第十四話 日本人
日本海側の港で、一人の男が死んでいた。
財布もない。
スマートフォンもない。
身元を示すものは何もない。
残されていたのは、水に濡れた中国のコンビニのレシート。
かろうじて読めたのは、「寧」という一文字だった。
身元確認を命じられたのは、県警捜査一課の窓際刑事・真壁修司、56歳。
ただ一人の名前を調べる。
それだけのはずだった。
※本作は、現実の国際犯罪に関する報道から着想を得て構成したフィクションです。
登場する人物・企業・事件・捜査内容などは創作であり、実在する特定の人物・企業・団体とは関係ありません。
翌朝。
真壁はほとんど寝ていなかった。
それでも湯温だけは測る。
八十度。
若い刑事が呆れる。
「そこ適当でいいでしょう」
「よくない」
「昨日二時間しか寝てないですよ」
「だから珈琲がいる」
「だったら早く淹れれば」
「雑に淹れた珈琲を飲むくらいなら水でいい」
「面倒くさいなあ」
真壁は答えず湯を落とす。
昨日見た写真が頭から離れない。
中国人として日本へ入った男。
国外で確認された日本人。
同一人物かもしれない。
だが、まだ「かもしれない」だ。
顔が似ているだけでは足りない。
***
照合が始まった。
顔。
年齢。
身体的特徴。
移動した時期。
記録の途切れた時期。
国外で別の人物が現れた時期。
一つだけなら偶然。
二つでも偶然はある。
三つ。
四つ。
重なってくる。
それでも真壁は言う。
「決めるなよ」
若い刑事が画面から顔を上げる。
「かなり似てますよ」
「似てるのと同じなのは別だ」
「分かってます」
「本当に?」
「最近、真壁さんに何回も言われてますから」
「ならいい」
照合結果が一つ届く。
完全な断定ではない。
しかし、一人について同一人物である可能性がかなり高まった。
中国籍として日本へ入った人物。
その後、記録が途切れる。
しばらくして国外に現れた人物。
日本人名。
日本国籍として扱われている。
若い刑事が椅子へ座ったまま呟く。
「何なんですか、これ」
真壁も分からない。
どうやった。
誰がやった。
何のために。
全部分からない。
ただ、起きているらしいことだけが見える。
「佐伯」
電話する。
すぐにつながった。
『はい』
「一人、かなり近い」
『こちらでも確認しました』
「じゃあ聞くぞ」
『何をです?』
「何で日本人なんだ」
沈黙。
「偽名だけなら分かる。犯罪者なら名前を変えることもある」
『ええ』
「でも、何でわざわざ日本人なんだ」
佐伯は答えない。
「中国人の別名でもいい。第三国でもいい。それなのに日本」
『真壁さん』
「何だ」
『日本人が海外へ出る時、どう見られると思いますか』
真壁は黙った。
「どういう意味だ」
『国籍は、名前だけではありません』
「信用か?」
電話の向こうが静かになる。
真壁は窓を見る。
日本人。
日本の会社。
日本の住所。
日本から出ていく人間。
その属性そのものが、相手の警戒を変える。
「日本を通っていたのは……」
真壁はそこで止めた。
まだ早い。
佐伯が言う。
『我々も同じところを調べています』
「薬じゃない」
『はい』
「金だけでもない」
『はい』
「人間か」
今度の沈黙は長かった。
『県警へ行きます』
またそれか。
真壁は電話を切った。
***
夕方。
佐伯が来るまで、真壁は資料を眺めていた。
若い刑事が言う。
「日本人って、そんなに便利なんですかね」
「便利って言い方は嫌だな」
「じゃあ信用されやすい?」
「場所によるだろ」
「でも、それを利用してる?」
真壁は答えない。
「もしそうなら」
若い刑事は写真を見る。
「日本を通ってるの、薬じゃないですね」
真壁は窓の外を見る。
「そうかもしれん」
「じゃあ何です?」
真壁はしばらく考えた。
「信用だ」
若い刑事が黙った。
日本を通っていたのは、信用だった。
お読み頂きありがとう御座います。
続きは明日、3話投稿予定です。
感想や評価をいただけると励みになりま




