第十七話 崩れる線
本海側の港で、一人の男が死んでいた。
財布もない。
スマートフォンもない。
身元を示すものは何もない。
残されていたのは、水に濡れた中国のコンビニのレシート。
かろうじて読めたのは、「寧」という一文字だった。
身元確認を命じられたのは、県警捜査一課の窓際刑事・真壁修司、56歳。
ただ一人の名前を調べる。
それだけのはずだった。
※本作は、現実の国際犯罪に関する報道から着想を得て構成したフィクションです。
登場する人物・企業・事件・捜査内容などは創作であり、実在する特定の人物・企業・団体とは関係ありません。
最初に消えたのは電話だった。
名古屋の会社へかけても、誰も出なくなった。
翌日、事務所は閉まっている。
さらに数日後。
関係者の一人が事情聴取を受けた。
別の人物については、国外の捜査機関が動いているという。
寧波側の取引先にも変化が出る。
取引が止まる。
連絡先が変わる。
それまで普通に存在していた線が、一つずつ切れていく。
「逃げてるんですかね」
若い刑事が聞く。
「逃げてるやつもいるだろ」
「逃げてない人も?」
「いるだろ」
「何で?」
「自分が捕まると思ってない」
「関係者なのに?」
真壁は書類から目を上げる。
「例えば、お前が荷物運んだとする」
「はい」
「中身知らなかった」
「はい」
「後で犯罪に使われた」
「……嫌ですね」
「嫌かどうかじゃない」
「捕まるかどうか?」
「それも後だ」
真壁は資料を置く。
「そいつから見れば、自分は荷物を運んだだけかもしれん」
若い刑事が黙る。
「人間も同じだ」
「人間?」
「ホテルを取っただけ。会社を紹介しただけ。口座の手続きを手伝っただけ。車に乗せただけ」
一つ一つは、巨大犯罪には見えない。
その先を知らなければ、なおさら。
「全部つなぐと違うものになる」
「ネットワーク」
「そうだ」
「じゃあボスは?」
「いるかもしれん」
「いないかもしれない?」
「ああ」
真壁は窓を見る。
巨大な犯罪組織。
そう呼べば分かりやすい。
頂点に一人いて、命令が下へ流れる。
だが今回見えてきたものは、それほど綺麗ではない。
利益。
需要。
信用。
人間関係。
それらでつながった網。
中心を切れば全部止まる、という構造ではない。
一カ所が潰れれば別の線を使う。
「面倒ですね」
若い刑事が言う。
「人間が作るものだからな」
「真壁さん、人間嫌いです?」
「嫌いなら刑事やってない」
「好きなんですか?」
真壁は少し考えた。
「分からん」
「そこもですか」
「分からんものを分かったふりするな」
「はいはい」
「二回言ったな」
「一回です」
「今二回目だ」
「面倒くさいなあ」
---
夕方、佐伯から連絡が入った。
国外で一人が拘束された。
別の国では、関係会社への捜査が始まった。
名古屋側でも複数の関係者について確認が進んでいる。
人間を別の身分へつなぎ替えていた疑いのある経路も、いくつか見え始めたという。
ただし、全容には遠い。
「止まるのか?」
真壁が聞く。
『何がです?』
「これ」
電話の向こうで佐伯が黙る。
『一部は』
「全部は?」
『無理でしょう』
真壁はその答えを予想していた。
『一つの組織ではありません』
「やっぱりな」
『今回の経路を潰しても、需要が残れば別の人間が同じことを考える』
「金になるから?」
『それもあります』
「他は?」
『信用です』
真壁は以前の言葉を思い出す。
日本を通っていたのは、信用。
「日本人というだけで信用される場所がある」
『あります』
「それを商品にした」
『そういう見方もできます』
真壁は嫌な言葉だと思った。
人間ではない。
国籍でもない。
信用そのものが商品。
電話を切る。
若い刑事が聞く。
「何て?」
「終わらないって」
「事件、解決しないんですか?」
真壁は首を振る。
「事件は解決するだろ」
「じゃあ?」
「事件が解決するのと、なくなるのは別だ」
窓の外では、雨が降り始めていた。
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