に入れるにも不自由をしなさそうなので」
男が引かずにいると、
「じゃあ、遠慮なく頂くよ」
1本引き抜き、伏し目がちに煙草に火を灯し、空に紫煙を吐き出す。
「店では吸わないと決めてるんだけどね」
あぁやっぱり美味いねと、少しばかりの気は紛れたであろうか。
どの土地であっても。
やはり人の良い者たちで溢れたこの世界。
この母親も、人を悪く、しかも自身の憶測を、我等も流れ者であれど、そんな他人に聞かせることにも相当な躊躇いあってのものであろう。
「……」
我から見て。
あれは、あの女は、ただの人間であった。
狸擬きも、何の反応も見せていない。
今も我の前に置かれた小皿のビスケットに短い前足を伸ばしている程度。
狼男は、じっと黙って、人の世界の事象に耳を傾けている。
男が、我を見つめてきたため、頷いて見せれば。
息子さんにはまだ言わないで欲しいと口止めをしてから。
「彼女は、もう少しでこの街を出ていくようです」
こそりと告げると。
「……そ」
そ?
「そうなのかい……っ?」
本当なのかいっ?と母親が目を見開き。
男が、本人からそう聞きましたと答えれば。
「そう……。あぁ、そうかい、そうかい……っ」
大きな大きな息を吐くと、
「……ああ良かった。良かった。助かったよ……本当に……」
煙草を指に挟んだまま顔を覆い、何度も深呼吸し、嗚咽を堪えている。
この母親には、息子の死期すら、うすらぼんやりと視えていたのだろうか。
思い返せば、常連の客たちも、チラリチラリと窺うような視線を青年に向けていた。
あれは、純粋に若店主を心配していたのであろう。
(……ぬぬん)
我は、小皿のビスケットの残りを齧りつつ。
そよりそよりと抜ける風に身を任せ。
ふわりふわりと、男と共に馬車で通り過ぎた道を土地を、そこで出会った人々を振り返る。
人より狼たちが大事であり、あれはきっと生涯独身を貫くであろう、今は遠い遠い牧場の姉。
水の街で、男をとっかえひっかえした挙げ句に子を孕み、子を置いて街を出た、水の神にすら愛された栗毛の母親。
自分以外は人間だろうが獣だろうが、自身の実験のためのモルモットとしか思っていない、見た目だけは天使であった娘。
思い出せるだけでも、ごく普通の人間でありながら、特異な癖を持つ女も様々。
けれど、この母親が懸念する女が、思い出せる限りで近いのは。
(ぬぬん)
無類の酒好きであり、女の人肌をこよなく愛す、黒子であろうか。
(あの旅の女は、あのろくでなしの部類かの)
けれど、黒子はほんの短期間で他の女に目移りし、修羅場を日常茶飯事で起こしてはいる様だけれど、相手の生気を奪うようなことはしない。
ならば、旅の女は、あの大変に“グラマラス”であった吸血鬼に近いであろうか。
しかし、あやつも人外であるからこそ、節度を知っているし持っている。
けれどもである。
今、我等の間で話題に上る旅の女は、無自覚故に、節度を知らない。
そして節度など知らねども、若い男の美味い部分の大半は吸い付くし、あの青年は、もう旅の女には、用なしになったのであろう。
茶屋を出てから、息子さんにはまだ伝えないで欲しいと再度男が口止めを頼めば。
母親は、
「言わないよ、あぁ勿論言わないよ」
男の手を強く握り、
「あんたたちに話して良かった、ホントにね」
店の仕込みがあるから急いで帰らないとね、と母親は少し軽くなった足取りで、街中へ消えて行き。
我等は、母親を見送れば街を冷やかしつつ宿に戻りながら。
「のの、お城があるとの?」
「あぁ、だいぶ遠いけれど、この辺りは城へ向かうための街でもあるらしいよ」
おっとりのんびりした街でも、細々したものが色々と売られている理由が解った。
「城を見に行ってみるか?」
ふぬ。
正直な所。
「あまり興味がないの」
狼男のためには、色々と見せるべきではあるのだろうけれど。
我等の耳にやっと入るくらいの、質素堅実な地味なお城らしい。
それには好感は持てるけれども。
「海が待っているからの」
宿へ戻れば、宿の男に頼み、再び狼男が狸擬きを乗せて馬を走らせ。
「絵になるな」
男はスケッチを始める。
我は。
さすがに我に怯えることもなくなり、
「お、知った顔だぞ」
「なんだなんだ」
と言わんばかりにこちらへやってきた、我等が脳筋馬たちの癖毛な鬣を。
木箱と踏み台を借りて重ねれば上に立ち、大きな櫛で梳いてやる。
「♪」
「♪」
ご機嫌な脳筋馬たち。
気がつけば、男がそんな我と馬たちをスケッチしていた。
翌日。
宿の男に見送られ、街の大通りを突っ切るように走り、ほぼ対面とも言える街の端までくれば。
「わーぉ、よく会うわねぇっ!」
邪気のないカラリとした笑顔で馬車を走らせてやってきたのは旅の女。
旅の女は、この辺りに住み仕事を請け負っていたのだと。
馬車から身軽に降りると、
「でもこの再会で、当分はお別れかしら?」
さらりと長い髪を掻き上げた。
女は、今日、街から出て行くのだと言う。
(おやの)
そう言えば馬車も大きい。
「彼に、お別れは告げたのですか?」
「ううん。昨日で終わり」
しみったれたのは嫌いなのよとカラカラ笑う。
いつもの通り、またねで別れたと。
若い男の生気を吸えるだけ吸って、飽きもしたし満足もしたのであろう。
こやつは無節操ではなく、たった1つのお気に入りを、干からびるまで吸い尽くす。
女は、足を踏み出し、じっと男の顔を覗き込むと。
「旅先が真逆なのが残念だわ」
微かに唇を舐めた。
(ふぬん)
どうやらあの息子の母親の勘は正しく。
ただ。
あの息子と我の男は、見た目などの共通項はとんとなく、この女なりの、好みや見極め方があるのであろう。
より美味な生気を持ち合わせる男の見極めが。
旅の女は、
「じゃあね、またいつかね!」
変わった旅人さんたち!と大きく手を振って馬車を走らせて行く。
「フーン」
放っておいて良いのですかと狸擬き。
「なんの」
何を放っておくのであるか。
「あの女は、何も悪いことなどしておらぬの」
あの女自身は、相手の生気を吸っている自覚すらなし。
吸われた男は、女との蜜月は、いい思い出となるだけ。
それでも。
「あの女は、思ったより年を重ねているやもしれぬの」
「ん?」
我を抱えた男の身体が少し跳ねる。
『あぁ、それは少し感じた』
と狼男。
「そうなのか?」
男は、全く分からないと首を捻り。
『上手く言えないけれど、こう、匂いが違う』
そう。
「あの女は、実年齢は、そうの、あの息子の母親と同じくらいかもしれぬの」
「お、おぉ……」
じっと黙って女の馬車を見送っていた狸擬きは。
「フゥン」
旅の女の馬車が見えなくなると、おもむろに我を振り返り。
「の?」
「フゥンフゥン」
では主様も、もしや人の男はおろか、若い獣たちの生気を吸いすぎて、その様な幼き姿になったのでございますかと首を傾げ狸。
「ふぬ」
そうの。
そうかもしれぬのと、我は男の腕から小さくもがいて下ろして貰うと。
ごく自然を装い笑みを浮かべ狸擬きに両手を伸ばし、
「よいしょの」
従獣を、頭上に仰向けになるように掲げる。
「フン?」
主様?と狸擬きの短い4つ足はピンと張り。
我は、ほどほどに、狸擬きを掲げる両手に力を込める。
「フン?フンッ?」
何でありますか何をしているので御座いますか下ろしてくださいませ主様と、ジタバタと短い4つ足を蠢かす狸擬きを。
「失言の絶えないお主はの」
一足先に。
「海まで行けばよいの」
「フンッ!?」
毛がぼわり膨れた狸擬きを。
「ほれの」
「フーーーーンッ!?」
我は、我に忠誠を誓う自称従獣を、大きなお空にぶん投げた。
ーーー
「あーずき洗おか、どーこへ行こーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
「あーずき洗おか、うーみへ行こーか♪」
しゃきしゃきしゃき
しゃきしゃきしゃき
ふふん、ふふん♪
ふふん、ふふん♪
しばらく進んだ先の道で流れていた穏やかで緩やかな川。
男に馬車を停めて貰い小豆を研いでいると、言葉の慎みを知らぬ自称従獣こと狸擬きが、
「フーン」
ノコノコと戻ってきた。
どうやら海までは飛ばなかった模様。
やはり我の力も大したことはない。
「フーン」
いえ、今まで以上に飛びましたと狸擬き。
最高記録ですとも。
「そうかの」
「フゥン」
お空を飛んでいる最中に城が見えましたと。
おやの。
どうやらこやつを飛ばす方角を間違えたらしい。
「どうだったの?」
湖を一望出来るように建っておりましたと。
建物自体は、豪奢でなく城としては簡素なものだと。
狸擬きは、そのお城を遥かに越えた枯れ草畑に着地したと。
湖にでも落ちれば良かったのにの。
『……この彼が、君に飛ばされるのは、珍しくないことなのか?』
狼男が、自分も豆を研ぎたいと前足を伸ばしてくる狸擬きと我を交互に見て、戸惑いを隠さず問うてきた。
「そうの、あまりに口が過ぎた時はの」
ただ、こやつは飛ばされるのにも慣れて来ている様子。
そろそろ別の仕置きを考えなければ。
おやつ抜きにでもすればよいのか。
死刑宣告を受けた様に絶望しそうであるけれど。
男は風下でのんびりと煙草を吹かしつつ笑っている。
しばらく川沿いに進むと、窪地に村があると。
洗った小豆を袋に落とせば、男が両腕を伸ばして来た。
馬車に乗っている時は抱っこ出来ないからと。
抱っこされ、そのまま男にあやされていると、狸擬きが浅瀬で小魚を前足で、
「フンッ」
掬い上げて飛ばしている。
飛んできた小魚を、狼男が指先で捕えると、
『……』
そのまま口に含み咀嚼し。
「……どうの?」
『うん、焼いた方が美味い』
ふぬ。
「フーン」
浅瀬から足をピッピッと振りながら出てきた狸擬きが空を見上げ、雨の匂いがしますと。
「おやの?」
今は晴れている。
狼男も耳をピクリとさせると、
『あぁ、雨が来そうだ』
と。
長引くものではないと言うため、馬車に戻り、馬たちの天幕を張れば、自由にしていた馬たちも、雨と察したか、自ら戻ってくると大人しく天幕に収まる。
我等も狭い荷台で雨が抜けるのを待てば、徐々に荷台の中が薄暗くなり、男がランタンに火を点け。
ゴロゴロと不穏な音。
「おやの、雷様であるの」
『あれは、少し苦手だ』
尻尾を丸める狼男。
「この辺りは、雷は珍しいと聞いたんだけどな」
「フンフン」
空が主様に挨拶をしているのかもしれませんねと狸擬き。
こやつは我をどれだけ高く見積もれば気が済むのか。
この辺りに落ちることはなく。
遠くに落ちて終わった様子。
ほっと胸を撫で下ろす狼男。
雨も上がれば。
トコトコ、トコトコ。
先へ、先へ。




