第1.5?
・現在から9年前・
――フーシャ村。現界七国のひとつ、アースヴァロン王国のマリアンヌ領に位置する中規模の村である。
この年、アースヴァロンと隣国・レイム帝国との間に小規模な戦火が巻き起こった。
レイム帝国はアースヴァロンの国境を侵し、そこから1番近いフーシャ村へと侵入した。彼らの狙いは、この村を占領し、侵略の拠点とすることにあった。
村の人々は突然の襲撃に晒され、恐怖に震えた。フーシャ村長はすぐに近くの治安維持局へ連絡を送り、アースヴァロン兵の救援を求めた。しかし、援軍が到着する気配はまだない。救援を求めたときには――もう遅かった。村はすでにレイム兵に侵入されていたのだ。かなりの田舎村であったため、避難所からも遠く、常駐している衛兵も多くはない。
維持局からの指示だけが鳥を介して先に届いた――「最寄りの避難所へ、ただちに避難せよ」
だが、村を覆う混乱の中で、その指示を守る余裕など、ほとんどの者にはなかった。
村人たちは避難の指示に従い、安全な場所へ逃げていく。しかし、逃げ遅れた者たちはレイム兵の手にかかり、蹂躙されていく。男たちは無惨に殺され、女や子供たちは拉致され、陵辱の限りを受ける。――それは長く村人の心に刻まれた“当然の現象”だった。しかし、いざ自分の身に降りかかると、絶望と恐怖が容赦なく心を覆った。
その混乱の中、逃げ遅れた者の中に、まだ十にも満たない少年が一人いた。彼は必死に、命を懸けて逃げていた。
「はぁ、はぁ……!」
保護者とはぐれてしまった少年は、
寂しさと恐怖に押しつぶされるようにして、ぽろぽろと涙をこぼしていた。荒い息を吐き、足をもがくようにして走る。体力は限界に近く、もうこれ以上は持たないかもしれない。
路地裏を駆け抜けた先、古びた木箱が目に入り、少年は迷わずその影に身を潜めた。小さく体を丸め、震える手で顔を覆いながら、恐怖に打ちひしがれる心を必死に抑え込む。
――神父様……シスター……
しばらく木箱の影に身を潜めていると、足音が近づいてきた。二人のレイム兵が、路地を横切るように歩いている。
「いやぁ、そこまで大きくない村で助かったな!アースヴァロン王都からも離れてるし、援軍がすぐには来れない。何より、村を落としやすそうだ!」
「あぁ、それに女や子供が思ったより多い。上玉の女もそれなりにいるかもな」
「売り物にならないやつなら、その場でおかしちまおう」
まだ幼い少年には言葉のすべての意味は理解できなかった。しかし、二人がどうしようもない悪党だということだけは、直感で分かった。
震える体をさらに小さく丸め、息を潜める。だが、そのとき、レイム兵の片方が叫ぶ声が路地に響いた。
レイム兵の声が暗がりを切り裂いた。
「おい、こんなところに隠れてやがったぞ!」
その瞬間、少年の心に「見つかった」という最悪の予感が走り、息が止まるほどの絶望が胸を締めつけた。
しかしその声に応えたのは、全く別の少女の声だった。
「いやぁ、いやぁあ!助けて、お母さぁぁん!!」
少年の隠れている物陰から出てすぐのところ、まだ十五ほどの少女が、必死に抵抗するも無情に物陰から引きずり出される。
逃げ出そうとした少女の腕を、
男が乱暴に掴み――そのまま無理やり地面へ押さえつけた。
「おい!腕押さえてろ!」
その低く、荒々しい命令が、静まり返った路地裏に響き渡った。
「離してっ!離してよぉ!!」
少女の小さな体は、恐怖に震え、逃げ場のない絶望をその瞳に映していた。
突如男は少女に身を寄せ出した。
「あ?ここでやっちまうのかよ、ガラム隊長に見つかったら殺されるぞ?」
「あの人はこんなところ通らねえ、大丈夫だ。すぐすませちまうよ。」
男が少女に体を押し付けるように近づく。
少女の瞳に、瞬時に恐怖の影が走った。
自分が何をされるのか、すべてを理解してしまったのだ。
少女の震える体が絶望に支配される。
「いやぁ!離して!」
「安心しろ、やさしくしてやるからよ。せいぜい可愛い声で泣いてくれよな……」
「終わったら次はおれだぞ」
少年にはまだ理解できない部分もあったが、少女がひどい目に遭わされていることだけは、瞬時に察せた。
――あのお姉さん、助けないと――殺される!
そう思ったものの、体は思うように動かない。ただ、物音を立てないように息をひそめることしかできなかった。
――誰か、早く、早くきてください!
その間も少女は必死に抵抗していた。華奢な体は震え、涙が頬をつたってこぼれる。だが、レイム兵は無表情に、いや醜悪な笑みを浮かべながら少女に体を寄せてくる。抵抗は無駄だ、とでも言いたげに。
――怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い
少年の心を支配していたのは、恐怖以上の感情だった。
相手は自分より遥かに大きい大人で、しかも鋭い武器を背負ってある。
――一体何されるんだろう?誰か早くきて!お姉ちゃん、泣いて嫌がってる……。
――何であんな酷いことをするの?あんなのダメだよ……。何であの人たちはあんなに嬉しそうなの?
意味がわからないよ……
顔を埋め、耳を塞いで震えながらも、彼はもう一度、現場を見つめた。
恐怖はもちろんあった。しかし、彼の胸の奥で、別の感情が静かに、しかし確実に渦を巻き始めていた。
――泣いてる……。やめてよぉ……。
かわいそうだよ……。誰か、はやくきてよぉぉぉ!
無力な少女が、下劣な者たちに傷つけられ、命を奪われようとしている――その理不尽さが、彼の心を焦がした。腸が煮えくり返るような憤りが込み上げ、衣服を強引に破かれる少女の悲痛な叫びが、無意識な怒りを駆り立てていた。
――なんで、あんなことを……。僕じゃ何もできない。
でも、それじゃあお姉ちゃんが……!
気づけば、恐怖は薄れ、怒りがその上に覆いかぶさっていた。正しいかどうかはわからない。ただ、ほんの少しでも少女を助けられる可能性があるなら、助けなければ――、そう思っていた。
体は、すでに動き始めていた。
――僕、怖いのに何してるんだろう?怖いのに何で外に出ちゃったの……?いや、お姉ちゃんを助けないと……。
少年は、物陰からそっと身を乗り出す。目の前に落ちていた石を二つ、迷わず拾い、息を潜めながらゆっくりと敵に近づいていった。
――今だ!
少女の腕を掴む奥の兵士――その人物に狙いを定める。
震える手に怒りの感情を押し込め、全力で石を投げつけた。
「ぐわっ!」
石は兵士の顔に直撃し、目に当たったらしい。
痛みにのたうち、握っていた少女の腕を思わず放す。
「なっ、なんだ!」
驚愕の声が辺りに響いた。
もう一人の兵は驚きのあまり振り返った。
少年「お姉ちゃんを……いじめるなぁぁ!」
その瞬間、少年はもう一つの石を思い切り投げつける。しかしわずかにそれは顔の横をかすめただけだった。
それでも、兵は少女から手を放し、怒りに歪んだ表情でゆっくりと近づいてくる。
「このクソガキが!」
兵は少年を殴りつけ、少年は力なく地面に倒れ込む。
少年「うあっ!」
その隙に、少女は必死に距離を取り、震える声で叫んだ。
少女「誰かぁ!助けてえ!!」
一か八かの叫びが、緊張に包まれた空気の中でひびいた。
倒れたままの少年の上に、容赦なくレイム兵が剣を振りかぶる――。
「死ねぇ!このガキぃ!」
死を覚悟した瞬間だった。だが、胸の奥で渦巻く怒りは微塵も収まらない。
剣が振り下ろされるその瞬間でさえ、少年の怒りは中で渦巻いていた。
とはいえ――
相手は自分よりも遥かに体格の大きい大人だ。
そんな男が、本気で自分めがけて剣を振り下ろしてくる。
少年は思わず息を呑み、目を閉じてしまった。死が目前に迫る感覚に耐えられなかったのだ。
――うぅ!
――…………
しかし、いつまで経っても剣は下りてこない。
?「んっふぅぅん」
どこかのっぺりした妙な声が聞こえてきた。恐る恐る目を開けると、そこには一人の大男の背中があった。
?「お二人さん、大丈夫ですか?」
低く響く声で、穏やかに問いかける大男。少年はしばし言葉を失った。辺りを見渡すと、先ほどまで襲いかかってきたレイム兵二人が血を流して倒れているのが見えた。
?「…もう、大丈夫ですよ。怖かったですか?」
大男はゆっくりと屈み、少年に優しく問いかける。
黒い鎧を纏い、背中には赤く長い剣を背負ったその巨漢は、他の大人たちよりも遥かに大きい体格を誇っていた。しかしその巨大な姿とは裏腹に、声は柔らかく、敬語でのっぺりと話す――その意外な優しさに、少年は驚きのあまり言葉を失った。
アースヴァロン兵「ヴィルヘルム隊長!」
そのとき後方から数人の兵が駆け寄ってくる。
アースヴァロン兵「ここにおられましたか。早く行きましょう。まだ奥にレーム兵が残っています。」
ヴィルヘルムは静かに頷く。
「わかりました。ユラ、このお二人を避難所までお願いします。あなたなら一人でも問題ないでしょう。」
名を呼ばれた側近の男ユラが、静かに頷いた。
「わかりました。責任を持って二人を守ります。」
そう告げると、ヴィルヘルムは少女にそっとローブを羽織らせ、二人を守るようにして村の奥へと歩き出した。その背中は、恐怖に震える二人にとって、唯一の希望の光のように見えた。
「ほら、こっちだよ」
ユラに手を引かれ、少年と少女は避難所へと足を運ぶ。
――あの騎士様、かっこよかったな……
あの騎士の姿が、頭から離れない。あの赤い剣を振るい、レイム兵を斬り伏せたのだうと少年の頭で想像がめぐる。
暗闇の中、コツ……コツ…… と、静かに響く三人の足音。月明かりすらほとんど届かない細い道を、三つの影が並んで進んでいく。
暗い道を進み、避難所へ向かう途中――少年は不安を紛らわせるように、ユラへ次々と質問を投げかけた。
「あの大っきいたらこ唇の人って騎士様なんですか?」
「こらこら失礼だよ?ヴィルヘルム隊長のことかい?まぁそう。君の言うとおり強い強い騎士様だよ。さっき君たちを襲っていた二人の敵兵も、あの方が一瞬で倒してしまったのさ」
「この村の衛兵さんよりも強いんですか?」
「それはもちろん。相手にもならないさ」
「お兄さんも強いんですか?」
「そうだなあ……、隊長よりは強くないけど……」
そのとき、一緒にいた少女がふいに顔を上げた。前方から、レイム兵三人がこちらへ走ってくるのに気づいたのだ。
「……ぁあの!前!」
少女が慌てて声をあげる。
だがユラはまったく動じなかった。まるで敵の存在など最初から問題にもしていないかのように、歩調を崩すことすらしない。
レイム兵「ころせぇぇ!」
少女「いやぁぁぁぁ!」
敵兵は勢いよく剣を振り上げ、三人へと斬りかかってきている。ユラは腰の曲剣の鞘を持ち剣の柄を握り、構える。そして二人へと言い放った。
「二人とも、少し下がって目を瞑って」
少女は言われるがまま下がってぎゅっと目を閉じた。しかし少年は、好奇心が勝ってしまい、どうしても目を閉じられなかった。
その瞬間だった。
ユラの構えが、風に溶けるようにぶれたと思った次の瞬間――スパッ、スパッ、スパッ! と、連続した切断が響く。ユラの体はほとんど動いていないのに、敵兵の身体がユラの足元に崩れ落ちていく。
ユラは、一瞬で三度の斬撃を放ち、敵を斬り伏せた。
敵が倒れる前には刃はすでに鞘におさまっていた。
少年は息を呑むしかなかった。
何が起きたのか理解できないほどの速さだった。
「もういいよ二人とも。あぁ、そうそう今さっきの話の続きだけど私もそれなりに強いよ」
おそらく、隊長も同じように敵を斬ってきたのだろう。
少年はそう頭では理解できた。
だが、“人が斬られる”という光景を実際に見るのは初めてだった。
胸の奥がざわつき、少しだけ怖さがこみ上げる。
それでもユラの動きには、確かな憧れが芽生えていた。
ユラ――もしかして――この子目を開けてたのかな…
あまりこう言うのは見せない方がいいと思って目を瞑らせたんだけど……
「ささっ、早く避難所へ行こう!」
ユラは斬り伏せた兵士たちに、二人の意識が向かないよう、歩調を速めた。
これ以上ここに留まるのは危険だという判断は間違いなかった。少女は、まだ何が起きたのか理解できず、呆然としたままユラの後を追うしかない。
そして少年は――恐怖よりも、さっき見せつけられたユラの剣技に見惚れてしまい、目を輝かせながらその背を追っていた。
三人はそれぞれ違う気持ちを抱えながらも、まっすぐ避難所へと向かっていった。
ユラと同じ服装をした兵士たちが警備する村の門を抜け、三人は休憩をとりつつ、山道や野道を2時間ほど歩き続けた。
その間、少女はすっかり疲れ果ててしまったようで、足取りも重く、時々ユラの袖を掴むようにして歩いていた。
しかし少年だけは違った。疲れを感じる余裕すらなかった。
頭の中は、さっき目にしたヴィルヘルムとユラの圧倒的な強さでいっぱいだったからだ。
どうやってあんな動きができるのか。
自分もあんなふうに戦えるのだろうか。
質問したいことは無限にあるはずなのに、
言葉にできるほど整った思考は一つもない。
ただ、胸の奥に、憧れが燃えるように広がっていくばかりだった。
そして暗い山道の先に、ぽつりと明かりが見えた。近づくにつれ、その光は大きくなり、やがて多くの村人と兵士たちが集まっているのが分かった。
そこは、村と治安維持局のちょうど中間に位置する避難所。不安を抱えた人々の声と、兵士たちの呼びかけが入り混じる場所だった。
三人が避難所の門をくぐった。すると……
少女は、こらえていた涙を一気にこぼしながら走り出した。門をくぐった瞬間、真っ先に見えた。
「お母ざぁぁぁん!!」
"母親"その姿を見つけた途端、少女の足は迷いなく二人へ向かって駆けていく。
声にならない呼び声が、涙と一緒にあふれ続けた。
娘の姿を見つけたその瞬間――母親の目からも、ぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「……っ、あぁ……!ス……ステラァァァァ!」
抑えきれない思いのまま、母親も少女へ向かって走り出す。
二人は同時に近づき――少女は母親の胸へ勢いよく飛び込み、母親はその身体を包み込むようにしっかりと抱きしめた。離れたくない、と言わんばかりに二人は涙を流しながら強く、強く抱きしめ合った。
その姿は、どれほどの恐怖をくぐり抜けてきたかを雄弁に語っていた。
「無事で……無事で本当に……よかったぁ……。ごめんね……あの時、母さんがもっとしっかり手を握っておけばよかった……。馬鹿な母さんを許しておくれ……。」
「ごめんなさぃ……心配かけてごめんなさい……。怖かったよぉ……お母さんっ……。」
母と子の再会――その温かな抱擁の光景を、周囲の兵士や村人たちは穏やかな表情で見守っていた。しかし、避難所に流れる空気はそれだけではなかった。
まだ見つからぬ家族、友人、愛人を呼び続ける者。
その安否に震える者。すでに大切な人を失い、目に涙を浮かべる者。そして、無事に再会できたことで胸を撫で下ろす者。
"喜び、悲しみ、不安、安堵"
さまざまな感情が入り混じり、避難所全体を静かに、しかし確かに巡っていた。
その温かな再会の光景を、少年とユラは、少し離れた場所から静かに見つめていた。胸の奥に、言葉にしづらい温度がゆっくりと広がっていく。
――よかった……。お姉ちゃん
そんな思いを抱いた、そのときだった。
とととっ…… と、小さな足音が近づく。顔を上げると、涙でぐしゃぐしゃになった表情のまま、少年へ向かって駆け寄ってくる修道服の女性がいた。
「シーーーーーン!!!」
少年へ駆け寄ってきたのは、少年が暮らしている教会のシスターだった。普段は穏やかで柔らかい表情の彼女が、
今は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、必死に少年へ向かって走ってくる。
「……っ、よかった……! 本当に……!あぁ、ありがとうございます、ヴェルス様……。」
声にならない嗚咽を漏らしながら、シスターは勢いのまま少年を強く抱きしめた。その腕には心から安堵した気持ちと、もう二度と離したくないという思いがあふれていた。少年の胸にも、熱いものがこみ上げ、静かにその腕の中へと身を委ねた。
「シスター…………」
シスターは、抱きしめていた少年の顔を確かめようと、そっと身を離した。しかしその瞬間、彼女の表情が固まった。
「なっ……シ、シン……その顔……!」
少年の頬が赤く腫れていた。殴られた跡が、くっきりと残っていたのだ。シスターの目に、明らかな怒りが宿っている。
「誰が……こんな……!」
震える声で怒っているシスターに対し、少年は苦笑いすら浮かべられずただ視線をそらした。
シスターは、そっと少年の腫れた頬へ手を添えた。優しい声とともに、彼女は静かに祈りの言葉を紡ぎ始める。
「動かないでねシン。……傷負いし魂よ、黄金の恩寵を仰ぎ、その溢るる生命の露を受けよ。祝福は滴り、傷は鎮まり、再び汝を照らさん "命帝の恩寵"」
ヴェルス教の癒しの祈祷――神に慈悲を求める、柔らかく澄んだ祈りだ。シスターの手のひらから、ほのかに温かい光が広がっていく。光が少年の頬を包んだ瞬間、
腫れがゆっくりと薄れていった。赤みも、まるで最初からなかったかのように静かに引いていく。
「今治したわ……それで誰にやられたの?シン」
「いやぁ……ちょっと……
敵国の兵士に殴られまして……」
「なっ!……大丈夫?痛かったでしょう?ちゃんと逃げてこられたのね……」
「助けてもらったんです。殺されそうになっていたところをえっと――ヴィル……ヘルム様という騎士様に。あとこの方にも助けていただき、避難所まで連れてきてもらいました。」
ユラ「どうも」
少し離れた場所から静かに見守っていたユラ。彼は穏やかな表情を浮かべて、そっと歩み寄る。
そして、シスターへ向けて丁寧にお辞儀をした。
「無事にお届けできて何よりです」
控えめで礼儀正しいその動きに、シスターも思わず微笑みを返した。
「あ、この度はシンを助けて頂き、ありがとうございます。」
シンを助け、ここまで連れてきてくれたユラに対し、
シスターは胸の前で両手を重ね、深々と頭を下げた。
感謝の思いがこもったその言葉に、ユラはわずかに目を細め、静かに頷く。
「いえいえ!当然のことをしたまでです。人々を助けるのが我々の使命ですので」
そのやり取りを見ながら、シンは胸の奥に温かいものが広がっていくのを感じた。ユラとシスターが何か穏やかに言葉を交わしていた。
すると先ほど母との再会に涙を流していた少女が、今度はシンの方へ歩み寄ってきた。少女はシンの前で立ち止まると、彼と視線を合わせるために、そっと体をかがめる。
「ねぇ……私が襲われてた時、石を投げて助けてくれたんだよね。」
柔らかい声で、まっすぐにシンへ話しかけてきた。
「あ……いや、大したことできませんでしたし……」
シンは、どこか所在なさげに視線を落としていた。
まるで「役に立っていない」と言いたげな表情で。そんなシンの様子を見て、少女はふっと優しく微笑んだ。
そしてそっと近づき、静かにシンを抱きしめた。
「そんなことないよ……。
あなたが助けてくれなかったら私、今頃どうなってたかわからないよ……。ありがとう……。」
その小さな声は、温かくて、胸にまっすぐ響いた。少女は、シンを抱きしめたまま静かに涙をこぼしていた。
その温もりに触れたシンの目にも、気づけば涙があふれていた。
――よかった……。あの時、勇気を出して……
言葉にはできない思いが、二人の胸に同時に流れ込んでいく。恐怖も、不安も、悲しみも……そのすべてを乗り越えて、ようやく迎えた再会だった。
シンは少女と並んで腰を下ろし、気づけば互いのことなどを話し込んでいた。
悲しみも不安もあったが、今はただ"無事"という事実が、二人の心を支えていた。
少し離れた場所では、ユラに向かって深々と頭を下げるシスターと、少女の母親の姿があった。
礼を伝える彼女たちに、ユラは控えめに首を振る。
またその横では、少女の母親がシスターへ礼を述べ、互いの無事を確かめ合うように言葉を交わしていた。
この場に満ちるのは、戦いの緊張とはまるで別の、あたたかな空気だった。皆、それぞれの形で“生きている喜び”を確かめていた。
ユラ――でも本当に良かったな……。
でも隊長、侵略兵をちゃんと捕まえてるかな?多分敵兵たちの着ていたの、レイムの鎧だと思うけど……。
はぁ……なかなか――争いってのは無くならないな……
・同時刻 フーシャ村中央広場にて・
「クソッ!!話しやがれこのクソオカマ野郎!」
ロープで縛り上げられた十五人の兵士たちが地面に座らされていた。その中央には、隊長らしき人物が拘束されながらも、威勢よく暴れ回っていた。
ヴィルヘルムはついに、今回の侵略を指揮していた張本人を制圧したのだ。
――くっ……!なんでだ!?田舎村だから40人もいれば十分だろうと思って来てみれば、こんな所に七雄がいるなんて聞いてねぇよ!
「クソが!フィリアノーズ!ちゃんと調べたのかよあのクソアマ!」
拘束された兵士たちの前には、ヴィルヘルムと、その直属の隊員たちが無言で立ち並んでいた。ヴィルヘルムはゆっくりと一歩前へ出る。それだけで、場の空気がぴんと張りつめる。
周囲に立つ隊員たちは、武器こそ抜かないものの、いつでも対処できるよう構えてはいた。
「んっふぅん。そんな言葉を使ってはいけませんよ、レイムのガラムさん?大人しくしていてください。どうせあなたたちはこの場で殺されるか、後で死刑台で殺されるか、二つに一つ。でもまぁ、後者の方がいいと思いますよぉ?
私のこの"赤い剣"は下衆外道な方を決して楽には死なせませんからねぇ」
隊長のガラムは、ヴィルヘルムが放つ圧倒的な気迫に完全に呑まれてしまった。ヴィルヘルムの鋭い眼光と、背後に並ぶ隊員たちの気迫を前に、しばらく歯を食いしばっていた。
「大人しく質問に答えてください。いいですね?」
「……ちっ!あぁ、わかったよ……」
圧倒的な力の差をわからされた隊長。
プライドを押しつぶされたように、素直に要求を飲んだ。
「よろしい。では一つ目の質問です。
なぜこの村をおそったのですか?」
――どうせ殺されるんだ……。
ならあの女の思惑を全部吐いてやらぁ!
「少しずつアースヴァロンを侵略していくための拠点にする予定だったからさ……。
この村が1番レイムから近いからな、侵略用の拠点を置くのにちょうど良かったんだよ」
「なるほど、それで罪なき村の人たちを無慈悲に葬り、はたまた凌辱の限りを尽くしたと、そういうことですか?」
ヴィルヘルムの眼光が、さらに鋭さを増した。まるで刃が光を帯びたように、冷たく、研ぎ澄まされていく。
彼は一歩も動かぬまま、縛られた隊長格の男を真っ直ぐに見据えた。
視線だけで相手を縫いとめるような、圧倒的な威圧。
男は思わず息を呑んだ。
――こいつら!!あんだけ殺すのは衛兵だけにしろと言ったのに!!だが……これは俺の……!!
「あぁ、そうだ。戦争だからな、そんなことは当然の出来事だろ……」
「一旦、わかりました。では二つ目の質問です。
一体、誰の指示でこんなことを?」
「そんなの決まってんだろ!俺たちレイムの国王、フィリアノーズさ!あんのクソガキが1番近い村を潰してこいなんて命令を押し付けてきやがったからだ!」
先ほどまでヴィルヘルムの気迫に押しつぶされ、
縮こまっていたはずの隊長が突如、体をぐいっと前に乗り出し、場の空気を切り裂くような大声をあげた。
「あのガキ、俺たちをただの駒としか思っちゃいねぇ!
大事なのは自分の家族とまともな生活をしている民たちだけだ!俺らみたいなはずれものは使い捨ての道具としか思っちゃいねぇ!」
その豹変ぶりに、周囲の兵士も思わず戸惑う。恐怖に押されて沈黙していた男が、まるで何か吹っ切れたかのように、勢いだけを取り戻して吠え始めたのだ。
「んっふぅん。フィリアノーズさん、あの方がらみというのなら、これ以上問いかけても何も出なさそうですね……」
"フィリアノーズ"という名を聞いた瞬間、ヴィルヘルムが不信な表情を浮かべた。そして突然後を向いて歩き出し、尋問を諦めてしまった。
「隊長!よろしいのですか?もっと尋問を続ければ、レイムの色々な情報を聞き出せると思いますが……」
ヴィルヘルムの行動に驚いた隊員が呼び止めようとすると――
「無駄ですよ、出てきてもせいぜいあの程度です。フィリアノーズさんとはとても慎重な人です。他人からあの人の目的を聞き出すことは絶対にできません。
おそらく、"侵略拠点にするため"というのもたてまえでしょう。必ず他に目的があります。
ただちに王都へ向かい、
この件をグウィン大王に奏上、そして総司令ライコスに報告します。
この方たちは重要参考人として王都へと連れ帰ります。皆、行きましょう」
捕らえた兵士たちを数人の隊員に預け、そのまま隊をまとめて王都へ向けて出発する。
歩みは早く、まるで一刻の猶予もないかのように――
ヴィルヘルム自身が危険を察しているのが、誰の目にも明らかだった。
避難所に残されたのは、数名の隊員とユラ。
ほどなくして、使い鳥が空を駆け、ユラの手元へ文が届けられた。
「先に犯人を連れ王都へ向かいます。あなたは残っている隊員たちと共に、村の復旧と護衛の任を継続お願いします。後の事はまた追って知らせます」
簡潔だが重みのある命令だった。
その夜、村人たちは避難所で不安と疲労を抱えながら一夜を過ごした。
そして翌朝――瓦礫の中に差し込む陽光を見て、誰もがゆっくりと立ち上がった。
家族を失った者も、友を失った者も、それでも“今を生きる”ために、それぞれの手で作業を始める。
ユラと残った隊員たちもまた、村人たちと肩を並べ、
倒れた家屋の整理、怪我人の手当て、周囲の警備に奔走した。こうして、村は少しずつ、失われた生活を取り戻すための再建を始めたのだった。




