第一章 1
・現在・
アースヴァロン、マリアンヌ領・フーシャ村
あの日から九年の歳月が流れ、あの幼い少年は十四歳の少年へと成長していた。
――少年の名は、シン。
まだ世界のどこにも名を刻んでいない。
だが胸の奥には、騎士への憧れという確かな熱だけが宿っている。
これは、そんな一人の少年が歩み始める物語である。
「シンー! 起きなさーい!」
明るい声が、教会の石壁に反響する。シスターの声だ。
シンには生みの親はいない。
まだ言葉も話せないほどの幼子だったころ、人身売買をしていた商人の手から、この教会の神父に救われた。
以来、神父とシスター、そしてシンの三人で、この小さな教会にて家族のように暮らしてきた。
窓から刺す光に反応するかのように、シンは大きなあくびをひとつして、もぞもぞと布団から起き上がる。
背丈は十四歳としては平均的。
だが、日銭を稼ぐために続けてきた仕事で鍛えられた体は、細身でしなやかな筋肉が宿っていた。
ゴツいというより、むしろ鋭い“引き締まった”体つきだ。
茶色の瞳、髪は前髪を少し分けて整えられている。
見た目はごく普通の少年――しかし、その佇まいには、どこか影と意志の強さを感じさせた。
「さあ……今日もやりますか」
その声はどこか、未来への期待に満ちていた。
シンはそそくさと着替えを済ませ、シスターと向かい合って朝食をとった。
湯気の立つスープの香りが、ささやかながらも満たされた朝を告げる。
「今日もまた外で特訓するの?」
パンを切り分けながら、シスターが穏やかな声で尋ねる。
「今日もそう。
でも家事を手伝ってからにするから安心して」
シンが笑って答えると、
「まあ、ありがとう! シンも、何かしてほしいことがあったら遠慮なく言ってね!」
シスターは目を細め、満面の笑みを向けた。
その笑顔を見るたび、胸の奥の緊張がふっとほどけていくような気がする。
手伝いといっても、洗濯や食材の調達、ちょっとした買い物程度だがシンにとって立派な役目だった。
そんな穏やかな時間の中、教会の扉が軽く軋み、見慣れた影が差す。
「ただいま、リーシュ、シン」
神父が戻ってきたのだ。
リーシュとはシスターの名前である。
「おかえりなさい、随分早かったですね。まだ一刻も経っていないと思いますが」
シスターが小首をかしげると、
「色々あってな。」
と神父は煙を払うように肩をすくめ、それからシンへ視線を向けた。
「シン、今日も外へ行くのか?」
「その予定だけど……」
「なるべく早く帰ってきなさい。遅くても日暮れまでには、だ。」
そんなふうに言われたのは初めてで、シンは小さく眉をひそめた。だが特に深く考えることもなく、
「わかった……それまでには戻るようにする」
と素直に頷いた。
神父は朝食の席に腰を下ろし、湯気の立つ皿を手に取った。
「シン、最近仕事を増やしているらしいな。金を納めてくれて、手伝いまでしてくれるのは本当に助かる。だが……あまり無理はするんじゃないぞ。
私たちは金より、お前の体の方が大事だからな。」
神父は心配しているのがひと目で分かる柔らかな声でそう言い、しかしその表情はどこか微笑ましさを含んでいた。
「ありがとう。でも大丈夫! 二人に少しでも恩を返したいし、お金だって俺が入れたくて入れてるわけだから。それに仕事で体も鍛えられるから一石二鳥だしね。」
「そうか……本当に、ありがとうな……」
神父は嬉しさと切なさの混ざったような、泣き出しそうな顔で目を伏せた。
「もう、相変わらず涙もろいんですから。」
シスターが苦笑すると、
「何を言う!わたしは泣いてなどおらんぞ!」
と神父が胸を張る。
冗談だとわかっている。
この三人で交わす他愛もない会話は、いつも心を温めてくれる。
朝食を終え、家事をすべて片付けたシンは、勢いよく外へ飛び出した。
今日も、特訓に向かう。
教会を飛び出したシンは、走り慣れた村の道を風のように駆け抜けていった。いつもの“特訓場所”を目指し走る。足取りは迷いなく速い。
しかし、ひらけた道を走っていた途中――
「おーい、シン!」
「あ、ケビンさん!おはようございます!」
シンの仕事先の雇い主のケビンが、道の脇で荷物を運んでいるところに遭遇した。シンは立ち止まり、雇い主の方へまっすぐ歩いていった。
「今日も外で運動か?相変わらず元気だなあ」
「体を動かすのは好きなので、もう日課みたいなものですね!」
「ったく、運動運動って。ちょっとは他のことにも手を出して見たらどうだ?」
雇い主の男は心配そうに眉を寄せ、そっとシンの肩へ手を置いた。
「なぁ、シン。この村は決して小さくない。九年前の襲撃を乗り越えて、今じゃもっと大きくなった。いろんな娯楽だってあるんだぜ?」
「は、はぁ」
話してる二人の前を、牛に似た生物が馬車のような乗り物を引いて横断する。その一方で雇い主は眉をひくひくと動かしまくっていた
「ほ、他のこととは一体……?」
「ふっふっふっ!…………女さ」
「ぇえ……」
「お前も恋愛をしてみろ!村でそういう子の一人や二人いるだろう」
「いやぁ……。あまりそういうのに興味がないというか、疎いというか……」
「そ・れ・で・だ!ステラとはいい感じなのか?」
ケビンが勢いよく詰め寄る。「これを聞きたかった!」 と全身で訴えるように、興味津々の目でシンへずい――っと。
「ステラさんですか?そういう感じではないですが……」
シンは苦笑いとも言えない、どこかぎこちない笑みを浮かべると、そっと視線をそらした。
「なんだぁ。そんなんじゃねぇのか?お前らがよく話してるのはよく聞きくんだが」
「ははは、本当に他愛無いお話ですよ。
……そういうケビンさんだって最近奥さんとはどうなんですか?」
今度はシンが"やり返してやる"と言わんばかりに、
ケビンに問いを投げかける。
「あぁ……それはだな……」
先ほどまでウキウキと弾むように詰め寄っていたケビンの表情が一気に曇った。
「…………実は喧嘩中だ」
「……一昨日も喧嘩してませんでしたっけ……」
呆れとも、驚きともつかない微妙な表情が、シンの顔に浮かんでいた。
「そうなんだよ!少し酒を飲みすぎただけだってのに!何もあんなに言う事はねぇだろ゙お゙お゙ぉぉお゙!」
ケビンが、突然ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「…………。ちなみにどれだけ飲んだんですか?」
「9杯くらい」
――"少し飲み過ぎた"の量では無いのでは……?
「まぁ奥さんも体を心配してるのではないかと……。また一昨日みたいに話し合えば仲直りできると思いますよ」
ケビンの酒豪っぷりに戸惑いながら、シンはふっと目を細めた。
「でもよぉ!でもよぉ……全く聞く耳持ってくれねぇんだよぉ……」
――話すら聞いてもらえないのかな……?
「9杯は流石に限度を超えているかと……。あっ!そうだ、"しばらくお酒は飲まない"って言うのはどうですか!?」
「ゔ!いやぁ――それは……」
ケビンはなんとも複雑な表情を浮かべている。
眉を寄せ、口をへの字に曲げ、肯定も否定もできずに困っている。
「一昨日も喧嘩して、それもケビンさんが悪かったじゃ無いですか……。多分簡単には許してもらえ無いと思います。ちゃんとした誠意と決意を奥さんに見せつけるしかないかと。根本の原因のお酒を控えてあとケビンさん自身の反省を込めれば話も聞いてくれると思いますよ」
ケビンにとって、それは 至難の“断酒” だった。正直、考えるだけで頭を抱えたくなる。
だが――妻のほうが、何倍も何倍も大事だ。
ケビンはぎゅっと拳を握りしめる。
「うぅ……そうだな゙ぁ゙ぁ゙あ゙っ!あ゙り゙がどうな゙ぁ゙!っぐう!はぁーシン!お前も奥さんできたら大切にするんだぞ!」
涙と鼻水を無理やり抑え込んだケビンはシンの肩に置いていた腕をそっと離した。
そして、気持ちを切り替えるように、感謝の意を込め、ぽん、とシンの肩を軽く叩いた。
「すまなかったなシン!少し長話になっちまったな」
「いえいえ、こうやって話してもらえるのは嬉しいので」
シンが「気にしないでください」と笑顔を浮かべる。
「っーーー!この!可愛いやつだなこの野郎!」
ケビンは愛情と感謝を固めた勢いのまま、シンに抱きついた。不意を突かれたシンは目を丸くしたが、
すぐに口元をゆるめ、嬉しそうに笑った。
二人の様子は、どこか安心したようで、同時に、深い優しさがにじんでいた。シンとケビンの笑い合うやり取りは、どこか安心感のある、あたたかな空気となって道全体にふわりと広がっていった。
ひとしきり笑い合ったあと、シンとケビンはようやく会話を締めくくった。
「じゃあなー!シーン!また仕事頼むぜーー!」
「はーーい!ケビンさんもお疲れ様でーす!」
名残惜しさを残しつつも、二人は手を軽く振り合い、別々の道へと歩き出した。
ケビンと別れたあと、シンは住宅が並ぶ細い道を軽い足取りで進んでいた。
胸の中には、さっきまでの笑いと前向きな気持ちが残っている。
ウキウキとした空気をまといながら進んでいると――
ふと、家の扉がきしりと開いた。
そこから 一人の女性 が姿を現した。
制服を着ており、大きな荷物を持っている。そして、どこか落ち着いた雰囲気をまとっていた。
するとシンがその女性へ走って声をかける。
「ステラさーん!」
シンが声をかけると、女性がぴたりと足を止め、ゆっくり振り向いた。
「――っ!あっ!シン!おはよう!」
そしてシンの姿を目にした瞬間、女性の顔が、ぱあっと花が咲くように明るくなった。驚きと喜びが混ざった笑みが、その表情いっぱいに広がる。
シンがステラにゆっくりと歩み寄った。
「今日でしたね、魔法大学への入学式へ向かうのは」
「うん!もうすぐ村の外に迎えの馬車が来る頃だから今から行くところなの!」
"ステラ"――シンにとって、その名はとても特別な響きを持っていた。無論、二人の縁は浅くない。
9年前のあの襲撃事件をきっかけに出会い、それ以来、ほとんど毎日のように言葉を交わしてきた。
時には叱ってくれたり、時には励ましてくれたり、
シンにとって彼女は“優しい姉”のような存在でもあった。
あれからもう9年――ステラはすでに二十三歳の立派な大人だ。
そして彼女は、ただ時を重ねただけではない。
魔法の勉強を続け、つい先月、ついに念願だった 魔法大学の入学試験に合格したのだ。
その話を聞いたとき、シンも本気で喜んだ。
ステラの努力をよく知っていたからこそ、胸が誇らしくなった。
そんな彼女が今、新天地へ向かおうとしている。
「でも、村の人とも、シンとも、二ヶ月は会えなくなっちゃう。合格したのは嬉しいけど、やっぱり寂しいな……」
ステラは、シンの顔を見つめながら、嬉しさと、寂しさが入り混じった表情をそっと浮かべた。
「俺も寂しいです……。明日からステラさんがいないとなると……」
ステラ――あぁ、もう!本当に可愛いなぁシンは……
シンとステラのあいだに、ふと静寂が落ちた。
言葉が途切れたわけではない。けれど、どちらも次の一歩を踏み出せずにいる。少しの沈黙――そして、どこか気恥ずかしいような、微妙な空気。
ステラは視線をそらして髪を指先で弄り、シンもなんとなく足元の石をつま先で転がす。
「あっ!ぁあ!そうそう!シンは来年、カリオンの入学試験を受けるんだよね!?」
静まり返った空気を無理やり破るように、明るい声音でステラは切り出した。
「あ!はい!今日もそのための体力作りに行くところです……。でも、魔法とかはまだまだ全然で……。でも、その分体力で補って見せます!」
――……本当にそう言うところが可愛いんだよなぁ……
「シン、頑張ってね。向こうでも応援してるから。また帰ってきたら、その時いっぱいお話ししようね!その時は、私の愚痴も聞いてよね」
「わかりました。俺も頑張ります!ステラさんも頑張ってください!」
やわらかい空気の中で、シンとステラはふと同時に笑い合った。あたたかな、どこか微笑ましい笑顔だった。
年齢は離れているはずなのに、側から見れば、まるで恋人のように見えるかもしれない二人の距離は、9年の時をかけて自然と近くなっていた。
だが、その穏やかな時間は長く続かない。
ステラはわずかに肩を落としながらも、そっと微笑みを作った。
「……もう、行かないと。もっと話していたいけど、
魔法大学の入学式、遅れるわけにはいから……」
本心では名残惜しく、まだ話していたい。その気持ちは表情の端ににじみ出ていた。
それでもステラは前を向き、旅立とうと村の道を歩き出す。その背中はまっすぐで、どこか誇らしげで、少しだけ切なかった。
そして、二人はゆっくりと手を振り合った。
大きくでもなく、小さすぎるわけでもない、ちょうど“別れを惜しむ気持ち”がそのまま形になったような振り方で。
「じゃあねー!シーン!」
振り返り、後ろ向きでゆっくりと歩きながら手を振っていた。最後に、満面の笑みをシンに見せてくれた。
「ステラさんもー!お元気でー!」
前を向き、村門へ歩いていくステラ。シンはその背中を黙って見つめ、胸の奥でひそかに思った。
――どうか無事に……
ステラの後ろ姿が見えなくなるまで、シンは静かに見守り続けていた。胸の奥に残る名残惜しさは、あたたかさと寂しさが混ざりあった、不思議な感情だった。
シンは小さく息を吸い、顔を上げる。そして前へと押し出すように、足を踏み出した。
名残惜しさを切り替え、目指すのは自分の夢。
強くなるための場所へ。
守りたいものを守れる自分になるための、特訓へ。
朝の光に背を押されながら、シンは迷いのない足取りで走り出した。
村から少し離れた場所に、空へ向かってそびえ立つ一本の大木がある。
シンはその前に立ち、自作の木剣をしっかりと握りしめ、ひたすら打ち込みの鍛錬を始めた。
剣を振り下ろすたび、九年前のあの村を襲った惨劇と、胸を焼いた怒り、そして憧れた騎士の姿が蘇る。
まるでその思いを剣先に移し替えるように、彼は休むことなく木剣を振り続けた。
それでも剣を振る腕はただ力任せではなかった。
自分のなりたい騎士像。
シスターと神父、村の人たち。
その一つひとつの想いを胸に描きながら、シンは木剣を振り抜く。
一年後にはアースヴァロン王都で開かれる軍事学校の入学試験がある。
必ず合格し、強く、誰かを守れる騎士になる――それがシンの夢だ。
そしていつの日か、神父とシスターに恩返しをしたい。
「……剣が古くなってきたな。また作り直さないと。」
木剣の裂け目に指を走らせながら呟く。
素振りに、打ち込みに、九年間ほぼ毎日続けてきた鍛錬。
当然ながら、木剣は何本も折れ、作り直してきた。
友人と遊ぶことはない。
そもそも友人と呼べる相手すらいなかった。
彼の日常のほとんどは鍛錬か、仕事や教会の手伝いに費やされている。
学校には通っていないが、算術や読み書きはシスターが根気よく教えてくれるおかげで、必要なことはだいたい身についていた。
シンは今日もまた、目の前の大木へ向かって木剣を振り上げる。
夢へ近づくために....
――魔術や祈祷も、ちゃんと練習しないとな。
そんな思いが胸をかすめる。
ただ強くなりたい――その一心で、シンは剣だけでなく魔法にも手を伸ばしていた。
村の小さな書店で魔導書や祈祷書を読み漁り、覚えられるだけ覚える。
シスターも神父も、わずかだが知識を貸してくれた。
「……剣は一旦やめよう……。魔法を試そうかな」
大木の前に腰を下ろすと、シンは懐から数枚のメモを取り出す。
そこには書店で読んだ魔導書の内容を、記憶が薄れる前に必死で書き留めた文字が並んでいた。
シンは肉体労働でなんとか稼いではいるが、その金はほとんど軍事学校へ行くための貯金に回している。
さらに、拾って育ててもらった恩返しとして、給料が入るたびに一定額を教会へ納めていた。
本を買えるほどの余裕はない。
だから、ねだらずに済むように――書店に行くたび、頭に叩き込めるだけ叩き込み、こうしてメモに落としているのだ。
魔術、そして祈祷。
この2つを共に魔法と言う。
魔術や祈祷を発動するには、杖や鈴といった触媒が必要になる。そして必ず"詠唱"と呼ばれるものを唱えねばならない。
素手でも発動はできるが、威力は弱まり、制御も格段に難しくなる。詠唱まで覚えるとなると、手軽とは言えない。
――やっぱり、杖とか鈴を買ったほうがいいのかな……。
だが、それすらも高価だ。
魔法は個人差が激しく、才能がなければまったく使えない者もいる。
使用には“魔力”と呼ばれる、体力に似た力を消耗する。これが尽きれば魔法は打ち止めである。
鍛錬すればつかえる魔力も少しずつ増えていくとは記されていた。
「でも……使えたことはないんだよな……。」
シンはメモを見つめながら、小さくため息をついた。
それでも諦めるつもりはなかった。
強くなると決めたのだから。
最初のころ、シンが手を伸ばした魔法は――
“光矢”。
光の矢を放つという初歩の魔術だが、未だ一度として成功したことはない。
それでも今日、試さずに終えるわけにはいかなかった。
「……アモール・セイ!」
木立に向かって声を張り上げる。
しかし――
「…………。」
何も起こらない。
光も、風も、温度すら変わらない。
ただ、静寂だけが返ってくる。
「っーーー。なんでなんだろ、えーっと、
――アモール・セイ!」
繰り返しになるが、今日もダメだった。
叫んでみせたところで、傍から見ればただの痛い子供だ。
そう考えると頬が熱くなり、どこにもぶつけられない羞恥だけが胸に残る。
自分には才能がないのか。
それとも詠唱が間違っているのか。
あるいは、触媒なしで発動しようとしているのが無謀なのか――どれひとつ分からない。
シンは握った拳をそっと下ろし、ため息をついた。
それでも、諦める気はなかった。
書物にはこうあった――魔術や祈祷は、属性ごとにイメージを強く持つことが大切だ、と。
シンは深呼吸をひとつして、改めて挑戦してみることにした。
――手が触媒。手が触媒。手が触媒。
心臓から手先へ、魔力を流す感覚…………。
「アモール・セイ!!!」
そう意識して手をかざすと、わずかに力がこもるような、ぽすんと空撃ちしたような感覚があった。
完全に失敗だろう。
「うっ……」
魔力の感覚はまだはっきりとつかめない。
触れたような、しかし何も変わらないもどかしさが、シンの胸を焦がす。
――努力次第では頭の中で唱えるだけで発動できるらしいけど……そんな人本当にいるのかな?……まあ今の自分にはまだまだ遠い話か。
シスターや神父も、回復系の祈祷を少し使える程度で、決して得意ではないようだった。ステラにもたまに教えてもらっていた。しかし魔力の感覚について尋ねても、うまく理解することはできなかった。
もし体質的に自分が魔法を扱えないとしたら……そんな不安が、焦りとなって胸に迫る。
だがシンは、諦めることはしなかった。
とにかく今は、愚直に、少しずつでも続けるしかない――その一心で、再び手をかざす。
――俺もいつか、あの人たちや、グウィン七雄みたいな騎士に……
グウィン七雄――それは現アースヴァロンの国王、グウィン大王直属の七人の勇士たちのことを指す。
その名は歴史に刻まれ、今なお人々の憧れであり尊敬の対象だ。
泉の騎士 アモン
聖王 アリスティア・ロンド・オーレリア
獣王 孫皋
黒王 ウヴァル
要の騎士 レイヴン・アルメデス
双魔導 ゼビア
日の騎士 エルメス・ネリス
七人の勇士……いずれもアースヴァロン王国において最強と称され、数々の偉業を成し遂げた英雄たちである。
その名を知るだけで、胸の奥に熱い憧れが灯る者も少なくないだろう。
一方のシンはというと、今日も魔法の練習に明け暮れたが、成果は得られなかった。
深くため息をつき、肩を落とす。
そして、いつものように木剣を握り直し、再び剣の鍛錬へと身を投じる。
目指すのは遠く、憧れの騎士たちのような強さ――まだ道のりは長い。
それでも、シンの腕は力強く振り下ろされ、木の幹を打ち据えていく。
しばらくしてもう日暮れが近い時間になった。
「……はぁ、結局今日も剣の鍛錬しか進まなかったな。
どうやったら魔法って使えるんだろうなぁ。もしかして本当に俺が使えないだけなのか……」
急ぎ足で村へ戻るシン。しかし、村の在る方向に向かっていると、ある異変に気づいた。
村の方から立ち上る黒煙――あの煙は、日常のものではない。
「火仕事かな?……いやこんな時間にやってるところ見たことないけど……」
直感が、全身に警鐘を鳴らす。胸の奥がざわつき、息が荒くなってきた。
背筋を凍らせる寒気、加速する心拍。考える暇もなく、シンは足を前へ前へと運んだ。
村全体が見渡せる道に差し掛かると、目に飛び込んできた光景に息が止まった。
――村が……燃えてる……!?
立ち上る炎は、家々を次々に呑み込み、屋根を赤く染め、文字通りの火の海となっていた。
その光景に、思考は一瞬で停止した。背筋どころか、全ての感覚が消え去ったかのようだ。
しかし、止まっている余裕などない。
シンの頭の中に、
あの二人の姿が浮かぶ――神父とシスター。
――まずい、二人が!
恐怖と怒りが混ざった感情を胸に、シンは再び全力で駆け出した。
向かうのは、炎に包まれた教会……二人の元へ、全速力で。




