第十六話 名前のない組織
日本海側の港で、一人の男が死んでいた。
財布もない。
スマートフォンもない。
身元を示すものは何もない。
残されていたのは、水に濡れた中国のコンビニのレシート。
かろうじて読めたのは、「寧」という一文字だった。
身元確認を命じられたのは、県警捜査一課の窓際刑事・真壁修司、56歳。
ただ一人の名前を調べる。
それだけのはずだった。
※本作は、現実の国際犯罪に関する報道から着想を得て構成したフィクションです。
登場する人物・企業・事件・捜査内容などは創作であり、実在する特定の人物・企業・団体とは関係ありません。
動き始めると早かった。
ただし、映画のように一斉に扉を蹴破ったわけではない。
照会。
任意提出。
口座の確認。
関係者への聴取。
海外機関との情報交換。
税関。
公安。
県警。
国外の捜査機関。
それぞれが、それぞれの理由で動く。
真壁には全体が見えない。
佐伯にも全部は見えていないらしい。
アメリカ側が何を持っているのか。
中国側で何が起きているのか。
名古屋の会社がどこまで知っていたのか。
誰も一枚の地図を持っていない。
「結局、組織名は何なんです?」
若い刑事が聞いた。
真壁は資料をめくる。
「知らん」
「ここまで調べて?」
「名前がないんじゃないか」
「組織なのに?」
「お前、商店街に名前あるか?」
「ありますよ」
「じゃあ、商店街の店全部が同じ会社か?」
「違います」
「そんな感じだろ」
若い刑事が微妙な顔をする。
「例えが合ってるような、合ってないような」
「俺もそう思う」
「自分で言ったのに」
名古屋の会社。
寧波の化学関連企業。
別の仲介会社。
国外の法人。
金を動かす人間。
人を移動させる人間。
薬物ネットワークと接触する人間。
同じ看板を掲げているわけではない。
同じ命令系統にいるとも限らない。
ただ、必要な時に接続する。
仕事が終われば離れる。
次は別の相手とつながる。
一つ捕まえても、全部には届かない。
「会社の人、本当に薬を知らなかった可能性もあるんですか?」
「ある」
「でも関係してる」
「関係してることと、全部知ってることは別だ」
真壁は一枚の聴取記録を見る。
名古屋側の関係者は繰り返している。
――薬なんて扱っていない。
嘘かもしれない。
だが、真実かもしれない。
薬を扱っていないから、薬について聞かれても答えられない。
その人間が扱っていたのは、別の何か。
会社。
金。
契約。
あるいは人。
全部を知る必要はない。
むしろ知らない方が安全だ。
佐伯が部屋へ入ってきた。
最近はもう誰も驚かない。
「一つ確認が取れました」
真壁が顔を上げる。
「何」
「国外で日本人として確認された人物のうち、二人について、中国から入国した人物とのつながりがかなり強まりました」
若い刑事が聞く。
「同一人物?」
「その可能性が極めて高い、という段階です」
真壁はうなずく。
「他は?」
「継続中です」
「名古屋は?」
「それも」
「寧波」
「それもです」
真壁が嫌そうな顔をする。
「お前、最近そればっかりだな」
「真壁さんにだけは言われたくありません」
若い刑事が笑う。
真壁は笑わなかった。
「死体は?」
佐伯の表情が変わる。
ほんの少し。
それで答えは分かった。
「まだです」
「そうか」
事件は進んでいる。
最初の男だけが動かない。
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