49粒目
なんとも。
「ぬいぐるみの街らしい怪談であるの」
『かい、だん?』
「怖い怖い物語のことの」
『そうですね……』
馬のぬいぐるみは足を止めると、
『わたしたち、この街のぬいぐるみたちは、全てではありませんが、ほんの一部、意識を共有することが出来ます』
街を眠らせるのに必要な力なのであろうの。
『えぇ。……崖に落ちたぬいぐるみの意識も記憶は、わたしを含め、幾つかのぬいぐるみたちに共有されたんです』
のの?
『あの瞬間。確かに、ぬいぐるみではなく、あれは人の意識ではありましたが、ぬいぐるみに魂が入ったことで、その時は確かに、彼女自身の意識は、ぬいぐるみの中にあったのだと思います』
では。
「ぬいぐるみの魂とやらは、人の娘の身体に入ったのかの」
そんなことが可能であるのか。
「フーン」
先刻の、身代わりの話に繋がるのでしょうと狸擬き。
ふぬぬ。
ぬいぐるみが、持ち主の風邪っぴきの身代わりになったり、小さな不幸の身代わりになったりする話などは、聞いたことがあるけれど。
今の話では。
「ぬいぐるみとしては類いまれなる力を持つぬいぐるみが、その身代わりの力を、逆手に取ったと」
『そう、そうなのです』
この街だからこそ起きた、悲劇かつ珍妙な出来事。
「では、娘の身体と、その娘の身体に入ったぬいぐるみの魂は、どうなったのの?」
馬のぬいぐるみは、少し躊躇を見せた後、再び歩き出しながら。
『……それっきり、行方が知れないのです』
のの。
『あの不幸な事故がきっかけで、がけ崩れのあった場所には丈夫な橋が架かりました』
落ちた馬たちは2頭共に崖下で死んでおり、馬車は粉々になり流され。
赤毛の男の埋もれた遺体の回収は敵わず。
せめて安らかな眠りをと祈りだけ捧げ、橋を架けたと。
(まさに人柱であるの)
『あなたは、長い長い旅の途中なご様子』
「そうの」
『もし、もし旅先で、中身がぬいぐるみの彼女に会ったら……』
会ったら。
『……会ったら。……いえ、例え会っていたとしても、わたしは、何を訊ねて欲しいのか、どうして欲しいのか……』
立ち止まり、大きな溜め息。
この馬のぬいぐるみは、声の割りに、精神は大人に感じる。
それを口にしてみれば、
『そうかもしれません。わたしたちの寿命は短いので、年を取るのも早いのです』
否定はなし。
けれど。
「お主は、扱いの雑な子供に売られることもなく、こまめに手入れもされているようであるし、寿命は少しは長いのではないのの?」
飾られている限りは。
『いいえ、わたしの命はご主人様の寿命と共にあり。ご主人様の命が尽きた時、一緒にお墓に入れてもらえるのです』
少し誇らしげな、それでいて寂しげな。
(ぬん)
こやつは、希代まれな、人がぬいぐるみの身代わりになるという、しかも魂、根源が身代わったぬいぐるみを。
もしや、僅かには。
羨んだのであろうか。
「……」
聞けはせぬけれども。
話を戻し。
人の肉体を持った心がぬいぐるみの女。
「我は、それらしい者には会ったことはないの」
「フーン」
わたくしめも御座いませんと狸擬き。
相当な異形であるし、我はともかく狸擬きであれば、少し離れている程度ならば、すぐに何か感知するであろう。
『そうですか……』
案外。
「人の身体を手に入れた途端、発狂し崖下へ流されて終わっているかもしれぬの」
『はっきょう……とは、なんでしょう?』
「頭がおかしくなることの。人の持つ五感は、ぬいぐるみの比ではないしの」
ぬいぐるみが人の肉体を乗っ取り、喜んだのも一瞬。
人の身体に潜り込んでも、そのおぞましい数の感情感覚その記憶を含めた情報量に、到底耐えられるとは思えない。
あの骨だけになった甲冑男も、人の持つべき欲は皆無だったと言う。
それに関して不便が多いかと思いきや、
『“案外、気楽なことも多いのです”』
と、本音と思える言葉を溢していた。
『……』
「崖下へ落ちた、娘の魂と思われるものが入ったぬいぐるみの死因は、一体、何であろうの」
身体がやわこければ、打撲も少なさそうだけれど。
『ぬいぐるみも、人の魂を受け入れる器では到底ありませんので……』
そもそもの器が人の娘を受け入れ切れずに、落下しつつ命が終わった事を、この馬のぬいぐるみを含め、一部のぬいぐるみたちが感じたと。
その娘の家族だけでなく、街の人間たちも、娘を馬車に乗せた老人から話で。
娘は、衝動的に赤毛の彼を追い掛け、赤毛の死を目前にしてショックで自身も飛び降り、流されたと思っていると。
実際、目で見える情報からすれは、何も間違ってはいない。
『長い散歩に付き合わせてしまいました』
気づけば、我等の泊まる宿が近い。
「本当に、ただ話を聞くだけに終わってしまったの」
今の話で、我に何が出来るかは甚だ疑問ではあるけれど。
『いいえ。わたしは、きっと、ただ誰かに、第三者に話を聞いて欲しかっただけなんだと思います』
ほんのりと、声の固さが弛んだ気がする。
「の」
『なんでしょう?』
「お主は、街の見回りをしながら、このまま、街を出てもっと広い世界を見たいと思ったことはないのの?」
馬のぬいぐるみは、はたと立ち止まり。
瞼があれば、何度か瞬きでもしていそうな沈黙の後。
『わたしは、わたし自身がとても脆いことを自覚しているので、何よりも怖い気持ちが先に立ちます』
頭ごと仰ぎ、空を見上げ。
「でも、大好きなご主人様と旅に出られたら、それはそれは、とても楽しい旅路かもしれませんね」
馬のぬいぐるみは、狸擬きを見て小首を傾げ。
「フーン♪」
とても楽しいと狸擬き。
馬のぬいぐるみは、それには何も答えず。
『……そろそろ夜明けが訪れます。わたしも帰らなければならない時間になりました』
不思議な時間は、あっという間に過ぎる。
「の、ちょっと待つのの」
狸擬きに背負わせていた小さな鞄から、紙とペンを取り出し、短い手紙を書き、紙を細く折ると、馬の首許のリボンにくくりつけた。
『?』
「この街を守るお主を、もっと大事にするようにと、お主のご主人に言伝ての」
『え、えぇっ?……そんな、あはっ……どうしよう、そんな事、いいのかしら?』
初めて笑った声を聞いた気がする。
「ほれ、行くの」
夜明けの訪れと共に、街の力も、徐々に消えかけているのを感じる。
『お話を、聞いてくれてありがとう』
「のの。こちらも、大変に興味深い話を聞けて楽しかったのの」
つい本心を口にすれば。
『楽しい。……そうですね、あなたは、とてもお強いのですね』
(ぬぬ)
不快そうな声でなく、少し考えるような。
それでも。
「今のは失言であったの」
こやつは仲間を失い、ずっと溢す相手を探していたというのに。
(我は、些か無神経な所があるの)
幾多数多の人間と会話が出来ないのは、我に取っては、むしろ好都合なのやもしれぬ。
『いいえ。私はあの出来事を、自分でどう捉えるべきなのか、どう感じていいのか、答えを出すことが出来なかったから』
小さな息を吐き。
『あの出来事を、この街の“記録”として、やっと自分の中に仕舞える気がします』
ふぬん。
やはり大変に大人であるの。
無駄に長生きしてるだけの我とは違う。
『そう思えたのも、あなたに話を聞いて貰えたからですよ』
大人な馬のぬいぐるみが立ち止まり、そこは、我等の寝床のお宿の前。
『夜のお散歩に付き合ってくれて、本当にありがとう』
馬のぬいぐるみは、些か明るい声になり、トコトコと店へ帰って行く姿を見送り。
この平和な世界。
夜でも施錠もない宿の扉から、薄暗い広間を抜けて部屋へ戻ると、ぬいぐるみたちの力は弱まり始めたとはいえ、まだまだ健在。
寝巻きに着替え直し、今は背中を向けて寝ている男の背中にしがみつき、我は、朝までの僅かな睡眠を貪った。
ーーー
曇り空の朝。
朝一で街を出るため、男が馬車を宿の前まで牽いてきてくれた。
馬車で街を走るも、ぬいぐるみたちからの視線はからっきしになくなり。
狼男も拍子抜けしたように力を抜いている。
我の従獣は変わらずボケッとし、今も我の隣で大欠伸をしているだけ。
街を抜ければ、羊は放牧され始めたばかり。
数体が、こちらを眺めている。
「君には、あまりな街だったか?」
男にそんな問い掛けをされた。
「のの、こやつの牽制が強くてろくに手にも取れぬからの」
唇を尖らせて見れば。
「フーン」
主様と狸擬き。
「ぬ?」
狸擬きは、目を細め鼻先を先の方に向けている。
「のの」
促されて先を見れば。
(おやの)
「どうした?」
「橋の手前で、馬車を停めて欲しいの」
「……何かあるのか?」
男の声が低くなる。
「少しばかり、嫌なものが視えるの」
我の言葉に、男はだいぶ手前で馬車を停めると、先にベンチから降りて我に腕を伸ばし降ろしてくれる。
『嫌なものとはなんだ?』
狼男がピリリと身体を張り詰めさせるけれど。
「橋の崩落の予感などではなくの。橋に、まだ赤子の様な黒い靄があるの」
男と狼男は、橋の方に目を凝らすも。
「……君に危険はないのか?」
やはり何も見えぬのか、固い声をそのままに聞かれ。
「全くの。見逃しても問題ないけれど、次いつここに来るか分からぬし、気づいてしまった手前、消滅くらいはさせておこうかと思ったの」
付いて来ても良いけれど、出来れば馬車の前で休憩の振りをしつつ、こちらから橋に近づく馬車の足留めをお願いしたいのと頼めば。
「わかった」
膝を付いた男に頭を撫でられる。
まだ時間が早いため、対面からの馬車もない。
(ぬぬん)
どんな“物”でも“事”でも、成長は様々であり。
その成長の良し悪しも、またそれぞれであり。
橋の真ん中へ向かうと、膝を付いて狸擬きと共に崖下を覗き込む。
「フーン」
「の、じわじわと登って来ておるの」
男には黒い靄と伝えたけれど。
(ののぅ……)
たった人一人の執念が、肉体がなくともこうやって「何か」となり。
その「何か」は、我の目には、赤く長い髪が1つの大きな塊になって崖に張り付いて見えるけれど。
(大したものであるの)
髪の一部が、橋に絡まり始めている。
土や木の枝まで巻き込み。
「の、お主、話は出来るかの」
『……』
肉眼では動いているかも分からぬ程の、微弱な「それ」の動きが止まり。
『……』
「お主は、どこへ行こうと言うのの?」
『……僕……僕は……』
おやの。
こちらから声を掛けたとは言え、案外はっきり人として言葉が聞き取れる。
『帰ら、なければ……』
帰る。
「どこにの?」
『彼女の、元へ……』
彼女。
街のぬいぐるみに身体を乗っ取られた彼女のことであるか。
『遠い……遠い……港街へ……』
(むむ?)
『彼女が……彼女と……約束をしていた……』
約束を。
『今度は、今度こそ、一緒に旅をしようと……』
ふぬ?
ぬいぐるみの街の娘ではないのか。
では。
「お主は死ぬ前に、この場所で、何かを感じなかったかの」
『……何か…何か……。……記憶は、ない、ただ……。……あぁただ……』
ただ?
今思い出せば、自分ではない、何かの誰かの強い未練は感じた気がしたと。
その瞬間。
崖が崩れ、狼狽えた馬たちと馬車と共に、崖下へ落ちた。
土砂に呑み込まれ、記憶はそれきりだと。
ふぬ。
「では、ぬいぐるみの街の記憶はあるかの?」
沈黙の後。
『……最近のお陰か、ほんの少しだけ、ある……』
最近の。
「フーン」
新しい記憶が生まれないため、数年前でも最近の出来事になるのでしょうと狸擬き。
ふぬぬ。
「お主は、若い娘と出会ったであろう」
『……あぁ、そうだ、丁寧に、街の案内をしてくれた……』
街の案内。
デートではないのか。
『……組合で声を掛けられ……きっと、組合の人間だったのだと思う……』
街にいる間、とても親切に街を案内してくれ、ぬいぐるみも買うように促されたと。
「そのぬいぐるみはどうしたのの?」
『遠い母国で待つ彼女は……こういった少女趣味なものより、石やアクセサリーを好む……』
だから、親切な案内の礼として、ぬいぐるみは街の娘にプレゼントしたと。
(ぬぬん)
「お主はその娘と、親密に額を合わせることがあったであろうの?」
『……額を……額……?』
「の」
『……あぁ……“私の瞳は少し変わった色をしている”と言われて覗き込んだ時に……軽く……』
なんと。
「けれど、相手にぬいぐるみを送ることに、特別な意味があるとは聞かされたであろうの」
娘から。
『……あまり、深く、考えていなかった……。私の国では……アクセサリーの方が、意味も価値も高く深い……』
どこの国も土地もそうであろうの。
あの街が異色なだけで。
我だけでなく、隣の狸擬きも、フゥンと解せなさそうに鼻を鳴らし。
そう。
馬のぬいぐるみの話と、随分と解釈が違うではないか。




