侯爵令嬢マーガレットと婚約者。
「お嬢様、ライル殿下がお見えです」
「……分かりました」
とうとう、この日が来てしまったのかと、内心で侯爵令嬢マーガレットはため息をついた。
隣国の第二王子であるライル殿下より、父親である王の代理でそちらに行くので帰りに寄ってもいいだろうか、とたくさんの贈り物と共に手紙が届いたのは先日の事である。
どうにかして延期にならないか、いっそ隣国でクーデターでも起きないだろうかと少々物騒な期待をしていたが、無事今日を迎えてしまった。
有能な侍女達のおかげで、すでに身支度は完璧だった。
月の光のような銀の髪は美しく結い上げられ、コルセットで締め上げた上に纏った濃紺のドレスは、適度に流行を取り入れたデザインで、マーガレットの魅力を最大限に引き出していた。
耳元に揺れているのは、細かい銀細工に青い宝石が埋め込まれたイヤリングで、これはライル殿下からの贈り物であった。
鏡に写っているのは、どこから見ても完璧な侯爵令嬢である。
(中身が、俺じゃなかったらなぁ……)
マーガレットがため息をつくのも無理はない。
なにしろ、前世はアラフォーの社畜のおっさんだったのだから。
最期の記憶はあまり確かではないが、死因はおそらく過労死である。
鏡越しに目が合った侍女が、親指を立ててみせる。
「ばっちぐー、です。お嬢様!」
もちろん、彼女も転生者である。
「ライル殿下もめろめろですよ!」
言葉のチョイスが微妙なところからみると、マーガレットと世代は近いようだ。
転生前の彼女は娘と一緒に乙女ゲームなるものを楽しんでいたらしく、マーガレットとライル殿下との恋模様に興味津々なのだ。
元々、マーガレットが婚約していたのはライル殿下ではなく、第一王子の方だった。
良くも悪くも凡庸な男であったが、互いに政略結婚である事は承知しており、夫にするにはそう悪くない相手であった。
だが、あの婚約破棄未遂パーティーのあと、第一王子は真っ青になって婚約解消を申し出たのだ。
自分には無理だと。
どうやら、彼もまた前世の記憶を思い出したらしい。
隣国にまで影響があったのかと驚いたが、どうやら現王家に関わりのある者は皆記憶が蘇ったらしい。
侯爵家の娘であるマーガレットは、確かに王家の血を継いでいる。
曾祖母は、王家から降嫁されたお方であった。
隣国とこちらの国の王家、それとマーガレットの父親である侯爵の話し合いにより、第二王子とマーガレットが婚約する事となったのだ。
(そこまではいいんだよ、別に……)
前世の記憶が蘇った今では、男と結婚しなければいけないという事に多少なりとも嫌悪感は覚えるが、マーガレットとして育った十数年間が政略結婚を受け入れていた。
応接間に入ると、ライル殿下は立ち上がり、まばゆいばかりの笑顔をマーガレットに向けた。
「マーガレット!」
「お待たせして申し訳ありません、殿下」
生まれた時より侯爵家の娘として育ったマーガレットは、淑女としての所作を身につけている。
(相変わらず顔面がまぶしいな、おい)
例え、心の中でどのような事を思っていたとしてもだ。
「貴女に会えるのを、どれだけ心待ちにしていたか」
「ありがとうございます」
「これを貴女へ」
ライル殿下が差し出してきたのは、異国より取り寄せた髪飾りであった。
「すでに、たくさんの贈り物を頂いておりますのに」
「いえ、私が差し上げたいのです」
そう言って、マーガレットを見つめたライル殿下だったが、不意に照れたように視線をそらした。
「その耳飾り、つけていただけたのですね」
「はい、ありがとうございます」
「私は、なんと幸せなのだろう。決して叶うまいと思っていた初恋の相手と結婚できるなんて」
「…………」
マーガレットにしてみれば政略結婚の相手が変わっただけの話だったが、どうやらライル殿下には違っていたようだ、という事を知ったのは婚約の証書にサインをした日であった。
二人きりになったおりに、幼い頃よりずっと貴女を慕っていた。
あきらめていた初恋が叶うとは、夢ではないだろうか。
必ず、貴女を幸せにすると。
ライル殿下にそう告げられた時は、卒倒しそうだった。
うっかり、二度目の転生をするのかと思ったほどだった。
いや、分かっている。
ライル殿下は、真剣だという事は。
現王家に関わりのある中で、どういうわけか第二王子という立場にいる者だけが転生者でないという事も。
(だからってなぁ……)
リア充爆発しろ、と願っていた側の自分にどうしろというのだ。
ましてや、前世はアラフォーのおっさんなのだ。
アリシアやユミィに相談しても、けっ、と吐き捨てられて終わりである。
リカルドだけは同情の眼差しを送ってはくれるが、それだけである。
「マーガレット……」
(あー、今日の夕食、鰻重って言ってたな。胆吸いもあるかなぁ……)
現実逃避をしているマーガレットであったが、侯爵の申し出により、ライル殿下も同席する事に気づいたのは夕食の席についたあとであった。




