第一章 9
・場面を戻して……
アースヴァロン王国、マリアンヌ領・避難所
避難所で一夜を明かしたアモンとシン。
こうして、師弟として迎える最初の朝が訪れた。
シンは見事なまでに爆睡している。
部屋を訪れたアモンが声をかけても反応はない。
「シン……シン!起きろ!」
それでも起きる気配はなく、
アモンは静かにため息をつくと、布団をかき上げる。
次の瞬間、無理やり引き起こされた。
「うぎゃっ!?」
シンは情けない声を上げながら、勢いよく飛び起きた。
「うぁぁ。アモンさん……もっと普通に起こしてください……」
「普通に起こして起きなかったからだ。
起きろ。先に行くところがあるんだろ?」
「……はい」
起き出した二人は、そのまま並んで朝食を取った。
配られたのは、焼き立てのパンと温かなスープ。
体に負担をかけない、どこか優しい朝食だった。
食事を終えると、二人は手早く荷物をまとめる。
その後、避難所を回り、世話になった人々へ一人ひとり挨拶をしていった。
門の前では門番に礼を述べ、
傷を治してくれた医療師にも改めて感謝を伝える。
そして……
静かに門をくぐり、外へ。
「さぁ、行こうか」
「はい、戻ります」
アモンとシンは、
再び歩き出した。
目指す先は、フーシャ村。
二人は、少しの間歩き続けた。
その間、会話はほとんどなかった。
シンには、胸の内で整理しきれない思いが渦巻いていたのだろう。
アモンもそれを察し、あえて多くを語りかけることはしなかった。
やがて、雲一つない快晴の空の下……
視界の先に、村の姿が現れる。
いや、それはもはや「村」と呼べる形を保っていなかった。
焼け落ち、崩れ、瓦礫と化した建物の残骸。
その間を、復旧にあたる衛兵たちが黙々と動いている。
二人は、その村の門の前へと辿り着いた。
分かってはいた。
燃え尽き、原形を留めていないことなど、最初から理解していた。
それでも……
実際に目の当たりにすると、シンは奥歯を強く噛みしめていた。
逃げ場のない現実を胸に刻みながら、
シンは重い足を前へと踏み出す。
向かう先は、
かつて思い出の中心にあった……
教会が建っていたはずの場所だった。
「待て、ここは立ち入り禁止である!」
「よしてくれ。この村の人間だ。時間くらいやってくれ」
「はぁ……あ、あなたは?」
「シン、行ってこい。門で待っている」
「……ありがとうございます」
シンは、一歩一歩、村の中へと歩いていった。
見慣れているはずの景色は、すでに別物になっている。
本来なら建物に遮られて見えなかった村の外が、今は嫌でも目に入る。
黒く焼け崩れた家々。
その間を、無言で瓦礫を片付ける衛兵たちの姿があった。
胸の奥が、やはりズキズキと痛む。
大切な人たちや家族が無慈悲に殺され、
守られてきたはずの村が焼き払われた現実。
かつて騎士ヴィルヘルムに守られたこの村が、
今は見る影もない。
やがて、歩き慣れたはずの道を進み、
シンは目的の場所へ辿り着いた。
――教会……
いや、正確には、
教会があった場所だ。
分かってはいた。
分かってはいたはずだった。
それでも、実際に目の前にすると、
シンにとってはあまりにも辛すぎた。
だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
しなければならないことが、あった。
シンは静かに正座し、両手を合わせる。
そして、声を出さずに祈りを捧げた。
救ってもらった過去。
これまで積み重ねてきた思い出。
シスターと神父への、尽きることのない感謝。
そして……
自分を生かしてくれた、すべての人たちへの感謝を。
どれほどの時間が経ったのだろうか。
およそ三十分。
足の痺れすら気にならないほど、シンは祈りに集中していた。
やがて、ゆっくりと立ち上がる。
そして教会の周囲の土を少しずつ拾い集め、
避難所でもらってきた小さな瓶へと詰めていった。
それは、この出来事を忘れないため。
そして、ここにあった想いを――
旅の先へと、共に連れて行くためだった。
「……ああ、ダメだやっぱり……。
もう、泣くなって……」
当然、涙は溢れてきた。
だが、ここで泣いていては、きっと神父に叱られてしまう。
シンは自分の頬を軽く叩き、鼻を啜って涙を押し戻す。
感情を振り払うように、深く息を吸った。
そして最後に、シンはただ一つだけ、
……たった一言だけを、ここに置いていくつもりだった。
「神父、シスター……
行ってきます!」
それは、別れの言葉でも、悲しみの言葉でもない。
出発のための、始まりの言葉だ。
こんな時こそ、笑顔で、前を向こうと、
そう心に決めると、シンは背を向け、走り出した。
アモンが待つ、村の門へ。
……いつもと変わらない、あの頃と同じ速さで。
シンは、アモンの待つ門へと戻ってきた。
「アモンさん!お待たせしました!」
「終わったのか?」
「……終わったというか……なんというか」
「どういうことだ?」
「あ!すみません……こっちの話です」
そして最後に、二人並んで門の方へ向き直り、静かに手を合わせる。
ここに残るすべての人へ。
失われた命へ。
そして、これから進む未来へ。
言葉は多くいらなかった。
それでも確かに、皆への想いを胸に刻み
新たなる出発の時が、静かに始まった。
「行こうか……」
「はい!」
………………………………
「それでアモンさん、えっと……どこに向かって……」
「とりあえず王都方面に向かう。
俺の家が王都のすぐ近くの山中にあるからな。
そこでお前を鍛えてやる」
「山って……魔物とか大丈夫なんですか?」
「現国王のグウィン大王の力で、王都圏にはダンジョンが発生しても、そこから魔物が這い出すことはない。
それに、獣や魔物も、あの地域のは比較的大人しい」
「その……ダンジョンてなんですか……?
魔物の出所なのは知ってますが、イマイチなんなのかあんまり分からないくて……」
「はぁ……ダンジョンっていうのは簡単に言えば何もない所、岩の表面や湖の上、山の中、自然の密集するところにできる深い穴のことだ。黒く丸い穴に青い魔力が渦巻いてたら大体それだ。
その穴に入るとダンジョンごとに違う空間に出る。
洞窟みたいなものやまんま別世界のような所だったり、森の中の時もある。
どれもダンジョンの中だけの世界のようだ。
一番奥にいる魔物を倒すと強制的にダンジョン外へと弾き出される。それで穴も消えるってことだ。
稀に穴が見つからずに放置され続けるとダンジョン内の魔物がその穴から出てくるんだ」
「なるほど……早く処理しないとまずいってことですね」
「王都圏以外に関してはそうだな。
まぁ、ダンジョン自体個別差が激しいから魔物の強さもまちまちだ。
4級、3級、2級、1級、特級……
特に1級、特級はほっとくとまずい。
特級に関しては王から七雄に攻略の命令が来るほどだ。
ダンジョンの攻略自体は本来楽しい物なんだが」
「俺も、いつか入ってみます」
「めでたく合格したら、友人を見つけて一緒に行ってみるといい。
ダンジョンなんて3級までなら命を落とすことは稀だ。しかも1日に世界各地でいくつも発生しているからなくなることはないだろう。
冒険者たちが大体攻略しに来ているがな」
「わかりました!あー、合格した後も楽しみだな……」
「入って敵わないと思ったらすぐに引き返せ。
1級や2級はまだ無理だろうからな」
「はい!教えていただきありがとうございます!」
「まだまだ教えることはあるぞ」
「……ところで向こうに着いたらすぐに稽古開始ですか?」
「ん?何を言っている?」
「え?」
「今からだ」
……………………………………
晴れ渡った野道を歩いている、その最中だった。
前触れもなく、アモンが突然走り出す。
「とりあえず走ってついて来い」
そう告げられ、シンは慌てて後を追った。
ただひたすら、前を行くアモンについていく。
――速っ!
……………………………………
しかし本当に驚いたのは、その持久力だった。
しばらく走ったが、あれだけの速度で走っているにもかかわらず、減速する気配がまったくない。
息も乱れず、足取りも安定したまま。
このままなら、馬にすら余裕で追いつきそうだと、シンは本気で思った。
――あ゙あ゙!足が取れそう…………
アモンさんが遠くなる一方だ……
シンは歯を食いしばり、必死に足を動かし続けた。
「シン!長く走るコツを教えてやる!」
「お……おねがいしまあぁぁぁす!」
「イメージして走れ!
疲れ、頭や横腹、胸の痛み、足の疲労、体の重さ、
これらが体全体からすぅーっと煙のように抜けていくイメージだ!
うまくいけば疲れにくくなるし、ペースを乱さずに走れる!
いまは戦技の授業だぞ!」
「せ、せんぎぃ?」
走り続けながらの授業だ。
シンは、アモンに言われるがまま、一つひとつを実践してみる。
疲れ。
痛み。
体にのしかかる重さ。
それらが、呼吸とともに体の外へ抜けていく……
そんなイメージを、シンは頭の中で必死に描いた。
だが、現実は甘くない。
足は重く、息は荒れ、体は悲鳴を上げ続ける。
どれだけ意識しても、
状況は一向に良くならなかった。
「くっそ、うまくいかないか……」
「シン!頭だけで考えるのがイメージじゃないぞ!
見えている自分の体から抜けてくようイメージをそのまま現実に持ってきてみろ!
目の前にあると思え!
視点を変えろ!」
走り続ける中で、アモンから突然、助言が飛んだ。
その言葉をきっかけに、シンは考え方を切り替える。
頭の中で「想像する」そうではない。
今この瞬間、疲れや重さが……
すでに体の外へ流れ出ていると錯覚するよう、意図的に感覚を作り出してみる。
……ほんのわずかだが、シンの足取りが軽くなった。
「……っ!」
それを、シン自身が一番はっきりと感じていた。
初めてだ。
自分の体で、確かに“変化”を起こせたのは。
ほんの少しのことだった。それでも、胸が高鳴る。
嬉しさのあまり、シンは調子に乗って速度を上げた。
「アモンさーん!!何か少し変わった気がします!」
「よし!とりあえずしばらくそのまま着いて来い!
その間イメージは常にしておけ!」
――少しわかった気がする……。
頭の中だけじゃダメなんだ、体にもイメージさせないと
シンはそのイメージを保ったまま、ひたすらアモンを追いかけ続けた。
足を止めることなく、ただ前へ、前へと。
走る間に、次々と景色が流れていく。
連なる山々、澄んだ川、下から見上げる広い海。
切り立った岩肌や、点在する小さな村の姿も目に入った。
村からほとんど離れたことのなかったシンにとって、
まるで知らない国を旅しているかのような感覚。
同時に、自分がいかに狭い世界しか知らなかったのかを思い知らされ、胸の奥に、わずかな絶望感が浮かぶ。
いったい、何時間走り続けただろうか。
あれから二人は、言葉を交わすこともなく、ただ無言のまま走っていた。
さすがに限界が近づいてきた。
シンの呼吸が乱れ始めたのを見て、アモンがそれに気づく。
「よし!一旦止まろう!」
そう声をかけ、休憩に入るよう促した。
「はぁはぁ、あ゙あ゙あ゙あ゙!」
――やばい……!目と鼻と喉と肺が痛すぎる……
「シン……よく頑張った。
そこの岩で少し休憩しよう」
二人は山中の岩崖へと移り、腰を下ろして休息を取った。
そこは視界を遮るものがなく、広い海を一望できる、
息を呑むほどの絶景だった。
――でも、こんなに長く走れるなんて……。
やっと普通じゃないことができた!!
海を眺めながら休憩している最中、シンはふと違和感に気づいた。
「……?アモンさん、なにか音がしませんか?
風と海の音じゃない……なにか重い音」
「……そういえばないか匂うな」
左へ視線を向けると、岩崖の下、草木が少し生い茂るあたりに、奇妙なモヤが漂っている。
「ちょっと俺見てきます!」
なぜか引き寄せられるように、シンは慎重に近づいた。
そして、目を見開く。
そこにあったのは
アモンから聞いた通りの、黒く渦巻く“穴”だった。
「なっ……!アモンさん!これって……」
「おぉ……シン、これが言っていたダンジョンの穴だ」
「すごい。こんな感じなんですね。
思ったよりも大きくて、なんか不気味です」
「周りに魔物の気配がない。できたばかりか。
シン……剣は持ってるな?」
「はい!一本ですが担いで持ってきてます!」
シンは自慢げに剣を掲げ、まるで見せつけるようにアモンへ向けた。
だが返ってきたのは、予想もしないアモンからの提案だった。
「……入ってみるか?」
「えぇ!だ、大丈夫でしょうか?」
「無理ならすぐに引こう。敵の強さやダンジョンの複雑さによってはな。
安心しろ、お前は必ず守る」
シンにとって、初めてのダンジョン攻略。
聞いていた限り、下手すれば死ぬかもしれない。
それでもアモンがいるせいか、少し胸が躍った。
まあ、一人なら絶対に入っていないだろう。
だが相方はアモンで、手元には一本の剣がある。
何が襲ってきても、負ける気が少しもしなかった。
「……わかりました。臨時授業ですね!」
「ちょうどいい、お前があの村で生き残った理由もこの目で見られそうだ。しかも実戦でな」
二人は、人の身長ほどもありそうな直径の穴へと足を踏み入れた。
入った瞬間、視界は一気に暗転する。
びっくりはしたが、とりあえず前へ進んでみる。
すると……視界の中心から、ぱっと開けるようにして新たな景色が広がった。
そこは、さっきまでいた崖とはまるで別世界。
空だけは同じように晴れているのに、地形も空気も何もかもが違う。
立っていたのは、崖下にある墓地のような場所。
静まり返った空間が、異様な気配をまとっていた。
「すごい……。これがダンジョン。
どこなんですかね、ここ」
「ダンジョン固有の領域内だ。
洞窟のように入り組んでいたなら引き返すつもりだったが、景色が開けてるだけまだいいな。
さあ、先へ進むぞ」
「は、はい!」
薄く水の張った道を少し歩いたところで、アモンが急に足を止めた。
「……あれを見ろ」
そう言って、前方へ指を差す。
シンも視線を向ける。
そこには、何かがゆっくりと歩いていた。
一応、人の形はしている。
だが、人であるわけはない。
髪はなく、目もない。
肌は異様なほど白く、歩き方もどこか歪んでいる。
肩から膝にかけて黒い衣服をまとっているだけの……
化け物だった。
「なんですかあれ?」
「見た目からして"亡者"だな。
シン、あれを殺せ。頭を潰すか、剣で斬るか。
お前の腕を見せてみてくれ」
「……わかりました」
シンは静かに剣を抜き、警戒しながらゆっくり近づいた。
すると、思った以上に早く相手がこちらに気づく。
目のない顔がこちらへ向き、
歯のほとんど抜けた口元を歪ませた。
そして次の瞬間……
化け物はシンに向かって、耳障りな叫び声を上げた。
「ぎあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」
――怖っ!!急に叫ぶな!!
次の瞬間、亡者と呼ばれる化け物が、シンへ向かって猛進してきた。
びちゃびちゃと足元の水を跳ね上げ、理性の欠片もない叫び声を上げながら、本能のままに襲いかかってくる。
「くっそ!!」
シンは落ち着いて、冷静に相手の動きを見た。
亡者の荒い手が顔を掴もうと伸びてきた、次の瞬間……シンは素早く体を左回転させ、手をかわす。
勢い任せに突っ込んだ亡者は止まれず、隙をさらした。
円を半分描くように回転したシンは、そのまま通り過ぎる亡者の背後を取ることに成功。
そして回転の勢いを刃に乗せ、
亡者の背中へ……右下から左上へ斬撃を叩き込んだ。
亡者は甲高い叫び声を上げ、そのまま水たまりに倒れ伏した。
シンは思わず口元を緩める。
「や、やった!」
ふと振り返り、アモンのほうを見る。
だがアモンは、喜ぶでもなく、どこか腑に落ちないような……不思議そうな表情をしていた。
「……?……よくやったシン、とりあえず先に進もう」
「あ、わかりました」
気にはなったが、今は立ち止まっていられない。
二人はそのまま墓地の道を進む。
やがてアモンは、次々に現れる亡者の相手をシンに任せるようになった。
墓標の影や崩れた石の隙間から、亡者が何体も湧くように現れる。
だがシンは怯まない。呼吸を整え、淡々と刃を振るい、何の問題もなく切り伏せていく。
自信が顔に出たのだろう。シンはどこか誇らしげだった。
それでもアモンは、やはり不思議そうなまま、何かを考え込んでいる。
「アモンさん、どうかしましたか?」
尋ねても、アモンは答えない。
ただ「とりあえず進め」とだけ促した。
さらに進むと直線の道の脇、そこをのぞくと重厚な宝箱がポツンと置かれていた。
「アモンさん、この宝箱開けてもいいですかね!?」
興味津々で近づくシン。
アモンが「気をつけろ」と止めるより早く……宝箱に手をかけていた。
すると横合いから亡者が水を跳ね散らし、シンへ突進してきた。
――あ、やばい……!
瞬間、アモンが動く。
「水蛇」
足元の水が意思を持ったように盛り上がり、亡者の脚を絡め取って拘束する。
止まった首元へ、銀の矛が一閃……
亡者はあっけなく首を斬り落とされた。
「そんなものウキウキと開きに行くな。
何があるかわからないから、常に辺りを気にしておけ」
アモンの低い叱責に、シンは肩をすくめる。
「……す、すみません」
それでもシンは宝箱の前に戻り、息を整え
ゆっくりと蓋に手をかけた。
そして、宝箱を開ける。
「ん?なんですかこれ?」
「これは……小さめの鉱石だな。
魔力がこもっていて、武器や金属類を強くするために使われる石だ。
持っておくといい、売るもよし使うもよしだからな」
「ダンジョンって……なんか楽しいですね!」
「……そう思えてるなら良い。
さあ、さっさと最奥までいくぞ」
二人は道なりに進み、やがて細い通路へ入った。
薄暗い道を抜けた瞬間、視界が一気に開ける。
崖のような場所に出た。
広大な景色が広がり、まるで山の頂から雲の海を見下ろしているかのようだ。
「綺麗ですね……」
「だが所詮作り物の景色だ」
アモンがそう割り切って先へ進むと、坂を下り、崖下へ降りた先で……
亡者が十体ほど、たむろしていた。
「シン。任せる」
アモンは当然のように言うが、さすがに数が多い。
「助けが要るか?」
アモンの問いに、シンは歯を食いしばり、
「……いえ、1人でやってみせます」
そう言い切ったが、たちまち囲まれる。
亡者たちが叫びながら一斉に飛びかかってくる。
しかしシンは目を閉じ、ほんの一瞬だけ集中した。
そして、飛び上がった亡者たちの“着地までの隙”を見抜く。
シンは前方の亡者へ向け、剣を突き出したまま一気に突進した。
刃が深く刺さり、一本目を葬る。
それだけで包囲に穴が開き、シンはそこから抜け出す。
中心がずれたことで、亡者たちの攻撃は空を切る。
その一瞬の乱れを逃さず、シンは流れるように首を刎ねていった。
アモンは驚きを隠せなかった。
――技そのものは理屈で説明できる。だが実行には、反射神経やそう言うのより、経験値が物を言う。
あんな武芸をするには若すぎる。
剣を振るう時、まるで別人とでも入れ替わっているような……俺の考えすぎなのか?
シンの剣技はアモンにとっては違和感でしかなかった。
十体を倒し終えたシンは、嬉しそうにアモンへ手を振った。その直後、少し奥の方で淡い灯りがともる。
二人が近づくと、そこには大きな扉が佇んでいた。
「ここが最奥だろう」
思ったより短いダンジョンだったらしい。
二人で扉を押し開け、中へ足を踏み入れた瞬間……
背後の扉が、勢いよく閉まった。
まるで逃がさないと言わんばかりに。
中は、広い円形の広場だった。
その中心に、“異様なもの”が鎮座している。
鎧を着た兵士――いや、騎士だろうか。
だが、異様に大きい。身長は四メートルはありそうだ。
そして手には、黒く長い剣。
アモンが、その存在へ静かに指を差した。
「シン、あれを倒せば……ダンジョンクリアだ」
――あれを倒すって……大きすぎる。
あんな亡者とは比べ物にならないだろうな……
「一旦1人でやってみろ。本当に危なかったら助けに入る」
「アモンさん……その必要がないようにします!」
「シン!
危なかったら思い切り叫べ」
シンが近づいた瞬間、それは動き出した。
ゆっくりと立ち上がり、黒い長剣を掲げる。そして刃先をまっすぐ、シンへ向けた。
今まで出会ったことのない、異様な“何か”。
だがシンも負けじと剣を構える。
――やっぱりなにかおかしい……
自分で自分に驚いた。
普通なら恐怖で足が竦むはずなのに、胸の奥にあるのは高揚感だった。ドクドクと脈打つ心臓が、恐怖とは違う鼓動を刻んでいる。
言葉にするなら……早く戦ってみたい。
負ければ確実に死ぬ。そんな状況で、こんなことを思っている自分が恐ろしいとすら感じた。
だが、余計なことを考えている暇はない。
巨兵が、勢いよく縦に剣を振り下ろしてくる。
まともに受ければ、剣ごと身体が割れる。
――避けるしかない……!
シンは横へ避ける。
だがそれは“飛び退く”ではない。横に素早くズレるだけの、無駄のない回避。
アモンはそこで目を細めた。
――回避が早すぎれば、敵は武器の軌道を変えて追ってくる。
紙一重まで引きつけた回避なら、振り下ろした剣を途中で変えることはできない。まさに理想の避け方だ。
大柄な相手に中途半端な距離は危険。
相手のほうがリーチが長い。なら選択肢は二つだけ……
極端に離れるか、近づくか。
シンは、近づくほうを選んだ。
縦斬りをかわした瞬間、シンは一気に踏み込み、巨兵の背後へ走り抜ける。
大きいぶん動きが鈍い。反応が遅れている。
背後を取った。しかしシンは剣を振るわない。
――いや……ちょっと待って
そのまま一気に後ろへ下がり、極端に長い間合いを取った。
アモンはその意図を即座に理解する。
――鎧だ。斬ったところで決定打にならない。
首を狙おうにも、身長が倍以上ある相手の喉元には届きようがない。
正直、技ではシンの方が上回っているだろう。
だが戦技の使い方もままならない今、どうやって相手を討つ?
シンは状況を組み立て直さなければならなかった。
巨兵はゆっくりと振り向き、シンを凝視している。
相手も何か考えているのだろうか?
円を描くように、ほんのゆっくりと横へと動いている。
シンもそれに合わせて行動し、間合いが縮まらないように横へ動く。その間に作戦を立てるのだ。
――鎧を攻撃したところで剣が折れるだけだ。
そうなれば素手……まず勝てない。
鎧をはがすか?まあ無理だろう。なんとか首まで剣が届けば……間に剣を刺して倒せると思う。
受ければ終わり。
手に掴まれても終わり。
長引かせても終わり。
どうやれば首まで届く?
相手が転んでくれれば……。
………………………………。
よし、もう多分これしかないな……
シンは作戦がまとまったようだ。
――よし!
シンは迷いなく、巨兵へ向けて全力で駆け出した。
相手もそれに呼応するように踏み込み、真正面から距離を詰めてくる。
次の瞬間、巨兵の剣が唸った。
今度は縦ではない。横薙ぎの一撃。
だがシンの反応は遅れない。
助走の勢いを殺さぬまま、刃の軌道を見切り、巨兵の股下へ滑り込むように身を沈めて回避した。
そのまま背後へ抜ける。
そして狙うのは、“硬い鎧”ではなく、その隙間。
シンは巨兵の脚、膝関節の裏へ刃を思い切り突き立てた。
鈍い手応え。関節を貫かれた巨兵の膝が崩れ、巨体は右膝を地につく。
シンは関節が曲がる前に剣を引き抜き、距離を取ろうとする。
だが右膝をついたまま、巨兵は首だけをぎこちなく捻り、背後へ左腕を叩きつけるように振るった。
しかし、そこにシンはいない。
シンは“背後への反撃”を最初から織り込み、股下を抜けた勢いのまま前へ回り込んでいた。
――シン……お前は一体、そんな技術をどこで学んだんだ……
倒れかけ、地面についた巨兵の右腕を足場にする。
――シン自身の才能で片付けるのはあまりに不自然だ。
熟練された我流の剣技?いや……あぁ、全くわからない
前腕から肩へ、鎧を掴み、駆け上がるようにして一気に登った。
そして、振り向いた巨兵の首元へ。
狙いを一点に定め、シンは刃を突き刺した。
――ゴオオオン。
鐘のような低い音が、広場全体を震わせる。
巨兵は暴れるように身を揺らし、シンの体を振り落とした。
シンは宙を舞い、地面へ転がる。
同時に巨兵もまた、力尽きたように、その場へ倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ、やった……!
アモンさーん!やりましたー!!!」
「…………っ!
シン!早くこっちに来い!!!」
倒れたはずの巨兵の身体から、何かがうねっていた。
シンが振り返ると、鎧の隙間という隙間から、赤黒い“何か”が滲み出し、触手のように蠢いている。どろどろと粘つくそれは、次第に動きを激しくし、鈍い音まで立て始めた。
次の瞬間……
巨兵の胴体が爆ぜた。
血のような液体が爆発するように撒き散らされ、衝撃が広場を叩く。
「シン!海蛇!」
アモンが即座に魔術を展開し、シンを引き戻そうとする。
だが赤い触手がそれを阻み、魔力の流れが堰き止められた。
「なっ!まずい、シン!!」
爆風に吹き飛ばされたシンは、地面を転がりながら、信じられないものを見た。
そこに立っていたのは、先ほどの巨兵とは似ても似つかない存在。
身体中から奇妙な触手が乱れ出し、鎧は砕けて破片となり、そこらじゅうに散らばっている。
頭部は亡者と同じく目のない顔。
だが目のあるはずの場所から、触手が突き出していた。
胴体は、骨が突き抜けるように露出し、内臓……心臓までもが剥き出しになっている。
それが奇妙な音を鳴らしながら、ただ佇んでいた。
醜悪 異形 血肉
それはもう“巨兵”ではない。
まったく別の、忌まわしい化け物だ。
そして巨大な触手の壁が伸び広がり、
シンとアモンは互いに近づけないまま、分断されてしまっていた。
「なんなんだ……これ……」
一方アモンは、なんとか“肉壁”を破壊しようとしていた。
「海槍!
輪湖!」
次々と魔術を放つ。だが触手に触れた瞬間、魔術そのものが消えてしまう。
――ヴァージスが吸収されている!?
水だからか?くそっ!辺りが乾ききったか……
アモンに考えている暇はない。
「なら……武装魔力!」
アモンは矛に魔力をまとわせ、武器を強化。
力ずくで切り開くことにした。
斬る。……斬れない。
刺す。……入らない。
魔術を吸収し、斬れず、刺せず。
アモンの背筋に、冷たいものが走った。
――攻撃を受け付けない……!
低級ダンジョンじゃないのか!?
自分の判断のせいで、シンが死ぬ。
そんな予感が、確信に近い形で胸を締めつける。
アモンにできるのは、数センチほどの隙間から中を覗くことだけだった。
しかも触手に触れれば腕に絡みつき、まるで吸い込まれるように引かれてしまう。
――シン!!
シンはすぐに立ち上がり、剣を構えていた。
鎧は砕け散り、内臓が剥き出しになっている。
あれを破壊できれば倒せるかもしれない……だが、そこへ辿り着く方法がない。
――さっきと違って鎧がない。
心臓……あそこを壊せば……
考える間はない。触手が襲ってくる。
一本ではなく、四本、五本……一斉に叩きつけてくる。
剣で切れるような代物ではない。
シンは走る。ひたすら走り回り、回避するしかない。
幸い動きは鈍いが、内臓の周りにも触手が密集している以上、安易に飛び込めば終わる。
――どうしよう……あと何本か剣があれば……
打開策がまるで浮かばない。剣を投げるとしても当たる保証がない。外したら丸腰だ。
走りながら思考を回す。しかし、都合よく避け続けられるはずがなかった。
一本の触手が、シンの胴体を捉え、
強烈な一撃が腹へ叩き込まれた。
シンの身体が宙を舞い、肉壁へ激突する。視界が揺れ、息が詰まる。
「あ゙ぁ゙!!」
――息が……できない……
異形の化け物は、触手をうねらせながら近づいてくる。
シンの意識は、じわじわと霞み始めていた。
――くそ……こんなところで……
諦めるな……なにか策を考えろ!
弱点、弱点、弱点!
やがて触手が、叩き潰すように振り下ろされる。
シンは朦朧とする意識を無理やり繋ぎ止め、なんとかそれを避けた。
避けると同時に、肉壁の端に、僅かな“隙間”があることに気づく。その向こうにアモンがいることも。
そしてシンはある違和感に気づいた。
――多分、あれも亡者なんだろうけど……。
そういえば、なんで目がないのに見えてるんだ?
周りに目のような物も見当たらないし……
シンは足元に落ちていた鎧の破片を拾い上げ、遠くへ放り投げた。
――カンッ。
金属が地面に触れて音を立てた、その瞬間。
触手が唸りを上げ、音のした場所へ叩きつけられる。
シンは確信した。
思えば当然だ。あれには“目”がない。
ならば代わりに、音や振動、触感で獲物を捉えている。
――もっと早く気づくべきだった!
その性質を利用する。
シンはもう一つ破片を拾い、できる限り遠くへ投げ捨てた。
――カァン、と響いた音。
触手の向きがそちらへ引き寄せられた。
シンは肉壁の隙間へ……そこから見えたアモンのいる方へ、素早く駆け出した。
「シン…………。俺のせいで……」
――あるいはこれなら……効くかもしれない!
申し訳ございません……どうかお許しを!
「メ――」
「アモンさん!」
「なっ!シン!
すまない……俺が判断を間違えた」
「いえ、アモンさん。
あれは亡者であって、目が見えないんですよね!?
「……あ、あぁ。
目のない亡者は、その他の感覚と魔力感知で対象の位置を把握する」
――魔力感知……
「アモンさん、作戦があります。
魔力って剣にこめたり出来ますか?」
「あぁ、できるが……」
「この剣に、その魔力をありったけ込めてください!
あと、その武器を貸してください!!」
「……お、わかった」
アモンは、シンに言われるまま肉壁の隙間越しに手を伸ばした。
そして剣へ――自分の魔力をありったけ注ぎ込み、手にしていた銀の矛とともにシンへ渡す。
次の瞬間、シンは全速力で異形へ突っ走った。
アモンは息を呑む。見守るしかない。
――一体何をする気だシン!
シンは急に立ち止まり、剣と矛をいったん地面へ置いた。
置いた音を悟られぬよう、すぐさま砕けた鎧の破片をいくつも拾い上げ……四方八方へ投げ散らす。
――カン、カン、ガァン。
拡散する音。異形の周囲で無数の音が鳴り響き、触手がいっせいにそれへ襲いかかる。
その隙に、シンは武器を拾い上げ、一気に突進した。
走りながら、魔力を宿した剣を……
異形の頭上めがけて投げ放つ。
異形は“顔”をそちらへ向け、触手を総動員して剣を迎撃する。
まさにその瞬間。
シンはアモンから預かった矛を構えた。
しかしアモンの予想外の動きをする。
助走のまま矛先を地面に引っ掛け、足を上へ振り上げ、体を捻る。
体が宙へ浮くと同時に、支えにした矛を地面から突き放すようにして大きく跳躍した。
――矛を跳躍のための道具として使うとは……!
シン、お前のその技術、本当に才能や努力の賜物なのか!?
まるで劇でも見ているかの様だ……
空中で、矛先を異形の“心臓”へ。
狙いを一点に定め、そのまま突き刺す。
ぶちまけるように血飛沫が舞い、周囲の触手が震えた。
悲鳴のような、軋む音が漏れる。
――ゴオオオン。
鐘のような低い音が響き、異形は背中から大きく倒れ込む。
そしてその身体は白く、蒸発し、霧散するように消えていった。
「やった……」
やがて周囲の景色まで白くほどけ始め、視界が一気に発光する。
白い光が、シンとアモンを包み込んだ。
眩しさに目を閉じた二人が、次に目を開けると……
そこはダンジョンへ入る前の岩崖の下。草が生い茂る場所だった。
ダンジョンの主を倒し、岩崖の下へ戻ってきた二人。
しかし、帰還した直後、アモンはシンへ向き直ると、いきなり頭を下げた。
「……すまない、シン。
俺がうかつだった。もっと慎重であるべきだったのに、お前をあんな危険に晒した」
声は低く、硬い。
普段の落ち着きとは違い、悔しさが滲んでいる。
「何が七雄だ……。低級ダンジョンと侮って注意を怠った。
あってはならないことだ。……謝罪のしようもない」
アモンは深々と頭を下げ続けた。
そこにあるのは形式的な謝罪ではない。反省も、責任も、申し訳なさも、全部本物だ。
シンは初めて見るほど、強く伝わる謝罪だと感じた。
けれどシン自身は、正直、危険な目に遭ったことよりも、
アモンが特に何も言わずに済ませる方が、ずっとショックだったと思った。
――この人は、自分の失態をちゃんと分かってる
声のトーンも、表情も、頭の下げ方も。それがはっきり語っていた。
だからシンは、明るく言った。
「アモンさん。俺、生きてます。怪我もほとんどありません。
結果、敵も倒せて、経験も積めました!」
ニコリと笑って、心配を軽くしようとする。
だがアモンは顔を上げ、苦い表情のまま言い返した。
「……だがシン。下手をすれば、お前は死んでいたかもしれないんだぞ」
「……ですけど」
シンは一瞬だけ間を置いて、はっきり言った。
「どのみち僕、死んでなかったと思います!」
予想外の返答に、アモンが目を瞬かせる。
「……どういうことだ?」
シンは清々しいほど真っ直ぐに答えた。
「アモンさんが、何をしてでも助けてくれると思ってました!」
純粋無垢な表情。
疑いの欠片もない言葉。
アモンは言葉を失い、次いで――小さく息を吐いた。
「……そうだな」
けれどすぐ、表情を引き締める。
「だが、お前を危険に晒した事実は消えない。責任は取る。行くぞ、シン」
そう言って歩き出す。
シンもついて行こうとした……その時。
「……あれ?」
シンが何かを見つけ、引き返した。
草の陰に、一本の黒い剣が落ちている。
先ほどの異形騎士が持っていた、あの不気味な長剣だ。
「これ……あの騎士の剣でしょうか?」
アモンは頷いた。
「おそらく、ダンジョン攻略の報酬だ。
この剣がダンジョン自体の触媒となってたんだろう」
シンは当たり前のように剣を拾い、アモンへ差し出す。
だが、アモンは受け取らなかった。
「それは、お前のだ」
「え、いいんですか!?」
「お前が倒したんだ。
……良かったな。愛剣にしてやれ」
予想外の攻略。
予想外の死線。
それでもシンは、その経験の先に……初めての“自分の武器”を手に入れた。
黒い剣を握ったまま、シンは強くうなずく。
そして今度こそ、二人は王都へ向けて歩みを進めた。
新しい道へ――師弟として。
「また剣をしまっておける魔術を教えてやる」




