101粒目
こやつもしばらく人里で生活し、色々と鈍ったか。
その人里に居させたのも我であるから、お陰で酷い目に遭ったと、嫌味や苦言の一つも呈せず。
「フーン」
離れた先に屍を晒す芋虫に鼻先を向けた狸擬きは。
今も困惑を含むざわめきが絶えない山の中に向けて、耳を動かした後。
「フゥン」
図らずとも、大変に想定外な討伐になりましたがと。
ふぬ?
「フンフン」
本日も変わらずお見事な手腕に御座いましたと我を持ち上げてくれる。
「ぬぬん」
太鼓持ち如くに持ち上げてはくれるけれども。
「これでは全く格好つかぬの」
今も全身、べたべたな粘液まみれの姿であり。
ワンピースの裾を摘まんで肩を竦めて見せれば。
「フーン」
どんな姿でも主様は主様で御座いますと得意気に鼻を鳴らしつつ。
どうやら我の“風下”にいたらしい狸擬きは、腰を上げてジリジリと後ずさっていく。
「むむ」
今の我は、どれだけ悪臭を放っているのか。
我自身は、もうとっくに嗅覚が麻痺している。
髪に服に肌に纏うこの粘液力。
安易に殺さず、生け捕りにでもすれば、粘液も何かしらの利用価値があったやもしれぬ。
「ぬかったの」
我はいつでも後先考えなしの愚か者である。
「フーン」
これはあまりに好戦的過ぎて飼育にも向きませんと離れた風上から答える狸擬きは、ふと視線を、我の背後に向ける。
「?」
釣られて振り返れば。
暗い暗い、お山の中。
『……』
小さな白い蛇がいた。
「のの?」
するりするりと近付いて来る白蛇は、緑色の小さな瞳は艶かしく揺らぎ。
こちらへの、あからさまな敵意は見られないためか。
「フーン?」
まずは狸擬きが離れた場所から対話を試みている。
『……』
「フーンフン」
『……』
「フゥン?」
『……』
白い蛇は、ゆっくりと瞬きをしてから、身を翻し、するすると山を下って行く。
「お主でも会話は無理かの」
「フーン」
相手もどうやら意志疎通を試みてはいましたが、まだ少し難しい様子と。
ただ、白蛇は少し離れた場所でぴたりと止まると、こちらを振り返るため。
我は狸擬きと顔を見合わせた後。
白蛇に付いて、男たちのいる天幕のある麓とは真逆に位置する山の奥へ下っていくと。
やがて聞こえるのは、せせらぎの音。
「おやの」
白蛇は、緩やかな流れの沢へ案内してくれた。
我の惨状を気遣ってくれた模様。
「親切であるの」
感謝のと礼を述べ、我は早速べたべたなワンピースを脱ぎ、手の粘液を洗い流してから。
何とか無事である肌着とカボチャパンツを草むらへ放り。
沢に飛び込み頭から冷たい水を被り粘液を流していると。
「フーン?」
『……♪』
狸擬きと白蛇双方の努力の結果、意志疎通が可能になった様子。
髪の粘液を何とか落とせば、次はワンピースを沢に浸し汚れを流しながら。
「の。あれは、一体なんの?」
とんと遅蒔きながら。
あの芋虫は、我と言う異物がお山に入ったために、異物を排除しようとした守り神的な存在の可能性もあったのと気付き。
こそりと白蛇に問うと。
『“あれは、ここしばらくの間、山の生き物たちを脅かしてた災厄とも言える害虫で御座います”』
白蛇が口を開いた。
「のの?」
狸擬きだけでなく、我にも声が聞こえる。
声変わり前の、少年の声。
この年若い白蛇がこのお山の主であるかと思えど、それは問わずに耳だけを傾ければ。
あの芋虫。
あれを山の主などとは決して呼びたくもない、あの巨大芋虫は。
初めは、せいぜい子兎が潜れる程度の小さな小さな洞穴の中で過ごしていた。
けれど。
そこには何か、芋虫の異様な力の巨大化の源になるような「何か」があったかのか。
芋虫は徐々に、芋虫とは言えない程、それでも初めは長さだけならば、今の白蛇と同じくらいになってから。
寝床の洞穴を、自身の成長に合わせて生えた、硬い爪で岩肌を削り始めた。
芋虫は昼間は洞穴で過ごし、夜になれば自分より小さな生き物を、あの強すぎる粘液を吐き出し、生き物ならば何でも捕食し。
日々、自身の成長を止めることはなく。
(ふぬ?)
「の、あれだけ大きくなる前に、山に住む他の獣たち等が黙っていなかったであろうの」
思わず口を挟めば。
『“あの芋虫は、まだ小さな身体の時から気配を殺すことに長けていました”』
ぬぬ。
確かに、我はおろか狸擬きすら気づけなかった。
『“そしてあの粘液を吐かれれば、どんな獣でも身動きが取れず、芋虫に食われて終わり。あの巨体になるまで、あれの成長を止めることは、山の獣たちには出来ませんでした”』
身体に比例したほんの小さな溜め息。
では。
「あやつが巣に籠っている時に、奇襲を試みることはなかったのの?」
『“はい。あの害虫がいた洞穴は、山の中でも、僕も含め普段からあまり生き物たちが近づかない、空気の悪い場所でした』
芋虫は、洞穴で眠っていても、気配を感じれば尾の方からも粘液を吐き出し、山の生き物たちが、あの芋虫をどうこうする前に、あの大きさになっていたと。
季節は何度か順繰りしたと言うけれど、ものの数年で、あの大きさにまで成長したのは、
(異常よの)
「の。あれは、実際、山の主かの」
我の問いかけに、白蛇は食い気味に、
『“いいえ、ただの忌々しい害虫です。僕を含めそう思う獣たちは多くいましたが”』
そう一旦は強く否定はしたけれど。
『“……芋虫自身は、忌々しくも山の主の様な振る舞いを見せていました”』
「ふぬん」
あれだけ力があればの。
そして厄介な懸念はもう1つ。
『あれは、もう少しで山を降り。人を、人の子供ならば安易に襲い食べることをしていたでしょう』
人の子供を。
『はい。そうすれば、人間たちはあの芋虫の討伐のために山に入り、山は混乱を極め、僕たちもどうなっていたか……』
なんの。
「山にいる獣たちだけでは飽きたらずかの」
さすがに、我もワンピースの粘液を落とす動きを止めれば。
『“はい。あれは、少し前から離れた人里に、興味を向けていました”』
人里に近いお山のてっぺんから、そんな時は気配を隠さず、遠い村を眺めている姿を何度か見掛けていたと。
(なんと)
白蛇を含め、若干の知性のある獣たちは、それを酷く懸念はしつつ、何も出来ない現状にもどかしい思いを抱えていたと。
そして。
そんな、どうにもままならくなっていた時。
一見。
きっと、とても遠い地からやってきたと思わしき小さな小さな人の子が。
夜の山に怯えることなく。
やはりこの辺りでは見掛けない獣の背に乗り、山を大回りしながら駆け上がる、とても“現実的でない”姿を見掛けたと。
白蛇は、それをとても怪訝に不思議に思い、慌てて追い掛ければ。
けれど当の白蛇も、あの芋虫の存在に気付いたのは、小さな人の子供が、あれに粘液を吹き掛けられた、その瞬間だったと。
その時は。
「あぁ何てことを、あいつは、とうとう人を襲ってしまった」
と、へたりと力が抜けたと。
それなのに。
その人の子供は。
あの強力な粘着液を、通り雨に打たれた程度に払うと、芋虫が、逃亡の際に産み出していた子供たちを1匹残らず殲滅し。
逃げる巨大芋虫を追い掛ける、どうやらこちらも多分に優秀な従獣の元へ、走り出し。
またも白蛇自身も、その人の子を必死で追い掛ければ。
追い付いた頃には、人の子は、あの忌まわしい芋虫を、呆気なく駆除していたと。
白蛇曰く、
「優秀な従獣」
の言葉に、フンと鼻を高くする狸擬き。
更に、一連の流れを窺って追っていた白蛇が思うに、あの人の子は、どうやら、
“人の、山の、それぞれほものの分別”
を知っている様子。
そのまま、のべつまくなしに山の獣を襲うような様子もなく、芋虫を観察する冷静さと知能もありそうなため。
『あなたも、従獣の方とも、言葉を通じさせるには少し時間が掛かりそうでしたので、取り敢えず粘着液を落として貰おうと沢へ案内したのです』
白蛇が小さく首をもたげた。
「とても有り難いのの」
大変に気が利いておる。
『“いえ、僕にはこれくらいのことしか出来ませんので”』
そんな謙遜をする白蛇曰く。
普段は人が、生きていくための狩り場として山に入るのは一向に構わないのだと。
(おやの)
ただ、縄張りでもない人里に降りた芋虫によって、人の子供や人が襲われ、芋虫の討伐のために山に乗り込まれれば、山は狩りなどとは比べ物にならないくらいに荒れ、人の被害も更に大きくなることを、一番危惧していたと。
「あの気配のなさは、厄介であったしの」
一度察知してしまえば、何とか目視は出来るけれど、大概の獣たちは、その頃には粘着まみれで身動きが利かず、巨大芋虫に飲み込まれて終わる。
あの巨大芋虫が人里に降りるのは時間の問題であり、ただどうにも出来ず手をこまねいていた時。
夜の山に。
人の子が1人。
呑気に山を彷徨っている事に、
“違和感を覚えない、覚えられない”
程度の芋虫の知能は、やはりどんなに巨大になれど、結局は虫でしかなかった。
我は沢から上がると、狸擬きの背中によじ登り、適当な枝に、絞ったワンピースを干す。
魔法が使えれば難なく乾かせるのだけれども。
それを見上げる白蛇は。
巨大芋虫が捻り出した赤子たちの存在も、あんなものを産める様になっていたことにも気付けておらず、あの時こそ、本当にこの山の終わりを感じたと。
「終わらずに済んで良かったのの」
頭を振って水を弾くと、
「フーン?」
「のの?」
またも、何かがこちらへ近付いて来る気配。




