子爵令息の日常。
子爵令息アレクは、この世界において一介のモブに過ぎなかった。
実直なだけが取り柄の父親の跡を継ぎ、幼馴染みであり婚約者である男爵令嬢と結婚し、これといった事件も起きず、その生涯を終えるはずであった。
あの婚約破棄未遂パーティーの日までは。
「若様、品種改良の経過報告がきております」
「分かった。あとで確認する」
「新しい肥料の事ですが」
「それは、彼女に一任してある」
「アレク、いいか?」
父親である子爵から声をかけられ、アレクは書類から顔をあげた。
「父上、どうしました?」
「少し、休んだらどうかな? 母さんも心配していたよ」
「ですが……」
反論しかけたが、アレクは思い直した。
確かに、最近オーバーワーク気味だったのは間違いない。
「そうですね。少し、休みます」
アレクの言葉を聞き、父親はほっとしたように笑った。
「あとで、母さんにも顔を見せてあげなさい」
「はい、分かりました」
父親が部屋から出て行くと、アレクはぐぐっと伸びをして窓の外の景色を見た。
以前はこじんまりとした庭だったのが、研究のための小屋や畑に変わり忙しく人が行き交っている。
あの日、貴族平民問わず、多くの者が日本人であった前世を思い出した。
隣国から米が輸入されるようになり、この国の食生活は大きく変わり始めていた。
日本人としての記憶が、懐かしいあの味を求めるようになったのだ。
そして、アレクの住む子爵領は、大豆の産地であった。
そう、味噌や醤油の原材料である。
アレクは農大卒である前世の知識をフルに活用し、土壌を改良し、新しい品種を作り出し、領民達に農業指導を行った。
婚約者である男爵令嬢は、実家が農家だったという前世を持ち、全面的にアレクに協力してくれている。
子爵領は日々発展をし続け、アレクは忙しい毎日を送っていた。
まだまだやりたい事は、たくさんあった。
豆腐や油揚げといった加工品も作りたいし、ゆくゆくは豆腐ハンバーグのような物を領地の名物にしたい。
今はまだ米食は上流階級だけのものだが、いずれこの国の至る所に広がっていくだろう。
「頑張らないとな」
そう呟くと、アレクは久しぶりに母親に顔を見せるべく部屋を出た。
一介のモブに過ぎなかった子爵令息は、今や「知識チートで領地改革」の主人公にまでのぼりつめたのである。




