第一章 2
シンは燃え盛る通りをただひたすらに駆け抜けた。
胸にあるのは、あの二人のことだけ。炎の熱も、肌を刺す煙も、今の彼には届かない。
道中、村の衛兵と思われる者たちの焼け焦げた遺体が目に入る。さらに、見たこともない装束の兵士の亡骸までもが転がっていた。だが、足を止めている暇はない。
教会へ辿り着いた瞬間、シンの視界は赤い光に染まった。
教会全体が、炎に包まれていた。
膝が砕け落ちる。
「……嘘だ……」
声にならない呻きが喉を震わせた次の瞬間、シンは立ち上がり、崩れかけた入口の扉へ体当たりした。
「ああぁぁぁああッ!!」
木片が弾け飛び、激しい熱風が顔を撫でる。それでも止まることなく、彼は中へ飛び込んだ。
教会の内部は、ほとんど形を残していなかった。壁も、椅子も、棚も、炎に舐め尽くされ、今にも天井が落ちてきそうだ。
だが、シンには恐れも、躊躇もなかった。
台所へ駆け込んだその場所で――シンの時間が止まった。
「うそだ……」
床に横たわる黒く焼けた亡骸。
まだ原形を保っている首飾りが、一目でその人が誰なのかを告げていた。
神父だ。
つい数時間前、いつものように穏やかに言葉を交わしたばかりの人。その姿が、今は無惨に変わり果てていた。
「ぐ……う、ぅ……」
「なんでぇ……なんでなんでぇぇぇ!!」
炎よりも熱い慟哭が、崩れかけた教会に響き渡った。
受け入れられない。受け入れられるわけがない。
膝を折ったまま、シンは動けなくなった。
神父との思い出が、怒涛のように頭を駆け巡る。
そのひとつひとつが胸に突き刺さり、心が崩れ落ちていくようだった。
もう戻らない人の傍らで、シンの中の悲しみと怒りが渦を巻く。
しばらくの間、彼はその場にうずくまり、ただひたすらに涙を流し続けた。
「うぅ・・うっ、あぁぁぁ・・・」
× × ×
神父「シン、いつもありがとうな……」
「シン、誕生日おめでとう!これをあげよう。私の大切なお守りだ……」
「働きすぎるんじゃないぞシン。たまには思い切り遊べ!」
「祈祷はな、使うそれの物語をイメージするんだぞ。」
「ははは!中々使えないなシン!でも大丈夫だそ、
これでもかと言う気持ちで続ければ、きっと扱えるさ」
シスター「もう神父様、バーとかギャーとかボンとか、教えるならちゃんと教えてあげて下さい!そんな擬音ばっかりじゃ誰も理解できませんよ!!」
× × ×
「――っ!シスター・・」
「シスターァァ!!」
シスターの顔が脳裏を閃光のようによぎった。
胸の奥からせり上がる焦りに突き動かされ、シンは喉が裂けるほどの声で名を呼ぶ。
「返事してよ……頼む、どこに……!」
涙で視界が歪む中、燃え残った部屋の隅々まで探し回る。しかし、どれだけ叫んでも、どれだけ探しても、シスターの姿はどこにもない。
胸の奥が冷たくなり、シンは教会の裏庭へ飛び出した。
「――っ、あいつらは……」
庭に出た瞬間、涙で濡れた視界に、見覚えのない影が揺れて見えた。
助けを求めて声をかけようとしたが、その足はぴたりと止まる。
――村の衛兵じゃない……まさか……!!
道中で見かけた遺体、この規模の火災。嫌でも最悪の予想が形を取り始める。
敵国の襲撃
もしそれが事実なら、村全体がすでに戦場になっている。
衛兵が応戦し、その果てがあの惨状なのだろうか。
「クソッ!クソッ!クソッ!なんで気づかなかったんだ! 俺がのんびり特訓なんかしてる間に……こんな……!」
怒りと悔しさが爆発し、シンは地面に拳を叩きつけ、そして額を打ち付ける。
自分の愚かさが許せなかった。
もしかしたら自分が助けられたのかもしれない、背負って逃げれたのかもしれないと。
父のように慕っていた神父が、もう戻らないという現実が胸を締めつける。
「ぐっ……う!神父様……」
どうしようもなかった。胸の奥に沈んでいる“悲しみ”は、もはや歩くことさえ重くするほど深く、強かった。
神父が死んだ。
その現実は、シンの心を容赦なく締めつける。息が苦しくなるほどにつらくて、思い返すたびに、胸のどこかがぽっきり折れそうになる。
けれど――
「……シスターは……」
まだ希望は消えていない。
あの優しい笑顔が、まだどこかで生きているかもしれない。そう思った瞬間、暗闇の中に小さな光がともった。
シスターは、生きているかもしれない。
その“もしも”がシンの背を押し、足を前へと動かし続けさせていた。
それでも――まだシスターがいる。
シンは震える指で涙を拭い、込み上げる嗚咽を必死に飲み込んだ。
「シスターを……探さないと……」
わずかな希望にすがるように、シンは村中を走り回った。
炎の光に照らされた廃墟同然の道を、ただひたすらに。
今はただ、一刻も早くシスターの安否を知りたかった。
生まれてはじめて、神に祈りを捧げた。どうか――シスターが無事でありますように、と。
その一念だけを胸に、息が切れるのも構わず街を駆け回る。
燃えさかる炎の熱気が肌を刺し、立ち上る黒煙が空を覆う。その光景を目にした瞬間、胸の奥で何かが軋んだ。
――九年前、あの忌まわしい襲撃の日。
村の惨劇が、過去の記憶と重なる。足を止めるわけにはいかないと分かっていても、心は勝手にあの夜へ引き戻されていく。
それでも、俺は走る。祈りを振り絞るようにして。
シンの腹の底から出た、重く鋭い感情、
――また俺たちの村に・・・何してくれてんだよ!!
シンの胸の奥で、九年前の怒りが、じわりと目を覚ました。
さっきまで胸を締めつけていた悲しみも、足を震わせていた恐怖も、確かにそこにある。消えたわけではない。
だが――それらすべてを押し流すように、怒りが鮮烈に立ち上がった。
炎のように、迷いを焼き尽くすほど強く。
ーーーーーーーーーーー。
シスターを探して、どれほどの時が過ぎただろう。
焦げた大地と灰の匂いが漂う村を走り回っても、生きている人間――いや、シスターの影すら見つからない。
見かけるのは焼けこげた遺体ばかり、
それでもシンは、彼女を見つけるその瞬間まで諦めるつもりはなかった。
だが、状況は突然変わる。
ガシャ、ガシャ、と金属の足音。
遠くの道の先から、十数人の兵士が姿を現した。
維持局の兵でも、村の衛兵でもない。見慣れぬ紋章を胸に下げた、兵たちだった。
シンは咄嗟に崩れた家屋の影へ身を滑り込ませた。
見つからないよう、息を殺し隠れる。
――こいつら、どこの兵隊だ?敵国の……兵なのか
炎の赤光が揺らめく廃墟の影に身を沈めているシン。
胸の鼓動がうるさいほど鳴っているのに、外へ漏れないよう必死に押し殺す。
「おい、生き残りはいたのか?」
「わからん。しかし、この村の衛兵は全員殺したはずだ。」
通り過ぎようとする兵士の言葉を聞いた瞬間、シンの表情から血の気が引いた。
――殺した……?
飛び出しそうになる足を、必死に押しとどめる。
勝てない。そんなことはわかり切っていた。
「しかし弱かったな、この村の衛兵ども!ランドゥー隊長がちょっと火を放っただけで大慌てだぜ!」
「アースヴァロンの程度が知れるぜ」
「あぁ、あの慌てよう、戦に慣れてないのが丸見えだったな!」
「まぁ、最終的に村全体を燃やしちまったがな!」
下卑た笑い声が、焼け焦げた空気を汚すように響き渡った。
怒りがシンの全身に燃え広がり、拳を強く握りしめる。
――何のために人を殺した……
――何のために火を放った……
――お前らのせいで……俺の家族が……
胸をかきむしりたくなるほどの怒り。
それなのに、足だけが動かなかった。
恐怖よりも怒りのほうが強いのに、身体は凍りついたまま。
兵士たちが去っていく。
その後ろ姿が消えた瞬間、シンは自分の頬を殴りつけた。
「くそ……ッ!」
どうすればいいのかわからない。
シスターが生きている確信は揺らぎ、村を滅ぼしたのは“敵国”だという確信だけが残った。
――俺に……何ができる……?
あまりにも急な喪失。あまりにも大きな現実。
理解が追いつかず、シンはその場に膝を抱えて座り込んだ。
燃え盛る炎が目に映り、世界が赤く染まる。もはや怒りすら湧いてこなかった。胸の奥で燃えていたはずの感情は、いつのまにか形を失い、代わりに広がったのは、
底なしの“悲しみ”だった。
それは怒りを飲み込み、
心のすべてを塗りつぶしてしまうほど深い。
シンは胸元から、十歳の誕生日に神父から授かった首飾りを寂しげに見つめた。
シンの顔に、暗い影がそっと滲むように浮かんだ。
炎が揺らめくたびに、その影は不気味に形を変え、彼の瞳の奥に渦巻く感情を映し出しているようだった。
「何のために生きてたんだろ……。こんな簡単に壊れるなんて。……こんなんじゃ、特訓も無駄にだったな……。
俺も……あの人たちみたいに、なりたかったな……」
ふと、傍らに倒れた村の衛兵の亡骸が目に入る。
――こんなところにも……
見れば胸が締め付けられる。視線を逸らそうとした――だが目に映った。
“剣”だ。
死してなお手を離さなかった、衛兵の真剣。
シンは目を、もう一度首飾りに向ける。
――……シン
――…………シン!
――諦めるな、シン!
頭の中で声が響いた。
神父の声だ。
「……」
――もうむりだよ…………
――………………
「どうしろっていうんだ…………。あぁ、こんな……こんな簡単に、みんな殺されたんだ……」
――…………諦めるな!シン!
――俺は一体何をしてきた…………
シンの瞳に、かすかな光が戻る。
――何のために強くなりたかった?
光は次第に強さを増していった。
その光を後押しするように再び声が聞こえた。
――覚えていろといっただろう!思い出せ!
シンは首飾りを強く握る。
神父から首飾りとともに贈られた言葉が蘇った。
――シン、今から言うことを覚えておきなさい。
何事も諦めるな。
無謀に突っ込めという意味ではない。逃げてもいい、退いてもいい。
だが“諦める”ことだけは、自ら道を閉ざすことだ。
選択肢を自ら放棄することだ。
理想を掲げ、自信を持ち、努力を重ねろ。
本当にどうしようもない時は、助けを求めてもいい。
自分の想いを、人の想いを胸に宿せ。
お前は私の息子だ。私はお前を信じている。
リーシュも、お前を信じている。
困った時は、私たちを思い出せばいい……ああ、これは祈祷の授業じゃないぞ!
心の話だ! ははは!
祈祷にも、こういう“信じる心”が必要なんだ!
はぁ、まあちょっと臭い言い方だったかもしれんがな……
――…………
深く息を吸い込み、一気に吐き出す。
シンの表情から、いつのまにか“暗い影”が消えていた。
さっきまで胸の奥を締めつけていた重苦しさが、少し軽くなっていた。
「……くそ! くそっ! くそぉ!負けるな……負けるな負けるな負けるな!」
自分の頬を叩き、意識を引き戻す。
うずくまっている暇などない。恐怖と悲しみに押し流されていた心に再び怒りが渦を巻く。
だが、その怒りはただの怨嗟ではなかった。
その目には、希望と怒り。そして、確かな“自信”が宿り始めていた。
無謀かもしれない。死ぬかもしれない。間違っているかもしれない。
――だったら、なんだ。
――このまま終われるか。
――俺はシスターと神父に救われたんだ……その命を……落とす訳にはいかない……
「……ははっ……。完全に……諦めてた……。くっそ……、ダメだ、こんなんじゃ叱られる……」
シンは涙を拭い、立ち上がる。
――今使わなきゃいつ使うんだ……
――何のための鍛錬だった……
――戦え、戦え、戦え!
――あの人たちみたいに!!!
そして倒れた衛兵のもとへと歩み寄った。
喋ったこともない相手――
そして、もう二度と目を開くことのない人。
そんな相手に向かって、シンは静語りかける。
「……すみません……この剣、もらいます。」
衛兵の冷たい手にそっと手を添える。
「そのかわり……必ず仇を討ちます。」
亡き者への誓いを込めて剣を引き取る。
驚くほどあっさりと、その手は力を失い、シンは剣を手にする。
その瞬間――言い表せぬ感覚が腕から全身へと駆け抜けた。
初めて握る、本物の“剣”。
シンの中にあった恐怖は、ほとんど消え去っていた。
――本物の、"剣"。思ったより重たいな……
怒りはまだある。
だがそれ以上に、胸の奥で新たな感情が確かに燃え始めていた。
――行こう……
剣を手にしたシンは、まだ諦めていなかった。
――シスターを探す。その想いが、彼を立ち上がらせていた。
どこかに身を潜めている可能性もある。
あるいは考えたくはないが、敵に捕らえられているかもしれない。
なぜなら、これまで目にした遺体は男性ばかりで、女性の亡骸はひとつも見つからなかったからだ。
――シスター……
どうか……無事で……
願うように呟きながら、燃えさかる街路を進む。




