42粒目
翌朝。
甲冑男から聞いた、おいしいと話題のパン屋へ狼男が買い出しへ向かい。
「フンフン」
付き添って来ますと狸擬きまで出て行った。
狼男も大概に甘いため、何かしらねだる気なのだろう。
我と男は、その間にスクランブルエッグに厚手のベーコン、玉ねぎのスープを作っていれば。
そう待たずして、たんまりとパンの詰まったカゴを抱えて狼男が帰ってきた。
狸擬きの口周りには、砂糖の欠片とパン屑。
「美味であったかの?」
「フーン♪」
大変に、と狸擬き。
そんな狸擬きの太鼓判もあり、パンはどれも香ばしく大変に美味。
狼男が、
『街では、“甲冑男が大層な美声だ”との話題で持ち切りな様子だった』
と教えてくれた。
「なんと」
確かに、いざ仮面の内側から放たれた声は、大変に耳障りのいいものではあったけれども。
今までが全くの“だんまり”であったため。
いざ会話が出来、更に美声だと知られれば、話題にならないわけがない。
「フーン」
狸擬きが鼻を慣らし。
『あぁ、そうだ』
「の?」
『帰り際、この貸家の主人とすれ違い、声を掛けられた』
おやの。
「なんの?」
『自分達が住んでいる家の敷地の木を切る手伝いをしてくれないかと』
どうやらその恵まれた体躯を見込まれた様子。
「予定もないし、構わぬの」
男と共に頷けば。
「フーン」
わたくしにも依頼ですと狸擬き。
「のの?」
この貸家のじじは息子夫婦と孫と住んでいるけれど、息子夫婦が揃って用があり、子守りを頼みたいと。
「のの、お主にかの」
『俺たちが庭にいる間、孫と一緒にいて欲しいんだそうだ』
一風変わった、大人しく、知性も、まぁほどほどにありそうな獣。
人様の会話も理解していそうだと、貸家を貸す時から気になっていたと。
何より、その時に離れた場所で我等を眺めていた孫に、あの変わった生き物に会わせて欲しいと祖父である貸家の主人がせがまれた様子。
果たして、どちらの依頼が本命であるのか。
その子守となる子供は。
『とても大人しい、君くらいの女の子だった』
ふぬ。
「我はお主が良ければいいけれどの」
「フーン」
おやつ代を稼いできますと。
ぬん。
これからの我等の路銀のためなどとは、露ほどにも思い付かないらしい。
君たちのお荷物にならないように稼いでくると立派な1人と、残念な1匹を見送り。
我は、片付けの前に、男に髪を梳かされながら。
「の」
「なんだ?」
「甲冑男の、街にすら轟くあの美声は、お主の画力故の?」
ふと思い浮かんだ疑問を男に訊ねてみれば。
「んん、どうだろうな」
背後で首を傾げる男は、
「彼の生前の声でなく、もし唇の形のせいなら」
ふぬ。
「唇に皺でも描けば、また違ったかもしれないな」
嗄れた声になったかもしれないと。
ほうほう。
では、もし男が描いた唇が、おちょぼ口だったならば、どんな声になったのであろうか。
「小鳥の嘴ならば、囀ずっていたかもしれぬの」
男がくくっと笑い。
「少し試してみたいけれど、キミの身体を傷付けることになるからな」
背後から手を取られ、人差し指に唇で触れられる。
(ぬぬん)
「の」
「ん?」
「他者のために身体を傷を付けた我を、お主は責めるかの?」
残された片手で、後ろ手に男の頬を撫でれば。
「そうだな、その気持ちはないとは言えない」
ふぬ。
「ただそれは、自分には君のような力がないから、ただの八つ当たりもありそうだ」
ほうほう。
「いや、なんだろうな。やっぱり、ただの嫉妬かもしれない」
嫉妬。
それは、やはり我が血を与えたことか。
「あぁ。……それに」
それに。
「例え君の血を飲み続けても、俺が君に与えられるのは、ただ、君と一緒にいることだけだ」
特別な力が付くわけでもないから、自身の力不足を嘆く自己嫌悪も混じっていると。
(……ぬん)
それは。
「我はそれだけで、一緒にいてくれるだけで、充分なのだけれどの」
こうやって、いつまでも、いつまでも、我の髪を結ってくれるだけで。
「……」
男は、我の髪を再び掬いながら、
「……それでも、俺はたまに、もどかしいよ」
小さなため息と共に、髪に唇を寄せられた。
ぬぬん。
気持ちが伝わらぬのも、もどかしいものであるのだけれど。
耳にかかる側面の髪を三つ編みにされ、更に耳の上でくるりと輪っかにされた。
「可愛い」
「の♪」
朝食の片付けをしてから、軽く掃除と、小さな庭で洗濯をする。
気候がよく、物干しに干せば、男が風を出さなくても乾きそうであり。
することは他にもあれど、庭の古ぼけた、大きな椅子に腰掛けた男の膝に乗り、建物の間から吹く緩やかな風を受けながら、それぞれ、物思いに更けていたら。
「フーン」
主様の名に相応しい、いいご身分でいらっしゃいますねと、狸擬きのフーンで起こされた。
「……んの?」
男の胸から顔を上げて目を擦れば。
『依頼は無事に終わった』
狼男もやってきた。
「……あぁ、悪い」
男も眠っていたらしい。
『お礼は宿代をまけてくれると。それと、ついでに貰えた』
と、狼男の持つカゴに入っているのは、そのまま食べるよりもジャムに適していると言う、季節外れの小振りな苺たち。
少し酸味が強いらしい。
カゴを受け取り、早速鍋に砂糖と共に苺を放り込み。
「子守りはどうだったかの」
足許の自称従獣に問えば。
「フゥン」
絵本を読み聞かせられましたと。
「のの」
どちらが子守り役なのか。
鍋から甘酸っぱい香りが部屋に広がると、スンスンスンスンと忙しく鼻をひくつかせていた従獣であるけれど。
「フーン」
「の?」
「フンフン」
パン屋のパンも美味しかったですが、やはりわたくしめは主様の焼いたパンが食べたいのですと。
おにぎりではないのは、目の前のジャムのためか。
男に問えど、今日は後の予定もないと言うため。
ならば。
「ゴリゴリの」
「フンフンフン」
貰った茶葉を狸擬きと共にすり鉢で細かくし。
「こねこねの」
「フンフンフン」
パン生地に混ぜ込み、狸擬きと共に捏ねる。
(そうの)
発酵の間に。
「フーン?」
「茶葉はたくさん貰えたからの」
水出しの紅茶を仕込めば。
貸家のじじの家の枝を落とす姿を見ていたらしい者に、
「うちの屋根の修繕をして貰えないかしら?」
狼男に、直々の依頼が来た。
簡単な修理なら、狼男が山から出たばかりの村で、掃除屋として働いている時に男からすでに習っている。
それでも、屋根ならばと、一応男も付いていくと出て行き。
我等は留守番。
パンの発酵具合を眺めていると、
「フーン」
「の?」
やはりどこから出し、どこに収納しているのか、狸擬きがおもむろにこちらにブラシを見せ、
「フゥン」
背中の毛を梳かしてくださいとおねだり狸。
「青のミルラーマもお主のいた森も、そこまで寒くもないのに、なぜお主はこう多毛であるかの」
しかも年がら年中。
毛を梳きながら疑問を口にすれど。
「フーン」
わたくしにも分かりませんと心地良さそうに目を細める従獣。
従獣の毛を梳き、パンの形を整え焼き、部屋に焼ける小麦と茶葉の香りが広がる頃。
「ただいま」
『あぁ、とてもいい香りがする』
2人が帰ってきた。
ジャムと焼いたパンで、皆で、遅い昼兼おやつの時間。
屋根は無事に直ったと。
「なによりであるの」
「フーン♪」
やはり主様の焼くパンは美味しいのですと尻尾フリフリご機嫌狸。
「そうかの」
「フーン」
夜はおにぎりが良いのですと催促されたけれど。
「なんの、お主よりも、こやつらの希望を聞くのの」
「フンッ!?」
なぜですかと狸擬き。
「お主より、男等の方が仕事をしておるからの」
「フンフンッ」
わたくしめも子守という立派な仕事をしましたと鼻にジャムを付けたプンスコ狸。
(のの?)
それは。
「人の子のことかの、それとも、我のことかの」
「フーン」
どちらでもで御座いますと鼻を高くする狸。
(ほうほうほうの)
笑顔を作って、拳を握って見せれば。
「ええと俺も、君のおにぎりが食べたいな」
『俺もだ、あれはとても美味しい、キミが作ってくれなくては食べられないから』
我の作り笑顔に気付いた男と狼男が、食い気味に催促して来た。
狸擬きの言葉は伝わらねど、どうやら我等のやりとりで何かしら察したらしい。
(ぬぬん)
「まぁ、お主等が食べたいなら良いけれどの」
牛の乳を垂らした、大変に香り良きな紅茶を飲めば。
「フゥン」
「?」
「フンスン」
もっと日々主様に仕えるわたくしめのことを正当に評価して欲しいものですと、鼻に付いたジャムを舐め取る自称従獣。
なんと。
我の従獣は、男たちの助け舟にも気付かないどうにも残念狸。
「ではお主は」
我は溜め息を吐いてから、カップをテーブルに置くと。
「フン?」
「従獣とは何なのか、久しぶりに見知らぬ街を空から眺めるながら長考するとよいの」
主である我の、更なる目一杯の笑顔と拳にやっと気付くと。
「フーンッ!?」
椅子の上で飛び上がった。
「なんならの、先の街まで、一足先に飛ばしてやるの」
今度こそ、全力で飛ばしてやる。
「フンフンフーンッ!!」
慎んでお断り致しますと椅子から飛び降りる狸擬きを追い、狭い庭へ駆け出せば。
「の?」
鼻先にポツリと水滴が当たる。
『雨だな』
我を止めるために駆け付けた狼男が、空を仰ぎ。
「おやの」
そう言えば干しっぱなしであった洗濯物を急いで仕舞い。
「……フーン」
窓を閉めた部屋で、絶えず我から一定の距離を取る狸擬きを、煙草を吹かす男と、狼男が笑う。
『彼は、本当に飛ばされると思っているのか?』
「一度したからの」
『……お、おぉ』
すでに経験済みなのかと、狸擬きが今も部屋の隅で尻尾をピーンと立てている姿に合点のいった顔。
青い狼たちのいる街で、こやつを街中へふっ飛ばしたのと話せば。
『青い狼』
「の。世話になった所の狼は、大変に気弱での」
『狼なのにか?』
「くふふ、そうの」
狼男のいた山の狼たちは、当然、好戦的な個体ばかりであった。
「あの狼は、生まれた時から人に飼育されているから、また違うんだろうな」
おいでと男に呼ばれ、抱っこされれば。
狸擬きは立てていた尻尾をやっと下ろす。
『人にか……』
狼男も、人の女から生まれたのであろうけれど。
育ちは山。
狼男にその記憶はないと言うし、生まれて間もなく、長の元へ連れていかれたのであろう。
「青の国へ向かえば、お主は大層歓迎されそうであるの」
あのいつかの貧乏学生など、狼男を見たら、一体、どんな反応を見せるだろうか。
狼の運動会などもあった様だけれど、
「お主には参加資格はあるかの?」
と青の国の話をすれば。
「フーン」
次はわたくしめも参加したいですと椅子に飛び乗る狸擬き。
「なんの、珍獣枠でかの」
箸休めに玉乗りでも披露するのか。
「フーンッ!!」
狼として出場しますと大口を叩く狸。
「なんの、お主は狸であろうの」
「フンフンッ」
それは主様がわたくしめを狸だと思っていらっしゃるだけで、狼の血も半分は混じっているかもしれませんと椅子の上で足を必死で伸ばす。
「……のぅ」
しかし、以前。
男と初めて遭遇した時、男から、
「タヌキ?」
と呟かれましたと話していたではないか。
「お主は、狸なのであろう」
少なくともこの世界では。
擬きでもなく。
「フン」
狸擬きが、どうだ?と狼男に鼻先を向ければ。
『ええと、そうだな。狼にしては、少しばかり、丸いかもしれない』
非常に言葉を選ぶ狼男。
「フン?」
そうでしょうかと、納得の行かない自称狼の血を引く狸。
男が新しく煙草を咥えるため、マッチで火を灯してやりながら。
こんな風に、他愛ない会話を広げる時間は、嫌いではない。
人を足留めさせる雨は、早朝まで続き。
雨の上がった翌日。
街で噂の甲冑男が、貸家を訪ねてきた。




